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<1> この日の午後イナフは所用で家を出た。家人にはちゃんと行き先を告げた。一人で姿を消したあの夜以降イナフは行き先を必ず告げると家人に約束させられた。 そしてハセフが家で帳簿仕事をしていると程なくして鍛冶屋や旅籠といったイナフ経営店の番頭が彼の部屋にやってきた。 なぜかミネとゴロも一緒である。彼らはどうもイナフが出かけるのを待っていたふしがある。彼らの表情が重い。 挨拶をした後も中々、口を開かない。これは尋常なことではないとハセフは異変を悟った。そして話をしやすくさせるため優しく訊いた。 「みんな、どうかしたのかい?俺で良かったらなんでも聞くよ。俺で力になれることだったら」 彼らはそれでも顔を見交わして躊躇っている様子をみせた。またハセフが声をかけると旅籠の番頭のミゲルがようやく口を開いた。 「旦那様には黙っていろと言われたのですが・・・」 それからミゲルや他の番頭らの話を順に聞いていく内にハセフの顔に憂慮の色が現れ始めた。 「父さんが家や店の宝石類や現金をかき集めているだって!?」 ミゲルも深刻そうに言った。 「それも店の運転資金が危なくなるギリギリのところまで持っていかれて。もちろん店は旦那様のものです。 私どもが口を差し挟むことではないのですが今までになかったことですので・・・」 ハセフがミネを見るとミネも頷いて言った。 「旦那様はお前達は何も心配しなくていい、と」 ハセフは憂慮した表情で呟いた。 「一体、父さんはどういうつもりなんだ?」
ベッドの中でじっとして家の中の音に耳をそばだてているとやがてその音が止んだ。どうやら夜遅くまで家事をしていたミネもようやく就寝するようだ。 他の者はとうに自室に引き払ってしまっている。それからさらに待った。そして完全に家内が寝静まったことを確認したイナフは暗闇の中そっと身を起こした。 音を立てぬようベッドから下りて窓に近づきゆっくりと開ける。月が煌々と照っていた。その月を見て思った。 昔のしがらみを今夜きっぱり断ち切ってこの月のように心晴れやかにしたいものだ。イナフは室内に目を戻しベッドの脇にかがんだ。 そしてその下に手を伸ばして何かを取り出した。大きな鞄と縄だ。イナフは鞄に縄をくくりつけると窓辺に寄った。 そして注意して鞄を下に下ろす。鞄が地に着くと縄の一方の端をベッドの脚に厳重にくくりつけ引っ張ったりして耐久度を調べた。 そして自分も下に下りる。二階寝室は裏庭を挟んで路地に接している。路地は居住区内の小路で夜中ということもあり人の往来はもうないだろう。 だが一応、用心して裏門から出る時に左右を見た。そしてイナフが窓から縄を伝って下に下りていた時、寝室上の屋根で身じろぎする影があった。 影は音を聞いて屋根の縁に近寄った。そして寝そべった格好でイナフの行動を見守った。イナフは鞄を持ってどこかに行こうとしている。影はそれを見て呟いた。 「もう一人で勝手なことはさせないぜ。父さん」
ハセフはすぐさま屋根から下りてイナフの後をつけた。気づかれないよう充分な距離を取る。ハセフはイナフが重たげに運ぶ鞄を見て呟いた。 「あの鞄。みんなが言ってた金や宝石か」 イナフはふうふう息を喘がせて鞄を運んでいる。思わず駆け寄って手伝いたくなったがぐっと堪えた。 イナフはやがて暖簾を下げた安飲み屋の便所に入った。なぜあんなところに?一瞬、訝ったがすぐに思い出した。 自警団のロペスから聞いたことがある。町には正門入り口の他いくつか秘密の抜け道があるという。 そこはいくつか教えてもらった場所の一つだった。少し待ってから便所に近づこうとした時はっと振り返った。 微かな風の揺れ。近づく人の気配。誰だ!?後方の暗がりにじっと目を注いでいると少しして人影が浮かび上がった。 なんとシルミスだった。ハセフがほっと体の力を抜くとシルミスが傍にやってきて苦笑した。 「わしももう歳かな。弟子に気づかれるとはな」 「先生の腕が落ちたんじゃありません。弟子の腕が上がったんですよ」 「こいつめ」 シルミスが軽くハセフを睨んだ。ハセフが声を潜めて訊いた。 「先生。なぜここへ?」 「たぶんお前と同じ理由だろうな。怪しい気配が裏庭から出るのを感じたんで後を追ってきた」 よく見るとシルミスは弓を背負っていた。シルミスもイナフの隠密行動を予想し何かあった時のことを考えて予め用意したのだろう。 それに引き換え自分は武術の心得があるとはいえ何も得物は持ってきてはいない。何が起こるかわからないというのに。 自分の無計画に呆れて溜息が出た。それを察したシルミスが急かすように言った。 「歳を取ればもう少し気が回るようになるさ。だが今は急ごう。イナフを見失ってしまう」
イナフは町の外に出ると街道を横切って荒野をひた歩いた。後を追う二人はそれを見て首をかしげた。 一体どこに向かう気だろうか。荒野を進んでも乾いた何もない土地がどこまでも続くだけだ。懸念もあった。 この夜は雲が少なく月が皓々と照っているので見通しは良かった。この先を見ると平坦な場所がしばらく続く。 なのでいくら身を低くしても振り返られたら一発で追跡がバレる。二人はなんとか暗がりを見つけて隠れながら後を追った。 やがて大小の岩が点在するようになりその陰を利用することで追跡が楽になった。そして一時間ほど歩いただろうか。 どこまで行く気だとさすがに心配になった頃、不意にシルミスが身を伏せるように指示した。訝ったがそうした。 理由を尋ねるようにシルミスに視線を向けた。するとシルミスは伏せたまま前方に顎をしゃくった。最初はよくわからなかった。 ただ薄暗闇の中をイナフが一人、頼りなげに歩く姿だけだ。だがやがてイナフの十数メートルほど先に男が一人、待ち構えるように仁王立ちしているのに気づいた。 月明かりのお陰で男の容貌がよく見えた。背はそんなに高くないが横幅があった。まるで樽のような体つきだ。 蓬髪にごわごわの髭をたくわえている。ふてぶてしい面構え。どう見ても真っ当な人間ではない。シルミスがその男を見て呟いた。 「手紙を送ったのはあいつか」
ガビはイナフの鞄を見て眉をひそめた。十数年前イナフが持ち去った隠し金は荷馬車三台分はあろうかという量だ。 もちろん鞄一つに入りきれる量ではない。だがすぐに思い直した。最初に誠意を見せるという形をとって残りは後日、渡すというつもりなのだろうか。 だが次の瞬間イナフから発せられた言葉でその想像が間違っているとわかった。 「金をかき集めた。これで手を打ってくれ」 イナフが前に出て両者の中間に鞄を置いた。そして後ずさって元の位置に戻る。ガビはかっとなって駆け寄ると鞄を蹴飛ばした。 その衝撃で口が開いて中の金貨や宝石類が地面に放り出された。ガビが激昂して言った。 「ふざけんな!こんなはした金で納得できるか!」 「今、用意できるのはこれが精一杯なんだ。なんとかこれで収めてくれ」 「てめえ!俺から奪った金がどのくらいか忘れやがったか。この金の十倍以上だぞ!」 「それはわかっている。わかっているが本当にそれが精一杯なんだ」 イナフは必死に言った。するとガビの表情が次第に冷えていった。 「・・・やっぱり痛めつけなきゃわからねえようだな」 ガビが手を上げた。するといつ近づいてきたのかガビの後方十メートルほどのところに盗賊団が現れた。 男達は薄笑いを浮かべてそれぞれの得物を手で弄んでいる。男達が確認するようにガビを見た。ガビが無表情で顎をしゃくった。 男達が獰猛さを露にしてイナフに飛び掛ろうとした。だがイナフは以前と同じように警笛を取り出そうとした。その時、不意に近くで声がした。 「動くな!」 愕然と横手を見ると少し離れたところに短弓を構えた男がイナフを狙っていた。いつの間に!?ふと男のすぐ後ろに黒いマントが置いてあるのが目に入った。 そういうことか。恐らくそのマントを被って今まで地に伏せていたのだろう。夜中に黒いマントを被って伏せていればまず見つからない。 その男は弓を構えたままじりじりと近づきイナフの手から笛を奪った。そしてそれを掲げてガビに示した後、遠くに投げ捨てた。ガビがそれを見て、にやりと笑った。 「この間抜け野郎が。同じ手がそう何度も通用するかぁ」 男達がガビを追い越してじりじりと近づいてくる。少し離れた横手では笛を奪った男がまだ弓でイナフを狙っていた。 イナフはさすがに焦った。もう若くはない。それに一度、大病を得た身。大勢の荒くれに蹂躙されれば今度こそ命はない。 賊が少しでも気が回れば後日、残りの金を持ってこさせることを考えて手心を加える。だが向かってくる盗賊は野卑で目先のことしか考えられない輩だ。 恐らく自分を蹂躙する楽しさに我を忘れてとても手加減などしないだろう。そうなれば助かる見込みはない。 イナフは進退窮まって立ち竦んだ。このまま死ぬしかないのか・・・。ハセフの顔が頭に浮かんだ。ハセフはもう立派に成人した。 後は経験を積んで自らを成長させていくしかない。もう自分の役目は終わったのだ。立派になったハセフを見られないのが心残りといえば心残りだが・・・。その時、男達の薄笑いが聞こえた。 「よぉ。爺さん。あんた、赤い悪魔の前の世代なんだってな。それがこうもみすぼらしくなっちまって、情けねえよなぁ」 「ああ。俺だったらこうなる前に好きなことやって華々しく散るがね」 「老いさらばえてまた生きていやがって情けねえよなぁ」 それを聞いてはっとなった。そうだ。死ぬのはちっとも構わない。もう充分、生きた。子供も残せた。だが汚名を残したまま逝くのは我慢ならない。 最後まで立派に闘って死んだ。父は臆病者じゃなかった。ハセフにそう思ってもらいたい。イナフは萎えかけた精神が再び高揚するのを感じた。 たった一人でもいい。地獄への道連れにしてやる。旋風拳はシルミス、ハセフ、そしてこの私の三人で作った技。 まだ私にだってできる。イナフは身構えた。男達は抵抗する素振りをみせたイナフを面白がり次の瞬間、大勢でかかってきた。 それを見たイナフは絶望した。やはり駄目か・・・。その時、横手で苦痛の呻き声が聞こえた。見ると弓を構えていた賊が倒されている。 よく見ればその男の後ろにハセフとシルミスが立っているではないか。幻覚か!?・・・いやそうじゃない! 襲い掛かろうとした男達は二人を見て驚いたのか足を止めた。ガビがやや狼狽して言った。 「野郎!仲間が呼んでいやがったか!」 だが辺りを見回し救援がたった二人しかいないのを知ると威勢が戻った。 「おい、野郎ども!相手は三人だ。やっちまえ!」 男達はそれを聞くとまた喚声を上げて襲い掛かった。シルミスはハセフと共にイナフの前に飛び出るとイナフに言った。 「逃げろ!」 シルミスが弓に矢を番えて次々に撃った。矢は賊の喉や額に正確に当たった。男達は慌てて伏せたり逃げたりした。それを見てガビが怒鳴った。 「怯むな!やっちまえ!相手はたった三人だって言ったばかりだろう!・・・うわっ、危ねぇ!」 ガビは不意に飛んできた流れ矢にのけぞった。ハセフもシルミスの横でさっき奪った短弓で盛んに矢を射ている。 三人はそうやってじりじりと後退していった。だが賊の数が多かった。さらに命知らずな者も多い。また夜間なので昼間より狙いがつけずらい。 かわされたり外れる矢も少なからずあった。やがて矢がつきた。振り返ればまだ町は遠い。走っても三、四十分はかかるか。だが諦めず町に向かって走った。それを見たガビは哄笑した。 「逃げ切れると思ってやがんのかぁ?ぶおけぇぇぇっ!」 配下にさっさと捕まえるよう命じた。一番早く捕まえた男には分け前に色をつけるとまで言った。男達に歓声が上がる。 それを見て三人は濃い懸念の色を浮かべた。イナフとシルミスは四十代。いやもう五十に手が届こうという年代。 走るだけの競争となれば盗賊にすぐ追いつかれてしまう。その懸念通りやがて追いつかれた。男達は獣のように雄叫びを上げながら襲い掛かった。 三人はそれを振り返りざま撃退する。男達は仲間が倒されても倒されても襲い掛かった。それでも三人は互いに手を貸しながら戦った。 やがて男達に苛立ちが募り始めた。どういうわけかたった三人を倒せない。いや若いハセフだけが倒せないのならわかる。 だが老境に入った二人さえ未だ倒せないのだ。どうしてだ?ガビが手下に怒鳴った。 「何をちまちまやっていやがる!さっさとやっちまわねえか!相手は三人だぞ!」 だが相手は互いの背を守るようにして移動しながら手下を撃退している。やがてガビは呆然となった。 「こいつら・・・どうしてだ?」 シルミスはイナフとハセフに声をかけながら闘っていた。旋風陣。それは少数が多数に襲い掛かられた場合にとる集団戦法だ。 互いの背を守る格好で円を描くように動き外部からの攻撃を防ぐ。だがこれは守勢の戦法だ。攻撃に出ると陣が崩れる。 なので守りを固めつつ町に向かった。だがイナフの息が早くも上がってきた。病身といっていい身である。 長時間の戦闘は身に堪える。そのため他の二人は円を描く足運びをイナフに合わせねばならなくなった。 マンティスは中々、崩せない彼らの陣に苛ついた。たった三人なのになぜ倒せない?このままでは倒せないことに手下の士気が落ちてしまう。 その時ふとアズの姿が目に入った。呆然としている。いやじっと観察しているように見える。 マンティスはアズに怒鳴った。 「おい!なにぼうっとしていやがるんだ。てめえもやらねえか!」 アズは躊躇った。十数年前の出来事をまだ訊いていないこともあるが善良そうな彼らと闘うことに躊躇いを感じるようになっていた。 だがここで何もしなければ賊から追い出されるかもしれない。そうなるとガビから父のことも訊き出せない。 アズは仕方なく彼らに歩み寄った。ハセフがアズを見て目を剥いた。 「お前は!?やっぱり賊の一味だったか!」 ハセフは闘志を燃やして構えた。アズは自分は賊じゃないと否定したかった。だがこんな状況でそう言ってもとても信じてもらえないだろう。 アズも仕方なく構えた。ハセフが足を止めたことで旋風陣が止まった。シルミスはハセフがアズと闘おうとしているのに気づいた。 「ハセフ!