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 <1>

 最初にアジトに乗り込んだのはハセフだった。ハセフはシルミスと一緒に行動していたが混戦の中、いつの間にかはぐれてしまった。

 森の中を疾走しながら賊を一人一人、倒していくとやがて開けた場所に出た。そこには大箱から荷袋に宝石類を移し替えるガビと手下の姿があった。

 どうやら個人で持ち運べる荷袋を背負って逃げ出す気のようだ。手下はハセフの姿を見ると荷袋を放り出して逃げ出した。

 ガビが急いで呼び止めたが手下は森の奥へと消えてしまった。ガビが苦々しく言った。

 「ったく、根性無しが。相手は若造一匹じゃねえか」

 ガビがハセフに向き直るとハセフが確認するように訊いた。

 「お前は首領のガビだな?」

 「今から死ぬ若造に名乗る気はない」

 「それはどうかな。俺はイナフの息子、ハセフだ」

 ガビの眉根が寄った。

 「ほう。てめえがイナフの息子か。あまり似てねえな。お坊ちゃん育ちのせいか」

 「お前を押さえれば盗賊団は瓦解する。覚悟しろ!」

 「若造が粋がるんじゃねえよ。てめえごときに俺様が倒せるかぁ」

 ガビは大刀を鞘から抜くとハセフに向かっていった。


 ガビが重たげな大刀を苦もなく振り回す。ハセフが身をかがめてかわすと後ろの、大人の大腿ほどもある太い枝が簡単に折られた。

 今度は横に大刀が振られた。ハセフは身軽にとんぼ返りしてかわす。刃の厚い大刀は鉄塊のような重量感があり切れ味は鈍かったが当たれば手足は根こそぎ持っていかれ内臓はグシャグシャになる恐怖を覚えさせた。

 ハセフは相手にしばらく攻撃させて動きを見極めようとした。やがて攻撃パターンや体さばきなどがわかってきた。

 馬鹿力に頼った雑な攻撃だ。ただ突進力があるため素早く距離を詰められて攻撃されるのだけは警戒しなければならない。

 ガビは無尽蔵の体力でもって未だ大刀を振り回している。もう休み無しで三十回は振っているはずなのに息がきれていない。

 化け物め。ハセフは意を決して距離を測った。そして上段斬りをかわすのと同時に素早く回転して後ろ回し蹴りをガビの胴体にぶち込んだ。

 会心の一撃だった。タイミング。速度。力。どんな強者でも倒す必殺の力が込められていた。だが次の瞬間ハセフは何か大きな岩にでもぶつかったように跳ね飛ばされていた。

 「なに!?」

 足が少し痺れていた。硬い。こいつ、服の下に鎧でも着込んでいるのか?ガビはハセフが呆然となっているのを見て哄笑した。

 「わはは!そんな絹でも織るようなヤワな手じゃ、わしは倒せん!」


 その頃シルミスは賊の相手をしながらハセフを探していた。ハセフの実力は既に師である自分を凌いでいる。

 だが勝負が真面目すぎるというか変則的な技や卑怯な手を使われると危ういと感じる。盗賊は生きるため意表をつく技を多く隠し持っている。

 偽りの降参を信じてしまい甘言を弄されて油断したところを背後から刺されるなんてこともありえるのだ。

 ハセフはまだ世界を知らない。世界は混沌としていてハセフの知らない暗殺技が万とあるのだ。ハセフが心配だった。

 三人の賊に囲まれながら移動していると少し先の木々の隙間からハセフの姿が見えた。ハセフは賊と対峙していた。

 そしてその対戦相手を見て愕然となった。ガビだ!最もハセフと闘わせたくない男。腕っ節も強ければ隠し持っている暗殺技も多いはずだ。

 ハセフ、待て!わしが行くまで闘うな!そう叫ぼうとした。だが取り囲んだ賊の連携技は巧妙で気が緩めず中々そちらに行けそうにない。

 シルミスは焦りの中で思った。ハセフ、頼む!無茶はしないでくれ!


 「ええいっ。こんなもの俺には必要ない!」

 ガビは何を思ったかそれまで振り回していた大刀を捨てた。ハセフは訝った。大刀は斬れ味こそ鈍いがかなり重く当たればただではすまない。

 そんじょそこらのナマクラの剣と違ってかなり強力な武器といえる。それをなぜ捨てる?だがハセフが訝る暇も与えずガビが突っ込んできた。

 凄い迫力だ。まるで六、七百キロもあるような猛牛が怒り猛っているようだ。だがハセフはまだ冷静だった。

 服の下に鎧を着込んでいるなら剥きだしの手足を封じてやる。ガビが水平にパンチを振るってきた。

 凄まじい重量級のパンチだ。大木でさえ倒壊できそうなだ。だがハセフは怯まなかった。恐れずそれをかいくぐると鋭く腰を回転させて右下段蹴りをガビの大腿にぶち込んだ。

 だがまたしても跳ね返された。どういうことだ!?ズボンの様子から鎧があるようには見えない。

 「なにをボケっとしてるか!」

 ガビの左拳が横から襲ってきた。慌てて後退して避ける。薄い鉄板でも仕込んであるのだろうか。ガビは二度にわたるパンチをかわされて少し慎重になったようだ。

 立ち止まってじっとハセフを見つめた。ハセフも構えたままガビをうかがった。ガビの各パーツを頭から順に見下ろしていった。

 鎧を着込めない場所。やはり狙うなら頭部か。ハセフの視線が頭に行った時ガビが頭から突っ込んできた。

 「粉々に砕いてやる!」

 ハセフはガビが突っ込んでくるのを見て瞬時に思った。カウンター。奴の勢いを利用しろ!

