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 <1>閃光拳のアズ 第二の試練

 アズとサスケはアルム村を出た後、北に向かってのんびりと山岳地帯を歩いていた。少し前、村を治めるオットーハイム男爵の子息を正式な決闘でとはいえ手傷を負わせてしまった。

 男爵からしたら小作農のアズは下僕以下の取るに足らない存在だ。飼い犬に手を噛まれたことになり面目が潰れたわけである。

 男爵は村人の面前にもかかわらず配下の騎士に命じて二人を殺害しようとした。だがそこにトゥールのヒョーゴと名乗る騎士が現れて二人は九死に一生を得た。

 そういうわけでアズはもうアルム村にいられなくなりサスケと共に旅に出たというわけだ。ただ当てどのない旅というわけではない。

 目的があった。それは十数年前アズの前から忽然と姿を消した父ファスを探し出すことだ。ファスがどんな理由で出奔したのかはわからない。

 当時生活は楽ではなかったが追い詰められていたわけではなかった。なので生活を苦にして出て行ったわけではなさそうだ。

 またファスは律儀で真面目な性格だった。なので他に女ができたとも考えられない。アズの母イリアはそんなファスに恨み言一つ吐かずに死んでいった。

 ファスを深く愛していたのだろう。アズにもファスを恨まないよう常々、言っていた。だがアズはどうしても許せなかった。

 幼い自分と病弱な母を置いて出奔した無責任なファスが。見つけ出したらきつく恨み言を言ってやりたかった。

 いや殴ってやりたかった。ファスはこの世で最も愛すべき二人を捨てていったのだ。罪は大きいではないか。

 そんな旅だった。だがファスがどこに行ったのか手がかりはまったくないといっていい。ただ根拠のないカンだが国外には出ていないと思われた。

 アルム村はクランク王国最南端にある。ならば北に行くしかない。行き先は五里霧中だが手がかりのようなものが二つあった。

 一つはファスが武術の達人であるということだ。この国では悶着が起こった場合、大抵武器をとって闘う。

 だがファスの武術は素手で闘うものだ。当然、素手のほうが圧倒的に不利なはずなのだが不思議と勝ってしまう。

 アズも幼いながらそんなファスの武術の手ほどきを受けていた。なので捜し歩く途中その武術で名を上げればきっとファスの名も浮かび上がってくるはずだ。

 もう一つはファスの背中には獣の刺青のようなものがあったという。アズはそれを見たことがない。以前イリアが教えてくれたのだ。

 ある時イリアはファスの面影を追うように微笑みながらその絵を小枝で地面に描いてくれた。だが絵を見てもアズにはそれがどんな生物なのか見当もつかなかった。

 旅すがらその話をサスケにすると興味を示したのでアズは地にそれを描いてやった。サスケはその絵を見て首をかしげた。

 「・・・龍?」

 

 警戒を要したオットーハイム領を出るといくらか心が軽くなった。もう見つからないだろうと思っていたがやはりいつ追っ手が現れるか心配だったのである。

 二人はオットーハイム領に隣接するアイムシュタッド男爵領に入った。入ったといっても未だ山岳地帯を抜け出たわけではない。

 周囲は変わらず険しい山並みしかないし山から吹き降ろしてくる風は冷たく厳しい。だがアイムシュタッド領に入れば平原にぐっと近づくことになりこの先いくつかの村を通ることになる。

 人里に行けば暖かいもてなしを受けるのは無理だとしても人の顔が見られる。共のある旅とはいえ寂しい山中の旅は人気が恋しくなる。

 二人はこの先にある村を思って足取り軽く進んだ。そしてそんな時、二人を崖の上から見つめる数人の人影があった。

 人影は皆、素肌の上に分厚い獣の毛皮を頭から着込んでおりその目は爛々と光っていた。いやよく見ればいるのは人だけではない。

 低い位置で唸り声を上げる四つん這いの獣もいるのではないか。狼だ。狼も傍の人と同じように二人を見下ろしている。人影の間で会話がなされた。

 「あいつら。ムッチ村の奴らかな?」

 「さあな。だが方向からしてムッチ村に向かっているようだ」

 「二人だけだし・・・殺っちまうか?」

 「俺達の仕事は偵察だけのはずだぜ。余計なことをしたらカシラに怒られちまう」

 「んでも俺達ぁ、随分血を見てねぇ。こいつも欲求不満だってよ」

 人影達が見下ろすと狼が同意するように唸り声を上げた。

 「仕方ねぇか。カシラには内緒でちょっとだけ狩りをするか」

 人影達はそんな危険も知らずのんびりと歩く二人を見下ろして不気味な笑みを浮かべた。

 

 その先は絶壁になっていた。山の垂直の壁面に人一人がやっと通れるくらいの幅の狭い自然の道が頼りなく続いていた。

 サスケはそこを見て呆れた様子で呟いた。

 「こんな道。一体、誰が通るんだ?少なくても隊商は無理だぞ」

 アズが答えた。

 「確かに荷馬車は無理だな。んでも一人一人が荷を担いで行けばなんとか通れるんじゃないか?商人の商魂は凄いぞ」

 「確かにあいつら、どこにでも出没しやがるな」

 二人は王国最南端の山深いアルム村に現れた隊商のことを思い出した。サスケは呆れた様子を見せたがその絶壁の道を少しも恐れていないようだ。

 気軽に踏み出して行った。そしてその道に入ると壁側に重心を寄せ片手を壁に当てて歩いた。時折、吹き上げる谷底からの突風に足が止まる。

 だが二人は常人より大分、肝が太いらしい。道から足を踏み外しても突風に体を激しく揺さぶられてもあまり動じた様子は見せなかった。

 それどころかそういう目に会うとその時は悲鳴を上げるものの、楽しげな様子を見せている。そして三時間ほど進むとやがて少し遠くに絶壁の道が終わって森に入る道が見えてきた。

 その時アズの前を行くサスケの眉が潜められた。

 「なんだ、あいつら?」

 森の道に入ってすぐのところに獣の毛皮を着た三人の男達がまるでアズらを待ち構えているように立っていた。

 その時アズもふと気配を感じて振り返った。そして訝しげに言う。

 「後ろにもいるぞ」

 サスケがアズの肩越しに後ろを見ると確かに毛皮の男が一人、さらにその後方に一匹の狼の姿が見えた。

 サスケが少し警戒した様子で言った。

 「山賊かな?」

 「俺達みたいな貧乏人を?まさかぁ」

 すると前方の男達の声が聞こえた。

 「おい、てめえら!村から離れたのが運のつきだったなぁ!」

 それを聞いた二人は訝った。

 「運のつき?何、言ってんだ、あいつ」

 「村から離れたって、アルム村から俺達をつけてきたのか?まさかな」

 アズらの不審も知らず毛皮の男達は手を鉤爪のように構えて言った。

 「どうせ他の村に助けを呼びに行ったんだろうが何人、来たって同じことだ。牙狼族の餌食になるだけよ」

 サスケが首をかしげて言った。

 「牙狼族?はて。聞いたことないな。そんな部族」

 「ここら辺の山を全部、歩き通したお前が知らないとすると新顔かな?だけど油断はできないな。見ろよ、奴らの爪。かなり鋭そうだ」

 「んでもこの距離だろ。奴らは餌食がどうとか言っているけど俺っちからしたら飛礫のいい的だぜ」

 アズが振り返って言った。

 「こっちも一人と一匹。閃光拳を使うまでもないかな」

 その間に前方の一人からやれっ!という鋭い声が聞こえた。サスケはアズと話しながら既に手ごろな石を拾い上げておりアズも後方の敵の戦闘能力を見定めていた。

 そして二人の言葉通り決着は呆気なくついた。まず前方の三人のうち二人が爪を掲げて襲い掛かってきた。

 絶壁の道を飛ぶように走ってきたのはいいものの、サスケに近づく前に飛来した飛礫にあっという間に昏倒させられた。

 アズはといえば後方から襲い掛かってきた男にまず充分に溜めた前蹴りをぶち込んでふっ飛ばし、間髪入れず飛び掛ってきた狼の顎に拳を突き上げて撃退した。

 アズは谷底に絶叫を上げて落ちていく男と狼を気の毒そうに見て呟いた。

 「襲ってこなければ良かったのに」

 そして最後に残った男は仲間があっという間に倒されるのを見て怯んだ。サスケが飛礫を構えてその男に言った。

 「おっさん。まだやる気ある?」

 サスケが挑発するように笑うと男は首をぶるぶる横に振って慌てた様子で逃げていった。

 

 その場所は深い森の中でもさらに暗闇の濃い場所だった。だが完全な闇というわけではない。少し移動すれば僅かに木漏れ日の差しているところが所々で見られる。

 だがそこだけは光をほとんど吸収してしまうようで、ものの輪郭さえまったくわからない。いやその中にも光はあった。

 一対の小さな光だ。いやさらによく目を凝らしてみればそこかしこに一対のものが無数にあるではないか。

 そしてその光には激しい怒りと悲しみの色があった。暗闇の中で一際、大きく濃い気配が動いた。そして少し離れたところに控える別の気配に訊く。

 「仲間を殺したのは確かにそいつらなんだな?」

 その気配が少し怯えたように言った。

 「へ、へぇ。その二人は南のほうからやってきて俺達を・・・」

 「いきなり襲い掛かってきたというのか?」

 大きな気配の眼光が鋭くなったような気がした。嘘をつくと承知しないぞという迫力がある。小さい気配は竦みあがってしばらく言を左右にしていたがやがて申し訳無さそうに打ち明けた。

 「じ、実は偵察の帰り・・・そいつらを見つけたんでいい獲物だと・・・まさかこんなことになるとは」

 するとその時、一際大きな影には少し劣るがそれでも充分、大きな影が出てきて激しく咎めるように言った。 

 「それでてめえは仲間が殺られたにもかかわらず尻尾を巻いて逃げ帰ってきやがったっわけか!

 小さい影は弁明するように言った。

 「違うんだ、コガシラ!俺はこの事を報告しなきゃいけねぇと思ってあえて闘わなかったんだ!」

 コガシラと呼ばれた影が一番大きな影に尋ねるように見た。大きな気配が頷くのがわかった。コガシラが小さな気配に言った。

 「牙狼族に腰抜けは要らねぇ」

 小さな影が息を呑んで身を引いた。だがそれより早く電光のようにコガシラが迫った。闇の中にゴキリという嫌な音が響いた。

 小さな気配は首を真後ろに捻じ曲げられてもしばらく何が起こったのかわからないようにつっ立っていた。

 少ししてそれはどうっと地に倒れた。コガシラはもうそれに目もくれず大きな影に言った。

 「カシラっ!殺られた中にゃ俺が可愛がっていた狼の赤目がいたんだっ!俺に仇を討たせてくれっ!」

 するとカシラと呼ばれた影が訊いた。

 「仲間を使ってそいつらを探したいっていうのか?」

 するとコガシラは言葉に詰まり急に弱気になったように言った。

 「・・・わかっているとも。今は大事な襲撃前だ。そんなことしている暇はねえってことくらい」

 「そしてお前はただの男じゃねえ。俺に代わって仲間をまとめるコガシラだ。勝手なことをする立場じゃねえってのはよくわかっているよな、オウルよ?」

 オウルと呼ばれた気配は渋々、頷いた。するとカシラはやや口調を和らげて言った。

 「だが襲撃する村の中にそいつらがいたら殺るのはお前に任せよう」

 オウルの表情がぱっと明るくなった。

 「へへへ。さすがはカシラだ。そうこなくっちゃな」

 暗闇の中でオウルの目に残忍な殺意が宿った。

 

 夜の帳が下りてから大分、時が経った。時刻は人々が熟睡している頃だ。そんな夜更けに二人の男達がかがり火に横顔を照らされ槍を片手に立っていた。

 二人の表情は緊張していた。何か異変はないかとその目がちょくちょく周囲に配られる。だが時間が経つにつれてその緊張感が保てなくなったのか片方の男にやや飽きてきた感じが出てきた。

 ぼんやりとした様子で欠伸をかみ殺したり頬を掻いたりしている。やがてもう一方の男に話しかけた。

 「なぁ。山賊ってのはどんな奴らなんだ?」

 すると話しかけられた男は生真面目に言った。

 「牙狼族っていって、なんでも狼の格好した、薄っ気味の悪い奴らだそうだ」

 「狼の格好?」

 「ああ。奴らは狼の毛皮を頭から着こんでいるらしい」

 「そりゃ暖かそうだな」

 「冗談、言ってる場合じゃねえ。姿だけじゃねえ。性格も動きも狼みてぇに素早く凶暴だっていう話だ。

 襲撃された西の村の話じゃあ村の食いモンやら何やらをすべて奪った上で女子供も皆殺しにしたっていうじゃねえか」

 「うえぇ・・・で、そいつらがこのムッチ村を襲いに来るっていうのか」

 「ああ。奴らは東に向かって行ったっていう話だからな。順番からすれば次はこの村だ」

 男達のいるムッチ村はクランク王国南方、アイムシュタッド男爵領の南西に位置する山中の鄙びた村の一つだった。

 周辺の村の中ではムッチ村が平原に最も近いため良木を切り出して町に材木を供給している。なので農業の他、林業収入が入るため比較的暮らしは豊かだった。

 そして近くの村が山賊の襲撃を受けたという報がその村に入ってきたのは一週間前だった。山賊が現れた場合その地を治める領主が討伐隊を発して退治しなくてはならない。

 だが大抵、手が足りず村で自警団を組織して賊に当たるというのが常だった。そういうわけでムッチ村は急ぎ厳重な警備を敷いて山賊の襲撃に備えているというわけだ。

 対策としては四方に見張りを置いて対策本部に男達を詰めさせ、いつでも出動できる態勢を整えた。

 村の北は峡谷に面しており深い谷底が交通を遮断しているため警備人数はそれほど多くはない南は絶壁に面しており絶えず上から強風が吹き降ろしてくる。

 なのでここも警備は薄かった。東は森に面しており山道からの枝道が村まで続いている。村の入り口だ。

 なので襲ってくるとしたらそこが最も危険だと考えられていた。警備の人間の数もそこが一番多い。最後の西は山の麓に面しており賊が上から降りてくることも予想されたがかなりの急斜面なのでそこからも襲撃はないと思われた。