陣を崩すな」 「あいつの腕はずば抜けている。こっちは父さんの体力がつきかけている。どっちにしろ陣は崩れますよ。先生は父さんの支援に回ってください」 シルミスはなおもハセフを止めようとした。だが賊が襲ってきてそれどころではなくなった。ハセフはアズに全神経を集中させた。 アズの動きは素早く攻撃は鋭い。少しでも気を抜けばやられる。だがじっと相手の動きを見ていてふと違和感を感じた。 おかしい。前と違う。闘気が感じられない。以前は野獣のような濃い闘気を漂わせていたのに。そればかりじゃない。 躊躇いのようなものさえ感じられる。どういうことだ?やる気がないということなのか。それとも闘うつもりがないようにみせかけて油断を誘う気なのか。 だが闘気をみせなくとも相手が強敵なのは間違いない。油断はしなかった。だがいつまで経っても相手から攻勢の気配は感じられない。 ハセフは戸惑いつつ考えた。油断を誘っているなら逆にそれを利用してやるのはどうだろう。ハセフは意を決して距離を詰めると横からやや力を抜いて拳を振るった。 さぁ、どう出る?だが少年は後退して拳を避けただけで反撃はしてこなかった。まだ足りないか?ハセフはまた間合いに入ると左右の下段回し蹴りを連続して放った。 相手はブロックしながら後退していく。ハセフはさらに訝った。後退するだけでなにもしてこないじゃないか。 その時ふっと頭に浮かんだ。後退?まさか自分をシルミスらから引き離すのが目的じゃ!?急いで振り返った。 だが特に形勢は変わっていなかった。シルミスらを囲む一団と自分を囲む一団があるだけだ。その時シルミスの鋭い声が聞こえた。 「ハセフ!」 見るとシルミスがイナフをかばって闘っている。さきほどまでイナフは自力で闘っていたがもう限界ということか。 ハセフはアズに心残りな様子で一瞥するとシルミスらのほうに走っていって二人を囲む輪の一人に飛び蹴りをくらわして倒した。 ハセフを取り囲んでいた一団もすぐに追ってくる。シルミスが急いで近寄ってきて囁いた。 「あの少年の相手はわしがしよう。お前はイナフを守りつつ引いていって鐘楼の鐘を鳴らして町に危急を知らせるんだ」 ハセフは父を見た。顔色は蒼白で肩で息をしている。今はアズとの勝負にこだわる時ではない。ハセフは頷いてイナフに肩を貸して町に向かった。 「おおっとぉ!そうはさせねえぜ!」 それを見た賊がたちまち襲い掛かってきた。ハセフが横蹴りで賊を蹴り倒しイナフも裏拳を振るって賊を近づけさせまいとする。 シルミスはなるべく多くの賊を引きつけようと縦横無尽に動く。さらに手足だけでなく口も動かした。 「そらそら、どうした!」 「もう終わりか?若い者が情けないぞ!」 「お前達、本当はわしより老人なのではないか?」 頭が単純な賊はシルミスの挑発に乗せられて激怒する。 「こんの爺!年寄りだと思って手加減してやりゃあ調子に乗りやがって」 「もう容赦はしねぇ!年寄りの冷や水を後悔したってもう遅ぇからな!」 賊の大半がシルミスに群がった。その隙にイナフ親子は少なくなった賊を蹴散らして町に向かった。 後方から賊の喚声が聞こえる。つまりまだシルミスは生きているということだ。シルミスが命を賭して賊を引きつけている間に町に着かねばならない。 ハセフはイナフに肩を貸して走った。するとイナフが突然、思いつめた顔で言った。 「ここでいい。お前一人で町に行け」 ハセフは愕然と父を見た。 「なにを言っているんだ、父さん!?先生がなんのためにあそこに留まったのかわかっているだろ!」 「お前のお陰で体力が少し回復した。これならまた闘える。シルミスはまだ生きている。彼をこのまま放っておけない。 二人で闘えば時を稼げる。お前は足が速い。お前一人で行け」 ハセフは後方を見た。シルミスの闘っている姿が砂塵の中、垣間見えた。次に父を見た。目にやや力強い光が戻っている。 「わかった。父さん。でも一つだけ約束してくれ。俺が戻ってくるまで絶対、無理はしないことを」 アズは男達を次々に翻弄するシルミスを見て感心した。シルミスは向かってきた男を捕まえると別の男にぶつける。 そうするとその倒れた二人は混乱してすぐには立ち上がれない。またその倒れた二人が邪魔してその後ろの賊はシルミスにかかってこられない。 少数が多数と闘う時に使う見事な戦術といえた。またシルミスは賊が一度にかかってこられないよう背を見せず捕まえた敵を盾にするなど絶えず自分を有利な状況に置こうとする。 彼は老境に入りかけた容貌に見えるが底知れないスタミナにアズは舌を巻いた。シルミスが活き活きと闘っていた時その後方で賊の悲鳴が聞こえた。 シルミスが目を向けるとなんと逃げたはずのイナフが戻ってくるではないか。さらにその後方には町に入るハセフの小さな姿が見えた。 そうか。自分が一緒では足手まどいになると判断してハセフを先に行かせたか。そして自分はシルミスに協力すべく戻る。 戻れば死ぬかもしれないのに。友を見捨てぬイナフらしい。イナフは呼吸を整えつつ無駄な動きを省いて闘っていた。 「皆、私を病人扱いするが体力に注意して理詰めの動きをすればこんな荒っぽいだけの素人連中に遅れは取らん!」 イナフは向かってきた男を盾にして他の男達を封じ、町には行かせまいとする。アズはイナフにも感心した。 シルミスとイナフは賊を翻弄、牽制しながらじりじりと後退していく。ハセフはもう町役場や自警団本部に駆け込んだはずだ。 町からの救援はまだか!?その時マンティスが怒鳴った。 「なにやってやがんだ、てめえら!爺二人に!」 二人の動きを見たガビが言った。 「まだ町の中に逃げ込めると思っていやがるのか。面白ぇ。だったらこのまま町も焼き払ってやる!」 ガビが賊の何人かに命じた。彼らは用意してあった馬に乗ると町に向かって駆け出した。イナフとシルミスは狼狽したが脇を駆け抜けようとする賊を止めようとした。 だが馬の勢いは強く逆に跳ね飛ばされそうになった。また騎乗した賊の手には松明があった。イナフは蒼白になった。 大変だ!今は夜中。そして町はほとんどが木造。さらに荒野に接してるので風も強い。そんなところに火を点けられたら火はあっという間に広がる。二人は冷静さを失って馬を追おうとした。 だが周囲の賊がそうはさせてくれない。賊の馬群はどんどん町に近づいていく。シルミスは周囲の賊の攻撃をさばきながら思った。 くそっ。もう間に合わない。その時だった。鐘の音が高らかに聞こえた。よっぽど強く鐘を叩いているのだろう。 町から離れたここまで音がはっきりと聞こえる。それは急を告げる叩き方だ。ハセフが自警団に知らせて、ようやく彼らが動いたか。 だが騎馬の賊は意に介さず雄叫びを上げながら町に向かっていく。駄目だ。賊への警戒レベルは引き上げられるだろうが放火に気づくのに時間がかかる。 火事になればいずれ気づくだろうがそれまでに人的、物的被害は必至だ。イナフが絶望的に見ていると不意に街道に接している家屋の屋根に無数の火が浮かび上がった。 賊がもう火を放った?いや彼らの手にはまだ松明がある。ではあれはなんだ?そしてそれには賊も驚いたようだ。 「な、なんだぁ!?」 イナフはその火をよく見た。すると屋根に多くの人々が手に松明を持って立っているのが見て取れた。 他に賊に向けて弓を引き絞っている人の姿もある。自警団と町人達だ!彼らをロペスが指揮している。 騎馬の賊は呆然となったがすぐ強気を取り戻して馬を進めた。 「町人風情が俺達とやりあおうってのかよ!」 そしてとうとう賊の松明が放たれた。それは風に乗って屋根に落ちた。だが町人がすぐに火を消した。どうやら火消しの砂や水が足元に用意されてあるらしい。 「くっ、くそっ!」 後続の賊が次々に町に近づき松明や火矢を放った。町側も弓で応戦した。矢の激しい応酬になった。 どちらかというと賊のほうが命中精度は高いようだ。火矢が町の屋根や壁に次々に刺さった。次第に火消しに追われる町人の姿が目立つようになってきた。 「思い知りやがったか、町人ども!」 賊が得意がってさらに火矢を打ち込もうとした。その時、賊の一人が馬の背から吹っ飛ばされた。 「なんだぁ!?」 それからも次々に吹っ飛ばされる。賊の一人が絶命した仲間を調べた。すると太い矢が根元まで刺さっている。 恐るべき強弓だった。それを見てイナフが微笑んだ。ロペスか。自警団のロペスの本業は鍛冶屋である。 鍛冶屋は力仕事で弓、刀剣も作る。そのためロペスは自分用に強力な弓を用意していた。ロペスの活躍に力を得た町人の矢も勢いを取り戻した。 賊が怯む。ガビはそれを見て舌打ちすると撤退の合図を出させた。
盗賊は町の激しい抵抗にあってほうほうの体で退散した。足をよろけさせて逃げる賊はひどい有様だった。 体のあちこちに矢を生やし青色吐息で無傷な者でさえ打ちひしがれた表情をしていた。賊は追跡される警戒も忘れてまっしぐらにアジトに向かった。 だが運のいいことに町側の追撃はなかった。夜で見通しがきかない上に不案内な土地だ。反撃に会ってはたまらない。 そう考えたのだろう。そして賊が喘ぎながらなんとかアジトに辿りついたのは夜も明けようとした頃だった。 森の中の開かれた、いつもの場所に着くと男達は汗びっしょりで地にどかっと腰を下ろしたり大の字になった。ガビが忌々しげに吐き捨てた。 「くっそ〜。イナフの野郎。町の奴らに備えを命じておきやがったか」 するとガンポが首を捻った。 「おかしいですね。数日前はそんな気配は少しも感じられなかったのに」 ガビが怒って言った。 「馬鹿野郎!それはてめえの目が節穴だったってことだ!」 ガンポが首をすくめた。ガビが苛立ちを露にして言った。 「もう金は手に入りそうにねえか・・・こうなったら町を焼き討ちにするしかねえ」 そしてアズにギラついた目を向けて言った。 「おい。てめえ、なんで愚図愚図していやがった?マンティスと張り合った時の腕はどうした?」 アズは答えに窮した。だがガビはそれ以上、追及せず言った。 「本来なら働かなかった奴には制裁が待っている。だが手駒が不足している。今回だけは目を瞑ってやる。だが次は許さねえ。次の襲撃で今回の分も働いてもらうからな」 マンティスが不快そうに言った。 「ちっ。運の良い野郎だ」 アズは少し憂鬱そうに頷いたが興奮したガビはその表情に気づかなかった。各々が舌打ちをしたり町の人間に対して罵っていた。 その時ふとオスラはマンティスの目配せに気づいた。その目はアジトの外に行こうと言っている。オスラは頷くと何気ない様子でアジトを出た。 森の中をゆっくりと歩いていると程なくしてマンティスが追いついてきた。 「なんだ、どうかしたのか?」 「ちょっとおめえと二人っきりで話したくてな」 「けっ。気色の悪いこと言うんじゃねえよ」 「これからの話しだ」 オスラが眉根を寄せた。 「これからの話?なんであっちで皆と一緒にやらないんだ?」 マンティスが顔を歪めて言った。 「首領はあのアズってのが気に入っているようだから話しずらいのよ。おめえとの話し合いによっちゃあ奴を消す方向になるかもしれねえ」 「わかった。それで?」 マンティスは考え込みながら言った。 「あのシルミスって爺も使い手だとは知らなかった」 「なに、所詮は爺だ。気にすることはねえ。イナフの爺も武術を使うようだがやはり爺だ。 俺とおめえが本気になってかかりゃあ簡単に殺れる。やはり問題はハセフだろう。若くて力がある」 マンティスが頷いて訊いた。 「おめえならどうする?」 「まぁ皆で囲んでかかればまず殺れると思うがこっちの損害も少なからず出るだろうな」 マンティスは頷いてまた考え込む様子になった。 「俺はどうもあいつらが怪しいと思うんだ」 「あいつらって?」 「アズとサスケよ。アズはこそこそと首領の昔の話を聞きたがるしサスケは皆が嫌がる危険な潜入の仕事をしたがる」 それを聞いてオスラも考え込む様子になった。 「確かにあいつら普通じゃねえな」 少し考えた後マンティスは意を決したように言った。 「よし。首領に進言して襲撃する前アズの野郎にハセフを殺らせよう。首尾よくやれればそれで良し。 駄目なら厄介払いが出来る。どっちにしろ奴の手の内もわかるから闘うとなればそれが後々、役に立つ」 オスラが眉をひそめて言った。 「随分、奴を意識しているな」 「いつか奴とはやり合わなければならねぇ時が来ると感じるのよ。いつかな・・・」