 「でいっ、やあああっ!」

 ガビが突っ込んでくるのと同時にハセフも前に飛んだ。そして膝をガビの顔面に思いっきりぶち込んだ。

 ガキッと音がした。やった。奴の頚骨の折れる音。いや違う!砕けたのは自分の膝だった。ハセフは激痛が走る膝を手で押さえてよろめいた。

 ガビが顔を上げた。そしてつるりと顔を撫でて言った。

 「わははは。坊ちゃんのヤワな膝が砕け散ったか。鍛え方が違うんだよ。坊ちゃんと本物の男ではな!」

 こいつ、なんて硬い頭をしているのだ。ハセフの膝は決してヤワではない。物心ついてから立ち木にほぼ毎日ぶち込んで鍛えた膝なのだ。

 常人がそれを受ければ悪ければ内臓破裂して死に至る。それなのにこいつときたらぴんぴんしている。

 ハセフは膝の激痛に脂汗を浮かべて後退せざるを得なかった。ガビが残忍な笑みを浮かべて言った。

 「ははは。もう声も出んか。よかろう。冥土の土産になぜ貴様の攻撃が効かんか教えてやろう」

 ガビがいきなり上着を取った。下の肌着も脱いだ。そしてとうとう上半身、裸になった。どういうことだ!?

 ハセフは服の下に鎧を仕込んでいると思っていた。あの重く硬い手ごたえは断じて肉体のものではない。ハセフが困惑しているとガビが言った。

 「赤色岩鉄甲。我が体は超高熱の泥濘が吹き出す、南の赤い土地で鍛えられしものよ。そこは火山地帯でな。

 二、三日おきに噴火するという生き物の住めない死の土地だった。わしはある呪術師から火山の泥濘で体を岩と化す究極の秘法を授けられた。

 煮えたぎる赤黒い熱泥に体をつける、一歩間違えば命を落とす鍛錬法よ。最初は大火傷を負い何日も死の淵をさ迷った。

 だが呪術師から授かった薬を塗り、教えられた呪文を唱えるうちに体は岩のように硬くなっていった。

 そして二年を過ぎる頃にはどんなに斬れ味鋭い刃でもどんなに重い鈍器でも我が体を砕くことはできなくなった。これが我が体の秘密だ」

 ガビが体に力を入れたように見えた。すると浅黒い体に赤みが見る見る間に増していく。筋肉の塊のような体はさらに膨れ上がり目からはまるで熔岩を含んでいるような赤光が放たれた。

 ハセフは愕然となった。赤色岩鉄甲!?熔岩に身を浸して己の体を鍛え上げるとはなんという凄まじい鍛錬法か。

 父はガビがそんな秘拳を持っているとは一言も言わなかった。はっとなった。もしかしてこの男もあの男と再戦するために秘拳を会得したのではないか。

 ガビがまるで蚊でも払うかのように近くの木に腕を叩き付けた。すると大人の大腿ほどもある木がポキリと折れてしまった。なんてパワーだ!