 警備の人間も少ない。そして前述の二人はそこにいた。飽きた様子の男が斜面を見上げた。かなりの急勾配である。

 そこに木が必死に足を踏ん張って生えているという印象を受けた。

 「・・・こんなところで警備したって無駄だと思うんだけんどなぁ」

 「まぁ確かに仙人でもなけりゃこんなところから降りてはこられねぇだろうなぁ」

 二人は顔を見合わせて苦笑した。その時だった。獣の遠吠えのような声が微かに聞こえたような気がした。

 警備の一人がびくっと体を硬直させた。そして傍らの同僚に恐る恐る訊く。

 「・・・今の聞こえたか?」

 「・・・おめぇもか。俺も聞こえた」

 二人は怯えた様子で周囲を見回した。すると今度ははっきりとわかる遠吠えが二人に耳を打った。明らかに猛々しい獣のものだ。

 「どっ、どっからだ!?」

 ガサガサッと音がした。二人は同時に斜面を見上げた。

 「うっ、上からだ!」

 見上げると絶対無理だと思われていた急斜面を毛皮を着た複数の男達と狼が木を伝って高所から飛び降りてくる。

 「うわぁ!?来たぁ!」

 警備の男達は賊が現れた時、笛を吹いて村に急を告げることになっていた。だが動転してそれに気づかず慌てて逃げ出した。

 二人はパニックを起こしたまま北の畑と南の居住区を分ける通りを走り抜けた。そしてようやく警備拠点となっている村集会場に着いた。

 着くなり慌しく警備責任者のセイカンを呼ぶ。呼ばれて出てきたのは表情の引き締まった三十代半ばくらいの男だった。

 その男、セイカンは事情を訊くとすぐに周りにいた村人に言った。

 「西以外からは来ていないか?そうか。襲撃は西からだけなのだな?よし。西以外は守りを最小限にして残りの人数を西に集結させろ!」

 <2> 

 狼が疾風のように走って村人を襲っていた。村人は棍棒や槍、剣で狼を撃退しようとするものの、彼らは敏捷なばかりでなく狡猾でもあった。

 村人の攻撃を易々とかわして腕や足に噛み付く。隙を見せた村人には首にまで食らいついた。そしてさらに質の悪いのが毛皮を着た山賊達だった。

 彼らは武器を使わず狼達と同じように自身の爪や牙で逃げる村人を襲った。最初、村人は山賊の武器が人間の爪や牙なのでたいしたことはないだろうとたかをくくった。

 だが死傷者が続出するにつれてその考えを改めざるをえなくなった。山賊は狼と同じように皮膚どころか肉、骨まで食いちぎり首を爪でかっきることができた。

 それは人間技ではなくまさに野獣の仕業だった。セイカンは怯む村人に叱咤して自らも闘った。彼は武術の心得があるようで怒涛のごとく襲ってくる狼らを瞬く間に棒で叩きのめした。

 村人らはそれに勇気付けられ彼を中心に反撃を始めた。すると少ししてセイカンらの元にまだ幼さの残る少年とその連れ達が駆けつけてきた。

 「遅いぞ、シバ!」

 セイカンは彼らを見ると叱るように言った。だがそうは言ったが彼らを頼もしく思っている感じもうかがえる。

 彼らは東を守っていた年少組の少年達だ。その中でもシバと呼ばれたリーダー格の少年はよく闘った。

 金髪で目に反抗的な光を浮かべたシバは他の少年達を指揮しながら自らも剣で牙狼族の男と対峙する。

 牙狼族は少年達を侮ったように軽快な動きで翻弄し攻撃したが少年達は軽々しく動かず防御に徹してよく持ちこたえた。

 だがその中で一人だけ無様に賊に追い回される少年がいた。髪がやや長くふっくらした頬にそばかすがある。

 「くくく、来るなぁ!来るなぁ!」

 だが無様なわりには金のかかった拵えの立派な剣を持っている。それがまた不釣合いの感を際立たせた。

 その少年は恐れた様子で剣を闇雲に振り回す。対峙した賊はさっとその一振りをやり過ごすと一気にその少年に襲い掛かった。

 「イマ!」

 その時、間一髪シバが横合いからその賊に斬りかかった。そのため賊はイマと呼ばれた少年に襲いかかれなくなった。

 相手が少年とはいえ二対一を不利と見たのか賊は舌打ちして離れていった。イマが面目無さそうにシバに言った。

 「ごめん。シバ」

 シバはイマに見向きもせず冷たく言い放った。

 「お前の身を案じて助けたわけじゃない。年少組に死人が出ると組長の俺の責任になるんだ。それをよく憶えとけ」

 イマはしゅんとなって俯いた。また遅れてその場にやってきた男がいた。セイカンはその男を見て懸念した表情になった。

 「やれるか、ヨナフ?」

 そのヨナフと呼ばれた男は目尻が優しげに下がった柔和な顔つきだったが上背があった。恐らく二メートルはあるだろう。

 体格も大きい。ヨナフは気弱げにセイカンに答えた。

 「なんとかやってみるよ、セイカン」

 牙狼族はヨナフを見上げてぎょっとしたような表情になった。だが狼を相手にした動きを見てすぐに実力の底を見切ったようだ。

 ヨナフは群がる狼を見てすぐに腰が引けたように数歩下がった。そして近づくなとばかりに棍棒をやたらめったら振り回す。

 雑で間合いも狙いもあったもんじゃない。だがこれが案外、迫力があったようで狼らは中々ヨナフに近づけなかった。

 自警団と山賊の闘いは一進一退を繰り返した。そしてその闘いを西の崖の上から腕を組んで見下ろす大きな影があった。傍らのオウルがその影に訊いた。

 「村の奴ら、自警団を組織したようだがたいしたことはない。カシラ、このまま押し切っちまおうか?」

 すると影は首を振って言った。

 「そう焦るな、オウルよ。今回は村の警備態勢を見るのが目的だ。やはりたいしたことはないようだがな。これならいつでも制圧できる。よし。撤収の合図をしろ」

 オウルは不満そうな表情を浮かべたがすぐに後ろの手下に頷いてみせた。手下は天に向かって長い遠吠えを行った。

 すると各場所で闘っていた牙狼族はそれを聞いて闘いをぴたっと止めた。そして四方に散った。ある者は東に、ある者は西に。

 そのため自警団は虚を突かれた格好になり追撃することができなかった。

 

 セイカンは賊が去っていくのを訝しげに見ていた。シバら年少組は賊が劣勢のため撤退していったと思ったらしく歓声を上げている。

 だが大方の警備担当者はこのまま攻め込まれていたら不意を突かれた自警団は崩壊するしかなく村は凌辱の限りを尽くされていただろうと訝った。

 山賊らは退散する時も素早くあっという間にその姿は闇の中に消えていった。セイカンは追うべきかどうか迷った。

 彼らに何かしらの不都合が起こったのかどうかは知らないが闇夜の山中を追っていくのは危険すぎる。

 周りを見回した。多くの死傷者が倒れていた。襲撃はまたあると見て間違いないだろう。この間に態勢を整えておくべきだ。

 セイカンは無事な村人に死傷者の収容を命じた。ヨナフは闘いが終わるとほっとして率先して死傷者の面倒を見た。

 そうなると大柄で力が強い彼はとても役に立った。ヨナフがせっせと壊された柵を片付けたり負傷者を診療所に運んでいると村人の呟きが聞こえた。

 「闘いが終わってからよく働いてくれてもなぁ」

 「まったくヨナフは図体ばかりでかくて肝は子供より小さい。役に立つんなら戦いの時に立てよって話だ」

 ヨナフは彼らの皮肉げな視線に思わず俯いた。それを聞きとめたセイカンが陰口を叩いた二人に言った。

 「それであんたらはどんな役に立っているというんだ?俺にはさっきから口しか動いていないように見えるが」

 するとその二人はきまり悪そうにその場を立ち去った。ヨナフが感謝の目でセイカンを見るとセイカンは頷いてみせた。

 長い戦いではなかったためか死者は危ぶんだほど多くはなかった。だが負傷者は多かった。狼だけでなく山賊の爪や牙は村人の戦闘能力を著しく奪った。

 足を裂かれて動けなくなった者。腕を裂かれて武器が持てなくなった者など様々だ。村の診療所では苦痛に呻く声が所々で起こっていた。

 様子を見に来たセイカンはそれを痛ましげに眺めていたがやがて耐え切れなくなったように外に出た。

 その時、後片付けをしていた村人の一人がセイカンの傍にやってきて不審そうに言った。

 「なあ、セイカン。なんで奴らは急に引き上げたんだろうな?優勢だったのに」

 セイカンは西の崖上を眺めて言った。

 「最初の襲撃だ。奴らは俺達にどんな準備があるのか見極めようとしたんだろうよ。だから今回は様子見の襲撃だったんだろう。次は本格的な戦いになるぞ」

 セイカンは次の襲撃も絶対、撃退してやると決意したように西の空を睨みつけた。

 

 アズとサスケは順調に北への行程を消化していた。数日前に襲ってきた山賊もそれっきり姿を現さない。

 アズは一人逃げていった山賊が必ず復讐に戻ってくると警戒していたのだが数日を過ぎたところでそれを解いた。

 こっちの足跡を見失ったか敵わないと見て諦めたか。空を見上げた。夕焼けに染まっている。後一時間も経たない内に夜の帳が下りるだろう。

 今日の行程は早々に切り上げて野宿できるところを探さねばならない。前を進むサスケにそう言おうとするとサスケが振り向いて言った。

 「この先に村があるはずだからもしかしたら今夜はそこに泊めてもらえるかもしれない。それに・・・」

 サスケが警戒した様子で辺りを見回した。アズはその少し緊張した様子が気になった。

 「どうした?」

 「・・・おめえにはわからねえかもしれねえがこの辺りで臭いがするんだ。狼の」

 狼!やはりあの山賊は復讐する機会をずっと狙って二人を追跡してきたのか。となると油断ができない。

 これまでの行程では人里がなかったので野宿するしかなかったが村があるのなら泊まりたい。狼に狙われている時に野宿するのは危険が高すぎる。

 二人は無言で目を見交わした。サスケが頷く。サスケも同じことを考えていたようだ。山道を急ぎ歩いた。


 空が薄闇に包まれてきた頃、少し先の道端に木の標識があるのに気づいた。近づいてみるとやはりサスケの言った村のもののようだ。

 さらに蛇行する山道をやや急いで進んでいくとやがて左に大人五人が並んでも通れる広い岐路が見えてきた。

 そこを折れて進めば村に辿り付けるらしい。曲がり角の標識にはムッチ村と字が彫られてあった。その時サスケが懸念したように周囲を見回した。

 「さっきよりも狼の臭いが強くなっている」

 アズはサスケを促して村まで急いだ。少し歩くと鬱蒼と茂っていた森の樹木がまばらになってきてやがて前方にかがり火がいくつも焚かれているのが見えた。

 なぜかがり火があんなにたくさん焚かれているのだろうか?普通、山村では暖を取るため家の中で火をつけることはあっても戸外では木材の浪費になるためあんなにたくさん点けないはずだ。

 何かあったのだろうか。不審に思いながら近づいていくと肌にぴりぴりとした緊張感が漂ってくるのを感じた。

 警戒されている?一体あの村では何が起こっているのか。村まで後三十メートルほどという時、村の入り口から警戒する叫び声が上がった。

 入り口の内外から六、七人の男達が武器を持ってぱらぱらと出てくる。男達は駆け寄ってきて二人を取り囲むと威嚇するように槍を向けた。

 「お前ら何者だ!」

 サスケが戸惑ったように言った。

 「何者だって、いきなりなんなんだよ」

 男達が苛立ったように言った。

 「質問に答えろ!何者だ!」

 かなり神経が尖っている。頭ごなしに質問されたのは気に入らないがここは率直に答えたほうが良さそうだ。

 泊めてもらうつもりなのだ。心証を良くしておいたほうがいい。そう考えてアズが言った。

 「俺達は怪しい者じゃない。アルム村から来たんだ」

 すると男達に戸惑ったような表情が浮かんだ。だがすぐに男の一人が猜疑心を露にして言った。

 「嘘をつけ!ここからアルム村まで大分ある。本当は牙狼族の手先かなんかなんだろう!」

 「牙狼族?」

 二人は顔を見合わせた。ここに来る途中、二人を襲った山賊の名ではないか。二人は慌てて手を横に振った。

 「違う、違う!俺達は山賊なんかじゃねえって!」

 「信じられるか!」

 それからも問答があったが何を言っても信じてもらえなかった。男達は追い詰められているようにかなり緊張している。

 聞く耳を持たないといった感じだ。向けられた槍の穂先が今にも突き出されてきそうだ。二人は目を見交わした。

 「こうなったら仕方ねえか・・・」

 「あ〜あ。今夜は屋根のある家で眠れると思ったんだがな」

 二人は身構えた。目の前の男達は警戒を解かない。いやそれどころか緊張の度合いがますます高まって突撃はもうすぐそこまで来ていると思われた。

 ここは包囲を突破して逃げるしかない。二人の決意が伝わったのか男達の緊張もさらに高まったように見えた。

 アズは素早く男達を見回した。勇気はあるが武術の心得のある者は少なさそうだ。正面にいる男を攻撃するとみせかけて後方の二人を殴り倒してこの場を脱出する。

 サスケに目でそれを伝えた。二人は以心伝心。僅かな身振り、目配せで意思が伝わる。そしてその作戦をいよいよ実行しようとした時だった。村のほうから鋭い声が聞こえた。

 「待て!お前ら、何をやっている!」

 男達がはっとなって声のほうを見た。村からがっちりとした体つきの男がこちらにやってくるところだった。二人を囲んだ男の一人が言った。

 「セイカン」

 セイカンは男達に目もくれず囲みの輪から中に入ったところで立ち止まった。

 「お前達は何者だ?」

 落ち着いた表情に理性的な目の色。この男なら話を聞いてくれそうだ。そこでまたアルム村からやってきたことを告げた。

 すると男達の一人がセイカンに言った。

 「こいつら、絶対怪しい!嘘に決まってらぁ!」

 セイカンは二人を見て考えているようだ。

 「・・・山賊の格好じゃない。奴らなら狼を信仰しているから狼の毛皮を着ているはずだ。だが変装している可能性がある。手先じゃないとも言いきれん・・・」

 アズは落胆するのを憶えた。どうやら疑いは解けそうにない。自分達もその山賊に先日、襲われたばかりだと訴えても信じてもらえないだろう。

 するとセイカンが考え込みながら言った。

 「・・だが外から来た人間をなんでもかんでも賊の手先だと決め付けるのも可哀そうだな」

 男達が抗議するようにセイカンを見た。

 「セイカン!」

 セイカンは男達を手で制して二人に訊いた。

 「よし。少し質問させてもらうぞ。俺は二年前アルム村に行ったことがある。お前らがその住人だというのなら村のことを詳しく話してみろ」

 アズはちょっと考えて村の配置や村長の名、風景を選択しながら説明した。また領主一族に睨まれて村にいられなくなったことも多少、脚色して話した。

 その間セイカンは黙ってアズの表情を見つめていた。少しでもおかしいところがあれば絶対、見逃さないぞという感じだ。

 アズが話し終えてもセイカンはまだ二人を見て考えているようだった。やがて頷いて言った。

 「いいだろう。どうやらアルム村から来たというのは本当のようだ。それでここに来るのが目的だったのか?それともどこかに行く途中なのか?」

 アズは父探しの旅だと正直に打ち明けた。それを聞いたセイカンは感心したように言った。

 「まだ子供といっていい年頃なのに大変だな。よし。一泊なら許可しよう」

 男達が驚いて言った。

 「セイカン!」

 セイカンは男達を宥めるように言った。

 「泊めるのは納屋だ。それに外から鍵もかける。よく彼らを見てみろ。とても怪しい奴には見えん。俺が責任持つよ」

 セイカンは村の中でそれなりの地位があるようで男達は仕方無さそうに黙った。

 3>

 二人はセイカンの案内で夜の帳の下りた村の中に入った。あちこちにかがり火が焚かれ村の男達が緊張した様子で周囲に目を配っている。

 二人が村の中に入っていくと彼らは不審と好奇の目で二人を眺めた。アズはセイカンの後に続きながらその背に尋ねた。

 「さっき入り口前で牙狼族がどうこう言ってたけど。この村は襲われそうなのか?」

 セイカンが歩きながら振り返って言った。

 「そうだ。既に一回、襲撃を受けた。君達を受け入れるかどうか迷ったのもその間に襲撃があったら危ないと思ったからなんだ」

 サスケが自慢げに言った。

 「俺達もここに来る途中、毛皮を着た連中に襲われたぞ。もちろん叩きのめしてやったけどね」

 「ほう」

 セイカンは意外そうな目で二人を見た。どうやらあまり強そうに見えなかったらしい。だがいくらか見直したような表情になった。

 村の通りを歩いてくとやがて右手に広大な畑が見えてきた。左手は粗末な家並みが続いている。居住区のようだ。

 前方の少し遠くに山の絶壁が見えた。居住区に入って五軒ほど過ぎた時、不意にセイカンが前を歩く男に声をかけた。

 「ヨナフ」

 ヨナフと呼ばれた男が振り返った。サスケがヨナフを見て感嘆したように呟いた。

 「でけぇ・・・」

 村人の中でも頭一つ分、余裕で飛びぬけている。ヨナフはセイカンを見た後、二人に気づいて首をかしげた。セイカンが後方の二人を指差してヨナフに言った。

 「ちょうど良かった。この二人は今晩、村に泊まることになった。それであんたの家の納屋がちょうど空いていたろう?そこに泊めてやってくれないか」

 ヨナフはにっこり笑って二人に言った。

 「狭苦しいところだけど干草がいっぱい敷いてあって暖かさだけは保証するよ」

 二人はヨナフの朴訥そうな性格に好印象を持った。セイカンはヨナフに二人をそこまで案内するよう頼むと離れていった。

 ヨナフが人の良さそうな笑みを浮かべて二人にどこから来たのか尋ねた。二人はヨナフと話をして彼が良い人そうだと安心した。

 