その日アズも盗賊達が寝入ったのを確認すると密かにサスケを促してアジトから出た。そして話し声が届かないところまで来ると足を止めた。 サスケが話を促すようにアズを見る。アズは考え込みながら言った。 「ずっと考えていたんだ。彼らが、イナフ達のことだ、遣っていた武術。旋風拳といってた」 サスケが頷いて言った。 「俺っちは閃光拳ほどの武術はこの国にはないと思っていたけどあれは凄かったな」 「彼らはまだ本気を出していなかった」 サスケが驚いて言った。 「えっ!?あれで本気じゃなかったっていうのかよ!」 「ああ。昨夜は彼らにとって多勢に無勢で非常に不利な戦いだった。だから身を守ることに専念したように見えた。 だが余人を交えず一対一でやれば攻勢にも出てくる。きっと凄い技が出てくるに違いない」 「凄ぇ技か。俺っちには想像もつかねえな。それで?」 「ずっと考えてた。どこかおかしいってな」 「何が?」 「具体的に何がおかしいのかしばらくわからなかった。だが考えていてようやくわかったんだ。あの旋風拳ってのは対閃光拳用に作り出された武術なんじゃないかってね」 サスケが驚いた。 「マジか!?」 だがすぐにその目が鋭くなった。 「ってことはやはりイナフの爺さんは十数年前、親父さんと闘ったことがあるってことだよな」 「ああ。カンだけど間違いないと思う」 「それでどうする?このままここにいればガビから話は聞けるかもしれないがイナフのほうは難しいぞ。 この前、町に潜入した時イナフをずっと監視したけど外出中はずっと護衛が付いていた。家の中に潜り込むのも難しそうだ。 使用人が少なくとも二、三人はいる。それにハセフの存在もある。とても話なんか聞けない」 アズが自嘲的に言った。 「イナフ達はもう俺達を完全に盗賊の一味だと思っているだろうしな」 二人は善後策を考えた。だがイナフから話を訊く良案は浮かばなかった。そのため引き続きガビから話を聞きだすよう努力することになった。 イナフ邸の広間に十人ほどの町人が集まっていた。彼らはいずれも名士や町の重職にある者達だった。 またその他にはハセフやミネといったイナフ邸の家人の姿も見られる。彼らはじっと憔悴した様子のイナフに目を注いでいた。 イナフは溜息を一つつくと卓の上で両手を組み苦悩した様子で口を開いた。・・・私はこの町で生を受けこの町で育った。 父は鍛冶屋で仕事はいつも夜更けになるまで止めないほど熱心だった。だが月に数回ある休みの時は何か物を買い与えてくれたり郊外に連れて行ってくれたり私を随分、可愛がってくれた。 母は無口で必要なこと以外は喋らない人だったが家族への愛情は深かった。私は幸せな幼少時代を過ごしたといえる。 そして私は少年から青年になった。父を慕っていた私は幼い頃から鍛冶を手伝っていた。そのせいか腕力が並外れて強くなり喧嘩をしても負けたことがなかった。 やがて自分は誰にも負けない強い男なんだと増長して誰の言葉にも耳を貸さなくなった。両親は大層、私の処遇で気を病んだだろう。 そして思いついたのが結婚だ。まだ若かったが家庭を持てば少しは落ち着くだろう、と。相手は親交のあった近所の娘が選ばれた。 そして程なくしてできたのがハセフだ。両親の考えは確かに当たった。家庭ができた私は遊んではいられなくなり妻子のため身を粉にして働いた。 両親も妻も私が真人間になったと大層、喜んでくれた。だが幸せは長くは続かなかった。ある日、飲み屋で些細なことから喧嘩になり相手を殴って気絶させてしまった。 私はその時、人殺しをしてしまったと蒼白になった。私はひどく動揺してよく憶えていないのだが店を飛び出してそのまま町から街道をひた走って逃げた。 今にも町役人が私を捕まえに追ってくると恐怖を感じていた。そして逃げに逃げて行くうちに私はそこら辺のゴロツキとたいして変わらない無宿人になっていた。 家族のことは絶えず頭にあった。だが人を殺した自分がどうして戻れよう。自棄になった。そして町から町にと流れていくうちに盗賊団、赤い悪魔に腕っ節の強さを見込まれて仲間に誘われた。 私の犯罪は彼らがやってきたことに比べれば大人と子供だった。人殺しを厭わず弱者から容赦なく奪う。 すぐにそんな生活が嫌になった。仮病を装って犯罪には加わらないようにした。仕事をしなければ分け前も手に入らない。 自業自得で窮する。なので彼らは私を放っておいてくれた。そして十数年前のあの時がやってきたのだ。 ある夜、働きに出た仲間が中々、帰ってこない。訝って仲間の向かった先に行くとなんと故郷の町ビンが燃えている。 この夜の彼らの標的はここだったのかと愕然となり急いで両親、嫁、息子を探した。町は火の海と化していた。 両親の家はもう火に包まれていてとても生きているとは思えなかった。自分の家に行った。燃えていたがなんとか中に入れた。 居間に息子をかばって倒れた妻の姿があった。妻は既に息がなかった。私は泣いた。泣きながら詫びた。 するとその時、声がした。はっとなって見ると妻の下にいる息子にまだ息があった。すぐさま助け出して外に出た。 町人達が自警団と一緒に火消しをしていた。泣き叫ぶ親子がいた。それを見て悪夢から醒めた気がした。 止めさせなければならない。こんな非道なことは絶対あってはならない。私は息子を知人に託して町内を走った。 盗賊を探した。すると町の入り口近くに大勢の人影が倒れている。駆け寄って驚いた。人影は盗賊団だった。 しかもほとんどが絶命している。まだ息のある者からなんとか事情が聞けた。するとたった一人の男に盗賊団は全滅させられたというではないか。 しかも素手で。私は愕然となった。同時に興味が湧いた。腕には自信がある。だが武器を持った荒くれ者の集団を一人で、しかも素手で倒せるかと聞かれれば黙ってしまうだろう。 そんなことができる男がこの世にいるのか。町から出て街道を見回した。いない。その時、荒野を進む小さな影を見つけた。 急いで追いついて訊いた。あんたか?盗賊をたった一人で、しかも素手で倒したのは?男は答えずじっと私を見つめた。 静かで澄んだ目だった。また見つめられているだけで背筋に震えが走った。この男だ。間違いない。 だがこの落ち着きようはどうだ。とても少し前、十数人の盗賊を倒した男の佇まいには見えない。だが慄いたにも関らず足が自然に一歩、前に出た。 その時、手に棍棒を持っているのに気づいた。急いで捨てて男に言った。俺と勝負してくれ。男はじっと私を見つめたまま訊いた。 なぜ?私は正直に言った。強い男と闘いたい。男はまた訊いた。なぜ武器を捨てた?そっちが武器を持たねえんならこっちだって持たねえ。 それが俺の流儀よ。私はそう答えた。男の口角が僅かに釣りあがったように見えた。笑っているのか? その時は侮られたとかっとなった。でも後になって思い出してみるとあの笑みは好意的なものだったような気がする。 相手に合わせて武器を使わないと言った私に対する敬意のようなものだったんだってね。そして私は勘違いした怒りに任せて殴りかかった。 殴り合いでは負けたことがない。だが簡単に足をかけて倒された。すぐに飛び起きて殴りかかった。 また倒された。何度も殴りかかった。だがどうしても男を捉えることはできなかった。闇夜という状況もあっただろうがまるで実体のないものにつっかかっているようだった。 やがて息が切れてきた。いやまだできる。足がよろめいた。いやまだ動ける。私はふらふらになりながらも必死にくらいついた。 そしてもう駄目だと膝が折れそうになった。その時だった。男がまるで猛虎のように襲い掛かってきてその凄まじい拳が私の顎をぶち抜いた。 闘いはそれで終わった。私はそれで、そのたった一発で意識を失った。実に呆気ない幕切れだったよ。 やがて私は意識を取り戻した。冷たい地面を背中に感じながら思った。あの男、なぜ私を殺さなかったのだろう? だがなぜか清清しかった。負けた。これ以上ないくらいきれいさっぱり負けた。だが生きている。不思議と怪我はどこにもなかった。 きれいに倒されたことが返って私をすっきりさせた。それから町に戻った。火は消えていたが家屋のほとんとが焼失していた。 人々は虚ろな目で呆然と座り込んでいた。私が直接、手を下したわけじゃない。もうすぐ盗賊から足を洗うつもりだった。 だがその時はまだ仲間だった。激しい罪悪感を感じた。私はいたたたまれなくなってその場から逃げ出したくなった。 足が町の入り口に向きかけた時、赤ん坊や子供の泣き声が聞こえた。はっとなった。そうだ。私の息子は生きている。 この町は死んだわけじゃない。逃げ出してはいけない。今こそ罪滅ぼしを、生み育ててくれた恩返しをする時なんだ、と。 私が焼け落ちた家々の片付けを始めると他の町人も起き上がって同じことをした。瓦礫の片付けをしながら自分のできることを考えた。 片付けだけでは駄目だ。この町には希望が必要だ。町を再び隆盛させる何かが。はっと閃いた。そうだ。 盗賊の隠し金があった。仲間は全員、死んでいる。私一人が使っても構うまい。それに不当に奪った金だ。 良いことに使いたい。私は一旦、賊のアジトに戻って埋め隠してあった財宝を荷馬車に乗せて町に持ってきた。 その時、町の片付けはほぼ終わっていたが復興資金をどこから捻出するか町人は頭を悩ませていたところだった。 そこに私が莫大な金銀を持ってきた。町人は驚くと共に金の出所を疑った。当然だ。無一文同然で出奔した私が不意に帰郷し大金を提供する。 他の町で鍛冶屋を始めたとしても一代では到底、築けない額だ。私がわけを訊かず受け取ってくれと頼むと当時の有力者達は受け入れてくれた。 そして時間はかかったが町は復興した。町人は金を提供した私に感謝した。だが私の心は晴れていなかった。 これまでの罪を告白する機会をうかがっていたのだ。昔の自分ときっぱり決別したい。だが中々、言い出せなかった。 取り戻した信頼を失いそうで怖かったのだ。そして言い出せぬまま時は過ぎた。復興に貢献したことから町の名士に祀り上げられた。 息子はすくすくと成長し気の許せる仲間もできて生まれて初めて幸せを感じた。ますます罪を告白できなくなった。 やがてそんなことも忘れてしまった。そんな時だ。あの手紙が来たのは。そこでミネとゴロが頷いた。 死んだと思っていた盗賊に生き残りがいたのだ。首領のガビ。奴は再び仲間を集めて盗賊を働いていた。 そして隠し金を私が持ち去ったことを知り十数年ぶりにそれを取り戻しにやってきたというわけだ。これが話のすべてだ。 すべての責任は私にある。十数年前、直接加わっていなかったとはいえ仲間の盗賊がこの町を焼いたこと。 隠し金を持ち去ったがゆえに奴らを招き寄せてしまったこと。すべて私の責任だ。私一人でなんとか解決したいと思って持ち出せるだけの金で奴らに納得してもらおうとした。 だが駄目だった。もう私の命と財産くらいでは奴らを引き返させることができなんだ。イナフは話し終るとうな垂れた。 その場の空気も重くなった。するとハセフががばっと身を伏せて町のみんなに言った。 「父の罪は息子の俺の罪でもある。父を許してくれ!」 イナフが驚いてハセフに言った。 「何を言う!これはお前の知らないところで起こったことなのだ。お前に関係はない」 するとミネやゴロも同じように床に手をついて町の衆に懇願した。 「皆様!どうか旦那様を許してください。そのために私はなんでもします。夫に離縁されて路頭に迷っていた私が今あるのは旦那様のお陰なんです!なんでもしますからお願いします!」 ミネは言い終わらぬうちに泣き始めた。イナフが痛ましげに彼女を見た。 「ミネ。お前は・・・」 すると今度はゴロが言った。 「俺からも皆の衆にお願いします。俺もミネと同じようなもんだ。俺は若い頃、酒と博打に目がなくてところどころの町や村に行っちゃあ人々に迷惑をかけていた。 そんでとうとうお尋ね者になっちまっていよいよ盗賊にでもなるしかねえかと思いつめていた時に旦那様に拾っていただいたんだ。 このご恩は死んでも返せねえ。どうか旦那様にご温情を。もし罰するというなら代わりに俺を罰してくれ。死罪でもなんでも受け入れる」 イナフがゴロの肩に手を置いた。 「ゴロ・・・歳はお前のほうが上だが若い頃、身を持ち崩したのは私も同じなのだ。そんなお前をわしは放っとけなかった」 イナフが家人と抱き合っていると町の有力者からも次々とイナフを擁護する声が上がった。 「確かにイナフさんは一時、身を持ち崩したかもしれない。町に災厄を持ち込んだかもしれない。でももう罪滅ぼしは終わったんじゃないか?」 「町の活気を、人々の笑顔を見てみろ。誰のお陰だ?みんな、イナフさんのお陰じゃないか」 「近隣でもう賊は荒らしまわっていた。イナフさんのことがなくても賊はこの町に来たさ。イナフさんのせいだけじゃない」 町の衆がイナフを起き上がらせた。町長がイナフに言った。 「十数年前の災厄は前町長から話は聞いていた。前町長はあれは町全体の責任だと言った。盗賊への備えを怠った全員の。 だが今はあんたの提言のお陰で自警団が結成され最悪なことにはならないだろう。闘える若者も大勢いる。あんたが組織して整備してくれたんじゃないか。自警団を、町の繁栄を」 ロペスが力強く言った。 「イナフさんの顔に泥は塗らせられない。自警団で必ず盗賊を壊滅させてやりますよ」 イナフが感動に打ち震えた顔で言った。 「お前達・・・」 町長がにっこり笑って言った。 「これからも町に貢献してください。頼みましたよ、イナフさん」 イナフは目に涙を浮かべて何度も頷いた。
ガビは両脇にマンティスとオスラの幹部を置いて居並ぶ手下を見回した。 「イナフの野郎ははした金しか渡さないことがわかった。そうとわかったらもう遠慮することはねぇ。略奪して町を焼き払う」 それを聞いた手下の間から歓声が起こった。ガビが騒ぐ手下を手で抑えて続ける。 「そこで、だ」 人垣の中からアズとサスケが呼び出された。二人は訝しげな顔をしている。ガビが二人に言った。 「襲撃前にうるさそうな奴を片付けちまいたい。そいつがいなくなりゃ仕事が大分、楽になるからだ。そこでお前らの出番となる」 アズが訝しげにガビに訊いた。 「誰のことを言っているんだ?」 するとマンティスが顔をしかめて言った。 「鈍い野郎だ。ハセフのことに決まってんじゃねえか」 「ハセフを!?」 アズが驚くのも構わずガビが言った。 「明日マンティス達と一緒に町に忍び込んでハセフを殺れ」 アズが戸惑いを露にして言った。 「なんで俺なんだ?他に適任者がいるだろう」 マンティスが激昂して言った。 「てめえ!首領の命令に逆らいやがるのか!」 アズが不満げに押し黙った。マンティスが気に入らない様子で言った。 「てめえは新参者だろう。それに腕を買われてここにいるんだ。それくらい当然だ」 アズが抗弁するように言った。 「でもどうやって殺る?あいつは自警団の幹部だからいつも何人かの団員と一緒にいる。この警戒下じゃとても一人にならない」 ガビが頷いて言った。 「そこは考えてある。先日またガンポとボラに偵察に行ってもらった。それによると今、町じゃ昼夜を問わず定期的に数人で巡回しているらしい。 聞き込んだところによると明日の晩ハセフの番が回ってくるそうなのだ。そこを襲う。ハセフはアズがやり他の奴はサスケだ。 またおめえらが仕事しやすいように俺達は町の入り口に陽動作戦をかける。巡回以外の奴らは陽動の俺達に注意が向くって寸法よ。どうだ。やる気になったか?」 アズは不承不承、頷いた。計画に疎漏はなさそうだ。なので反論できない。解散した後サスケが傍に寄ってきて心配そうに囁いた。 「どうする、アズ?ハセフは遣い手だ。やりあうとしたら今度こそ無傷じゃすまないぜ」 「本気でやり合わなかったらそれをあいつらに見抜かれるしな。う〜ん、どうしたものか・・・」