 「ふふふ。どうした。言葉も出んか。ならこっちから行くぞ!」

 ハセフが愕然としているとガビが猛然と突っ込んできた。ハセフは慌てて横に避けた。ガビはそのまま直進し木々を三、四本ほど薙ぎ倒した。そして振り向いて笑う。

 「恐がらなくていいんだぜぇ。すぐに親父も後を追わせてやるよぉ」

 ハセフはかっとなった。父さんには指一本、触れさせはしない。そのためにはこいつをここで倒すことだ。

 通常の攻撃では通用しない。ならばこちらも必殺拳を出すしかあるまい。旋風拳。自分達親子とシルミスとで編み出した秘拳だ。

 「いくぞ、旋風拳!」

 その時、シルミスは賊に囲まれながらなんとかハセフに近づきつつあった。そしてハセフの構えを見て顔色を変えた。

 旋風拳をやる気だ。だがシルミスが見るところ旋風拳はガビに通用しそうにない。ガビの体に攻撃すること。

 それは人間が岩に攻撃するようなものだ。旋風拳は対人用武術なのだ。ガビにきくとは思えない。囲んだ賊を無理に押しのけるようにしてハセフに向かって叫んだ。

 「待てーっ、ハセフ!」

 上半身を捻って旋風拳発動の体勢にいたハセフはその声にはっと止まった。見れば木立の向こうから数人の賊と一緒にシルミスが近づいてくる。

 ガビもそれに気づいて目を向ける。ハセフは待つことにした。一旦ガビと距離を取る。少ししてシルミスは賊の追撃を振り切って到着した。

 「先生。どうして止めるんですか?」

 シルミスはガビを気にしながら言った。

 「よく聞け。旋風拳はガビに通用せんかもしれん」

 「ええっ!?本当ですか、先生!」

 「確かじゃない。だが旋風拳は対人用武術。対してガビは自然の怒りともいうべき熔岩を取り込んだ武術のようだ。人間対熔岩では分が悪い」

 「でも旋風拳だっていわば風の力を取り込んだ武術。負けていないのでは?」

 「わからんのか。炎に風を当てればどうなると思う?」

 ハセフは訝しげな表情になったがすぐはっとなった。

 「・・・余計、火勢が強くなります」

 「分が悪いといったのはそういうことだ」

 「でも!実際やってみたわけじゃないじゃないですか!」

 「お前を一か八かの勝負に出させるわけにはいかん。お前は賭けに出るには若すぎる。もしお前になにかあったらイナフに会わす顔がない。

 老いたイナフにとってお前は宝なのだ。自重しろ」

 ハセフは父を持ち出されたことで闘気が幾分、弱まった。その隙を見逃さずシルミスはガビに向き直って言った。

 「貴様の相手はこのわしだ。ついてこい!」

 シルミスが森の奥に走った。

 「なんだぁ?やると言っておいてもう逃げやがるのかぁ?ふざけやがって!」

 ガビが怒ってその後を追った。ハセフも後を追おうとしたがその前に数人の賊が立ち塞がった。

 「おっと!首領の邪魔はさせないぜ」

 「雑兵!そこをどけ!」

 シルミスの身を案じたハセフは急いで旋風拳を使おうとした。だがその時、愕然となって足元を見た。

 所々が隆起して足場がひどく悪い。また木々の間隔が狭くて大きな動きを必要とする旋風拳には適さない。

 そうか。先生が使わないように言ったのは環境の悪さもあったのか。ハセフは己の未熟さに歯軋りした。

 だがこうしている間にもガビとシルミスは闘っている。シルミスが心配だ。ハセフは周囲の賊に目を配りながら冷静になろうと努めた。


 ハセフはなんとか賊の囲みを打ち破った。そして急いでシルミスを追った。賊の巧妙な連携攻撃と足場の悪さから倒すのに時間がかかってしまった。

 シルミスとガビは存分に闘える場所を求めて遠くに行ってしまったのだろうか。いや遠くに行こうとしたんじゃない。

 シルミスはガビを自分から引き離そうとしたのだ。自分はあの時、冷静さを欠いていた。シルミスの言うことも聞かなかった。

 あのままではガビと闘いを続けていた。だからその前にシルミスはガビを挑発して自分と闘わせないようにあの場から離れたのだ。

 シルミスはガビの赤色岩鉄甲に旋風拳では分が悪いと言った。旋風拳の遣い手であるハセフがそうなら師のシルミスだって同じことだ。

 いやハセフの腕はもう師を凌いでいる。それでもあえてシルミスがガビに闘いを挑んだのは代わらなければ自分がやられると危惧したからだろう。

 自分はあの時、逸っていた。ガビは言うまでももなく強敵だ。旋風拳が通用しない可能性が高い。なおさら冷静にならなくてはいけなかったのに。