 シバは夜中、警備の当番の時間になったので家から東の見張り場所に向かっていた。その途中で年少組の人員が次々に集まってくる。

 シバは彼らの会釈に頷きながら彼らを見回して当番の人員が揃っているか調べた。するとその中に一人だけ見当たらない顔があるのに気づいた。

 「イマはどうした?」

 咎めるように訊くと少年達は困ったように顔を見合わせた。誰もイマのことは知らないらしい。一人の少年が馬鹿にしたように言った。

 「またあいつ、忘れてんじゃないの」

 それを聞いた少年達は笑った。だがシバが咎めるように彼らを見ると皆、黙った。

 「連帯責任なんだぞ。しかも組長の俺はさらに怒られる。すぐにあの馬鹿を呼んでこい!」

 すると少年の一人がその場から走り去っていった。シバは舌打ちし急いだ様子で村の入り口に向かった。

 だが少し歩いてその足が止まった。少年達が訝しげにシバを見た。

 「どうした、シバ?」

 するとシバが居住区の奥を指差して言った。

 「あいつらは誰だ?」

 少年らがその指先の方向を見るとヨナフに先導された自分達と同年代くらいの少年二人の姿が目に入った。

 少年達が首をかしげるのを見てシバは近くを通りかかった村人に二人の素性を訊いた。少年達は二人の素性がわかると不満げな様子で口々に言った。

 「この危ない時によそ者を村に入れるなんてなに考えてんだ、セイカンさんは?」

 「山賊の手の者かもしれないぞ」

 少年達が同意を求めるようにシバを見るとシバも顔をしかめて呟いた。

 「セイカンさんは立派な人だけど甘いところがあるからな・・・」

 シバは少し考えて少年達に言った。

 「誰か一人、行ってヨナフの納屋を一晩、見張れ」

 少年達は一斉に嫌そうな顔になったがシバに睨まれて黙った。

 

 アズはふと目を覚ました。少し離れたところではサスケが干草の中にだらしなく埋もれて寝ている。納屋は薄い板壁で時折、隙間風が入るような粗末な造りだったが豊富な干草のお陰であまり寒さを感じずに済んだ。

 アズが目を覚ましたのは雨音を聞いたような気がしたからだ。いや実際、屋根と壁を打つ雨音はかなり強い。

 荒れ狂う外の雨模様が容易に想像できた。セイカンとの約束で納屋には外から鍵がかけられている。

 なのでこちらからは外に出られない。尤も隙間風が入るような薄い板壁なので出ようと思えば鍛えた拳で簡単に出られる。

 だがそれをすれば二人を信用して招き入れてくれたセイカンとヨナフに迷惑をかけることになる。アズは外に出たいのを我慢してヨナフが戸を開けるのを待った。

 そしてどのくらいそうしていただろうか。まどろみかけていると板の軋む音がして戸が開いた。予想した通り雨風も一緒に入ってくる。

 藁の雨合羽を着たヨナフが気を遣ったように中を覗き込むのが見えた。もし寝ていたら起こさないよう配慮しているのだろう。

 アズは上体を起こして挨拶した。その言葉にサスケも目を覚ました。ヨナフは二人にも雨合羽を渡し母屋に連れて行った。

 するとそこには既に質素だが三人分の朝食が用意されていた。一緒に食べようという。室内は暖炉に火がくべられていて暖かった。

 二人は久しぶりのまともな食事にガツガツと朝食を食べた。パンは雑穀で決して柔らかいものではなかったしチーズも虫食いの跡が見られた。

 だが暖かく安全な場所でゆっくりと食事できるのが二人には嬉しかった。食事をして腹が落ち着くと室内を見回す余裕ができた。

 簡単な居間兼台所を見るとどうやらヨナフは一人暮らしのようで家族のことを訊くのははばかられた。

 恐らく彼の両親は既にこの世の人ではないのだろうし三十代に見えるのに嫁が見えないということは死別したか嫁の来手がないということだ。

 アズがあれから賊の襲撃があったかどうかと訊くとヨナフは微笑して、なかったと言った。そして窓に目を向けて凄い雨だが出立するかどうか二人に訊いた。

 サスケは居残りたそうな表情を見せたがアズは自分達があまり歓迎されていないことを知っていたのですぐ出ると言った。

 するとヨナフは近所の爺さんの見立てではこの雨はもうすぐ止むのでもう少し待ってから発ったほうがいいいと勧めてくれた。

 そしてその見立てのとおりやがて雨は上がった。次第に晴れていく空を見て二人は出発の準備をした。

 するとそこにセイカンがやってきた。二人が礼を言って今から出立すると言うとセイカンは眉根を寄せて考える様子を見せた。

 何かあったのかと問うとセイカンは難しげな顔で昨夜からの豪雨で辺り一帯の山道は土砂崩れで埋もれて通行不能となり、また北に行くには村から少し先にある峡谷を渡らなければならないのだがそこに渡してあった橋が強風で谷底に落ちてしまったという。

 アズが北への道はどこも閉ざされてしまったのかと訊くとセイカンは躊躇いがちに迂回路として東の山をいくつか越えれば北に出られると告げた。

 だがそのルートはかなり険しい登山を覚悟しなければならないとのこと。また時間も数週間以上はかかるという。

 考え込んだ二人にセイカンは気の毒に思ったのか危険はあるがもし二人が望むのならばもう少し村に居られるよう村長に掛け合ってもいいと言ってくれた。

 アズは少し考えて丁重に断った。ただでさえ賊の襲撃でこの村はぴりぴりしている。この上よそ者の自分達がいればさらに気を遣わせて迷惑だろう。

 セイカンは少しほっとしたように、じゃあ村の入り口まで送ろうと言った。ヨナフも見送りに来てくれた。

 外に出ると豪雨のすぐ後だというのに警備態勢は少しも緩んでいないのに驚いた。セイカンにそう言うとセイカンは事も無げに山賊はいつ襲ってくるかわからないからねと言った。

 居住区の小路を抜けて通りに出るとセイカンの元に村人がやってきて話しかけた。アズは聞く気はなかったがなぜかその時はその声が耳に入ってきた。

 「ありゃあ人を恐がらせるためかね?山賊は見てくれにあんな仰々しい狼の毛皮を着て狼みてえに吠えたり噛んだりする。

 しかも頭目だかその下の幹部だが知らねえが背中に獣の刺青をしている奴もいるっていうじゃないか」

 それを聞いたアズの目が大きく見開かれた。獣の刺青!?出奔した親父の背中には獣の刺青があったという。

 しかしもし流れに流れて落ちぶれたとしても矜持を持ち、腕に自信のある親父が山賊になってしまうことなどあるだろうか。

 しかし金もコネもない親父が生きるためにどうしようもなく酒場の用心棒やならず者の一味に加わってしまうこともあるだろう。

 土地や組織に所属しないというのはとても過酷なことなのだ。そう考えると賊の中に父が混じっているかどうか確かめたくなってきた。

 アズはその思いを抱えたまま村から送り出された。だが村から百メートルも離れないうちにその足は止まった。

 「どしたぁ?深刻そうな面しちゃって」

 サスケが訝しげにアズに訊いた。そこでアズは賊の中に背中に獣の刺青を持つ人間がいるかもしれないことを打ち明けた。

 カンの良いサスケはアズの気がかりな事をすぐに察してくれた。

 「親父さんかもしれねえって考えてんだな?んなら山中をあてどもなく探すよりあの村にいたほうが確実に賊に会えるな。

 そんで誰か、ふん捕まえて刺青をしている奴のことを聞こう」

 アズは賛同して早速、引き返そうとした。それをサスケが苦笑して引きとめる。

 「待て待て。さっき出て行った俺達が急に引き返してきてやっぱり居させてくれってのはいかにも怪しいじゃないか。

 ここは山を迂回しに行ったはいいけれど山が険しすぎて仕方なく引き返してきたって体裁を作らないと」

 アズはそれを聞いて感心したようにサスケの肩を叩いた。

 「さすがサスケだ。お前がいてくれてほんと助かるよ」

 

 二人が戻ってくるとサスケの予想した通り村人は不審な表情になった。そこでサスケの考えたもっともらしい理由を告げると二人の人間性を信用するセイカンが村の中に入れてくれた。

 セイカンは山道が復旧するまで居てもいいがその工事は賊の襲撃が終わってからじゃないと行えないのでそれまでしばらく村で待ってもらうことになると言った。

 二人はそれはわかっていたのですぐに了承した。そしてアズはただ居させてもらうのは気が引けるので自分達にも警備の仕事を手伝わせて欲しいと申し出た。

 それにはセイカンも少し驚いたようだ。考え込む様子を見せた。ムッチ村になんの縁もゆかりもない彼らに危険な仕事をさせて良いのかどうか迷ったのである。

 二人は衣食住を世話してもらうのだから村に協力するのは当然だ、危険な仕事だとわかって言っているのだからどうか気にしないで欲しいと頼んだ。

 セイカンはそこまで言ってくれる二人にいくらか感心した様子で言った。

 「わかった。じゃあ遠慮なく頼もうか」

 そして二人の年齢を聞いたセイカンは二人を村の年少組に配属させることにした。二人を年少組の集まっている広場まで連れていった。

 そこで二人は年少組組長のシバを紹介された。シバの態度は明らかに二人を胡散臭がっていた。村の様子を潜入、偵察しに来た賊の手先という疑念を捨てきれないのだろう。

 だが警備責任者のセイカンから頼まれれば仕方ない。シバの不機嫌な態度にアズもむっとして態度を硬化させた。だがサスケがすぐにそれを察して囁いた。

 「とんがるなって。こんな奴、どう見たってたいしたことないじゃないか。お前が熱くなることないよ」

 その言葉でアズはシバのことを気にしないようにしようと決めた。アズのそんな気も知らずシバは傲慢ともとれる態度で説明した。

 「年少組というのは村の十三から十六歳までの男子だ。十七歳からは一人前の男と見なされて仕事に就く。

 年少組も大人の手伝いという形で仕事はする。見習い期間というわけだ。だけど今回の警備は村の大人達だけじゃ、とても人手が足りないから年少組も大人として扱われる。

 だから何か落ち度があっても子供だからという言い訳は通用しない」

 シバは二人をじろじろと無遠慮に見て言った。

 「お前ら、腕のほうはどのくらいできる?獣を殺したとか喧嘩の経験はどうなんだ?」

 二人は困ったように黙った。アズはといえば人が一生経験できないような、魔物や真剣を持った貴族と決闘をしている。

 サスケも本気になれば人命を奪うほどの飛礫を放つことができる。そこいらの、騎士というだけでふんぞり返っているような貴族よりよっぽど死地を潜り抜けてきた。

 だがそれを明かしてもこの気位の高そうなシバは嘘だと取り合ってくれそうにない。彼は二人が無言なのを自信の無さの表れだと思ったようだ。シバは納得したように頷いた。

 「まぁ他の村の奴じゃ一生、荒事の経験なんてしなくて済むだろうな。だがこのムッチ村では違う。町から比較的、近いからならず者がふらふらと迷い込んでくることがあるし餌を求めて山から降りてきた獣が人を襲うことがある。だから俺達は荒事には慣れている。おい」

 シバがたむろする少年達を見た。すると少年にしてはがっちりとした体つきの大柄な少年が棍棒を二本持って出てきた。シバが二人に言った。

 「警備の仕事に就くからにはそれなりの腕を持っている者じゃなければ駄目だ。俺達はお前達の腕前がわからない。だから今からお前達の腕試しをする」

 「腕試し?」

 二人は顔を見合わせた。その表情は面倒くさいことになったなと物語っていた。シバはその表情を怯えととったようだ。

 薄笑いを浮かべて前に出てきた少年に目配せした。少年は無造作に棍棒の一本をアズに投げ渡した。

 アズは彼らの表情から腕試しとは名ばかりの新入りに対するいじめのようなものかと思った。ここで思い上がった彼らを叩き伏せるのは容易い。だが・・・。シバは薄笑いを崩さず言った。