町に夜の帳が下りた。辺りはすっかり暗くなったが町の灯りは消えなかった。通常は灯りを消すのだが襲撃の恐れがある今は日没後も所々にかがり火が設けられている。 町の端側に位置する家の屋根には間隔を置いて弓を持った町人の姿が何人も見られた。彼らは盗賊が夜の闇に乗じて襲ってこないよう目を光らせているのである。 町の灯りは町の外に二、三十メートルほどしか及ばずその先は濃い闇で遮断されているだが闇から不意に賊が走り出てきても数十人に及ぶ見張りの誰かが気づけば町に到着する前に射倒せる。 警備に問題はないはずであった。夜の闇が濃さを増し町人が監視に疲れて欠伸を噛み殺していた頃、荒野の闇から密かに吐き出されたものがあった。 町の灯りにさらされた、それは当然、見張りに気づかれるものと思われた。だが誰もそれを見ても警戒しなかった。 なぜか?それを近くで見てみればわかる。それは荒野の色をしていた。さらによく見ればそれがマントだとわかる。 盗賊はそのマントを被ってじりじりと町に近づいていた。郊外に灯りが届くといっても夜間である。また見張りはそこばかりを見ているわけにはいかない。 意識は広範囲に向けられているのである。盗賊は気づかれぬようゆっくりと接近し外に面した家の一つにたどり着いた。 そして見張りが他を見ている隙にするすると屋根に上って町に潜入した。 賊の暗殺隊は南西の居住区に忍び込み自警団の巡回ルート近くの家屋陰に潜んだ。そこはあらかじめ偵察隊が人知れずハセフを襲撃できるよう厳選したポイントだった。 そこの周囲には空き家や小さな空間が点在していて小さな叫び声が上がってもまず近隣住民には聞こえない。 物陰に数名の影が蠢いていた。案内役にガンポとボラ。暗殺役にアズとサスケ。そして見届け役にマンティスとオスラがいた。 彼らは物陰でじっと標的のハセフが来るのを待った。だが予想した時刻になっても中々、標的は現れない。 一応、彼らの仕事に合わせてガビの陽動隊が町入り口で騒ぎを起こすことになっている。このままでは陽動隊が先に動き出してしまいハセフの巡回隊もそっちに行ってしまう恐れがあった。 ジリジリして待っているとやがて向こうから数名の人影がやってきた。そしていよいよ近づいてきた時、彼らを密かに見張っていたガンポが首をかしげた。 他の賊も目を細めて巡回隊の面貌を訝しげに確かめている。なんとやってきたのはハセフらではなくシルミスら数名の町人だった。 マンティスが怒ってガンポとボラに言った。 「どういうことだ!?ハセフじゃねえじゃねえか!」 ボラが首をかしげて言った。 「おっかしいなぁ。確かに今夜ハセフが巡回するって聞いたんだけどなぁ」 「このアホ!」 オスラがボラをド突いた。オスラが困った様子でマンティスに訊いた。 「どうする?シルミスの爺だぜ」 マンティスは考え込みながら言った。 「確かに想定外だが・・・まぁ考えてみればあの爺も邪魔だな」 マンティスはアズらに向き直って言った。 「よし。予定変更だ。てめえら、あの爺を殺れ」 するとアズは首を振って言った。 「やなこった」 マンティスが色をなして言った。 「なに!?てめえ、俺の命令がきけねえってのか!」 アズはマンティスを挑戦的に見て言った。 「首領に命じられたのはハセフだ。爺じゃねえ。それに爺をやっつけたところでどんな自慢になる?逆に後味が悪いだけだ。俺は御免だね」 アズはハセフと本気に近い闘いをせざるをえないと覚悟を決めていたのだが予想に反してシルミスが現れたので暗殺を断る絶好の口実ができたと内心ほっとしていた。 その時、町入り口のほうで喚声が沸き起こった。ガンポが顔色を変えた。 「陽動作戦が始まった!」 マンティスがアズの襟を掴んで言った。 「俺は幹部だ。首領の命令と同じだと思え!」 アズは邪険にその手を振り払って言った。 「そんなことが通るか。だったらあんたは首領と立場が同じってことじゃないか。さっきの言葉を首領の前で言えるか?」 「くっ。このガキ!」 二人が睨みあっていると物陰から通りを見ていたボラが振り返って言った。 「マンティスの兄貴!争っている場合じゃねえですぜ。あいつら、引き返そうとしている」 マンティスが急いで物陰から見ると確かに巡回隊は引き返す素振りを見せている。マンティスがアズに悔しげに言った。 「てめえ!憶えていろよ!」 マンティスらはアズとサスケを残して物陰から通りに躍り出た。
二人の町人が不安げにシルミスを見た。二人はまだ幼く見えた。恐らく歳は十五、六といったところだろう。シルミスは彼らに頷いて言った。 「向こうで何かあったらしい。急いで戻ろう」 三人が踵を返そうとした時シルミスははっとなった。気配が音もなくこちらに近づいてくる。後方に松明の灯りを向けようとした。 だがその時、手に衝撃があり松明が四散した。すぐ少年の松明にも同じことが起こった。シルミスは愕然となった。 飛礫だ!少年らは訝しげに落ちて四散した松明を見下ろしている。まだ事態に気づいていないようだ。シルミスは殺気が近づいてくるのを感じて二人に注意した。 「気をつけろ!賊だ!」 少年らはえっ?という表情をした。その時には黒い風が音もなくやってきて三人を包囲した。通りの向こうに設置されている、かがり火の明かりがかろうじてここまで届く。 シルミスは周囲に目を走らせながら思った。四人か。その頃になってようやく少年らも異変に気づいたようだ。 身を硬くして包囲する影を見ている。シルミスは素早く形勢を見た。四対三。数の上ではやや不利。 だが闘いようでは撃退できないこともない。いや駄目だ。賊の内の二人。殺気の量が濃い。一人二人、殺したくらいではこの量の殺気は纏えない。 残りの二人はさっきの二人よりもぐっと格が落ちるがいざとなったら人殺しも厭わない面構えに見える。 戦えば少年二人の命が危ない。ここは戦わずなんとか逃げる手だ。幸いなことにシルミスらはちょうど家屋の塀を背にしていた。 背後からの攻撃はない。そして包囲した右端の賊と家の塀に人一人が通れる空間ができていた。そこだな。シルミスが少年らに囁いた。 「いいか。お前達。わしが合図したら右側の隙間から走り抜けて本部に行け。その間こいつらはわしが足止めする」 「たった一人で四人を相手にする気ですか!?」 「心配するな。辺りは暗いし土地勘もある。闘いようはあるということだ」 シルミスは少年らをかばうように前に出た。それを見たマンティスがからかった。 「おうおう、爺さん。ガキを守ろうって気かい。泣けるねぇ。そいつらが孫に思えたか」 賊は優勢だと油断している。その証拠に手強い二人が左側に固まっている。右側はチンピラだ。シルミスはいきなりマンティスらに仕掛ける気配を見せた。 意表を突かれたマンティスらが急いで身構える。だがそれは牽制だ。狙いは右側の二人。途中で素早く方向転換した。そして右側に走って二人同時に突き倒した。 「今だ!行け!」 少年らは脱兎のごとく走り出した。それにシルミスも続く。賊の反応も早かった。 「あ!?待て!」 すぐに後を追ってきた。このままでは追いつかれる。それは予めわかっていたことなのでわざと足を緩めた。 手強い二人の、背の低いのとの距離がちじまった。間合いに入る。今だ!いきなり後ろ蹴りを後方に放った。 「うおっ!?」 だがその男の反応も早かった。間一髪かわされた。これで賊は警戒して簡単に追ってこられなくなったはず。だがそれは甘かった。 「どけっ!オスラ!」 体勢を崩した小柄な男を飛び越えて長身の男が斬りかかった。手に持った得物が夜の闇にきらりと光った。 なんだ!?頭上から振り下ろされたものを見てなんとかかわした。シルミスは慄然となった。鎌だ。この男、鎌を武器に使うのか。 すると突き飛ばされたチンピラ二人がようやく立ち上がって言った。 「へへへ。爺。マンティスの兄貴の鎌からは逃げられやしねぇぜ」 するとマンティスと呼ばれた男が後方の二人を叱った。 「何をぼけっとしていやがる。逃げたガキを追え。応援を呼ばれちまうだろうが」 手下の二人が慌てて後を追おうとしたのでシルミスはその前に立ち塞がろうとした。だがマンティスとオスラが先にシルミスの行く手を塞いだ。 「あんたの相手は俺達だよ。爺さん」 手下がその隙に夜の闇に消えていった。
「あんたが手強いのは知っている。だから二人がかりでやらせてもらうぜ」 マンティスが腰の後ろからもう一丁、鎌を取り出した。オスラが少し後方に下がってベストの内側に手を入れた。アズらはもう知っているがそこには鉄針が仕込まれている。 「そりゃあ!いくぜ!」 マンティスが鎌を振るってきた。この時シルミスはオスラが気になっていた。二人がかりでやると言ったのにオスラは服の内側に手を入れたまま動かない。 何かを企んでいる。だがマンティスの鎌に集中しなければならない。マンティスは二つの鎌を巧みに使い分けた。 上下、左右から同時に襲ってきた。シルミスはかわしたり両手で鎌の柄を弾きながら反撃の機会をうかがった。 鋭いがなんとか見切れる。攻撃は連続して襲ってくる。しかも速い。シルミスは攻撃の切れ目を辛抱強く待った。 やがて攻撃に迷いが見て取れるようになった。恐らくマンティスはこのまま続けても効果がないと一旦、引く気になったのだろう。 その時が攻勢に出る時だ。そして予想通り少ししてマンティスは攻撃を止めて少し身を退いた。今だ! 攻勢に出ようとした。するとマンティスが上空に軽く鎌を放った。シルミスはその行動に呆気に取られた。 なぜ鎌を上に放る?二つの武器を操るより一つのほうがいいと思ったのか?訝って上を見ていると後方、いや上を見ているので前方か。 そこから猛烈な殺気が突っ込んできた。なんだ!?考えるより体が勝手に動いた。後方に倒れこむように身を押し倒した。 すぐ上を何か鋭いものが通過する。背が地につくとすぐ片膝ついて前を見た。オスラが腕を突き出していた。 そうか。鎌を上に放ったのは陽動。鎌に目を奪われる隙に飛礫を放つ二段攻撃。シルミスの背筋に戦慄が走った。 連携攻撃の失敗にマンティスは舌打ちした。だがすぐ気を取り直して襲ってきた。マンティス越しにオスラを見れば再び投擲体勢に入っている。 マンティスに集中していられない。集中した途端オスラの鉄針が襲ってくる。広場で戦うのは不利。遮蔽物を探さねば。 幸い周囲には塀や家屋の陰など隠れる場所には事欠かなかった。シルミスはその陰に飛び込んだ。 もちろんマンティスが追撃してくる。だがシルミスが遮蔽物陰にいるためうまく鎌を振るえない。苛立ちが募った。 それどころかシルミスが隙あらば反撃しようと狙っているのもわかった。マンティスが一旦、攻撃を止めてオスラに訊いた。 「この爺。女みてぇに隠れやがって。おい、オスラ。狙えるか?」 「駄目だ。陰に逃げ込まれちゃ飛礫は打てねえよ」 「くそっ」 マンティスは仕方なく再び物陰にいるシルミスを攻撃した。だがやはり遮蔽物が邪魔でうまく逃げられてしまう。やがて二人の苛立ちは爆発した。 「いい加減にしやがれ!冥土に送ってやるからこそこそしないで出てきやがれ!」 「苦痛がないよう、一発で仕留めてやる。出て来い!」 もちろんシルミスに姿を晒す気はない。シルミスが隠れた塀に鎌が一閃する。鎌は木造物なら大抵、両断できた。 斜めに斬られた塀が倒れてシルミスが姿を現す。マンティスはすかさず二撃目を送ろうとした。が、その時にはもうシルミスは疾走を始めていた。 するとそこにひゅんひゅんと飛んでくるものがあった。飛礫だ!シルミスは慌てて動きを止めた。物陰から出た瞬間を狙われたようだ。 物陰に引き返そうかどうか一瞬、迷った。物陰傍にはまだマンティスがいるだろう。その一瞬でマンティスが追いついた。 「そこでじっとしていやがれ!」 その時シルミスははっと気づいた。動くから隙ができるのだ。鎌をかわせば飛礫が飛んでくる。飛礫から逃れれば鎌が追ってくる。 やたら逃げ回るのは返って危険。だが動かずに対処するにはどうすればいい?その答えは・・・鎌男を盾にして飛礫を防げ! シルミスは足を止めてマンティスに向き直った。マンティスは、おっ?という意外そうな表情になった。 シルミスはやや焦った。早く攻撃してこい。攻撃してくれば敵に隙ができて捕獲しやすくなる。こちらから攻撃すれば敵は防御して捕獲に手間取る。 早く来い!早くしないと飛礫が襲ってくる。マンティスが吼えた。 「あの世に行く覚悟ができやがったか、爺!」 こちからから見て右手、上段から鎌が襲ってきた。それを避けるのと同時に相手の背に回る。そして左鎌を抑えた。 「こ、このぉ!」 相手が右鎌を上げた。すぐにその手首も抑える。後ろから体を密着させて振り解けないようにした。オスラが苛突いた声で言った。 「なにをしている!どけっ、マンティス!そこにいちゃ狙えねえだろうが!」 「どこうにもこうにも。爺に押さえられてて動けねえ」
その頃アズとサスケは物陰から動かず戦いを見ていた。そしてシルミスの取った戦法に感心した。 「あのシルミスって爺さん。闘い慣れしているな。二人相手にうまく闘っている」 「おめえでもやっつけられないか?」 「そりゃ、やってみないとわからないけどかなり手こずるのは確かだよ」 マンティスはなんとか振り解こうとするがシルミスもうまくそれに対応して離れない。オスラもマンティスの後ろから覗くシルミスの体を狙おうとした。 だがシルミスがいち早くそれを察知して体をマンティスの陰に隠す。シルミスは暴れるマンティスを制していてふと思った。 このままオスラのところまでマンティスを押していき瞬間攻撃で二人を倒せないか?状況を観察した。 オスラは戸惑っているしマンティスは苛立って平静の力は出せないでいる。いける。シルミスはさらに重心を落としてマンティスを押した。 「なにしやがる!?」 マンティスは前につんのめりそうになるがシルミスが後ろからうまくバランスをとって前方に走らせる。やがてマンティスはシルミスの意図を察して言った。 「オスラ、そこから動け!」 「えっ?なんだよ、どういうことだよ?」 「だから動けって!」 そして二人がもつれながら後もう少しでオスラに到達しようという時だった。いきなり声がかかった。 「そこまでだ、爺!」 シルミスがはっとなって後方を見ると少年二人を捕らえた賊の手下がいた。