 なぜあの時、冷静でいられなかった。冷静になりシルミスの言に耳を傾けていれば彼は闘いを避けて人数を集めてから改めてガビに対しただろう。

 自分の愚かさが、いや若さによる愚かさなのか。それが悔やまれた。森の奥に向かっていると横手からアズとサスケが姿を現した。

 ハセフは喜び、急いでこれまでの経緯を説明した。

 「・・・そういうわけで手を貸して欲しいんだ。シルミスさんが危ない」

 二人は緊張した面持ちで頷いた。ハセフの説明によるとガビはとんでもなく硬い体を持っているという。

 アズは興味を憶えた。武術を志す者にとって強敵は興味の的だ。どれほどの硬い体なのか。閃光拳でも砕けない体なのか。

 闘ってみたくなった。だが少しして思い直した。まだ敵の体の正体が掴めていない。それなのにすぐ闘いを挑むのは愚策。

 三人は互いの姿を見失わない程度の距離まで広がってシルミスを探した。やがて後方からロペスらも追いついてきた。

 随分、抵抗されたがほとんどの賊を討伐できたという。後はガビを倒すだけだ。町の人間が大声でシルミスの名を呼びながら進んだ。

 そして森の大半を調べ終わり、もう少しで向こう側に出てしまうというところで声が聞こえた。

 「シルミスさんはここだっ!」

 町人の声だ。皆、急いで声のしたほうに向かった。ハセフも全力で駆けつけた。すると向こうの木々の間から数人の村人が集まっているのが見えた。

 そしてさらに近づくと彼らの足元の隙間から何者かが横たわっているのに気づいた。シルミスなのか。ようやく現場に到着した。

 「先生!」

 ハセフが声を上げると町人らが振り返った。彼らはハセフを見て痛ましげな表情になった。それでシルミスがどんな状態なのかわかった。

 町人達が脇にどいたのでシルミスの姿が見えるようになった。顔面が血だらけで口の端から血を吐いた後がうかがえた。服の上からも胸や腹をしたたかに殴打されたのがわかる。

 「先生・・・」

 ハセフは激しい後悔にさいなまれた。自分さえ逸らなかったらシルミスをこんな目に会わせずに済んだのに。

 自分さえ逸らなかったら・・・。するとその胸の内の声が聞こえたかのようにシルミスが目を開けた。

 「先生!俺です!ハセフです!」

 シルミスはしばらく周囲に目をさ迷わせ、やがてハセフで止まった。口を開こうとした。だが口の端からどろりと血が溢れて声にならなかった。

 「先生。何も言わないでください。すぐ町に連れていきますから」

 シルミスが何度か咳をした後、弱弱しく首を振った。

 「・・・今、喋らねばもうその機会はあるまい」

 ハセフは絶句した。それはもう助からないと言っているのと同じことだ。シルミスは回想するように言った。

 「想像した通りだった。ガビには旋風拳は通じなんだ。大回転旋風蹴りも旋風拳車輪蹴りも旋風拳裏拳打ちもすべて試した。だがやはり自分の拳足を痛めるだけで通じなんだ」

 そこでシルミスがまた咳き込んだ。血も吐いた。ハセフは涙目になりながら懇願するように言った。

 「先生。わかりました。わかりましたからどうかもう喋らないでください」

 シルミスが不意にハセフの腕をぐっと掴んだ。思わぬ力にハセフは驚いた。

 「最後に・・最後に言っておくことがある・・この世に完璧なものなど何一つない・・だから赤色岩鉄甲にも必ず弱点はある。

 そこに旋風拳を打ち込むのだ・・・旋風拳はまだ完全に敗れたわけではない。旋風拳はお前達親子とわしが作り出した最高の武術だ。

 あんな邪道の武術に遅れを取るはずがない・・・よいな。弱点を探せ。お前は・・・お前は・・・真っ正直すぎる・・・」

 シルミスの腕から力が抜けた。シルミスと親交のあるロペスら町人が口々に彼の名を呼んだ。だが意識が失われてしまったようでその口が再び開かれることはなかった。

 その時、前方から町人が駆けてきて言った。

 「ガビを見つけた!向こうに馬を隠していた!」

 「おのれ!」

 ハセフ以外の人間が怒りを露にしてそちらに駆け出した。アズが走りながら振り返るとハセフは呆然とシルミスの傍らに座っていた。

 走って何分も経たない内に森の端に着いた。そして向こうの荒野に出る。少し遠くに土埃が立ち上がっていた。

 その向こうに一頭の騎馬の姿が見える。まだそう離れていない。だが追いたくても馬がない。急いで森の反対側に留めてある馬を持ってきてもその頃には逃げられている。すると声がした。