 「ルールは簡単。どっちかが降参するか闘えなくなるまで、だ。後、目とか金的とか急所への攻撃もなしだ。じゃあ始めろ」

 サスケが懸念したようにアズに言った。

 「大丈夫か?」

 アズは頷いた。その大丈夫かはアズの身を案じているのではない。これからのここでの人間関係を考慮して相手の少年を叩きのめすのはどうか。

 やりすぎるなよという二人だけしかわからない意味だった。広場の片隅で腕試しが始まった。棍棒は強く打っても重傷にならないようにするためかやや細いものだった。

 だが武術の心得がある者からすれば立派な凶器となる。アズはとりあえず相手の少年を観察した。

 腰をどっしりと落として棒を両手で持って前に突き出している。中々、堂に入った構えだがアズの目にはすぐにいくつかの隙を見出していた。

 前に出した脛と腿、手の甲、指と手首。そこを攻撃すれば彼は堪らず棒を落として無力化される。すると相手の少年が挑発するように言った。

 「さぁ、来いよ。さぁ!」

 サスケはそれを聞いて内心で嘲笑った。アズの腕前も知らないで、あの馬鹿。だが次の瞬間サスケは首をかしげた。

 「あれ?」

 打ち込んだアズの攻撃は素人のようでまったく腰が入っていなかったのである。それは腕だけの力に頼ったぎこちない手打ちだった。

 少年は余裕の態でそれを受ける。それでアズの実力を見切った気になったのかまた言った。

 「さぁ、どうした。それで終わりか。さぁ!」

 アズは必死な様子で少年に打ちかかる。少年は何回か受けた後、不意に反撃した。

 「そら!」

 横に振られた棍棒がアズの側面を襲う。アズは棒を立ててそれを受けた。少年は意外そうな表情になったが今度は突きを見舞った。

 アズは事も無げにそれを払う。少年はむっとした表情になり攻撃を激しくした。アズは受けるのが精一杯といった態で後退する。

 予想外の展開にサスケは思わず声を張り上げそうになった。

 「なにやって・・・」

 その言葉の途中でアズがさっとサスケに鋭い一瞥をくれた。少年達は気づいていない。サスケははっとなって口をつぐんだ。

 どうやら何か思惑があってアズは無様な格好を演じているようだ。少年は防戦一方のアズが思いの他しぶといので焦りを濃くした。

 仲間の少年達も中々、仕留められない少年に野次を送っている。

 「へい、へい!なにやってんだ!」

 「こんなことじゃ日が暮れちまぜ!」

 少年は恥辱に染まった頬をさらに赤くして打つ。その時アズの目が僅かに光った。後ろを向いたアズの棒が不意にするすると伸びて少年の手元を打つ。

 「あっ!?」

 少年はその衝撃で棒を取り落としてしまった。一瞬、呆然となったがアズも棒を落としたとわかって今のがまぐれ当たりだと気を取り直した。少年達は棒を落とした二人に呆れ顔だ。

 「おめえら、何やってんだ。二人して武器を落としやがって」

 するとシバが二人に睨むように言った。

 「まだ勝負は終わっちゃいねえぞ」

 少年ははっとなってアズに向き直った。そして突進して組み付き、足を絡めて倒そうとする。アズは堪らず倒れたように見えた。

 大柄な少年はアズに馬乗りになった。すかさず少年は拳を振り上げる。だがアズは相手に密着して打たせない。ただ悲鳴だけは上げた。

 「うわぁ!もう勘弁してくれぇ」

 相手の少年は上からなんとかアズを打とうとするのだが密着しているため腕を無様に振り回すことしかできない。

 少年達から見れば下のアズが顔を背けて嫌がり、上の少年がなんとか殴ろうと躍起になっているように見えた。少ししてシバが怒ったように言った。

 「もういい!いつまでもこんなガキのじゃれ合いに付き合っていられない」

 相手の少年はアズから離れると胸を喘がせて座り込んだ。アズはやれやれといったふうに立ち上がるとサスケのほうにやってきた。

 サスケが目でなんであんな真似をした?と問うとアズが小声で言った。

 「親父の武術を簡単に人に見せたくはないんだ」

 サスケは納得したように頷いた。そして自分の番か、と少年達を見れば皆どこかに行こうとしている。

 「あれ?俺の番は?」

 シバが興味無さそうに振り返って言った。

 「そろそろ俺達は警備の打ち合わせで行かなくっちゃいけない。お前らの警備担当場所はセイカンさんがこれから考えてくれる」

 「あっそ・・・」

 サスケは拍子抜けしたように言った。シバはさっきアズの相手をした少年がまだ立ち上がれないのに気づいた。

 「なにをやっているんだ!早く来い!」

 少年が足元をふらふらさせながらやってきた。それを見た別の少年が訝しげに呟いた。

 「あいつ。あんなに体力なかったっけ。結構あったはずだけど・・・?」

 それを聞いたシバも首を捻った。そして広場のアズを見た。ピンピンしている。これはどういうことだ?シバは眉根を寄せて考えた。

 4> 

 シバらが離れていくと二人はどうしていいかわからずその場に佇んだ。するとそこに一人の小柄な少年がやってきた。

 少年は少し乱れた髪に膨らんだ頬にそばかすが散っていた。そしてなぜか含み笑いしているように見えた。二人が訝しげに見るとその少年は威張って言った。

 「俺の名はイマだ。新入りというのはお前らだな。セイカンさんから聞いている。持ち場が決まるまでとりあえず俺がお前らの面倒を見てやることになった」

 すると離れていく年少組から嘲笑したような声が聞こえてきた。

 「使えそうにない新入りとイマのグループか。こりゃあお似合いだぜ」

 彼らから背を向けた格好のイマは聞こえないふりをしてしばらく無言だった。そして彼らがかなり離れたのを確認すると振り返って威勢良く腕まくりして言った。

 「運の良い奴らだ。今日は新入りの面倒を見てやらなくっちゃいけないから見逃してやる。だけど今度、無礼な態度をとったら絶対、許さないからな」

 聞こえないのを承知で言うイマに二人は呆れ顔になった。その視線に気づいてイマは少し恥ずかしそうに咳払いした。

 「俺の言ったことは本当さ。あいつらなんて俺が本気になればあっという間にやっつけてやるさ」

 アズはイマに好感を覚えた。小柄で弱そうなのに精一杯、虚勢を張っている。馬鹿にされて俯いているよりはましだ。

 するとイマは訊いてもいないのに突然、宣言するように言った。

 「ふん。あいつらなんて相手にしないさ。俺はいつか村一番の剣士になる。いや王国一の剣士になる!

 そして俺の名は名剣士ヒョーゴみたいに全国に轟くようになるのだ!」

 アズはもうイマの言葉を聞いていなかった。その話の途中で出た名に衝撃を受けたのだ。名剣士ヒョーゴ!?

 記憶が蘇った。少し前アルム村でセイジとの決闘を終えた二人は領主から口封じに殺されそうになった。

 それを助けてくれたのがヒョーゴだったのだ。あの人は確かトゥールのヒョーゴと言っていた。アズが急いで訊くとイマは訝しげに答えた。

 「もちろん。俺の言っているのはそのヒョーゴだよ。ヒョーゴがトゥールから出たのは有名な話じゃないか」

 そしてアズはもっと詳しく彼のことを教えてくれと頼むと自身がヒョーゴに憧れているせいなのかイマは快くヒョーゴの経歴を話してくれた。

 話が終わると一緒に聞いていたサスケが納得したようにアズに言った。

 「だからあの人はあんなに強かったんだ。騎士を八人も手玉に取ったんだもんな」

 「ああ。それに見るからに高潔って感じだった」

 二人が感心しているとイマが訝しげに訊いた。

 「誰の話をしているんだ?」

 アズがどこか慌てたように横に手を振って言った。

 「い、いやこっちの話。こっちの」

 ヒョーゴの話をすれば二人が男爵から狙われていたことを説明しなければならなくなる。その時サスケが肘でアズを面白げにつついた。

 「それにしても王国一の剣士になるって、どっかで聞いたことあるよな」

 アズはある少年を思い出した。アルム村で魔物退治を同時に志し、そしてその後、死闘を演じることになった同世代の少年。

 彼は貴族なので領地を簡単に出られない。だからもうアズと関わることはないだろう。今頃どうしているのだろうか。

 死力を尽くして闘った仲だけにその行く末が気になった。アズとサスケがはるか遠く離れてしまった故郷の村に思いを馳せているとイマが疑い深げに二人を見て言った。

 「ひょっとしてお前ら、俺の腕がたいしたことないって馬鹿にしてないか?」

 二人はぽかぁ〜んとしてイマの顔を眺めた。するとイマは勘違いしたまま一人怒っていきなり腰の剣を抜いた。

 「おい、おい!」

 二人がびっくりして身を引くとイマは勇ましく剣を振り回した。

 「俺はこう見えても以前、本職の騎士に剣の手ほどきを受けたことがあるのだ!さぁごろうじろう、降臨の太刀!」

 イマは何やら剣の型をやり出した。だがアズのような心得のある者から見ると型を演じる前に基本的なことが欠落しているのがすぐにわかった。

 腰はふらついているし剣を振り下ろした時の刃筋がぶれている。これではよっぽど力を込めない限り人体は斬れない。

 呆れて見ているといきなり怒声が聞こえた。

 「こら、イマ!また愚にもつかないことをやっておって!」

 見ると広場に隣接する建物の戸口から初老の男が出てきてイマに向かって怒っている。イマはうへぇ!?と呟いて急いで剣を鞘に収めた。

 「そんなところで油を売っていないですぐに戻って来い!」

 確かその建物は村の診療所だと聞いている。するとイマは診療所の手伝いなのか?警備に回されもせず?

 二人が怪訝な視線を向けているとイマはばつが悪そうに言った。

 「さっきのあれ、うちの親なんだ」

 ということはイマは村医者の息子なのか。イマが視線を落として呟くように言った。

 「シバは村長の息子だから威張っていられるんだ。そんで今言った通り、うちの親は村医者なんだけれどそれは別として人格者だって村人から慕われている。

 村で何か困ったことが起こると頼りにされて相談に来る。時には村長以上にね。それがシバには気に入らないんだ。

 だからあいつは父さんの息子である俺に何かときつく当たってくる。あいつは権力志向だから他に力のある奴を許さない」

 アズはこの村の事情を聞いて色々あるんだなと思った。


 診療所でイマの父の手伝いをしていると程なくしてセイカンがやってきた。アズ達の持ち場が北の見張り場所に決まったという。

 イマもそこを一緒に頼むとセイカンは口を添えた。傍にいたイマはそれを聞いていくらかほっとしたように見えた。

 アズが訝ってその理由に訊くとイマはセイカンに聞こえないよう声を潜めて説明した。村の北は渓谷に面していて対岸との間に深い谷がある。

 その谷間を越えるには東に一キロほど離れた橋を渡らねばならないのだがその橋は先日の豪雨で崩れ落ちてしまった。

 なので北から襲撃は考えにくい。北の守り場が一番、安全というわけだ。アズはなるほどと思った。セイカンは自分の後ろに目をやって、では彼らと一緒に行ってくれと言った。

 セイカンの肩越しに後ろを見るとそこには顔なじみのヨナフともう一人、知らない老人が立っていた。

 老人はウイジと紹介された。ウイジは痩身で頭が完全に禿げ上がっている。腰も曲がりかけている。

 とても警備に役立ちそうに見えない。そう考えていてはっとなった。イマは小柄で荒事には向いていなくヨナフも上背はあるが一目で人が良さそうなのがわかる。

 アズとサスケはよそから来た新入りで重要な場所は任せられない。つまり北に回されるのはあまり警備に役立ちそうに無い連中なのだ。

 それに気づくとアズはプライドが傷つけられたように感じたが腕試しの時わざと使えないように見せたのは自分の責任である。

 溜息をついて彼らと一緒に診療所を出た。そして南の居住区から北の田園地帯の畦道に入ろうとした時だった。

 不意に数人の少年達がアズらの傍に来てからかうようにはやし立てた。

 「良かったな、安全な北の守り場で」

 「風の音ややまびこで賊が襲ってきたと勘違いするなよ」

 アズは気にもしなかったがイマとヨナフの頬は少し紅潮していた。やがてウイジ老人が拳を振り上げて彼らを追い払った。

 畦道を歩きながら両側の広大な畑に目をやった。少し前まで農民をやっていたせいかつい稲の生育を気にしてしまう。

 この村の稲は背が高く色つやも良かった。日差しもいいし近くに川もあるせいか瑞々しい。しばらく畦道を歩いていくとやがて崖が見えてきた。

 さらに近づくとその先に深い谷底が口を開いているのも見えてきた。アズは崖縁まで近づいて下をおっかなびっくり覗いた。

 はるか下に蛇行した糸のように細い流れが見える。崖の下は垂直の絶壁で谷底から吹き上げてくる風も体が持って行かれるほど強かった。

 なるほどこれなら賊が襲ってくる心配はないと納得した。だがもしここに賊が来るとしたらどこからだろうと周囲を見回した。

 北は峡谷が左右にどこまでも長く続いているし北に接する東西にもそこの守り場の村人が目を配っているはずだ。

 とりあえず不意をつかれることはないだろう。アズがそう考えているとウイジ老人の咎める声が聞こえた。

 「こりゃ、お前ら。いつまでもぼうっとしとらんで早く所定の場所につかんかい」

 ウイジ老人は体はきかなくなっているが精神は元気らしい。若者達は急いで見張りに就いた。しばらく周囲に目を配っていたが何も起こりそうになかった。

 西の山から吹き降ろしてくる冷たい風と北の谷底から吹き上げてくる強風を除けば暖かい日差しがさすだけでのんびりしている。

 しばらしくしてアズは飽きてきたので傍らの老人に訊いた。

 「やっぱり賊が襲ってくるのは夜中かな?」

 「いんやぁ、わからねえぞ。山賊は狼みてぇな連中だっていうじゃねえか。人の常識は通じねえと思ったほうがいいかもしれねぇ。夜とみせかけて昼間ってこともありうる」

 アズは考えすぎだと思ったが異論は唱えなかった。しばらくぼんやりと立っていると時間の経過を忘れた。

 イマが腹をすかせたようにそこを擦っているのが見えた。いつの間にか昼時になったらしい。その時、少し遠くの畦道からこちらにやってくる女達を認めた。

 親子であろうか。三十代くらいの女性とまだ頬がリンゴのように赤い女の子が連れ立ってやってくる。

 その時、目の端でヨナフが笑顔で彼女達に手を振るのが見えた。彼女達はアズらのところに来ると昼食を持ってきたと言った。

 イマとサスケは喜色を露にした。彼女達がパンやチーズなどの食事を用意しようとするとヨナフがいそいそと手伝った。

 そのヨナフを女の子が少し迷惑そうにしている。ともあれアズの胃袋もまだ十代なので盛大に音を立てていた。

 準備ができるとすぐそれむしゃぶりついた。大人の女性のほうが親しげにアズとサスケに声をかけてきた。

 「あなた達がアズとサスケね。旅の途中だって聞いたけど大変なことに巻き込まれてしまったわね」

 彼女の気の毒そうな視線にサスケが胸をどんっと叩いて言った。

 「たいしたことないよ。俺とアズが来たからには大船に乗った気でいてよ」

 その言葉にウイジ老人が苦虫を噛み潰したような顔になりイマは食べるのに夢中で気づかずヨナフと女性は微笑んでいる。

 女性と女の子はマナとコチだと名乗った。やはり親子だった。コチはアズとサスケにやや警戒心を抱いているようだった。

 それに気づいたアズがコチに微笑みかけた。すると彼らをうかがうように見ていたコチもやがて微笑を返すようになってきた。

 サスケが手で鼻を上に押し上げて豚の物真似をコチにしてみせた。コチはきゃっきゃっとおかしそうに笑った。

 コチの警戒心は完全に解けたようだ。興味深そうに二人に近寄ってきた。最初、少女にはどこか拗ねたような頑ななところがあるように見えた。

 だが好奇心は旺盛のようだ。すぐ二人になついた。親のマナも娘に優しくしてくれる二人に親しみを覚えたのか食事を余分に多くくれた。

 しばらくして楽しい食事は終わった。そして一服しているとマナとヨナフが一同から少し離れたところで親しげに話をしているのに気づいた。

 ヨナフは独身のはずだがマナとはどんな関係なのだろう。マナに夫はいないのだろうか。少し気になったがよそ者があまり立ち入ったことを訊くもなんなので目を反らした。

 するとアズの視線に気づいたウイジ老人が好色そうに笑って教えてくれた。マナは寡婦で最近ヨナフといい雰囲気なのだという。

 その時コチが不機嫌そうに横を向いた。アズもウイジ老人も彼女が近くにいるのをすっかり忘れていた。ウイジ老人はばつが悪そうに頭を掻いた。

 「おっと。お嬢ちゃんにはまだ早い話だったな」

 少ししてヨナフがこちらにやってきてコチの隣に座った。ヨナフは腫れ物にでも触るかのようにコチに話しかけるのだがコチは明らかに不機嫌そうで生返事しかしない。

 その内コチは面白く無さそうにヨナフから離れていってしまった。ヨナフががっかりしたようにマナを見た。マナも困ったように首を振っていた。

 