マンティスは愕然となったシルミスを乱暴に振り解くとガンポとボラに言った。 「よくやったぞ。てめえら」 オスラもマンティスの傍に来ると手下に言った。 「ようし。てめえら、絶対そいつらを放すんじゃねえぞ」 マンティスが邪悪な笑みを浮かべてシルミスを見た。 「これで形勢逆転だなぁ。爺さんよ」 シルミスは無念そうに唸った。二人を人質にとられてしまった。これで攻撃はできなくなった。オスラが鉄針を舐めて言った。 「爺さん。避けてもいいんだぜぇ。ただしそっちからの攻撃はなしだ。もし少しでもおかしな動きをしたら・・・」 オスラが手下に目を向けた。手下は頷いてナイフを少年の喉に近づけた。少年らが怯える。シルミスが慌てて言った。 「待て!わかった。手向かいはせん」 マンティスが町の入り口のほうに目を向けた。仲間の喚声が聞こえる。だが後もう少しで引き上げる。早くシルミスを始末せねばならなかった。 「そりゃあ!いくぜ、爺!」 マンティスが鎌を振るった。シルミスが後退する。そこにオスラが目にも止まらぬ早業で飛礫を撃った。 シルミスはさっと体を伏せてかわした。そこにマンティスが猛然と走り寄った。そしてその背に鎌を突きたてようとする。 シルミスは体を横転させてかわした。マンティスが執拗に追撃してくる。起き上がりたくても起き上がれなかった。 また、そう出来たとしてもすかさずオスラの飛礫が襲ってくるだろう。シルミスは体を横転させ続けるしかなかった。 「そら!そら!いつまで寝そべっている気だよ、爺!」 シルミスは溜まらずまたマンティスに組み付いて盾にしようとした。その瞬間マンティスが言った。 「ガキが傷つくぜぇ!」 シルミスがはっとなって動きを止めた。それをマンティスは見逃さなかった。鎌が振り下ろされる。 「ううっ!?」 避けるのがワンテンポ遅れた。そのせいで左腕を斬られた。だが距離を取って立ち上がることが出来た。 すぐ傷口を検める。浅手だ。だがいつの間にか肩口にも鉄針が刺さっていた。これは抜けない。抜けば傷口から出血する。少年らがそれを見て悲鳴を上げた。 「ああっ!?シルミスさん!」 少し離れた物陰ではサスケがアズに怒りを押し殺して言った。 「あいつら、汚さすぎるぜ!爺さん相手に人質まで取りやがって。もう俺っちは見ていられねえよ!」 アズも顔を歪めて頷いた。だがここに介入すれば盗賊のさらなる怒りを買いガビから話を訊き出すどころではなくなる。 追放ならまだいい。制裁。いや処刑される。アズは苦しげに拳を握った。シルミスが歯を食いしばって片膝ついた体勢になった。 体勢を低くすれば鎌男は振るいづらい。飛礫男も狙いづらかろう。だがこのままではやられる一方だ。なんとかせねば。 「いい加減にくたばりな!」 マンティスの攻撃が再開された。 「もう時間はねぇ。今度、動いたらガキを殺すぜ!」 シルミスは蒼白になって動けなくなった。鎌が振り下ろされた。その時だった。 「爺さん、避けろ!」 その声にシルミスは無意識に鎌をかわした。マンティスは激怒して手下に命じようとした。 「今度、避けたらガキを殺すと言ったはずだ!おい、てめえら・・・あっ!?」 マンティスが手下を見ると二人はいつの間にか地に倒れていた。そしてその傍にはアズが立っていた。 マンティスの顔がこれ以上ないくらに怒りで朱に染まった。 「てめえ!どういうつもりだ!」 アズは天を仰いで呟いた。 「あ〜あ。とうとうやっちまった。これでガビから話を聞けなくなったな」 「裏切りやがったな!」 その時オスラがアズに鉄針を投げようとした。だがその前に鉄針が何かに弾き飛ばされた。はっとなって後方を見るとサスケが小石を弄んでいた。サスケが笑ってアズに言った。 「仕方あるめえよ。俺達に黙って見ていることはできなかったんだ」 「だな」 アズも笑い返した。
アズがマンティスと、サスケがオスラと対峙した。シルミスは眉をひそめてこの対峙を見守った。どういうことだ? 賊同士で闘っている。仲間割れか?マンティスがアズに憎憎しげに言った。 「やっぱりな。やっぱりてめえとはいつかやるだろうとは思っていたんだ」 「俺もだ。あんたみたいな殺人狂とは嘘でも一緒にいられない」 「安心しな。てめえは今日限りで俺ともこの世ともオサラバできる」 マンティスが襲い掛かってきた。二人から少し離れたところではサスケとオスラがぱっと離れて距離を取り互いに投擲姿勢になる。 マンティスが猛然と鎌を上下左右に振ってきた。だがアズは余裕を持ってそれをかわした。一度、対戦してその速度、鋭さ、軌道を知っている。 今夜さらにまたその闘いようを観察した。マンティスの手の内は把握した。そしてその観察、研究からアズはシルミスと同じ闘い方が最も効果的だと結論を出した。 鎌が縦横無尽に振られる。速くて鋭い。だがもう見切った。勝機はその攻撃が途切れた時だ。アズは身軽に体を沈めたり開いたり退いたりしてかわし続けた。 そしてその時がやってきた。マンティスの無呼吸攻撃が不意に途切れた。疲れたか一息つくためか。 どちらでもいい。いくぞ!すかさずアズの足刀が伸びてマンティスの右鎌を跳ね飛ばした。 「チッ!」 マンティスは舌打ちして後退した。そして右手首を擦りながら怒りの形相をアズに向けた。 「貴様〜〜〜!」 サスケはオスラと十メートルほどの距離を置いて対峙していた。既に数発、打ち合っている。オスラの放った鉄針が一直線に襲ってくる。 サスケはそれを身を横に倒してかわしながら飛礫を放つ。オスラもそれをのけぞってかわした。サスケが右手に走った。オスラもそれに合わせて並走する。 二人は走りながら飛礫を撃ち合った。オスラの外れた鉄針は家屋にぶすぶすと突き刺さりサスケの小石は薄板を突き破ったり跳ね返ったりする。 二人は同時に物陰に入った。サスケがそうっと家屋の角から顔を出した。途端に風を感じてすぐ前の壁に鉄針が刺さった。 サスケは慌てて顔を引っ込めた。どうやら飛礫技は向こうのほうが上、というか武器の差が出ている。 鉄針は空気抵抗が少ないため速度が出る。また鉄の重みと尖った先端で殺傷能力が高い。対してサスケの場合、相手を殺すことまでは考えておらずあくまでも自衛の技だった。 だから飛礫に使用する物は小石など軽いものでもよく相手を一時的に戦闘不能にすれば良かった。 だがまさか飛礫の遣い手同士の闘いになるとは夢にも思っていなかった。そして飛礫の威力を考えるとこちらのほうが著しく不利だった。 「どうすべっか・・・」 考えていてふと不審を感じた。あれから攻撃が来ていない。サスケはそうっと角から顔を覗かせた。 すると道を挟んだ、左斜め三軒ほど離れたところに潜んでいたオスラの姿が見えない。 「どっ、どこ行きやがった!?」 その時、彼の頭上を影が覆った。 「ここだ、バカ!」 愕然と見上げるとオスラが屋根から両手に鉄針を持って落下してきた。 「うわっ!?」 サスケは咄嗟に通りに飛んで難を逃れた。そして地で一回転して起き上がるとすぐさま飛礫を後方に放った。 オスラはそれを予期していなかったらしく慌てて身を沈めてかわした。サスケは通りを横切りながら続けて飛礫を放つ。 オスラもそれをかわしつつ鉄針を放つ。サスケは板塀の陰に飛び込むようにして入ると重い溜息をついた。 「こりゃあ、命がいくつあっても足りねぇ」
アズはにやっと笑って言った。 「もうあんたの鎌は見切ったぜ、マンティス」 マンティスはそれを聞いてさらに怒るかと思われた。だが逆に笑みを浮かべたではないか。 「見切っただと?面白ぇ」 マンティスは腰の後ろに手を回した。その仕草にはっとなった。初めて盗賊のアジトに連れていかれた時マンティスと腕試しを行った。 最初はマンティスの猛攻にたじたじだったが一矢報いた。それで激昂するかと思われたが逆にマンティスは冷静になり同じように腰に手を回した。 その時ガビは急いで腕試しの終了を告げた。マンティスが本気になるのを止めるように。アズには不審が残った。 あの時マンティスは何をしようとしたのか。あの時と同じ動作をしている。マンティスが腰の後ろから取り出したのは丈夫そうな長い鎖だった。 アズが訝しげに見ているとマンティスは鎌の柄にそれを取り付けた。鎖の一方の端には拳大の鉄球があった。 マンティスは左手に鎌、右手で鎖で繋がった鉄球を回し始めた。そしてマンティスは頃合を見計らって鉄球を放った。 「そうりゃ、行くぜ!」 それはしゃーっと蛇のように鳴いてアズめがけて飛んできた。驚いてかわすとその後ろにあった戸板がぶち壊された。 マンティスが手首を返すと鎖が戻った。そしてまた鉄球を回す。 「へへへ。どうだ?これが俺様の本当の武器の形よ。鎌だけならば手加減はできる。だが鉄球のほうをくらったら間違いなくお陀仏だ」 アズは慄然となったが顔には出さず言った。 「へぇ。そいつは面白そうだ」 「そうだろ!もっともっと楽しくなるぜぇ!」 マンティスが走って鎖を放った。槍のように突っ込んできた鉄球をなんとかかわす。その間にマンティスは距離を詰めて間合いに入った。 すかさず鎌を振るう。身を右横に飛んで避けた。だがその時、左腕になにか巻きついた。鎖だ。いきなりそれに引っ張られた。 たたらを踏んだ。急いで鎖を解こうとした。その時、正面に殺気を感じた。鎖が首に向かって水平に走ってきた。 絶妙のタイミングだ。のけぞってかわそうにも鎖に引っ張られてそれが出来ない。だったら!瞬時に決断した。 アズは逃げず逆にマンティスの懐に踏み込んだのだ。右拳でどてっ腹を突こうとした。だがまたしても鎖を引かれバランスが崩れた。 今度はマンティスのほうから離れた。二人はまた睨みあった。明らかにマンティスのほうが優勢だった。
隠れた板塀に鉄針が当たった。外から突き刺さったそれは反対側から半分以上、頭を覗かせた。サスケはそれを見て血の気が引いた。 凄い貫通力だ。これが当たったら間違いなく命はねぇ・・・。サスケも板塀陰から僅かに身を乗り出して飛礫を放った。 オスラは対面の家の門の陰に隠れている。だが飛礫は門に当たって虚しく跳ね返っただけだ。飛礫技の腕はほぼ互角。 このまま続ければ両者とも同じ確率で傷を負う。だが武器の威力が違う。同時に傷を負っても死んでいるのは自分かもしれない。 分が悪い。何か手を考えないと。そうしている間にも板塀を完全に貫通しそうな勢いで鉄針がぶすぶすとこちら側まで頭を覗かせる。 押されていた。サスケに恐怖心が芽生えたからだ。このままじゃいけない、このままじゃ・・・。必死に考えた。 自慢の飛礫技だが何か他に手を考えなければ生き残れない。サスケは少し自棄になって飛礫を連続して放った。 だがやはりオスラが隠れた門は崩せない。オスラの声が聞こえた。 「わははは!どうした、どうした!ちっとも当たらないぞ。飛礫ってのはなぁ。こうやるんだよ!」 その時、鉄針が目の前の板塀を貫通して駆け抜けた。サスケは仰天して悲鳴を発した。 「うわっ!?」 「おや、当たったのかな?だが念のためもう何発か・・・」 オスラはまだ全力じゃなかったのか!?本腰を入れた鉄針は板塀を次々に完全貫通した。板塀がまったく遮蔽物として役に立たない。 そうなるとここに留まっているのは危険だ。急いで動こうとした。だがはっとなって止まった。オスラは耳を済ませてこちらが塀から出るのをじっと待っている。 出たらここぞとばかりに鉄針を放つだろう。ここは恐怖に耐えるしかない。尻のすぐ後ろを鉄針が駆け抜けていった。 危ない。後もうちょっとで尻にもう一つ穴が開くところだった。一体オスラは鉄針を何本、持っているのか。 オスラのベストを思い浮かべた。ふと首をかしげた。もう互いに二十数発は撃ち合っただろう。オスラは小柄のためベストも小さい。 そのためそんなに多くの鉄針は仕込めないはず。そして今オスラの攻撃は最初の頃と比べて散発になっている。 ひょっとして残弾が心細くなってきたんで大事に使っているのか?その時、首をすくめた。また頭上を鉄針が走り抜けたのだ。 残弾を確かめる術はない。だがこの読みが当たっているのなら勝機はこっちにある。サスケは賭けに出ることにした。 板塀から身を乗り出すと連続して飛礫を放った。オスラが門の陰から嘲笑う。 「ケッ。通用しねえってのがまだわからねえのかよ」 すると程なくしてサスケの蒼白になった声が聞こえた。 「やべぇ!?弾がなくなった!」 サスケが板塀陰から走り出た。 「逃がすかあっ!」 オスラが目にも止まらぬ早業で鉄針を放つ。サスケは冷や汗をかきながら全力で走った。鋭い光がいくつも襲ってくる。 「ひええええっ!?」 ジグザグに走って的を絞らせないようにした。何度も鉄針が体のすぐ傍を駆け抜ける。通りを横切り、なんとか向こうの横道に逃げ込んだ。 そしてその先がどうなっているかも考えず走った。曲がり角にぶち当たれば瞬時に行き先をカンで決めた。 そしてどのくらい走っただろうか。必死だったので長く感じられたが恐らくまだ少ししか経っていないのだろう。 そして次に見えた光景に愕然となった。行き止まりだ!蒼白になって急いで引き返そうとした。だが元来た道を見た時、震え上がった。 少し遠くからゆっくりと人影が近づいてくる。もちろんそれはオスラ以外にありえない。オスラの容貌がはっきりしてきた。 動作はゆっくりだがその目はギラギラしていた。まるで獲物を追い詰めた肉食獣のような顔付きだ。 「もう逃がさねえぜ・・・」 オスラが薄笑いを浮かべてベストの内側に手を入れた。だが眉根が寄って手が止まった。サスケは賭けに勝ったことがわかった。 「へへへ。どうやらおめえも弾切れみてえだな。だが俺の得物は弾切れになってもすぐ補給できる!」 路傍の小石を拾おうとした。その時、邪悪な光が突っ込んできた。 「なにっ!?」 左肩に微かな衝撃がありそこが鉄針で縫い付けられていた。幸い貫通したのは服だけで体に傷はない。 だがよほど深く刺さっているのか動けなかった。前を見るとオスラが満面の笑みを浮かべていた。 「弾切れを狙ったみてえだが残念だったな。もしもの時のため俺の足首には一本づつ予備があるのよ。 今、一本使った。最後の一本になっちまったが一本あれば充分だ」 オスラが投擲姿勢に入った。 「死ねっ!」 オスラが投げるのと同時サスケが両腕を高々と上げた。 「なにっ!?」 サスケは滑り落ちるようにシャツから抜け出ると足元の小石を拾って投げた。オスラの額から血がぱっと上がった。 「て、てめえ・・・」 オスラは顔面を血に染めながら倒れた。