 「俺に任せろ!」

 ロペスだ。彼は背の弓を取った。町人が期待をこめてロペスを見た。

 「いいぞ!ロペスの強矢ならまだ届く」

 ロペスは背の矢筒から一本の矢を引き抜くとガビの背に狙いをつけ強弓を引き絞った。するとその気配に気づいたのかガビが振り返った。

 だが狙われているのに動揺した様子はない。町人の一人がけしかけるように言った。

 「撃て!射倒しちまえ!」

 強弓が最大限にまで引き絞られるのがわかった。ロベスの太い筋肉質の腕がぷるぷる震えている。

 そして矢が放たれた。重量感のある強矢が空気を押しのけてまっしぐらにガビに向かっていく。方向も威力もばっちりだ。

 ロペスの強矢が当たれば人体など軽く貫いてしまう。そして狙い通り強矢がガビの背に当たった。町人はそれを見て歓声を上げた。

 「やった!」

 だがすぐに異変に気づいた。矢が高々と宙に跳ね上げられたのである。

 「ば、馬鹿な!?俺の強矢が・・・」

 ロペスが呆然となった。彼の矢の威力は町の人間ならば誰でも知っている。鉄板でさえぶち抜けるロペスの矢が跳ね返されたことに町人達は声も出なかった。

 その時ガビの哄笑が聞こえてきた。離れすぎてもう土埃しか見えない。アズは慄然となって呟いた。

 「あれが・・・赤色岩鉄甲」

 <2>

 大怪我を負ったシルミスはすぐさま町に救急搬送されて町医者の診察を受けた。町医者はシルミスの服を脱がせて体の殴打跡を見ると絶望的な表情になった。

 そしてベッド脇で心配そうにシルミスを見下ろすイナフとハセフに痛ましげに首を振ってみせた。

 「申し訳ないがもう手の施しようがない」

 ハセフは信じられないという表情で絶句した。イナフも苦しげな表情で視線を落としている。シルミスはそれでも迫り来る死と闘った。

 イナフらも昏睡するシルミスに力の限り声をかけ続けた。そしてシルミスが力尽きたのは搬送されてから三日目の朝だった。

 昼夜を問わずベッド脇についていたハセフはいつの間にか椅子にもたれて眠ってしまった。無理も無い。

 賊のアジトへの急襲からほとんど寝ていない。いくら若い彼とはいえ無自覚の疲れが溜まっていたのだろう。

 やがて朝になった。窓から陽光が差し込んで顔に当たった。それで目が覚めた。シルミスを見た。とても穏やかな表情をしていた。

 ひょっとしたら快方に向かっているんじゃないか。そう期待してシルミスの表情を覗き込んだ。すると違和感を憶えた。

 その顔に精気はなく肌も蝋のような色をしている。まさか・・・。蒼白になってシルミスの脈を測った。だが力強く打っているはずの脈動は何度、確かめても感じられなかった。

 ハセフは力なく椅子にもたれた。シルミスはもう行ってしまったのだ。黄泉の国へ。ハセフは膝を握り締めて静かに嗚咽を漏らし続けた。


 町の通りを長い行列ができていた。先頭に町の司祭が祈りを捧げながら進み、その後に棺を担いだ男達が続いた。

 さらにその後を黒衣の人々が俯き加減で歩く。司祭の祈りの言葉以外に誰も口を開く者はいなかった。

 いやあちこちですすり泣きが漏れている。ハンカチを口に当て嗚咽をこらえる中年女性がいた。時折、沈鬱な目で棺を見る老人がいた。

 行列はやがて町の南西にある墓地についた。そこにはもう故人用に墓掘り人によって穴ができていた。

 棺が大勢の人の手でそこに下ろされ埋葬された。墓標が出来上がると司祭が参列者に語りかけた。

 故人はこの町に来て多くの人間に善行を施した。故人の魂は今、神の御手に委ねられて安らぎを得ているだろう。

 参列者の中のイナフは墓標を見ながら初めてシルミスと会った時のことを思い出していた。そこは町の居酒屋だった。

 見かけない顔の男が酒を呑んでいた。騎士風のいでたちだがくたびれていて楽しげに同席の労働者と低俗な話題に花を咲かせていた。

 だがどこか気品があるというか溌剌としていた。動きも無駄がなかった。偶然そこに居合わせたイナフはその男に興味を持った。

 落ちぶれた騎士かその郎党といったところか。興味深げに盗み見ているとなんとその男がこちらを向いて笑みを浮かべたではないか。

 とても気さくな、通りで偶然、昔の友人と出遭ったというような笑みだった。気配を殺して見ていたのに。

 ばつが悪くなったがますます興味を持った。その時、酔った数人の客が女の給仕に絡み始めた。給仕は適当にあしらおうとしたが客はしつこかった。

 イナフには町を再建し町を守っているのは自分だという自負があった。無法者は放っておけなかった。

 五対一。不利だがまぁなんとかなるだろう。するとその男も立ち上がった。男はイナフと肩を並べるとこちらを見てにやりと笑った。

 その時、何かが通じ合った。イナフも笑った。これで五対二。争闘は呆気なく終わった。五人は素人で二人は手練れだった。

 だが男達はナイフを取り出したのでイナフ一人では危なかったかもしれない。イナフは礼にその男に酒をおごった。シルミスという名を知ったのはその時だった。


 葬儀が終わって解散になった。それぞれが家路につく。その中で仕立て屋の親方がロペスに話しかけた。

 「盗賊団は本当に壊滅したんだろうか?」

 ロペスは考え込むようにして言った。

 「賊の大半は倒したと思う。だが一番、肝心なのを逃した」

 「誰だ?」

 「もちろん首領のガビだ」

 親方は青くなって言った。

 「首領を逃したんならまた危なくなるんじゃないか」

 ロペスが首を横に振った。

 「いくら首領とはいえたった一人じゃ、なにもできないさ。また仲間を集めるにしろ時間がかかる。それに手配書はもう各地に回された。もう簡単に悪さはできないさ」


 ハセフはシルミスの死後、自室に引き篭もって何日も外に出ていなかった。ミネやゴロは心配して何度も扉越しに声をかけた。

 だがまともな返事が返ってくることはなかった。イナフはそれを見ても何も言わなかった。イナフは先日の賊の討伐についてロペスから詳しい報告を受けたはずだ。

 ハセフが最初にガビと対峙し、その後シルミスに助けられたことも知っている。イナフはそのことについてハセフに何も言わなかった。

 何も言われないことが返ってハセフを苦しめた。ガビを発見した時点で他の者を呼ぶべきだった。急襲の一番重要なことは首領のガビを押さえることだったからだ。

 ガビさえ押さえてしまえば後は烏合の衆。だから発見した時、皆を呼んで皆でかかるべきだったのだ。

 そうすれば取り逃がすこともシルミスが死ぬこともなかった。闘ってみて少しでも敵わないかもしれないと思ったのなら、なおさら一人で闘うべきではなかった。

 ハセフの甘い判断のせいでシルミスは死んだ。ハセフの心のどこかに手柄を上げたい。そういう独りよがりがあったのだと父に責めて欲しかった。

 だがイナフは沈黙を守っている。シルミスの死は自分の責任だ。ハセフは自分を責めて夜も眠れなくなった。

 どうすればこの苦しみから逃れられるのかわからなかった。ガビの行方さえわかれば一人でも追っていきたいところだが大方の予想では手下のほとんどを失ったガビはこの町に現れることはもうないだろうとのことだった。