 アズが困った様子の二人を見ていた時だった。ふと視線を西の山のほうに向けた。山は人間が登るのを拒絶するかのように急斜面を形成し、またびっしりと密生する樹木は村人を威嚇するように鋭く水平に伸びている。

 アズが目を向けた時、僅かだがその山肌で何か小さく動くものが見えた。アズは警戒心を働かせてじっと西の山を眺めた。

 するとサスケが傍にやってきて同じように山を眺めた。やはり緊張した感じが見受けられた。少し経ってからサスケに話しかけた。

 「お前、何か感じたか」

 「ああ。確実に見られているな」

 間違いない。自分の感覚だけなら気のせいかもしれないと疑うところだが野生児のサスケがそう言うのである。

 恐らく見ているのは山賊だろう。差し迫った感覚がないところをみると彼らは斥候か。斥候が村の警備態勢を調べている。

 ということは二度目の襲撃が近いということか。幾分、緊張しながら二人で山を眺めているとマナがようやく二人の雰囲気に気がついた。

 他の者はまだ一服している。マナが問うような視線を向けてきたのでアズは彼女にもう帰ったほうがいいと言った。

 何気なく言ったつもりだがマナはカンが良いらしく言葉の中に含まれる緊張を感じ取ったようだ。少し急いだ様子でコチのところに行き挨拶もそこそこに居住区のほうに戻って行った。

 

 そこはムッチ村から西に十キロほど離れた森の中だった。あまり木漏れ日の差さない薄暗く陰気な場所だった。

 暗闇の中に無数の光点が浮かんでいた。感情の色がある。人の目だ。と、その目が一斉に四方に向けられた。

 茂みや下生えがガサガサと小さな音を立てた。音を立てたといっても微風で草木が揺れて立てるような微かな音である。

 光る目が何かを認めてやや細まった。すると周囲の暗がりがいくつもの人影を生み出した。人影はまったく息を乱していない。

 ここに来るには険しい山を登ってこなければならない。なのでどうしても息が弾んでいるはずなのだ。人影は疲れも見せず言った。

 「カシラ。見てきたぜ」

 すると暗がりの中の一際、大きな目が頷いた。

 「どうだった、警備状況は?」

 人影はムッチ村の四方の警備状況を調べに行った者達であった。人影達が次々に報告していく。そして最後に北を見てきた人影の報告する番が回ってきた。その人影は無念そうに言った。

 「予想通り北からは入り込めねぇ。谷底から見上げてみたがやっぱりあの断崖は急すぎていくら俺達でも登るのは無理だ。

 また対岸から向こう側に縄を投げて崖上のどこかに引っ掛けて伝っていくって手も考えたけど谷底の突風が思ったより強ぇ。とても無理だ」

 大きな目は頷いて言った。

 「警備の人数は?」

 「少なかった。一つの守り場で四、五人ってところだよ。しかもどいつもこいつもぼうっとしたのばかりで役に立つとは思えねぇな」

 人影はそこを守る村人の人相風体を馬鹿にしたように語った。するとそれまで黙って聞いていた目の中ではっとなったものがあった。

 「それは本当か!?」

 大きな目が傍らに目を向けた。

 「どうした、オウルよ?」

 オウルが興奮した様子で言った。

 「今の報告の中に出てきた警備の二人。赤目を殺った奴の人相風体にそっくりだ!」

 大きな目は意外そうに細められた。オウルが大きな目に懇願した。

 「頼む、カシラ!俺にそいつらを殺らせてくれっ!」

 カシラと呼ばれた目が口を開きかけた。だがそれより早くオウルが言った。

 「わかってるって。俺は小頭だ。仲間を率いる立場にある。襲撃に俺が抜けるわけにはいかねえ。そいつはわかっているつもりだ。

 だから先にそいつらをさっさと片付けて赤目の仇を討った後すぐに襲撃隊に合流する。それでいいだろ?頼むよ、カシラ!」

 カシラは考え込むように黙り込んだ。寵愛した狼の赤目を殺した仇が近くにいると知ってオウルは激しく興奮している。

 もし駄目だと言っても一人で勝手に抜け出して奴らを殺しに行ってしまうだろう。ここはオウルの意を汲んでやるほうが襲撃計画が滑らかに運ぶ。

 カシラは重々しくオウルに頷いてみせた。

 <5>

 夜になった。ムッチ村は山間の村なので夜になるととても寒い。また西と南が絶壁に面しており吹き降ろしの強風が人の体温を容赦なく奪う。

 東の森では深夜になると物の怪が出るという噂があり生気を奪う霊気が村の中まで漂ってくると信じられていた。

 普段ならそんな寒い夜に人の姿など見られないのだが東の、村入り口にはかがり火が各所に焚かれ警備の村人が緊張した面持ちで四方に目を配っていた。

 鬱蒼と生い茂った東の森は盛大に焚かれたかがり火のおかげでやや先まで見通せる。だが少し奥に入ると駄目だ。

 森閑として闇が一気に濃くなりその中から山賊がこちらを密かにうかがっていそうな恐怖を与える。村人らの吐く息は白く、寒さのためかしきりに足ぶみしたり手を擦ったりしていた。

 かがり火の傍にいる運の良い者は遠慮なくその火で暖をとっている。と、そこに数人の村人を従えたセイカンがやってきた。

 彼らはいくつかの樽を積んだ荷車を牽いて来た。セイカンが警備の村人の一人に訊いた。

 「どうだ?」

 問われた村人は頷いて言った。

 「異常なし。ただこんなに寒くちゃ賊が現れるよりも先に寒さでやられちまいそうだけどな」

 その村人は冗談だというように笑った。セイカンも笑って言った。

 「そうだろうと思って差し入れを持ってきた」

 警備の村人達が訝るとセイカンは周囲に聞こえるよう大声で言った。

 「みんな、酒だ!酒を飲んで体を温めろ!」

 それを聞いた警備の村人らは歓声を上げた。そして警備を一時、中断してセイカンのもとにやってきた。

 セイカンについてきた村人が荷車の樽の蓋を開けた。すると周囲に芳醇な匂いが漂った。もちろん中身は酒だ。

 係の村人はそれを柄杓ですくって杯に注ぎ、周囲の警備の村人に手渡していく。セイカンが笑顔で注意するように言った。

 「みんな。ここでじゃなくて持ち場で飲んでくれ。飲むのは体を温める程度だぞ。二杯くらいにしとけよ。

 もしへべれけになって警備しているのを見つけたらこっぴどくケツを蹴り飛ばしてやるからな」

 すると酒が入って上機嫌になった村人の一人が隣の男を指差して言った。

 「少し経ったらこいつの様子を見に行ってくれ。隠れて三杯も飲んでいやがったから今にへべれけになるぞ」

 すると隣の男が怒って言った。

 「なにをっ。おめえだって三杯、飲んだじゃねえか」

 「馬鹿こくな。三杯なんかでやめられるかっ。五杯だっ」

 それを聞いた周囲の村人達が笑った。セイカンは警備本部となっている集会場にすぐには戻らずしばらく彼らと一緒に見張り場所にいた。

 そして時折、酒を舐めるようにして飲んだ。警備責任者のセイカンがいるせいか場がしまって無駄口を叩く者はほとんどいなくなった。

 そしてどのくらい経っただろうか。セイカンが森から目を離さず独白するように言った。傍らの若い男がセイカンに目を向ける。

 「・・・俺がちょうどお前くらいの歳の時、同じように村は賊に襲われた。二十になったばかりの頃だった。

 付近で山賊が出るという噂はちょくちょく聞こえてきていた。だけど当時の村はのんびりしていたというか危機感があまりなかったというか。

 とにかく対策を何も講じなかった。今あるような自警団もなかった。時代がのんびりしていたんだな」

 そこでセイカンは何か苦いものでも思い出したように口をつぐんだ。若者は少し待ってセイカンの横顔を見て促した。

 「それでどうなったんです?」

 セイカンは思い出したくないように溜息をついた。

 「・・・ひどいことになったよ。ある夜、山賊が急に現れて方々に火を放った。驚いて外に飛び出してきた者を斬りつけた。

 村人達は動転したがなんとか戦った。だが組織も訓練もされていない集団の悲しさだ。抵抗も虚しく次々と殺されていったよ・・・」

 若者は痛ましげな表情になった。そして少し躊躇ってから訊いた。

 「その時あなたはどうしたんです?」

 「俺か?もちろん戦おうとしたさ。でも経験のない二十の若造だ。しかも不意をつかれている。縦横無尽に馬で駆け回る賊に対してガタガタ震えながら鍬を持って立ち尽くした」

 セイカンはその時のことを思い出しているのか苦い表情になった。若者がその場の雰囲気を明るくするように言った。

 「でもセイカンさんのことだからその後、勇敢に戦ったんですよね?」

 セイカンは苦笑して言った。

 「確かに賊の一人に及び腰ながら打ちかかろうとした。だが軽く剣で払われて倒れた」

 若者は信じられないといった表情でセイカンを見た。今のセイカンの剣術は達人とまではいかなくてもかなりしっかりしたものだったからだ。

 「賊は倒れた俺を見て冷酷そうに顔を歪め、切っ先で刺し殺そうとした。俺はその時もう駄目だと観念したよ。

 何も考えられなかった。よくあるように助けてくれって命乞いさえできなかった。頭が真っ白になったんだな。

 切っ先が家々を焦がす炎を照らして光っていたのを今でもはっきり思い出すよ。そして切っ先が伸びてきた。

 その時、急に賊が剣を取り落としたんだ。いや賊が地面にうつ伏せになって倒れているじゃないか。

 何が起こったのかわからなかった。その時、倒れた賊の向こうに誰か立っているのに気づいた。別の賊かと思って恐怖した。

 するとその男が燃え上がった炎を見つめたまま言った。山賊を追い払ったら一晩、泊めてくれるか?と。

 俺はぽか〜んとしていたが意味がわかるとなぜか激しく頷いた。男の発する超自然的な雰囲気に圧倒されたせいかもしれない。

 男は豪語した通り、たった一人で山賊を次々に倒していった。しかも素手でだぞ。武器はなにも使わなかった。

 村人達もそれを呆然と見ていた。男は山賊をすべて倒すと村人に燃えている家の火を消すよう勧めた。

 大抵の家は壁や屋根が焦げたがすく消火したお陰で住めなくなるほどじゃなかった。男は俺の家に泊めた。

 いや俺がぜひ泊まってくれと頼んだ。見ず知らずの男だが俺を救ってくれたんだ。それ以上、悪いことなんか起こりっこない。

 そして夜が明けると男は何も言わず去っていった。もう十数年前の話だ」

 

 その頃、西の守り場では総勢八人の村人が警備に付いていた。かがり火が山麓に間隔を置いて何本も焚かれている。

 そして各かがり火の傍には二名の村人が棒や弓を持って立っていた。その明かりが麓の木々を照らしている。

 盛んに火が燃えているせいで木々の茂っていないところはかなりの高所まではっきりと見通すことができた。

 前回の襲撃では賊は山の頂上から急斜面を駆け下りてここから村に侵入した。なので次の警備からはかがり火を数倍に増やし駆け下りてくる者あらば一目でわかるようにした。

 警備人数も同じように増強されている。前回、賊はここから侵入できたはいいものの、その後村の警備態勢に撃退されている。

 なので西から攻めて来る可能性は低いんじゃないかと思われていた。だがそれでも西を守る村人の表情には不安そうな色があった。

 彼らの動きがぎこちないのは寒さばかりでなく緊張のせいもあるのだろう。それに時折、闇を引き裂いて獣の叫びが聞こえる。

 そのたびに腰を抜かすほど驚く者までいた。何度目になるだろうか。不安に耐え切れなくなったように警備の一人が口を開いた。

 「ここの守りはこんな手薄で大丈夫じゃろうか?前回ここから襲ってきたっていうじゃないか」

 すると傍らの男がぎこちない笑みを浮かべて答えた。

 「心配すんねぇ。賊もここから襲って駄目だってことはもう学習しただろう。次は別の場所を狙うさ。尤も北は崖に面していて下からは登ってこられねぇ。

 南はここと同じように絶壁に面している。また吹き降ろしの風が強くて上からはとても降りて来られねぇ。

 後、残っているのは東の村の入り口だ。あそこは深い森に接していて茂みとかに隠れて近寄られたらとてもわからねえ。

 また道幅が広いんで大勢で攻めてこられる。だからセイカン達、村の主力があそこを最も警戒してんじゃねえか。ここは大丈夫だって」

 仲間にそう安心するよう説明された村人はいくらか不安が減じたようだ。笑って言った。

 「そ、そうだよな。まさか続けてここから襲ってくるようなことはありえねえよな」

 「そうだぁ。賊だって馬鹿じゃねえ」

 二人で無理に笑っていた時だった。突然、上空で何か音がした。それを聞いた瞬間、二人の背筋がぴんっと伸びた。

 表情は固まってしまったように強張り眼が大きく見開かれている。二人はそのまま耳をすませた。だが不審な音はそれっきり聞こえてこない。

 「・・・何か音が聞こえたような気がしたが。気のせいだったかな?」

 「そうそう。徹夜して警備に付いている者にはよくあることだぎゃ」

 二人はハハハと空虚な笑い声を上げた。するとまた音が聞こえた。今度ははっきりとギシギシと。それは耳慣れた枝の軋む音だった。

 二人が恐る恐る崖上を見た。すると無数の人影が急斜面に生えた木々の枝から枝に飛び移って降りてくるではないか。

 「うわぁ!来たぁ!」

 二人の叫びに同僚もはっとなって上を見上げた。そして人影を認めると慌てふためいた。だがなんとか落ち着くと急いで弓の準備をした。

 矢を番えてようやく狙いを定めた時かがり火の一つが突然ばしゃっという音と共に消えた。いやその一つだけではない。

 他のかがり火も次々に消えていくではないか。村人が弱くなった明かりの中で飛び降りてくる人影に目を凝らした。

 すると人影は小さな革袋をかがり火に投げつけているではないか。どうやらその中には水が入ってるようだ。

 いくつもあったかがり火はあっという間に消火され辺りは暗くなってしまった。もうとても矢の狙いがつけられる状況ではない。

 それでも淡い月明かりの中で村人らは懸命に矢を射た。だが見通しが悪い上に動きの敏捷な賊に当たるわけがなかった。

 そして賊に中腹まで降りてこられると村人は恐怖に耐え切れなくなったように逃げだした。

 