アズとマンティスは一本の鎖で繋がっていた。二人は睨み合って互いの隙をうかがう。その時アズが攻勢の気配をみせた。 するとマンティスがすかさず鎖を引っ張ってアズのバランスを崩そうとする。だがアズも負けてはいない。 引っ張られる力を利用してダッシュしマンティスの懐に入ろうとした。そして後一歩で間合いに入ろうとした時、鎌が水平に振られてきた。 アズは慌てて身を沈めてそれをかわす。そこにマンティスの前蹴りが来た。喧嘩殺法の蹴りだが実戦で鍛えてあるようで威力がありそうだ。 アズは腕を交差させてそれをブロックすると立ち上がりざまに右上段回し蹴りをぶち込もうとした。だが鎌のきらめきを見て慌てて足を引っ込めた。 うかつに蹴りをだせば鎌に迎撃される。足を下ろした時マンティスがのしかかるように迫ってきた。鎌の動きを警戒した。 だが襲ってきたのはもう一方の手だった。マンティスは鎖をアズの首に何回も巻きつけて絞め殺そうとしてきた。 さらにアズの体を自分に引きつけて鎖を引っ張り気管を圧迫する。マンティスの胸元に背中をつけた格好でアズは喘いだ。 その時視界、左隅で鎌が動くのが見えた。動けなくしておいて首を掻っ切る気か。アズは右手で鎖を押さえつつ左手でマンティスの鎌を持つ手首を押さえた。 二人は揉み合いになりあちこちの壁にぶつかっていった。その時、壁にマンティスの右肘が当たって僅かに鎖が緩んだ。 アズはその機を逃さず首から鎖を抜き取りマンティスの懐から脱出した。そして距離を取って再び向かい合う。 二人とも汗びっしょりだった。マンティスが少し喘ぎながら言った。 「しぶてぇ野郎だ・・・」 「あんたもな・・・」 アズは考えた。この左手に絡まった鎖が本来の動きを封じている。また突くのも蹴るのも鎖から気配が伝わってバランスを崩される。 この鎖をなんとかしなければ。外せないのならば片方の腕の突きか蹴りで攻撃するしかない。だがそれは相手にもわかっていることだ。 鎌で迎撃しようと待ち構えている。この鎖で繋がった闘法はマンティスに一日の長がある。このままでは不利だ。アズが打開策を考えているとマンティスが言った。 「ふう。ようやく息が整ったぜ。まぁてめえもよく頑張ったよ。だが次で終わらせてやるよ」 アズが何をやる気だ?と身構えているとマンティスはいきなりアズの周囲を走り出した。なんだ?どいうことだ? アズの周囲を走るマンティスは身を低くしてまるで狼のように疾走している。速度はどんどん増していって残像が残るほど速くなった。 やがてアズの周囲に一つの輪が出来上がった。だがいくら速く周囲を走ったって一体なんになる? 奴の狙いがわからない。戸惑って見ていてはっと気づいた。鎖が見る見る間に体に巻きついていく。 しまった!奴の狙いはこれか!その間にも鎖はアズの両腕を封じるかのように幾重にも巻きつけられていく。 駄目だ。もう解けない。肉に鎖が食い込み激痛が走る。急いで筋肉に力を入れて圧迫する鎖に耐えた。 それから少ししてマンティスは竜巻のように周囲を走っていた足を徐々に緩めていった。その頃にはアズは鎖でまったく身動きが取れない状態になっていた。 マンティスが額の汗を拭って笑った。 「どうだ。動けねぇだろう」 そして片手に残った鎌を上げると猛然と襲い掛かってきた。両腕はきかないが足は動く。上段からの一撃を横に動いてなんとかかわした。 すかさず鎌が水平に振られる。それを飛びのいてかわした。マンティスが追撃した。鎌を左右から連続して振ってくる。 アズは後退してかわすことしかできない。いつまでもこうしてはいられない。門や壁を盾に、いや両腕が使えない今、窮屈な場所に行くのはもっと危険だ。 広い場所で避け続けるしかない。その時かかとが小石を踏んだ。しまった!?倒れて尻餅をついた。 「もらったぁぁぁっ!」 鎌が上から落ちてきた。地を転がって避けた。マンティスが追撃する。 「くそっ。本当にしぶてぇ野郎だ。だが逃がさんっ」 アズとマンティスの闘いを見ている人間が三人いた。シルミスと少年らである。彼らは逃げるタイミングを逸したのもあるが闘いの凄まじさに目を奪われていた。 少年の一人がアズを見て言った。 「あの人、このままじゃ殺されちゃうよ」 もう一人がシルミスを見上げて言った。 「シルミスさん。なんとかなりませんか?盗賊の仲間かと思ったけど俺達を助けてくれた」 シルミスは眉根を寄せて闘いを見ていた。確かに彼らが来てくれなかったら自分達の命はなかった。 命の恩人といえよう。それに彼らの武術はなんだ。実践的で完成されている。まさか自分達の他にも素手の武術の研鑽を積む人間がいたとは。 彼らは善良そうだ。これに生き延びられたらぜひ武術談義もしてみたい。こんな時ではあったが彼はそう思った。 だがすぐ当初の問題に意識を戻した。盗賊に敵対している以上、彼らは味方なのだ。助けねばならない。シルミスは意を決して少年らに言った。 「お前達。決してここを動くな。まだどこかに賊が跋扈しているかもしれん」 肩の状態を見た。さっき刺さった鉄針は既に抜かれていて応急処置がされてある。肩を軽く回す。痛みは走るが十分に動く。 無理をしなければ大丈夫だ。シルミスは機を見て走った。そしてマンティスとアズの間に割って入る。驚くアズに言った。 「こやつはわしが引き受ける。その間に鎖をあやつらに解いてもらってくれ」 アズの戸惑った時間は短かった。頷いて少年達のほうに走った。マンティスがそうはさせじと追う。だがその前にシルミスが立ちはだかった。マンティスが激怒した。 「爺!どうしても寿命を短くしてえようだな!」 「さっきは二人がかりで子供達を人質に取られていた。傷も負った。だが今は一対一。尋常に勝負せい」 「タイマンなら勝てるってかぁ?舐めんな!」 マンティスは猛然と襲い掛かった。アズが少年らの元に着くと少年達は早速、鎖を解きに掛かった。 急いで鎖の端を探す。鎖はアズの体に幾重にもきつく巻きつけられている。どこに端があるのかわからなかった。 アズは少年達を急かした。二人は焦ってアズの正面と後ろに回って端を探すものの、中々見つからない。 アズは闘いに目を向けた。やはりというかシルミスは劣勢になっていた。さきほどは経験豊富な闘い方を見せたが老齢で傷を負っている。 押されるのは仕方がない。その時、後ろに回っていた少年があっと驚いた。アズがどうしたのか訊いた。 すると鎖の端は見つかったのだが先の鉄球が他の鎖にがっちり食い込んでいるという。少年らは二人がかりで必死にそれを外そうとした。だが結果、指を痛めただけだった。 「痛っ!?」 苦痛の声に目を向ければシルミスが胸を押さえている。斬られたのか!?アズが愕然となって見ているとシルミスが手をどけた。 服が大きく裂かれていて微かに見える素肌に血の線が走っていた。シルミスの息も荒くなっている。 このままでは危ない。シルミスが殺られれば次は自分達の番だ。上半身をきつく縛られ鎖は繋がったままだ。 逃げ回ってもそれは時間の問題だろう。くそ!閃光拳を打てないまま殺られるのか!足が自由なので新技、閃光脚という手も考えた。 だがすぐ駄目だとわかった。閃光脚は宙に飛ぶことで意表をつく技だがその驚愕は長い時間、続かない。 技の途中で鎖を引っ張られればバランスを崩されれば落下する。悪くすれば落下のダメージまで負う。 成功すまい。両必殺技が封じられてさすがに暗然となった。だがやがてふと思いついた。縛めはあるが呼吸はできる。 また鎖を巻きつけられる途中で咄嗟に筋肉を張った。そのため胸は圧迫されず呼吸は楽にできる。 つまり自然の力を体内に取り込むことが出来るということだ。天地自然神海呼吸法は閃光拳の基だ。 これによって莫大な力が溜められ閃光パワーに転換されて威力のある攻撃が打てるようになる。だが今回はこの力を拳足ではなく鎖をを引きちぎる力に応用するつもりだ。 イメージとしてはこうだ。閃光拳の要領で自然の力を下半身から上半身に上げる。ここまではいつもと同じだ。 そして上半身に上がった力を腕に流さずここで止める。自然の力は行き場を失ってどんどん溜まる。 そこですかさず閃光パワーに変換して放つのだ。うまくいけば鎖を吹っ飛ばせる。シルミスを見た。なんとか頑張ってくれている。まだ時間はありそうだ。 アズはなおも鎖を外そうとしている少年達に離れるよう言った。少年達は困惑したが諭すように言うと躊躇いながらも離れた。 少年達が充分、離れたのを見て術を開始した。目を閉じて静かな呼吸に集中する。心と体が隅々まで清らかになっていき同時に力が天と地から降りてくる。 それをイメージの中で融合させた。瞼の裏でまるで太陽でも出現したかのような光が生じた。穏やかな恍惚感の中で認識した。 完全なる力。心身の統一。自然との一体化。準備ができた。目を開いて闘いを見た。激しく鎌を振られシルミスは壁際まで追い詰められている。 「シルミスさん!もういい。そいつから離れてくれ」 シルミスが訝しげにアズを見た。アズは未だ封じられたままなのになぜそう言ったのか。不可解だったのだろう。 だがアズの目を見て考えを変えたようだ。まるで目から強い力が溢れ出ているように光っている。何かが彼の中で起こった。 何か大きなものが彼に舞い降りた。彼に任せてみよう。一方のマンティスはそんなアズの変化にも気づかず嘲るように言った。 「爺がピンチなんで選手交代ってかぁ?いいだろう。てめえから先にあの世に送ってやる」 アズは急いでシルミスに言った。 「シルミスさん。あいつらと一緒にできるだけ離れるか塀の陰に隠れてくれ。急いで!」 シルミスらは訝ったがとにかく物陰に移動した。その時マンティスが喚きながらアズに駆け寄ってきた。 「その状態で何ができるっていうんだよぉぉぉ!」 アズはマンティスとの距離を測った。まだだ。まだ遠い。とにかくなるべく近づけなくては。やがてマンティスの間合いに入ろうかという距離になった。 鎌が振り上げられる。よし、ここだ、行くぞ!強く地を踏んだ。途端に大地の力が跳ね返ってくる。その力を足から腰、背中、そして胸まで持ってくる。 そしてそこで止めた。自然の力がどんどん溜まっていく。アズが超感覚で見た光景は胸が光で今にもはちきれんばかりに膨らんでいた。 も、もう限界だ!すかさず自然の力を閃光パワーに変換して開放した。行っけぇぇぇっ!上半身が爆発したように感じた。 衝撃波が大津波となって周囲を薙ぎ倒すイメージが湧き起こった。力が大地を揺るがし天空に届いた。 アズは開放感で恍惚としていた。そしてどのくらいそうしていただろうか。ふと目を開けた。三メートルほど先に血だるまの男が仰向けに倒れていた。 マンティスだ。彼はもうぴくりとも動かなかった。自分の体を見下ろすと鎖はどこにもなかった。周囲に鎖の破片が散乱している。 家屋の塀に鎖の破片が刺さっているものもあった。周囲を見回した。 「シルミスさん。無事か?」 すると少しして三軒ほど先の家の塀陰から三人がよろよろと出てきた。呆然となっている。 「急に地震が・・・いや違うな。一体、何が・・・」 その目が血だるまの男に注がれて絶句する。シルミスはアズに目を戻して訊いた。 「何をした?鎖はどうやって外した?」 アズは頭を掻いた。 「まぁ・・奥の手ってやつさ」 その時、後方からよろよろとこちらに向かってくる影があった。 「アズ〜〜〜」 アズはほっとして呟いた。 「あいつのほうも決着がついたようだな」
サスケが鉄格子を掴んで外の通路の人間に抗議した。 「おい、ちょっと待てよ!なんで盗賊扱いなるんだよ!さっき違うって説明したろ!」 アズも不服そうにその後ろで腕を組んでいる。二人はマンティスらを倒した後シルミスらと一緒に自警団本部である集会所に行った。 そこで町に着いてからマンティスらの暗殺隊をうち倒すまでの経緯を説明したのである。だが彼らに納得した様子はなくひそしそと話をすると二人を集会場隣の町役場まで連れていき、その奥の一室に入れと脅すように命じたのだ。 言うまでもなくそこは牢屋だった。同席したシルミスだけが同情する様子を見せたが他の町人は二人を疑いの目で見ている。 シルミスらを助けたのは町に溶け込む芝居だったんじゃないか。うまく仲間になっておいて間諜の役目を果たすつもりだったのではないか。 サスケがいくら鉄格子を揺すって訴えても彼らの表情は変わらなかった。そして彼らが本部に戻るとそこに報せを聞いたイナフとハセフがやってきた。 そこで自警団幹部のロペスがアズらのことを伝えると顔色を変えた。 「武術遣いの父を追ってこの町にやってきた。そして私の噂を聞いた。だが賊と間違われて仕方なく賊と行動を共にする羽目になった・・・筋は通るな」 ロペスが首を振った。 「あなたの噂を聞いて、でっち上げ話をこしらえたんですよ。大体、武術遣いの農民なんて聞いたことがない。 農夫は常に農事で忙しい。鍛えても強くなれないとは言いませんがどうも怪しい。作り話ですよ」 イナフが眉をひそめて言った。 「しかし彼の父がこの町にやってきたという話。十数年前、賊を壊滅させた男の事実と一致する」 ロペスがまた首を振った。 「お忘れですか。彼は賊の一味です。当然、十数年前のことも首領のガビから聞いているはずです。話もそれを元に作ったんです」 イナフは次にシルミスにアズの闘いようを詳細に尋ねた。それを聞いてイナフは視線を落とした。記憶を呼び戻すように必死に考えているようだった。そして呟いた。 「少年の武術・・・あの男のものに似ているように思える」 するとまたロペスが言った。 「でもそれを見たのは十数年前の、それも真夜中の混乱の中でのことなんですよね?こう言ってはなんですがあっという間に倒されてはどういう武術か確かめる暇はなかったんじゃないでしょうか?」 イナフは言葉に詰まった。 「う、うむ。確かにそれはそうだが・・・」 ハセフがそっとロペスの助手のアントニオに囁いた。 「なんだかロペスさん。やけに強情だね?」 アントニオはロペスを気の毒そうに見て囁き返した。 「これまでの戦いで人的被害がまったくなかったわけじゃないんです。団員が何人か賊にやられています。 その中にロペスさんが特に目をかけた若い団員も含まれていたんです。ロペスさんからしたら賊と少しでも関係のあった人間は絶対、許せないんですよ」 ロペスがイナフに強く言った。 「彼らは素性が明らかになるまで釈放できません」