 ハセフの心にぽっかりと大きな穴が開いた。シルミスは肉親と同じだった。物心ついた頃にはもう自分を可愛がっていてくれた。

 そしてイナフと一緒になって武術を教えてくれた。最初は彼のことを親しみを込めて小父さんと呼んでいた。

 だが長ずるにつれて本格的に旋風拳を習うようになって父からシルミスを先生と呼ぶよう言われた。

 それでもハセフにとっては親しみのある「小父さん」だった。その先生でもあり小父でもあるシルミスは自分の身代わりとなって死んだ。悔やんでも悔やみきれない。

 「先生・・・」

 シルミスとの厳しいが楽しい稽古風景が思い出される。その度に涙が流れた。抜け殻のように虚脱してどのくらいの日々が通り過ぎたのか。

 一ヶ月、過ぎたように思える時もあれば一日も経っていないように思う時もあった。そうやってぼんやりしていた時だった。

 もうシルミスのことも自責の念も思わない。心が止まってしまったように感じた。すると不意に後ろから声が聞こえた。

 「・・・葬儀には姿を見せなかったな」

 はっとなって振り返るといつの間にか父が立っていた。

 「父さん・・・」

 するとまた自責の念がこみ上がってきて抑えがきかなくなった。激情に流されるまま言った

 「俺のせいだ!俺のせいで先生は死んだんだ!」

 するとイナフに怒りの色が浮かんだ。

 「馬鹿者!シルミスが死んだのは誰のせいでもない!彼はやるべきことをやって死んだ。それがお前のせいだと?自惚れるな!シルミスを辱める気か!」

 イナフの激しい剣幕にはっとなった。イナフは少し表情を和らげて言った。

 「彼の死はお前のせいではない。お前はガビと闘ったことが彼の死を招いたと思っている。だがそれは違う。

 あの時は誰もが賊の討伐で手一杯だった。お前がガビの相手をしなければ奴は簡単に逃走してしまっただろう。あれは仕方がなかったことなのだ」

 「でも・・・でも先生は闘うなって言った」

 イナフは溜息をついた。

 「町が危機に瀕していた、あの状況で賊の首領を誰が見逃すことができたか。お前の行動は仕方がなかったのだ」

 「でも・・・でも先生の死の原因を作ったのは紛れもなく俺なんだ」

 ハセフは苦悩したように頭を抱えた。それを見たイナフが厳しい表情で言った。

 「そうやってずっと部屋に閉じこもっているつもりか?やるべきことがあるのに気づかんか?」

 ハセフが顔を上げた。

 「やるべきこと?」

 イナフは頷いて顎をしゃくった。


 二人は家から出て通りを歩いていった。ハセフが素直にイナフの後についていくと向かったのはイナフ経営の旅籠だった。

 ハセフは通りから旅籠を見上げた訝しげに父に問うた。

 「ここで何を?」

 「いいからついてこい」

 イナフは旅籠に入るとなぜか口に人差し指を当て静かにするよう命じた。そして番頭に命じて、ある部屋の戸を僅かに開けさせた。

 イナフはハセフに覗いてみろというように顎をしゃくった。訝しげに室内を覗いた。その客室は入ってすぐ短い通路がありその先に寝室兼居間の部屋がある。

 そしてその部屋の奥の窓前でアズがこちらに背を向けて座っているのが見えた。何をやっているのか?

 訝しげに考えたがすぐはっと気づいた。武術を極めた者ならあれが見える。闘気だ。闘気が彼の体からゆらゆらと炎のように立ち上っていた。

 まるで闘いに臨む前のようだ。ハセフは顔を通路に戻して訝しげに言った。

 「なぜ彼は闘いを直前に控えたような瞑想をしているんだろう?」

 イナフが頷いて言った。

 「きっと彼は赤色岩鉄甲破りを考えているのだろう」

 「え?でも盗賊団はもう壊滅してガビは姿を消したんじゃ・・・」

 イナフは首を振った。そして遠くを見るようにして言った。

 「それは違う。 私は奴のことを知っている。奴は粘着質で恨みを持った者には必ず復讐した。一人になったからといって諦めるとは思えん。

 奴はまた我々の前に姿を現すだろう。彼もきっとそう感じているに違いない。だからその時に備えてああして沈思してるのだ。

 真の武術家とはそういうものだ。決して油断しない。準備を怠らない。強敵に怯まず打開策を静かに考える。

 恐らく彼の頭の中では既にガビと何度も対戦して対処法を編み出そうとしているのだろう。あれが真の武術家の姿なのだ。お前も見習わなければならない」

 ハセフは感じるところがあったようだ。感心した様子でアズの背中を見つめた。


 アズは静かに瞑想していた。賊の討伐から帰って何日か経った。だが未だにあの衝撃が薄れない。

 ロペスの強弓は通常の弓より倍近くの射程距離がありその威力は薄い鉄板ならば簡単に打ち抜けるほど強力なものだ。

 生身の人間がいくら体を強張らせたとしても耐えられるものではない。だがそれをガビはやってのけた。

 まさに鋼鉄の体。真っ先に考えたのは閃光拳が通じるかどうかだった。イメージしてみた。ハセフに聞いたところガビの攻撃は雑であまり警戒しなくで良いという。

 だがその威力は抜群だ。太く硬い腕が樹木だろうがレンガだろうが薙ぎ倒してしまう。ならば数回、攻撃をやりすごして見切った後、間合いを充分測った上で閃光拳を打ち込む。

 閃光拳!イメージの中でガビに突きを見舞った自分の体が閃光を放つ。イメージの中で巨岩と化したガビに亀裂が走り、ぱっと周囲に砕け散った。

 やったか!?だが同時に拳に激痛が走る。なに!?思わず現実に戻って実際に拳を押さえて呻いた。

 少ししてイメージによる痛みが引いたので目を開けた。駄目だ。閃光拳はガビの体を破壊できる威力を秘めているが打ち込めば拳も砕け散る。

 閃光拳と赤色岩鉄甲の相反するエネルギーに耐えられなくなるのだ。ガビを倒せても閃光拳が二度と使えなくなっては意味がない。

 ならば新技、閃光脚はどうか?蹴撃は腕力の倍以上の力がある。そしてそこに閃光パワーが加わるのだ。

 その威力は凄まじい。いけるか?だがすぐに首を振った。駄目だ。やはり相反するエネルギーに足も耐えられない。

 いくら力があってもそれに耐えうる強靭な肉体がないと意味がない。拳を見つめた。奴に勝つには拳を犠牲にするしかないのか・・・。

 拳が駄目になったらその後どうやって闘っていけばいい?武術家であることを捨てられるのか。父の顔、いやもう記憶が曖昧でシルエットしか浮かばない、それが頭に浮かんだ。駄目だ。