 サスケは寒そうに両腕で自分を抱きしめて足踏みしていた。

 「うう〜、さむ、さむ」

 サスケは谷底からの風を受けないように崖から離れていた。だがその甲斐なく谷底の突風が崖上から内陸まで這い上がってきてサスケの背をふうっと撫でた。

 「うっぴょう!?さ、寒い!」

 かがり火の傍に立っていたアズは呆れた顔でサスケを見やった。

 「お前、山育ちだろう。寒さには強いはずだ。軟弱になったのか?」

 サスケは鼻水を啜り上げて情け無さそうに言った。

 「うう、寒い・・・かもしれねぇな。ここ数日ずっと屋根の下で寝ているだろ。俺っちってずっと屋根のないところで生活してたから。返って調子崩しちゃったのかな」

 「お前は明日からまた野外で寝ろ」

 他の三人も呆れた様子でサスケを見ている。サスケがまた言い訳しようとした。だが途中ではっとなるとその目は南のほうに向けられた。

 そして驚愕に目が大きく見開かれる。その表情にアズらもそちらに目を向けた。あっと驚いた。田園地帯越しに夜空が赤々と燃えていたのである。

 微かだが悲鳴や怒声も聞こえてくる。ウイジ老人が顔色を変えて言った。

 「賊じゃ!村に襲撃があったんじゃ!」

 イマが急に不安になったような表情で辺りを見回した。

 「ここにも来るかな?」

 するとヨナフが首を振った。

 「賊の目的は村だ。こんな端っこの、何もないところに用はないよ」

 するとイマはほっとした様子をみせた。アズが皆に緊迫した表情で言った。

 「よし。みんなで家々のほうに行こう!」

 イマが怯えた様子で言った。

 「でもセイカンさんにここを見張れって言われているし・・・」

 ウイジ老人が呆れた様子で答えた。

 「馬鹿者!そりゃ賊が侵入する前の話じゃ。既に侵入された今わしらがここにいても意味はない」

 叱られてイマはしゅんとなった。アズはウイジ老人に決断を促すように見た。新参者のアズが言うより年長者のウイジ老人に決断してもらったほうが皆が納得する。

 ウイジ老人は伊達に歳を食っていなかった。即断して言った。

 「よし。皆で行こう!」

 そして皆で田園地帯の中央を走る畦道に向かおうとした時だった。逆に向こうから疾走してくる影があった。

 速い。まるで獣が地を這うように疾走してくる。狼か!?いやそれにしては大きい。するとその影はアズらから十メートルほどのところまで来ると立ち止まり人間のように後ろ足で立ち上がった。

 いや獣ではない。それは紛れもなく人間だった。しかも大きい。二メートルはあるヨナフと同じくらいか。

 影がかがり火の届く範囲までゆっくりと近づいてきてその全容が明らかになった。愕然となった。狼の毛皮を頭から被っている。牙狼族だ!アズは仲間に叫んだ。

 「みんな、油断するな!」

 アズとサスケ以外はその大きく凶悪な姿に慄いて後ずさった。サスケが早速、飛礫の投擲姿勢に入りアズも油断なく構えた。

 すると賊が目を凶暴に光らせて二人に言った。

 「てめえら、この村に来る途中、赤い目をした狼を殺しやがっただろう。どっちが殺った?」

 二人は怪訝な表情になった。賊が焦れたようにまた言った。

 「てめえらがこの村に来る途中の絶壁の道を通っていた時だ。覚えがねえとは言わせねえぞ!」

 アズはようやく思い出した。初めて牙狼族の襲撃を受けた時のことか。

 「隠しておく必要はないから教えてやるよ。確かに赤い目をした狼がいた」

 「てめえかっ!」

 賊の目の光がさらに凶悪さを増した。

 「俺の名は牙狼族の小頭、オウルだ。てめえの殺した狼は俺の可愛い弟分だった。仇を討たせてもらうぜ!」

 「俺達は急に襲われて身を守っただけだ。恨まれる筋合いじゃねえ」

 「そっちになくてもこっちにはあるんだよ!」

 オウルが暴風のように襲い掛かってきた。かがり火に反射して何かが光った。オウルの手、爪だ。光ったのは爪か。

 しかも長い。指の先から十センチは伸びている。距離があったためなんとか最初の一撃はかわした。だがオウルはすぐさま今度は槍のように爪を突き出してきた。

 「くっ!?」

 咄嗟に身を捻ってかわす。アズは後方で仲間が棒立ちになって見ているのに気づいた。

 「こいつの狙いは俺だ!みんなは村へ!」

 そして動きを封じるように気合を発してオウルを睨みつける。サスケらが対峙する二人を迂回して畦道のほうにゆっくりと進む。

 そして畦道にたどり着くと走り出した。その時サスケが走りながら振り返って言った。

 「アズ!刺青のことを!」

 アズがはっとなった。賊の中に刺青を背負う者がいるという。そして親父も龍の刺青を背中に背負っていた。

 もしかしたらそれは落ちぶれた親父かもしれない。そのことを訊きださなければ。目の前のこいつは小頭だと言っていた。

 そこそこの地位のある者なのだろう。刺青の者を知っている可能性がある。アズが叫ぶように訊いた。

 「やい!やる前に訊きたいことがある」

 再び飛び掛ろうとしたオウルはそれを聞いて怪訝な表情で止まった。

 「訊きたいことだぁ?命乞いなら聞かねえぞ」

 「違う。あんたらの中に背中に獣の刺青をした男がいるだろう」

 「刺青だぁ・・・?」

 オウルはさらに怪訝そうな表情になった。だが必死に回答を待っているアズの表情に気づいてにやりと笑った。

 「・・・確かにいるぜ」

 アズが食いつかんばかりに訊いた。

 「その人はどんな男だ!名は!」

 オウルはアズを弄ぶように笑った。

 「さて。どんな男だろうなぁ?」

 オウルのからかうような口調にかっとなった。

 「ふざけるな、てめえ!」

 「俺には仇のてめえに教えてやる義理はねえんだよ。ま、ひょっとしたら俺の背中にあるかもしれねえなぁ、その刺青が」

 アズはオウルの顔を見つめた。髪は伸び放題で薄汚れた顔は濃い髭で覆われている。毛皮から覗く手足もやはり黒く汚れている。

 なので顔や手足の肌から年齢を判別することは難しい。毛皮から僅かに覗く顔は亡きイリアや自分とまったく似ていないが長年の荒んだ生活から激変したとも考えられる。

 また声は雷鳴のようで若者とも壮年とも取れる。アズは頭を振った。アズの必死な表情を見てオウルはアズを弄んでいる。

 惑わされてはいけない。だが一応、確かめなければならない。でないと全力で闘うことなどできない。その時ふとある考えが浮かんだ。

 「おい!俺の名はアルム村から来たアズだ!」

 親父なら息子の名を聞いて心動かぬはずがない。だがオウルの表情は変わらなかった。

 「それがどうした?わけのわかんねえことばかり言いやがって!」

 オウルは再び暴風となってアズに襲い掛かった。

 <6>

 サスケは仲間達と畦道を走っていた。すると後方から苦痛の呻き声が聞こえた。急いで振り返るとヨナフが少し離れたところで足首を痛そうに押さえている。

 闇夜でしかも足場の悪い畦道である。窪みなどで踏み外して足首を捻挫したか。サスケが駆け寄ろうとするとヨナフがそれに気づいて制止した。

 「先に行っててくれ!俺もすぐ後を追うから!」

 サスケは頷いてまた走り出した。ヨナフはそれを見送った後、足首に触れてみた。途端に激痛が走った。

 かなり派手に捻ってしまったようだ。これではまともに歩くことさえできない。いやなんとか現場に行きつけても足手まといになるだけだ。

 どうしようかと思案していると後方から激しい言い争いの声が聞こえた。振り返った。密生する稲穂の隙間からアズと賊の姿が見えた。

 二人から自分の姿は稲穂が邪魔して見えないだろう。ヨナフは無理に現場に向かうのを止めて二人の対決を見守ることにした。

 

 少し前。セイカンは自分だけ暖かい暖炉のある本部に帰る気になれなくて仲間と一緒に東の村入り口で警備をしていた。

 すると西から顔見知りの村人が息も絶え絶えの様子で駆け寄ってくる。セイカンはそれを見て眉根を寄せた。

 彼の担当する守り場はどこか忘れてしまったが彼はそこで今も警備をしていなければならないはずだ。

 それがなぜ?セイカンはふと不吉な予感に囚われて周囲を見回した。特に異変はない。そして駆け寄ってきた村人の話を聞いた時、愕然となって持っていた杯を取り落とした。

 「なんだと!?また西から侵入してきただと!」

 その報告を傍で聞いていた村人も愕然と言った。

 「謀られたんだ!奴らは今度はここから襲ってくるとみせかけて、また西から侵入してくるつもりだったんだ!」

 すると別の村人が言った。

 「いんや、わかんねえぞ。西から来る奴らは囮で賊の本隊はやっぱここからかもしれねえ!」

 するとセイカンが首を振った。

 「彼の報告によると西の襲撃は囮にしては人数が多すぎるようだ。やはり西から一気に襲ってくる計画だと思う」

 村人の一人が危惧したように喚いた。

 「くそおっ!あそこからはもう来ないと思っていたんで警備は手薄だ!」

 セイカンはすぐに決断した。東の守りを西の救援に回す。だが西からの襲撃が陽動だったことも考慮して最低限の人数は残す。

 さらに使いの若者に命じて他の守り場にも西に急行するよう伝達に走らせた。


 西から侵入した賊は守り場を蹴散らし勢いに乗ってそのまま疾走して居住区までやって来た。彼らは各所に焚かれた、かがり火を奪って家々の屋根に放り投げて放火する。

 そして目を付けた家は戸口を蹴り破って中に入る。中には警備に就けない老人や女子供がいたが抵抗する者は容赦なく殺され女は乱暴に外に引き出された。

 所々の家で略奪、殺人、暴力が振るわれていた。悲鳴、怒声、断末魔の声が絶え間なく聞こえる。賊はやりたい放題だ。

 家を破壊した後、女やめぼしいものを担いで外に出てきて仲間内で戦利品を自慢し合う。悲鳴や火事の轟音に負けぬくらい彼らの哄笑も大きかった。

 賊の小頭格と思われる、むさ苦しい男が周囲の仲間に叫ぶように言っていた。

 「破壊しろ!物も人もすべてをだっ!牙狼族に逆らうとこうなるのだと思い知らせてやるのだ!見せしめに破壊しつくすんだぁ!」

 そして自分も近くの家に入って室内を滅茶苦茶にし泣き叫ぶ女をひっさらって出てくる。その時ようやくセイカンら警備の村人達が居住区に到着した。

 そしてその惨状を見て呆然となる。その表情を見た賊の一人が嘲笑って言った。

 「はっはっはあっ!今頃のこのことやってきても遅ぇんだよぉぉぉ!」

 セイカンは怒りに震えたがすぐに冷静になって村人らを四方に走らせた。だが警備の村人のいない間やりたいように村を蹂躙してきた賊には勢いがあり村人が必死に賊を駆逐しようとするものの、明らかに劣勢だった。

 セイカンは対した賊を数回の斬り合いで倒すと懸念したように周囲を見回した。頑張っている者もいるがやはり全体的に見ると村側が押されている。

 どうやったら挽回できる。どうやったら・・・。襲い掛かってくる賊を一人一人、倒しながら考え込んでいた時ふと襲撃の輪から一人、外れている賊に気づいた。

 その男は火事の明かりが届くぎりぎりのところにいたが半身が闇に紛れているので顔は見えない。だが毛皮を着て腕を組んで戦況を見守っているのがわかった。

 また男は大きかった。二メートルはあるヨナフよりさらに一回り大きいように見えた。そのぱんぱんに筋肉で盛り上がった上腕と男から発する近寄りがたい威厳にセイカンは戦慄に似たものを感じた。

 そして悟った。こいつだ!賊の頭目はこの男に違いない。居住区で暴れている賊とはまったく格が違う。

 そして直感が走った。あいつを倒せば村の劣勢を挽回できるかもしれない!セイカンは意を決してその男に近づいていった。

 男は歩み寄るセイカンにすぐに気づいた。だが身構える様子はなく腕も組んだままだ。面白そうにセイカンを眺めている。

 セイカンは間合いから遠く離れてところで立ち止まって訊いた。

 「私は村の警備責任者のセイカンだ。貴様は山賊の頭目だな?」

 男はやや唇の端を持ち上げて言った。

 「だったらどうする?降伏するのか」

 「ふざけるな!誰が貴様らになど降伏するか!質問に答えろ!貴様は頭目か!」

 「その通り。わしはガウルという。牙狼族の族長だ」

 「よし。ガウルとやら。一対一の勝負を所望する」

 「勝負だと?」

 ガウルは嘲った様子でセイカンをじろじろと眺めた。背丈、筋肉量、威圧感。どれをとっても自分よりはるかに劣っているとガウルの表情は物語っていた。

 セイカンが切っ先を向けて言った。

 「私との勝負から逃げるか、ガウル!」

 ガウルはゆっくりとその太い腕を解いて向き直った。

 「わしらの勝利は固い。もう黙って眺めているだけかと思っていたがこれは楽しい余興ができたわい」

 セイカンは構えた。賊は自身の爪と牙でもって闘う。だが人間の爪や牙程度で何ができると侮ることはできない。

 前回の戦いでその恐ろしさは身をもって知っている。その親玉の爪と牙だ。手下のものより威力ははるかに大きいと考えるべきだろう。

 だが所詮、武器を持たぬ身。こちらから攻撃すれば守勢に回らざるを得なくなるはずだ。セイカンは間合いの外からいきなり突進していった。

 それを見たガウルが唇を歪めた。

 「ふん!」

 セイカンが袈裟に斬り下ろした。ひゅんっと風が鳴った。自分でも腰と気合の入った、いい打ち込みだと思った。

 だがなんの手ごたえもなく剣は空を斬っただけだった。そしてガウルの姿も消えていた。

 「どっ、どこだ!?」

 すると足元から声がした。

 「ここだ」

 愕然と見下ろした。なんとガウルは後頭部が地につきそうなくらい、のけぞったままの姿勢を保って自分を見上げている。

 セイカンは一瞬、呆然となった。だがすぐに剣の柄を逆手に持ち替えて串刺しにしようとした。

 「化け物め!こいつをくらえ!」

 「おっと」

 ガウルは身を翻してそれを軽々とよける。セイカンは剣を持ち替えて退くガウルを追った。そして追いながら左右に袈裟に剣を振るう。

 だがガウルは舞踏でもしているかのように後退しながらそれを避ける。まるで楽しんでいるようだ。

 「わはははは!どうしたっ、どうしたっ!警備責任者のくせに腕はその程度か!」

 「舐めるなっ!」

 セイカンはバネを溜めて一気にガウルの懐に飛び込むと剣を水平に薙いだ。これならかわせまい!