イナフはアズから聞いたことを丹念にメモした。町役場の牢に入れられてから早一ヶ月が過ぎようとしていた。 二人は投獄されたことに強く抗議したのだが素性が明らかにならないと釈放できないと町役人は取り合ってくれない。 イナフは二人の言を信じて町の執政に掛け合ってくれているようだが盗賊の襲撃を警戒した戒厳下にあっては中々それも通らないようだった。 イナフは仕事の合間を利用してちょくちょく二人に面会に来た。それは釈放請求に対する町の反応を二人に告げることもあったが本当の目的はアズの武術を知りたいためだった。 アズはイナフが誠実な人間だとわかったが代々伝承されてきた門外不出の武術をそう簡単に教えるわけにはいかない。 だがイナフは疑いの目が多い中でこうも親身に釈放に尽力してくれている。何か恩返しがしたくなった。 それで閃光拳の基礎的な技術だけ教えた。そして賊の襲撃が中々ないこととイナフの尽力のお陰で二人に対する町の印象は好転してきた。 二人はまだ未成年だしマンティスら幹部に大怪我を負わせた事実もある。二人が言うように盗賊の仲間ではないんじゃないか。 だったら牢に入れるのはやりすぎだ。最悪、町から追放すればいい。そういう空気に傾きつつあった。 それをイナフは二人に伝え、後もう少しで自由になれると力づけた。二人はともすると牢暮らしに飽いて牢番を倒して脱獄を図ろうと相談したこともあった。 だがイナフの言で思い留まったのである。そうして一ヶ月が過ぎた。サスケが牢内奥の小窓から外の風景をぼんやり眺めた。 「ああ。通りをネエチャンが歩いている。いいなぁ。自由で」 アズは座禅を組んでいたがそれを聞いて目を開けた。そして苦笑して言う。 「自由が羨ましいっていうより、女が見れて嬉しいんだろう?」 サスケが鼻の下を指でこすって笑った。 「へへへ。バレたか」 サスケが壁によりかかって言った。 「それにしてもいつ釈放されんのかな?イナフの爺さんが後もう少し、もう少しっていうんでもう一ヶ月もここにいるぞ」 アズが気にしたふうもなく言った。 「悪いことばかりじゃない。屋根のある部屋に寝泊りできて飯もタダ。ただずうっとこんな狭いところにるんじゃ困るけどな」 「まったくだ。これじゃあ、タダ飯に慣れちまって自然に戻れねえよ」 「自然、じゃない。娑婆に、だ」 「そうか」 二人はおかしそうに笑った。その時、通りを歩く二人組の姿が窓から目に入った。サスケは訝しげに二人を見ていたがやがてその目が大きく見開かれた。 「あっ!?あいつらは!」 アズが興味を示して窓辺に寄る。 「どうした?」 サスケが遠ざかる二人を指差して言った。 「ガンポとボラだぜ。間違いない」 マンティスらを倒した後ガンポとボラも連行しようとした。すると二人はいつの間にか消えていた。アズがはっとなって言った。 「計画ではハセフ暗殺後、町を襲撃することになっていた。だけど暗殺が失敗して町の警備が厳しくなった。 その関係で襲撃も延期された。だが一ヶ月経っても賊は襲撃してこない。町はもう襲撃はないんじゃないかと警戒を緩め始めた。 そんな時が一番、危ない。それを見越して奴らは様子を見に来たのかもしれない。再襲撃するために」 サスケが顔色を変えた。 「ってことは襲撃は近い!?」 「町の人間に知らせなくては!」 ガンポとボラは広場に入ってベンチ前に着くと背負っていた薬箱を億劫そうに下ろした。薬屋の装束は擬態であったが箱の中には疑われてもいいように本物の薬がぎっしりと詰まっている。 二人の顔は賊のアジトにいた時の抜け目が無さそうな表情とはまるで別人だった。笑みは絶やさず腰も低い。 服装もこざっぱりとした真面目そうなものでどう見ても商売人といった感じである。二人は町に入る時、町役人から戒厳下にあるので余所者は入れないと追い返されそうになった。 だがそこはあらかじめ考えてあった。二人は盗賊と聞いてさも恐ろしげな様子を見せたがすぐに同情した表情で言った。 もし町が襲撃されたら怪我人が大勢、出るかもしれない。その時、自分達は薬屋なのできっと役に立てるはず。 そう訴えるとその役人は考える様子を見せて上役に相談しに行った。そして程なくして戻ってきた役人は許可が取れたので中に入ってもいいと言ったのである。 二人は内心でほくそ笑みながら堂々と町に入った。
サスケは鉄格子を激しく揺らして通路奥に叫んだ。 「おい!誰か来てくれ!」 何度か叫んでいるとやがて牢番が迷惑そうにやってきた。サスケは窓から賊が通りを歩いていたのを見たと告げた。 また襲撃が近いとも。だが牢番は嘘だと思ったようだ。まったく取り合ってくれなかった。それでもサスケは賊の背格好を伝え、せめて尋問だけでもしてくれるよう頼んだ。 すると牢番はうんざりした様子になり、これ以上騒ぐと棒で突くと脅すように言った。サスケは呆れたようにアズを見た。 アズも溜息をつくと鉄格子まで近づいて牢番に小声で何か言った。牢番は聞き取れなかったらしく鉄格子傍まで近づいた。 その時、鉄格子の隙間から手刀が差し込まれ牢番の腹部を突いた。牢番はうっと呻くと失神して倒れそうになった。 それを素早く二人で支える。そして腰の鍵束を抜き取ると牢の錠に差し込んだ。二人は牢から出て通路を用心深く進んだ。 やがて右側に大きな窓があったのでそこから外に脱出した。通りに出るとサスケは両手を大きく広げて空気を強く吸い込んだ。 「ああ!娑婆の空気はうめぇなぁ!」 アズが苦笑してサスケの頭を小突いた。 「おかしな真似はやめろよ。みんな、見ているじゃないか」 近くを通りかかった町人が何事か、という表情で二人を見ている。まさかこの二人が今しがた脱獄したばかりなどとは夢にも思っていないだろう。 二人は通りを見回した。だが薬屋らしき影はどこにもなかった。牢で目撃した時ガンポらは南に向かっていた。なので二人もその方向に行くことにした。
その頃ガンポらは町の警備状況をあらかた見て回ったので休憩すべく安飲み屋に入っていた。室内はまだ時間が早いとあって自分達しか客はいない。 隅で二人はぼそぼそと顔を寄せ合って話をした。ガンポが不審そうに言った。 「一体あいつらはどこに行きやがったんだろうな?」 「確かに。あいつら、寝返りやがったから町の警備の仕事にでも就いているのかと思ったが影も形もありゃしねぇ」 「警備の奴らに訊くわけにもいかねえしな」 二人で酒を呑みながら話しているといきなり鐘の音が聞こえてきた。時刻を知らせるものではない。 明らかに町に異変が起こった知らせである。二人は知らなかったがそれはアズらが牢を破ったことを知らせる鐘だった。 「な!?なんだ!」 二人は驚いて腰を浮かせた。給仕の女がその音を聞きつけて奥から店内に出てきた。女が眉をひそめて呟くように言った。 「嫌ですねぇ。また何かあったんですかねぇ」 二人はまさか自分達の正体がバレたんではないかと心配になった。急いで勘定を済ませて表に出た。 捕吏が今にもやってくるのではないかと周囲を見回した。その時、右手を見たボラがあっ!?と驚いた声を上げた。 ガンポもそちらを見る。するとアズとサスケがこちらにやってくるではないか。その声に向こうも気づいたようだ。 ボラが慌てて逃げようとした。その時ガンポにぶつかって倒れた。 「この馬鹿!なにやっていやがる!」 「す、すまねぇ!」 二人は急いで立ち上がって逃げようとした。だがその時にはもうサスケがそこに到着した。 「逃がすかよっ!」 サスケがボラの腰の後ろを蹴っ飛ばして転倒させた。ガンポはそれを見たが助けようとはせず逃げ出した。 だがアズに足を払われて倒れた。二人がガンポとボラをうつ伏せにして動けなくしているとやがて警笛の音が近づいてきて自警団が姿を現した。 自警団が四人を取り囲んで言った。 「おとなしくしろ!」 アズとサスケはそ知らぬ顔で二人を前にして両手を上げた。
自警団と町役人はアズとサスケを連行して再び牢に入れた。そして町役場の居間で一息つくと口々に言った。 「牢を破るとはとんでもない奴らだ」 「逃げ出したところを見るとやっぱりあいつらの話は怪しいな」 団員らが話し合っているとそこに鐘の音を聞きつけたイナフとシルミスがやってきた。そして団員の一人から話を聞く。 聞き終えるとイナフは訝しげな表情になった。アントニオがそれに気づいて尋ねた。 「どうかしましたか、イナフさん?」 イナフは男達を見回して言った。 「皆の衆、おかしいとは思わんか。彼らは牢を破った後なぜ町から出ていかなかった?仮にすぐ捕まると危ぶんでどこかに隠れようとしていたとしよう。 だがこんな小さな町だ。すぐに見つかってしまうのは誰でもわかる」 アントニオが考える様子を見せた。 「そう言われてみれば変ですね」 「それに彼らはこれまで大人しく牢に入っていた。なのに急に脱獄した。解せん。最近の彼らに何かおかしな点はなかったか?」 団員らは困ったように顔を見合わせた。特に思い当たることはないようだ。イナフが全員を見回していた時、一人だけ挙動不審な男がいた。 目をきょろきょろさせている。確かその男は牢番のはず。イナフが牢番に優しく訊いた。 「何か思い当たったのかね?」 牢番はどこか怯えた様子で周囲をうかがっている。イナフがまた優しく尋ねた。 「彼らとは牢番の君が一番接している。なんでもいいんだ。今、気づいたことでも。我々の誰も君を責めないから言ってごらん」 すると牢番を申し訳無さそうに言った。 「すいません。てっきり嘘だと思っていたので・・・」 「彼らは君に何か言ったのだな?」 「へぇ・・・実は少し前あいつらが急に騒ぎ出しまして。なんでも窓から賊を見たとか襲撃が近いとかなんとか」 一同は驚いて言った。 「賊が!?」 イナフが自警団に訊いた。 「確か君達が彼らを見つけた時、彼らは二人の商人を取り押さえていたんだったな?」 団員の一人が頷いた。 「その商人は今どこに?もう放してしまったか」 するとロペスが言った。 「いえ。その時、商人は被害者だと思ったのですが実はシルミスさんに言われて引き止めてあります」 「なに!?」 イナフがシルミスを見ると彼はにやっと笑った。 「どこか怪しい奴らだと思ったんでね」 イナフは頷いて一同に言った。 「二人は賊を見たと言った。その後、逃げた。だが町から出ずなぜか商人を捕まえた。この事から何が導き出される?」 アントニオがすぐ言った。 「商人は賊!?」 「それをこれから確かめに行こうじゃないか」 一同は早速、商人のいる集会場の一室に向かった。商人姿のガンポとボラは大勢の男達が室内に入ってきたのを見て動揺した。 だがすぐ作り笑いを浮かべて、どうかなさいましたかと訊いた。二人は男達の中にシルミスがいるのに気づいて焦りを覚えた。 ハセフ暗殺の時に暗闇の中とはいえ自分達の顔を見られたかもしれない。いや今は商人の変装している。 変装は簡単に見破られない。大丈夫だと必死に言い聞かせた。自警団は二人に出自や仕事のことを根掘り葉掘り尋ねた。 偵察の仕事が多い二人は捕まることを想定して必ず偽の出自を作り上げる。なので困惑した演技ですらすらと答えた。 やがて質問がつきて自警団に困惑の色が広がった。怪しいところは何もないのである。だがイナフは絶対この二人とアズらとは何か関係があると主張した。 皆がどうべきか困っているとガンポとボラは優越感の笑みを浮かべて一同に言った。 「お疑いが晴れたようですね。では私どもはこれで」 引きとめようがなく見送っていた時、二人の前にシルミスが立ち塞がった。二人はどきっとして言った。 「な、なにか?」 「お主ら、どこかでわしと会ったことはないか?」 「さ、さぁ?町のどこかでお会いしたかもしれませんね」 二人がシルミスの脇を通ろうとした時シルミスがいきなり二人の腕を取った。 「なっ、なにを!?」 シルミスは無言で二人の袖をまくって腕を見る。だがそこには何もなかった。ガンポが心外だと言わんばかりに言った。 「犯罪者の刺青をお疑いで?ご覧の通りそんなものはどこにもございません」 するとシルミスは少し考えた後アントニオに濡れタオルを持ってくるように言った。それを聞いた二人の表情に初めて動揺の色が浮かんだ。 シルミスは持ってこさせたタオルで彼らの腕をごしごしと拭いた。すると肌色の塗料が取れてその下から犯罪者の刺青が出てきたではないか。一同はそれを見て色めきたった。 「こいつら、犯罪者だったのか!」 イナフが頷いて皆に言った。 「アズとサスケの言った通りこの二人は賊だろう。襲撃前の偵察に来たんだろうな」 二人の賊はその場で縛られた。それを見ていたイナフが皆に目を向けて言った。 「どうだろう。これでアズとサスケを信じて釈放してやってもいいのではないか」 男達は黙った。これまで二人を信じず犯罪者扱いした。その後ろめたいがあるのか、それともまだ疑念は完全に晴れていないと思っているのか。 だがイナフの言に同意して頷く者が少なからずいる。その時ロペスが息を吐いて言った。 「わかりました、イナフさん。彼らを信じます」 イナフが微笑んだ。自警団団長の彼の意見は大きい。他の者もやがて了承した。シルミスが賊の二人の前に立つと腕まくりして言った。 「さて。じゃあ次の襲撃がいつになるのか、どういう手で襲ってくるのか。洗いざらい喋ってもらおうか」 皆の目が二人に注がれた。