 俺はまだ親父に会っていない。親父に会ったら息子が父を凌駕するほどの腕に成長したことを見せてやりたい。

 やはり拳足は犠牲にできない。他に何か手が、何かあるはずだ。己の手を見下ろして握ったり開いたりした。

 この鍛えに鍛えた拳。本当に通用しないのだろうか。再び目を瞑って苦しげに考えた。出来ればこの拳で決着をつけたい。

 この拳で。俺の拳で・・・しばらく握ったり開いたりしていてふと目を開けた。手を裏返しにする。通用する手があった。

 掌だ。掌ならばどんなに固い物を打っても砕かれることはない。また掌底打ちは内部に力を浸透させることが出来る。

 つまり拳による攻撃は貫通力に適しているが対象が拳より硬いと意味をなさない。対して掌底打ちは貫通力はないものの、威力は体内に留まって広がりダメージを浸透させる。

 そこに閃光パワーが加わればなおさらだ。これはいけるかもしれない。閃光拳を掌で打ったことはない。

 だが理論的には可能だ。試してみる価値はある。

 <3>

 深夜。旅籠の部屋で寝ていたサスケは隣室から気配がもぞもぞと動くのに気づいた。隣室にはアズが寝ている。

 気配は深夜だというのに動きを止めず起き上がって室内をうろうろしている。サスケは半覚醒のままアズが外出するために着替えているようだと思った。

 はっとなった。外出?こんな真夜中に?一体どこへ?サスケが耳を澄ますとやはり気配は戸口のほうに行く。

 便所ではないとカンが告げていた。サスケも急いで着替えると先に出た気配を追った。旅籠の戸は当然、固く閉められている。

 そこを開けるとすれば大きな音が出て使用人が目を覚ます。一体どうするのか。すると気配は表口には向かわず裏口に向かった。

 サスケは合点した。そうか。裏口を開錠する音なら表よりも大分、小さい。そしてその通りその音は旅籠内の人間の睡眠を邪魔するほどのものではなかった。

 気配がそっと外に出る。少し遅れてサスケも裏口を抜けて裏の小路に出た。するとその時の物音に気づいたのか先に出た気配が振り返った。

 その気配は警戒してこちらを見ていたがやがてサスケだとわかるとほっと肩の力を抜いた。そしてアズの抑えた声が聞こえた。

 「お前、こんな夜中に何やってんだ?」

 呆れたような響があった。サスケも声を潜めて答えた。

 「それはこっちのセリフだよ。一人でどこに行く?」

 「ちょっと近くの森までな」

 「森?郊外に出るのか?危険だぞ。ガビがまたやってくるとしたらもうそういうところに潜んでいるかもしれない」

 アズの気軽な声が聞こえた。

 「出遭っちまったら仕方ない。闘うまでだ」

 アズが踵を返して歩き出した。サスケは急いで追いながらその背に声をかけた。

 「だから何をしに行くんだよ!」


 荒野を一時間ほど歩いた頃か。町から一番近い森が見えてきた。ガビが戻っているかもしれないという懸念はある。

 だがアズは迷わずそこに入った。中に入ると木々が密生していて一歩、進むのにも苦労しそうに見えた。

 だが木々は枯れたように細いものばかりで折れば進むことができた。アズはそうやってずんずん奥まで入っていった。

 時折、止まって木の太さを調べた。どうやら目的はそこそこ太い木のようだ。だが中々アズの気に入るような木は見つからなかった。

 アズは諦めずさらに奥に進んでいく。森の中は痩せた木が多いので月光は遮られることなく足元まで届く。

 そのため躓くことはなかった。森の規模は町の半分にも満たないようだ。程なくして向こう側に着いてしまった。

 アズは困ったような表情を浮かべた。探している、程よい太さの木がなかったせいだろう。町から二番目に近い森に行くとなると目的を遂げて帰ってくるまでに夜が明けてしまう。

 仕方なくこの森の木で間に合わせることにした。さっき少し気になる木があった。大人の大腿ほどの太さの木だ。出来れば人間の胴くらいある木がいい。

 だがこの森ではそれ以上のものはなさそうだ。その木に決めた。アズがその木の前で腰を軽く落とし拳を後ろに引く。

 表情は引き締まったが体の力は程よい程度に抜かれる。サスケはそれを見て合点したように言った。

 「ははぁ。ようやくわかったぞ。町の人達に修練を見られたくないんで夜中にこっそり抜け出してきたわけか。目的はあれか。ガビ対策か」

 アズは木を見たまま頷いた。サスケはさすがに付き合いが長いだけあって察しがいい。アズは早速、天地自然神海呼吸法を始めた。

 自然の力が徐々に体内に満ちてくる。自然と一体化すると感覚が広がって世界の隅々にまで行き渡ったように感じる。

 世界がアズで満ちた。準備はできた。掌を立ち木に打ち込むイメージを何度も繰り返す。バランスは悪くないか。

 余計な力は入っていないか。意識は漏れなく掌に集中しているか。イメージは何度も繰り返され間違ったところが修正されていく。

 やがてイメージは完成した。その間も呼吸法は続けられている。今では天を震わせ山をも崩せそうな力が体に満ちている。

 サスケは腕を組んでじっとその様子を見守っていた。アズが心の中で叫んだ。いくぞ!新技、閃光掌!