 鋭く水平に振った剣はガウルの太い胴を両断するかのように思えた。だがまたしてもセイカンの目が驚愕に大きく見開かれた。

 「なんだと!?」

 ガウルは宙高く飛んでいた。剣が到達する瞬間ふわっと垂直に飛んでいた。声が聞こえた。

 「ほれ!ぼやぼやするな!」

 宙から爪が襲ってきた。長い!鋭く内側に湾曲したそれは鎌を連想させた。避けられるか!?いや間に合わない!

 肩に熱感が走った。抉られたのがわかった。よろけて肩を押さえた。血がじわじわと染み出してくる。

 脱力しそうだった。抉られたショックで膝が屈しそうだった。ガウルがそれを見て首をかしげるように言った。

 「ふむ。浅かったか。真面目にやっておらんかったからな」

 真面目にやっていなかっただと!?セイカンは失いそうになる意識の中で愕然となった。ガウルがつまらなさそうに言った。

 「もう終わりか。やはりちっとも相手にならなかったな」

 ガウルは剣を地に突き立ててなんとか身を支えるだけのセイカンに無造作に近づいていった。そしてセイカンの俯いた表情を覗き込んで言った。

 「苦しそうだな。今、楽にしてやろう」

 ガウルがセイカンの首筋目掛けて爪を振り下ろそうとした。だがそれより早くセイカンが動いた。最早、動くことはできないと思えたセイカンだが瞬間、目を光らせるとガウル目掛けて剣を振り上げた。

 体はもう自由に動かせない。攻撃するとすればガウルにこちらの間合いに来させて斬るしかない。まさに乾坤一擲の一撃だった。

 これだけ近ければ絶対かわせまい!だがまたしても手ごたえがないのに愕然となった。すると背後で声がした。

 「・・・狩りをするのに一番気をつけることは手負いの獲物を仕留める時だ」

 するとガウルはこれを予期していたというのか!?万策尽きた。もう打つ手はない。背後でガウルが必殺の一撃を送りこもうとしているのが気配で知れた。

 くそっ。ここまでか。その時、村のほうから顔の脇を凄まじい速度で何か走りぬけていくのを感じた。

 なんだ?すると後ろでガッと音がした。なんとか振り返るとガウルが後退していくのが見えた。

 「チッ。新手か」

 顔を前に戻すと居住区のほうからサスケが走り寄ってくるのが見えた。かなり遠くからだが何かを続けて投げている。

 ガウルが身を左右に躍らせて何かを避けていた。そうか。あれが彼の言っていた飛礫の技か。また別に女の喊声が聞こえた。

 居住区を見ると火のついていない屋根の上から女達が短弓で軒下の賊に矢を射ている。それを指揮しているのはなんとイマとウイジ老人だった。

 賊は村の男と闘っている最中に屋根から矢を射掛けられるのにかなり閉口しているようだ。ガウルも相変わらずサスケに遠間から飛礫で狙われている。

 やがて手下の劣勢を見たガウルが遠吠えを行った。すると村の各所にいた賊は闘うのを止めて退却していった。

 <7> 

 その頃オウルはアズの手強さに意外な思いを抱いていた。アズを初めて見た時はなんでこんなガキに赤目達は殺られたのだ、絶壁にある道の途中での争闘だったというから油断して逆に運悪く殺られてしまったのかと腹立たしい思いだった。

 だが手を合わせてみるとその印象がすぐに間違いだったことに気づいた。アズは背丈も風貌もそこいらの村人となんら変わりはない。

 だが闘いが始まるとその顔つきは一変して戦士の雰囲気に変わっていた。そして変化は見てくれだけではない。

 動きも機敏で攻撃は鋭く守りは固い。その男は牙狼族に勝るとも劣らない「戦士」だった。オウルの爪が空気を切り裂いて鋭く振り下ろされる。

 アズはそれを僅かに身を引いてかわすと距離を詰めて猛然と拳で突いてきた。その拳を見てオウルの本能が告げた。

 これをくらったらヤバい!オウルは飛び退って距離を取った。だがアズはオウルが下がるのと同じ速度で走って距離を開けさせなかった。

 さすがにオウルは驚いて咄嗟に頭上の枝に飛び上がって難を逃れた。アズは枝にいるオウルを見上げてようやく足を止めた。

 そして警戒して少し距離をとる。ふうぅぅぅ〜〜〜。この時オウルの口から重い息が漏れた。かなりの緊張から解放された証拠だ。

 それに気づいてオウルの唇が歪んだ。面白い。簡単にケリのつくつまらない仇討ちだとばかり思っていたがこんな強敵にめぐり合えるとは。

 オウルはざっと枝を蹴ってアズから少し離れた場所に着地した。そしてその時。その闘いを彼らから少し離れた畑の中で覗く影があった。

 足を挫いて動けなくなったヨナフだ。ヨナフは二人の闘いを見て思わず口走っていた。

 「すごい。人間技とは思えない」

 言ってしまってから慌てて口を押さえた。恐る恐る闘いの場に目を戻すと幸いオウルには気づかれなかったようだ。

 ヨナフを口を押さえたまま見つからぬよう稲穂の海の中により深く身を沈めた。オウルはさきほどの闘いを脳裏に描いていた。

 敵の攻撃の威力はまだわからない。だがもしくらっても耐える自信はある。これまでの戦闘経験で棍棒などの武器で四方から叩かれても突かれても負傷したことはなかった。

 剣など鋭利な刃物で斬り付けられれば負傷はするが死ぬとは思えなかった。頭目のガウルは別だ。

 一目置いている。彼意外に自分を傷つけられる者がいると思っていなかった。これまでは、だ。さきほどアズの攻撃が当たろうとした時、本能から危ないと告げられて慌ててかわした。

 本能にはこれまで助けられてきた。渡ってはいけない古い橋。通ってはいけない崖の道。闘ってはいけない敵(初めてガウルに会った時のことだ)。

 その、信頼する本能がそう告げている以上くらわないほうが安全というものだろう。また奴の守りはどうか?

 牙狼族と同等かそれ以上の俊敏さをみせた。強力な攻撃に俊敏な回避能力。侮れない。だがこちらはまだ全力を出したというわけではない。

 奴はどうか?かなり真剣な様子だ。もう全力なのか。いや初めての相手だ。まだ油断はすまい。まったく面白くなってきた。

 襲撃本隊と一緒に村を襲っていたらこんな楽しいことには出遭えなかった。アズがこちらを睨んだままじりっと足を踏み出した。

 嬉しい奴だ。こいつは俺がこんなに恐ろしげな容貌をしているというのにやる気満々ではないか。敵が折角やる気をみせてくれているというのにいつまでも待たせるのは悪い。

 オウルが涎を垂らさんばかりに笑って言った。

 「いくぞ、小僧!」

 言うや否やオウルは突進した。残像が残るほどの速さだった。だがアズは反応した。

 「でやっ!」

 前に素早く出ながら軽く突き出した右腕を鋭く伸ばした。オウルの鼻っ面を狙っている。それがそのまま当たればオウルは自身の突進力も加わって少なくないダメージを負う。

 だがアズの本当の狙いは別にあった。いくら最初の一撃が強烈でも太い首を持つオウルは倒せない。

 なのでのけぞらせて動きを止めたところにフォローの左拳でオウルの下顎をぶち抜く。これで脳震盪を起こさせる。

 後は棒立ちか倒れた相手に落ち着いてとどめを刺す。そう考えていた。そして最初の一撃がいよいよオウルに当たろうとしていた。

 「なにっ!?」

 オウルの鼻っ柱をぐしゃっと潰したと思った。だが感触がない。すぐに残像だと気づいた。オウルはどこだ!?

 急いで探した。左か!焦点が左手のオウルに結んだ時、既に爪が振り上げられていた。

 「ちぃぃぃっ!」

 咄嗟にオウルの腹部目掛けて左足刀を放った。オウルは振り下ろす手を途中で止めると右横にダイブして蹴りをよけた。

 アズは空を斬った足を下ろすとすぐに向き直ろうとした。だがそこにはもうオウルはいなかった。アズもすぐにオウルを追う。

 捉えたのはまたもや残像だった。アズは内心で毒づいた。くそっ。速すぎる。オウルはアズの周囲を目まぐるしく走り回っていた。

 だがそれは規則正しいものではなく急に止まったり方向を変えたり向かっていく素振りを見せたりといくつもの変化が入っていた。

 それがとてつもなく速い。アズは愕然となった。こいつ、本当に人間か!?その頃オウルはアズの様子をじっとうかがっていた。

 こちらの動きに翻弄されている。一瞬、正しい位置を捉えることはあるがすぐに見失う。アズがきょろきょろしているのを見たオウルは後方に回ってその背中に襲い掛かった。

 「ぐわっ!?」

 アズは背中を斜めに斬り裂かれて前に一、二歩よろめいた。だが痛みを堪えてすぐに振り返った。だがそこにもうオウルの姿はなかった。

 どっ、どこだ!思った瞬間、右上腕に熱感が走った。

 「痛っ!」

 右腕を見るとナイフで斬られたような細長い傷が走っていた。運良く浅手だ。右腕をだらりと下げ背中を丸めて無事な左腕だけで構えた。

 だがその構えは無傷の時と比べてなんとも弱弱しかった。オウルの挑発するような声が聞こえた。

 「ははは!どうした、アズ!さっきまでの元気はどこに行った!」

 「うっせぇやい!今てめえをぶっ殺す算段をしているところでいっ」

 「そいつは楽しみだ!」

 アズはそう答えたものの、オウルの幻惑する動きと速度にどうしていいかわからなかった。突きや蹴りはまったく届かない。

 翻弄されているせいか相手の攻撃も避けられなくなってきている。このままでは嬲り殺しにされる。なんとかせねば。

 なんとか・・・。その時ふと目の片隅に木があるのに気づいた。木を背にして闘うか?いや駄目だ。奴の俊敏さは尋常じゃない。

 そこを攻撃するとみせかけて他を攻撃されれば背だけ守っても同じことだ。どうやったら守れる。どうやったら・・・。

 そう考えていてふっと思い出した。親父の本。そこのある項を思い出した。

 (窮地に陥って気が怯んでいる時こそ攻撃すべし。攻撃すれば当たらずとも気は自ずと上がってくる)

 これだっ。だが闇雲に攻撃するのでは意味がない。親父の本には他になんと書いてあった?するとまた頭にふっと浮かんだ。

 (敵の守りが堅い時は誘いをかけてそれを崩すべし)

 この場合、守りが堅いというより相手を捉えられないのだが崩そうとしてるのは同じだろう。誘いをかけて崩せ?どうやって?

 「あうううっ!?」

 また背中を斬られた。背中から何滴もの血が滴っているのを感じる。時が経てば血を多く失って動けなくなる。

 早く決着をつけねばならない。そう考えてふと思った。そうだ、背中!オウルは背中ばかり狙ってくる。

 背中をがら空きにすれば奴はまた必ず狙ってくるに違いない。俺の誘いは背中だ!意識して背中の力を抜いた。

 正面と側面は両腕を構えることによって防御しているように見せかける。さぁ食いつけ。餌はまいてやったぞ。

 オウルはびゅんびゅん周囲を飛び回っている。そんな中でもじっと見られているのを感じる。警戒しているのか?

 餌だ。もっと餌をまけ。アズは当たらないとわかっていながらわざと残像に向かって突きや蹴りを放った。

 背中は空いているぞ。さぁ来い。気づかれぬよう意識を背中に向け続けた。そしてそれは不意にやってきた。

 後方でいきなり殺気が大きく膨れ上がった。来た!アズは溜めていた右足を思いっきり後方に伸ばした。

 ドカッ!まるで岩でも蹴ったような感触が返ってきた。急いで振り返るとオウルが向こうに吹っ飛んでいくのが見えた。

 そしてゴロゴロと後方に回転していき不意に止まった。オウルは片膝をついた姿勢で腹を押さえていた。

 顔に大量の脂汗を浮かべている。きいたようだ。

 「ううっ。いてぇ!」

 オウルが吠えるように呻いた。奴は負傷した。好機だ!一気に駆け寄ろうとした。だがオウルはぱっと離れて距離をとった。

 まだ動けるのか。オウルの顔が醜く歪んだ。

 「お、おのれぇ〜〜〜。この鋼鉄の体を傷つけるとは・・・許せん!」

 オウルが急にがばっと四つん這いになった。何をする気だ?オウルが吠えるように言った。

 「我が部族に伝わりし必殺拳、牙狼拳が貴様に受けられるか!」

 牙狼拳!?なんだ、それは!するとオウルは一声、大きく吠えた。そして全身を瘧にでもかかったようにブルブルと震わせた。

 驚いて見ていると目の色が次第に変わっていく。より凶悪に。より殺伐に。元々、濃く長かった体毛がさらに伸びて鋭利になったような気がした。

 背骨も徐々に丸くなっていく。目の錯覚か。犬歯まで伸びて口から飛び出たように見えた。目の前の男は最早、人間とは言い難かった。

 こいつは魔物だったのか!?いやアルム村で感じた妖気のようなものは感じられない。では一体この現象はなんなのだ!?