深夜の荒野を荷馬車が走っていた。四頭の馬が牽く大きなものである。御者台には人相の悪い男二人がムチを振るっていた。 またその周囲には何頭もの騎馬が荷馬車を護衛するように並走していた。やがて先に荒野を縦断する街道が見えてきた。 その向こうに街道にへばりつくようにして立つ町が見える。町が見えると騎馬の先頭で走る男が手を上げて他を止めさせた。その時、先頭の男に馬を寄せた影があった。 「首領。やっぱり中止にしやせんか。どう考えてもおかしいですぜ。アズ達が裏切り町の様子を見に行ったガンポ達も帰って来ない。ガンポとボラは捕まったと見るべきですぜ」 他の手下も懸念したように言った。 「あいつらが捕まったとなると今日の襲撃はもう知られているとみなければいけませんぜ」 ガビが強情そうに首を振った。 「あの裏切り者どもに襲撃日時は教えなかった。 ガンポとボラは大方、酒場で一杯ひっかけて帰るのが遅れているだけだろう。 俺は一度、決めたことを途中で変更するのは嫌いなんだ。計画通り行くぞ」 ガビが顎をしゃくった。すると馬を下りた、いくつかの影が迂回して町の側面や後方に回ろうとする。 ガビらはじっと町の様子を眺め続けた。深夜なので町はひっそりとしている。一ヶ月前は賊の襲撃を警戒してかがり火が各所に焚かれて明るかった。 だが今は警戒が少し緩んだようで以前よりは少なくなっていた。ガビらがじっと見ているとやがて家屋の屋根から火の手が上がった。 それは徐々に数を増やしていき町は一気に明るくなった。ガビは頷いて次に荷馬車に頷いてみせた。 すると手下が荷馬車に火を点けたではないか。荷台には大量の薪が積み上げられているようだ。荷馬車はすぐに燃え上がった。繋がれた馬が激しく嫌がった。ガビが手下に言った。 「よし。馬が耐え切れなくなる前に突っ込ませろ」 二人の手下が御者台に飛び乗るとムチを振るった。馬が狂ったように走り出した。ガビも荷馬車の後に続いて馬を走らせながら周囲の手下に言った。 「いいか、てめえら。手はず通りだ。先行隊が火をつけて町は混乱している。そこにあの火の点いた荷馬車を入り口に突っ込ませて門をぶっ壊す。 町に入った後は好きにしろ。ただしイナフ邸と自警団本部は必ず破壊しろ!」 盗賊はこれから行う暴行と略奪を期待してか歓声を上げた。先行する荷馬車はどんどん加速していった。 そして町の門まで後三十メートルというところで御者台の男達が馬の縄を切った。馬は途端に左右に分かれていく。 荷馬車は進行方向を保っていた。それを見届けると御者台の男達も飛び降りた。火の車が町の固く閉ざされた門に突っ込んでいく。ガビが叫ぶように言った。 「行けーっ!なにもかもぶっ壊しちまえーっ!」 火達磨と化した荷馬車がとうとう門に突っ込んだ。だが次の瞬間ガビが驚きに大きく目を見開いた。 「なんだと!?」 簡単に門を木っ端微塵にすると思われた馬車だが逆に門に跳ね返された。 「そんな馬鹿な!」 驚き困惑して馬を門の手前で止めているといきなり屋根の上に大勢の人影が現れた。賊がそれを見て怯んだ。屋根の一人が言った。 「盗賊ども!お前らが今夜、襲撃することはわかっていた。どうやるのかもな。だから門の内側にはびっしりと土嚢が何重にも積まれてあったのだ」 ガビが目を剥いて悔しがった。 「くそぉぉぉっ!諮られたか!」 その時、手下の一人が屋根を指差して言った。 「あっ!?あれは!」 ガビも見ると先に潜入した手下が縛られて立たされている。屋根の町人が言った。 「お前らをおびき寄せるためにわざと火を点けさせたのだ。もうこれで終わりにしてやる!」 その声が終わるや否や屋根から一斉に矢が放たれた。不意を突かれた賊が次々に射倒されていく。ガビが怒りで顔を真っ赤に染めた。 「町人どもが舐めた真似をしくさって!」 ガビが周囲の手下に命じた。 「目に物見せてやる。てめらっ、突っ込むぞ!」 馬の陰に隠れたり急いでその場から離れようとしていた手下らはそれを聞いて仰天した。 「しゅ、首領!今日は不味い!計画を逆手に取られて仲間は浮き足立っている。今夜は退いてくだせぇ!」 「馬鹿野郎!町人に舐められたんだぞ。退けるかぁ!」 その間にも闇夜を引き裂いて矢が雨あられと降り注いでくる。その時ガビの乗った馬にも矢が命中した。 馬が悲しげにいなないて横倒しになる。ガビはすぐ手下の馬の後ろに引っ張り上げられた。 「しようがねぇ。退けえっ!」 多くの手下を失った賊は悔しげに荒野に引き返していった。 自警団本部に町の警備に関係する主だった人間が集まっていた。自警団幹部のロペスはもちろん、その手足のアントニオら。 町の上級役人。イナフら三人。そしてそこにはガンポらの偵察を暴いたことにより信用を得たアズとサスケの姿もあった。 議題はこれより先の警備態勢をどうするかだった。先日、賊の裏をかいて見事襲撃を撃退した。またその少し前にはアズらの活躍でマンティスら幹部二人が大怪我を負わせられた。 その身は今も牢屋で厳重に監視されている。賊は大ダメージを負ったといっていい。そのためか楽観論が相次いだ。 「もう賊は町を襲うのを諦めざるを得んだろう」 「もう尻尾を巻いて逃げ出した後かも」 だが腕を組んで厳しい表情のままの人間もいた。イナフとシルミスだ。イナフは一同に気を引き締めるよう言った。 「私は首領のガビを知っている。一度や二度の失敗で狙うと決めた町を諦めるような男ではない」 傍らのシルミスが頷いて言った。 「この間の襲撃の際、わしもあの男の目を見た。確かにあの男は簡単に諦めるような人間ではない。どこか常軌を逸しているというか粘着質なものを持っている」 一同に不安の色が広がった。町役人が二人に訊いた。 「じゃあ奴らはまた襲ってくると?」 「その可能性は充分ある」 室内の空気が重くなった。彼らの表情にはいつまでこんな気の休まらぬ警備を続けなければならないのか、と書いてある。 襲撃を恐れて精神が緊張し続ければ町の雰囲気は暗いものとなってしまう。一体いつになったら終わってくれるのだろうか? するとその時、遠慮がちに手を上げる者がいた。皆が見るとそれはアズだった。ロペスが促すように言った。 「なにかな?皆はもう君達のことを信用している。なんでも発言してくれ」 「ありがとう。ちょっと提案させてもらいたいことがあるんだけど」 「聞こう。言ってくれ」 アズが頷いて言った。 「俺とサスケは賊のアジトを知っている。だったらこの際、襲撃を待つんじゃなくてこちらからうって出るのはどうかと思って」 皆が驚いた。 「賊のアジトを襲うのか!?」 「そんな危険な」 「逆にこっちがやられたらどうするんだ」 否定的な意見が相次いだ。だがその声をロペスが手を上げて制した。 「まぁ待ってくれ、みんな。思ったんだがな。落ち着いて考えてみるとこれはとても斬新な考えなんじゃないか?」 一同が訝しげな表情になった。ロペスが続ける。 「考えてみてくれ。俺達は今までずっと受身の考え方しかしてこなかった。賊が襲ってきたらどうするとか町を閉ざして篭城するにしても食糧をどうするかとか。 町の外に意識を向けることがまったくなかった」 一同を見回して言った。 「このままいつ来るかわからない賊の襲撃をびくびくして待つより彼の言うようにいっそのこと打って出るほうが町のためにいいと思うんだがな、俺は」 ロペスが言葉を重ねるとそれを検討する者が出てきた。アズが注意するように言った。 「もちろん賊も俺達にアジトを知られているのはわかっていると思う。だから打って出るなら早くしないといけない。じゃないとアジトを変えられてしまう」 シルミスがアズに訊いた。 「賊の数は?」 アズは考えた。 「たぶん・・・捕まえた人数を差し引くと後三十人ほど残っていると思う」 シルミスは今度はロペスに目を向けた。 「自警団や若いのをかき集めてどのくらいの人数になる?」 ロペスは素早く頭の中で計算して言った。 「怪我人を除外し戦力になる男を限定すると・・・約二十人といったところでしょう」 町役人が失望したように首を振った。 「それじゃあとても相手にならない。数もそうだが奴らは人殺しも厭わない、ならず者でこちらは経験の浅い者ばかりだ」 するとアズは首を振った。 「いや手強いのはもう首領だけだ。俺達の誰かが首領を抑えれば後は蹴散らせるよ」 一同はそれを検討するように黙った。皆は口にこそ出さないがアズとサスケに期待していた。二人なら何人もの賊を倒すことができる。 それで数の劣勢をカバーできる。それにこちらには手練れのハセフやシルミス、強弓のロペスもいる。 個の力でいえば有利なのだ。そしてその後ロペスが採決して賊への攻撃が決まった。皆が解散しようとした時イナフがロペスに近づいて断固とした口調で言った。 「私も行く」 それを聞いたハセフが驚いて反対した。ロペスも容認できないように首を振っている。だがイナフは引き下がらなかった。 「この災厄を招いたのは私だ。賊の壊滅に少しでも貢献したい」 するとシルミスが諭すように言った。 「奴らの狙いは二つある。一つはもちろん金を奪うことだ。もう一つはあんたを殺ること。あんたが闘いの場に出るのは飛んで火にいる夏の虫に等しい。 闘いは恐らく混戦になる。そうなればどんな卑怯な手を使われてもわからない。あんたはとても危険な状況に置かれるのだ。皆のためにも残って欲しい」 イナフはそれでも言葉を続けようとした。だが皆の懇願するような視線を見て口をつぐんだ。シルミスがイナフに安心させるように言った。 「ハセフのことはわしが見ている。心配するな」
賊のアジトではアズの予想通り引っ越しの準備に大わらわになっていた。それまで盗賊の知恵者といえば幹部のマンティスだった。 だがもちろんそこにマンティスの姿はない。マンティスが襲撃計画を立案する時こうやった。まず手下に襲撃予定場所を偵察させる。 金があって襲撃が成功しやすそうな商店や邸宅の探索だ。そしてその報告を受けた後、自ら足を運んで確かめる。 さらに逃げ道なども検討した上でガビに計画を説明する。計画はほとんどマンティス任せであるからガビが口を出すことはない。 そういうふうに賊の行動はすべてマンティスが決めていた。彼がいればアズらが寝返ったことで今のアジトが危険であることにすぐ気づいただろう。 だが何度も言うようにそこに彼はいない。そのため今のアジトが危険であると気づくのが遅れた。ようやくそのことに気づき慌てて引越しの準備をしていた時にはもう町の攻撃隊がすぐそこまで来ていた。 賊が森の中のアジトから物資を外に運び出してまた戻っていく。外に待機した賊はそれを荷車や馬の背に積む。 マンティスがいなくても役割分担することくらいなら思いつくようだ。そしてその時、外にいた一人がふと西に目を向けた。 遠くで大量の土埃が舞い起こっているのが見えた。最初は竜巻かと思った。だがよく見てみれば無数の騎馬がこちらに向かってくるのがわかった。 「と、盗賊だぁ!」 男は自分の職業も忘れて叫んだ。盗賊達に動揺が走った。程なくしてガビが森の中から走って出てきた。 そして騎馬集団を見る。ガビの鋭い目は集団がすぐに町の攻撃隊だと見抜いた。そしてその人数に驚いた。 大人数だった。こちらの二倍以上の人員がいる。ガビは攻撃部隊との距離を目測で測ってから東を見た。 今、急いで逃げても追いつかれる。そして戦いになれば数の多いほうが勝つ。すぐ森から出るのは返って危険だった。ガビが手下に命じた。 「とりあえず得物だけ持って森に戻れ!お宝は戦いに勝った後、回収すればいい。森の中で迎え撃つぞ!」 この時マンティスがいれば町がどうやってこんなに多くの攻撃人数を揃えられたのか不審に思っただろう。 そしてその軍容をよく確かめただろう。もしそうされたら逆に町側のほうが危地に陥ったはずである。 実は町側は人数を多く見せるため空馬を大量に引き連れるという計略を使ったのである。
賊が慌てた様子で森の中に逃げ込む。ロペスはそれを見てこちらの作戦が成功したことを悟った。 戦いとは緒戦で決まるものだ。人数を多く見せて賊の士気を挫いた。後はこのまま押し切って盗賊団を壊滅させるだけだ。 だがそれには首領のガビを押さえる必要がある。団員にはガビを見つけ次第、大声で知らせるよう指示してあった。 賊から十分ほどの遅れで森の中に入った。そのくらいの時間差なら迎撃態勢は充分に整えられないだろう。 森の中は薄暗かった。が、所々に木漏れ日がありなんとか見通しはついた。木々の間隔も狭く馬で通れないところが多かった。 だが出来るだけ馬で進んだ。そうやって馬の進める場所を選んで進んでいくとやがて前方にちらほらと奥に逃げる賊の姿が見えてきた。 そのまま突っ込みたかった。だが木々の密集度合いも深くなり追いつく前に下馬せざるをえなくなった。 だが敵は怯んでいる。まだ優勢だった。ロペスは下馬すると剣を抜いて走った。後方からは仲間の雄叫びが聞こえてくる。 いいぞ。皆、いい意味で興奮している。ロペスは一番先に賊の一人に追いついた。賊はもう逃げられないと悟ったのか剣を抜いて襲い掛かってきた。 ロペスは落ち着いてそれをかわすと無造作に斬り捨てた。そしてすぐ次の賊を求めて闇の中に身を躍らせた。
町側が賊を追撃しながら森の奥へ奥へと入っていく。賊はしばらく走ることで急襲の動揺からようやく立ち直れたようだ。 足を止めて町側に反撃する気配を見せるようになってきた。そして戦闘が各所で行われるようになると人数を多く見せた偽装が見破られた。 賊の一人が拍子抜けしたように言った。 「なんでぇ。大人数で来やがったのかと思ったら。こいつら、意外と少ねぇぜ!」 「おお。これなら返り討ちにしてやる!」 本格的な戦闘が始まった。アズはガビを探した。ガビさえ押さえれば盗賊は瓦解する。アズがアジトに向けてまっしぐらに走っていると賊の一人がその姿に気づいて襲い掛かってきた。 「こんの、裏切り野郎!」 アズは裏拳で簡単に撃退した。だがその叫び声を聞きつけた他の賊が次々に群がってきた。 「裏切り野郎を許すな!」 「まずこいつを八つ裂きにしろ!」 アズは腰に組み付いてきた男を振り回して木にぶつけ、右横手から棍棒を振りかぶった男に足刀を飛ばし、正面から掴みかかってきた男に頭突きをぶち込んだ。 あっという間に倒された仲間に盗賊集団は怯んだ。その隙を見逃さずアズは頭から集団中央の男に突っ込んだ。 「うっしゃあああ!」 その男は鼻血を撒き散らしてぶっ倒れ、その傍にいた何人もの男達も巻き込まれて倒れた。敵集団の中で動きを止めるのは危険だ。 すかさず次の敵に向かって突きや蹴りを放っていく。一瞬にして十人近くの仲間が倒されたのを見て賊はさらに怯んだ。 「つ!強ぇぇぇぇ!」 町側もアズの強さに瞠目する。そしてアズの活躍に力を得た町側はさらなる攻勢に出た。 →本文3へ |