 驚愕しているとオウル、いやオウルのような狼が顔を上げた。その混じりけのない獣性にアズは怯んだ。

 オウルがアズの左手にさっと動いた。速い。だが残像なら追える。急いで追った。だが残像さえない。

 どこだ!?戸惑って見回した。いない。すると木の枝に飛んだか。目を向けた。いない。再度、周囲を見回した。

 やはりその姿はない。その時、目の隅でさっと影が動いた。急いで追った。すると今度は反対の目の隅で何か動いた。

 こっちか!だがまたしても何もない。僅かな気配は時折、捉えられるのだが今は残像さえ見えなくなった。

 まずい!奴は精神まで狼になってしまったようで狼のように気配を殺すようになった。アズは恐慌を起こしそうになりながら必死に落ち着こうとした。

 「痛っ!?」

 いきなり太ももに熱感が走った。見ればやはり斬られている。

 「ううっ!?」

 今度は腰のあたりだ。まずい。いいようにやられている。するとどこからか地の底から響いてくるような声が聞こえた。

 「ぐるるる・・・目を抉り出してくれる」

 慄然となった。声でさえ奴の位置を掴めない。全身から脂汗が滲み出し呼吸が荒くなった。駄目だ。

 落ち着け。呼吸を整えろ・・・。ふと思いついた。そうだ。天地自然神海呼吸法だ!この呼吸法は自然の力を採り入れるだけでなく周囲の自然と一体になれる。

 その境地に入れば周囲の気配に溶け込んだ奴を捉えられるはずだ。また声がした。

 「腹を切り裂いて内臓を貪り食ってやろうか・・・」

 気にするな。今は呼吸法に専念しろ。息を静かに深く吸って長く吐いた。体内に馴染みの力が蓄積されていくのを感じた。

 感覚が周囲に溶け込みながら広がっていく。奴は?・・・いた!自然とは相容れない邪悪な気配。すぐ後方の木の枝にいる。

 感じた瞬間、枝から気配が飛び上がってそのまま上から襲ってきた。閃光拳で迎撃するか?駄目だ。

 まだその準備が整っていない。他の技で迎撃しろ!ずんっと体を大地に沈め、その大地の力が跳ね返って足の裏から全身を突き抜ける。

 突き抜けざま振り返って足を振り上げた。蹴撃は自然の力が加わって凄まじい爆発力を発した。そしてその蹴りが空中のオウルの腹をぶち抜くのと同時に爪がアズの肩を薙いだ。

 二人は同時に吹っ飛んで倒れた。しばらく二人は立ち上がれなかった。アズがようやく上半身を起こした時オウルも身を起こしてこちらを睨んだ。

 二人は睨み合い警戒しながらゆっくりと立ち上がった。全身が燃えるように熱かった。蓄えた自然の力の影響だけではない。

 無数の切り傷が悲鳴を上げている証拠だった。オウルもどうやら無傷ではすまなかったようだ。蒼白な表情で腹を押さえている。

 苦しいのか額から絶えず脂汗をぽたぽたと流していた。だが目にはまだ十分、闘志が残っていた。

 オウルが一歩前に足を踏み出した。その時どこからか遠吠えが聞こえた。それを聞いたオウルがちらっと居住区のほうに目を向けた。

 だがすぐに目を戻してまた足を踏み出す。来るか?こちらは体がもうボロボロだ。だがやるしかない。

 そしてアズが身構えた時、向こうの畦道から疾走してきた人影があった。臭いほどの獣気と四足の獣と見まごうばかりの敏捷さ。

 牙狼族だ。くそっ。この状態で敵に加勢があるともう勝ち目はなくなる。だがその男はアズに目もくれずオウルの傍に駆け寄ると何か言った。

 するとオウルは頑なに首を横に振った。だが男が説得するように言うと苦渋の表情になった。一体、何を話し合っているのだ?するとオウルはアズを憎憎しげに見て言った。

 「この勝負、預けた」

 預けた?ダメージはあちらのほうが軽く見える。また闘志も向こうのほうが上だ。それなのに急に勝負を預けるとは。

 一体どうして?オウルは仲間の肩を借りると東の森のほうによろよろと駆けて去っていった。不審を露にしてオウルの走り去った方向を見ていると不意に近くで気配を感じた。

 いつの間に!?不意に出現した謎の気配にアズは慌てた。こんな近くまで近寄るのを察知できなかったとは。

 なにやってんだ、俺!慌てて振り返るとヨナフがぼ〜っとつっ立ってこちらを見ていた。ヨナフが気配を殺して近寄れるはずがない。

 ということは最初から近くにいたのだ。アズは拍子抜けして言った。

 「いたのか、ヨナフさん」

 そしてなぜ皆と一緒に居住区に行かなかったのか呆れた様子で尋ねようとした。するとヨナフは突然アズに掴みかからんばかりに身を寄せてきた。

 「わわっ!?な、何?」

 「ずっとあんたが賊と闘うのを見てた。頼む!その武術を俺に教えてくれ!」

 「ええっ!?」

 

 アズはその場でヨナフに応急手当をしてもらった。幸いなことに思ったより傷は深くなく血もすぐに止まってくれた。

 だが斬られた箇所は多く背中の傷口など自分で確認できないところもあったので後で診療所で診てもらわなければならない。

 南の居住区のほうに目を向ければ火災は収まったらしく先ほどまで盛大に燃えていた空の色もひんやりとした夜のものに戻っている。

 東の空が白み始めていた。畑越しに南を望めばかがり火の穏やかな明かりのもと屋根を修理する豆粒のような人影がかろうじて判別できる。

 喊声や悲鳴がもう聞こえないところを見るとセイカンらも賊の撃退に成功したらしい。二人は田園地帯の畦道をゆっくりと歩きながら居住区のほうに向かった。

 その途中でアズはさっきヨナフが言った言葉の真意を訊こうとした。ヨナフは強い緊張から解放されて脱力した様子だ。

 ぼうっと機械的に足を動かしている。アズが武術指導の要請は本気なのかと訊くとヨナフははっとなった。そして情け無さそうに言った。

 「もう何日も村にいるから俺が周りからどういう目で見られているかわかるだろ。愚図で間抜けでとんまだって」

 アズが気の毒に思って否定しようとするとヨナフは強情に首を振った。

 「いや。気を遣ってくれなくていいんだ。そのことは俺が一番よくわかっているんだから」

 アズは自嘲的に語るヨナフに何も言えなくなった。少ししてヨナフがぽつりと言った。

 「・・・でもそれでも良かったんだ。俺は俺なりに楽しく暮らしていたから。これまではね。でも最近になってそうじゃいけないって思うようになったんだ。つまり、その・・・」

 ヨナフは急に口ごもった。アズが訝しげにその表情を見るとどこか恥ずかしげに見えた。ぴんと来た。

 なるほど。そういう事か。アズはしばらく待ったがヨナフがいつまでも口をモゴモゴさせているので仕方なく先に言った。

 「マナさんのことだね」

 ヨナフが驚いた顔でアズを見た。

 「どどど、どうしてわかったんだ!?」

 アズはそんなに恥ずかしそうにしてりゃわかるよ、それに二人で仲良さそうにしているのを俺に見られているじゃないか、と心の中で呆れた。

 ヨナフは少し気が楽になった様子で言った。

 「そ、そうなんだ。マナさんのことなんだ。いや厳密にはマナさんのことじゃねえ。コチのほうだ」

 「コチ?」

 「んだ。俺はいずれマナさんと所帯を持ちたいと思っている。こんな愚図でまぬけな俺でもマナさんは一緒に暮らしてくれるって言った。問題はコチなんだ」

 アズは先日コチがヨナフに対して見せた不機嫌そうな表情を思い出した。

 「・・・コチは俺のことが嫌いなんだ。そりゃそうだよな。村で馬鹿にされている俺が親になるんだ。年頃の女の子からしたら嫌だよ」

 アズはヨナフに同情した。いくらマナがいいと言ってもコチが嫌がっているのなら結婚は難しい。アズもヨナフの苦悩が察せられた。

 「そこでさっきの話に繋がるんだ。俺は間抜けだと思われている。でもあんたから武術を習って強くなって、賊を格好よく叩きのめして周囲から認められればコチも気を変えてくれるんじゃないかと思ったんだ」

 アズはなるほど、と納得したがすぐに困った表情になった。親父が母にこう言ったという。この武術は我が家だけに伝わる必殺拳なので妄りに人に教えることはできない、と。

 いやその前に武術というものは一朝一夕で憶えられるものではない。すぐに強くなれると思われては困るのだ。

 そう言い辛そうに説明するとヨナフはがっくりと肩を落とした。

 <8> 

 二人が居住区に着くと夜が明けたばかりだというのに村人達の忙しそうに立ち働く姿が各所で見られた。

 ヨナフは村の惨状を見て呆然と立ち尽くした。焼け落ちるまでには至っていないものの、ほとんどの家の壁や屋根は焼け焦げて黒ずんでいた。

 まだ煙を上げる家もいくつもある。通りは怪我人を運ぶ担架や瓦礫を片付ける荷車が忙しなく行き交っていた。

 家族が殺されたのだろうか。ショックで呆然と戸口に座り込む村人の姿が見られた。遺体にすがり付いて泣き叫ぶ男の子の姿があった。

 二人はそれを痛ましそうに眺めながら診療所に向かった。アズはヨナフの捻挫はたいしたことはないと思っていた。

 さきほど足首を見せてもらったが少し腫れている程度だ。あれなら放っておいても治る。そのためヨナフに自分の家に帰るよう勧めた。

 火事が及んでいないか確認する必要もある。だがヨナフは首を振ってアズが心配だから診療所まで付いていくといって聞かなかった。

 診療所の前に着いた二人は痛ましい光景に呆然となった。中に入りきれなかったのか治療待ちの怪我人が戸口から外まで数多く横たえられている。

 応急処置は施されたようだが包帯には早くも血が滲み出ていた。痛むのか彼らのほとんどから呻き声が漏れていた。

 多くの村娘が慌しく彼らに新しい包帯を巻いたり水を与えたりしているが手が足りないのは明らかだ。

 アズも体中が痛んだが動けないほどでもない。彼らより先に診療所に入るわけにはいかない。と、そこに戸口から女が新しい包帯を持って出てきた。

 ヨナフがその女を見てぱっと顔を輝かせた。マナだった。コチも傍にいる。マナはヨナフに気づくと駆け寄って心配そうに怪我の有無を尋ねた。

 ヨナフは笑って胸をどんっと叩いて俺は大丈夫だと請け負った。ヨナフは俺のことよりも彼が、とアズに心配した目を向けた。

 マナもその時初めてアズの無数の斬り傷に気づいたようで心配した様子を見せた。アズのシャツはズタズタに切り裂かれており、その下に応急の包帯が巻かれているのが見える。

 マナはアズの背を支えるようにして彼を診療所ではなく隣接する公民館のほうに連れて行こうとした。

 アズが訝しげになぜそこに行くのか訊くと患者が多すぎるので今は狭い診療所ではなく広い公民館で治療を行っているという。

 公民館の中に入ると確かに広さを感じた。室内は民家三軒分くらいの空間があった。そこに所狭しと何十人もの怪我人がゴザに寝かされている。

 アズがそこに入っていくと自分を呼ぶ声がした。見るとサスケが心配した様子で近寄ってきた。サスケはアズの傷を見て表情を翳らせた。

 「さっきの牙狼族にやられたのか?」

 アズは強がって言った。

 「たいしたことはない。こっちもやり返したし」

 その時マナとコチが新しい包帯と薬を取ってくると言って離れて行った。するとヨナフも手伝うつもりなのか彼女達に付いて行った。

 その場に二人きりになるとサスケが声を潜めて訊いた。

 「訊いたんだろ?背中の刺青のこと」

 「ああ。刺青を背負っている奴はいるにはいるそうだがうまくはぐらかされた」

 サスケが頷くと二人が戻ってきた。ヨナフだけがいない。服を脱いで傷口を消毒して治療してもらっているとアズを呼ぶ声がまた聞こえた。

 イマだった。イマは近寄ってきてアズの傷を心配することなく忙しなく喋り出した。

 「聞いてくれたか、俺の活躍を!怒涛のごとく襲ってくる狼男達を・・・」

 すると話の途中でコチが呆れたように言った。

 「狼男じゃないよ。それはお化けでしょ」

 「ああ、そうか。山賊は一応、人間か。とにかくそいつらが、何人くらい襲い掛かってきたかな?そう百人くらい。そいつら、俺に襲いかかってきたんでみんなぶっ倒してやった」

 サスケが大仰に驚いたふりをして言った。

 「百人!?お前、たった一人で百人を倒したのか!」

 するとイマは急に目を泳がせて言った。

 「そ、そんなに多くなかったかな・・・。そう、五十人くらい」

 「一遍に減ったな」

 「それでもかなり多いけどな」

 アズとサスケは二人して笑った。その時、戸口に数人が新たに姿を現した。特に怪我をしていないところを見ると見舞いのようだ。

 その顔をよく見ると警備についていた人達だと気づいた。その中にセイカンの姿も見られた。アズはセイカンのやつれた表情を見て彼も軽くはない怪我を負ったようだと気づいた。

 彼らは中を見回して怪我人に励ますように声をかけている。少ししてアズにも気づいて近寄ってきた。

 「聞いたよ。大変だったみたいだな」

 アズが訝しげな顔をすると彼が言った。

 「でかいのとサシでやりあって怪我を負わせたんだろ?しかもそいつは賊の小頭格の一人だっていうじゃないか。たいしたもんだ。まぁお前のほうもやられたようだが」

 アズは多くを語らず、まぁなんとか助かったとだけ言った。別の村人が言った。

 「セイカンも賊の頭目とやりあったっていうし、ほんとひでぇ日になったな」

 アズは驚いてセイカンの顔を見上げた。セイカンはやつれた顔で苦笑している。アズは納得した。そうか。

 それでセイカンは傷を負ったのか。村の中では比較的腕の立つ彼が怪我をしたので意外だとは思っていたのだが。

 村男達は盛んにセイカンとアズを褒めていたがイマに気づくと途端に呆れた様子になった。

 「よく戦った二人に比べておめえときたらまったく・・・」

 サスケが興味を示してイマを見た。

 「何かしくじったのか?」

 するとさっき言った村男が情け無さそうに言った。

 「別に無理はしなくってもいいんだ。戦う姿勢さえ見せれば賊だって簡単には襲ってはこれねえ。事実、腕にあまり自信のない奴はそうやって賊を引き止めてた。

 それがこいつときたら変な色気出して。子供の狼ならやっつけられると打ちかかって。逆にケツ噛まれてひいひい逃げ回っていたっていうじゃねえか」

 サスケはその光景を想像したのかぷっと吹き出した。そして激しく笑いたいのを必死に我慢している。

 その時、村男達がじろりとサスケの後ろを見た。するとそこではヨナフもサスケに釣られたように笑みを浮かべている。

 「ヨナフ。おめえもだぞ。聞いたぞ。アズが賊に襲われていたっていうのにおめえはびびってちっとも助力できなかったっていうじゃねえか」

 そう言われてヨナフはそっとマナとコチの表情をうかがった。マナは仕方ないと理解を示してくれているようだがコチは明らかに軽蔑した表情を見せている。

 ヨナフはそれを見てうな垂れた。その時アズが擁護するように村男達に言った。

 「違うんだ。確かにヨナフさんは手を出さなかったけど何もしなかったわけじゃない。実は賊を後方から牽制してくれてたんだ。

 賊は常に背を気にしていなきゃならなかったから俺に全力で攻撃できなかった。だから俺はなんとか生き残ることができたんだ」

 「ほんとかぁ?」

 村男達は疑わしげにヨナフを眺めた。彼は否定も肯定も出来ずあたふたした表情を浮かべている。

 そしてその様子を少し離れたところから見る集団があった。年少組の少年達だった。彼らは少年ということで戦いの矢面には立たされなかった。

 そのため傷も浅手だった。少年の一人がアズを見て疑わしそうに言った。

 「ほんとにあいつは賊の幹部に手傷を負わせたのかよ?イマと同じでただ逃げ回っていたから助かっただけじゃねえのか」

 すると別の少年も言った。

 「まったくだ。闘いの現場は誰も見てねえっていうしな」

 「シバのほうがよっぽど賊をやっつけたっていうのになんであの人達はシバを褒めないんだ」

 シバは不快げにアズらから目を離して言った。

 「別に誰かに褒めて欲しくて戦ったわけじゃない。あいつらのことは放っておけ」

 村男達は他の怪我人も見舞い、しばらくして出て行こうとした。その時セイカンが表情を引き締めて怪我人達に言った。

 「みんな、よくやってくれた。だが早く怪我を治してくれ。奴らはまた襲ってくる」

 怪我人達は緊張した面持ちで頷いた。そしてセイカンは戸口に手をかけて出て行こうとしたが急に思い出したようにアズに言った。

 「アズ。お前は村の者でもないのによくやってくれた。村を代表して感謝する」

 アズは照れたように鼻を掻くとサスケがからかうように肘で突付いた。

 

 続く 第二の試練の二へ




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