 足が強く地を踏んだ。途端に大地の力が足を通じて跳ね返ってくる。そのまま足から腰、腰から肩、肩から肘に力を螺旋上昇させていく。

 そしてそれが手首までやってきた。手の形は拳じゃない。掌だ。力を掌に乗せて打った。やや丸めたような手の形の掌打は凄まじい威力がこもっているはずだった。

 なのに派手な音は立てなかった。だが木が激しく震えた。大量の葉が頭上にはらはらと落ちてきた。

 アズが身を引いた後も木の震動は収まらない。いや徐々に大きくなっていきやがて嫌々するように左右にブルブルしなった。

 しばらくしてそれはようやく収まった。見上げるとその木は木の葉をすべて落として丸裸になっていた。その時サスケが訝しげな顔で言った。

 「おめえ・・・腕が落ちたのか?こんな細い木、なんで折れねえ?」

 アズが笑って木を指差した。

 「根元を見てみろ」

 サスケが訝しげにそこを見た。すぐに驚愕の表情になった。木が爪先立ちするように根を見せて浮き上がっていたからだ。

 「何をやったらこんなことが起きる!?」

 アズが掌を見て言った。

 「今のは閃光掌だ。通常の閃光拳は貫通力を主眼に置いているが閃光掌は内部破壊を目的としている」

 「閃光掌!?そんなの、聞いたことねえぞ」

 「まだ思いついたばかりで試したのは今夜が初めてなんだ。打ち込んだ後この木の内部では閃光パワーが激しく回転しながら上に昇っていった。

 だから木の葉はすべて落ちて木自体が浮き上がってしまったんだ」

 サスケは興味深そうに浮き上がった根の部分を眺めた。そして恐ろしげに呟く。

 「木でさえこんなになっちまうんだからな。人体に打ったら・・・」

 「まぁ善人には使わないよ。もちろん。今のは試しだったんで二、三割の力で打ってみた」

 「二、三割でこれかよ!?じゃあ全力で打ったら人はどうなっちまうんだよ。恐ろしや・・・」

 サスケはせり上がった木を見ていたが急にぴんっときたような顔になった。

 「これはガビ対策だったよな?れいの赤色岩鉄甲とかいう技を破るために開発した技なんだよな?」

 アズは頷いて言った。

 「奴の体は岩みてえに固い。その体を力一杯、突いたらてめえの拳がイカれちまう」

 「だから掌か。閃光拳、第三弾だな」

 アズは自信をもって頷いた。


 ハセフは自室に篭ってアズのことを考えていた。アズは自分より年少なのに闘いに対する心構えが出来ているという。

 敵に対する油断もまったくない。一体、彼はあの若さでどれほどの経験を積んできたというのか。それに引き換え自分はいつまでもシルミスの死を引きずって自室でめそめそ泣いている。

 シルミスが生きていたら怒鳴られたかもしれない。ハセフはシルミスのイメージに向かって問いかけた。先生。あの時の俺の行動は間違っていたんですか?

 父は間違っていないと言いました。わからなくなってしまったんです。確かにあの時は頭に血が昇っていた。

 もう少し冷静になっていたらもっと賢い行動をとれた。そう考えるのは無駄ですか?今更ですか。先生の死は避けられなかったことなんですか?

 俺が逸らなければ今も一緒にいられたんじゃないですか。ハセフはシルミスのイメージが答えてくれるのをじっと待った。

 シルミスは本物の叔父のような存在だった。もし自分を甥のように思って、いやひょっとしたら自分の子供のように思っていてくれたかもしれない。

 それほど彼から情を感じることがあった。そんな自分が必死に念じればたとえシルミスが黄泉の国にいようと必ず答えを与えてくれるはずだ。

 そう信じた。シルミスの穏やかな顔を眺め続けた。そしてどのくらい時間が経ったのか。誰かに呼ばれたような気がしてまどろみから目が覚めた。

 シルミスの声のような気もした。その時ふっとシルミスの言葉が頭に浮かんだ。どんな場面かは忘れたが以前、同じように悩んでいた時にかけられた言葉だった。

 こら。ハセフ。お前は何を思い悩んでいる?人生なるようにしかならない。過ぎ去ったことを悩むのは愚かってもんだ。

 だが人間は愚かな生き物だ。過ちは必然的に犯す。だからそんなこと早く忘れろ。シルミスは太陽のように笑っていた。

 暖かい微笑みだった。頑なで幼い自分の心がその暖かさで溶かされていくようだった。そうだ。先生は言っていた。

 過ちを教訓とするのはいい。だが引きずるのは止めろ。ハセフはシルミスのイメージに頭を垂れた。

 わかりました。先生。もう悩むのは止めます。そして彼のように強敵に対して負けぬよう万全の準備します。成すべきことをやります。


 ミネは台所で水仕事をしながら開け放たれた裏口から見えるゴロに言った。

 「ハセフさんが心配だねぇ。私に何かできることはないかねぇ」

 ゴロは裏庭で薪を斧で割りながら言った。

 「これはハセフさんの問題だ。他人が口出しすることじゃねえ」

 「そんなこと言ったって気になるじゃないか」

 「男の問題だ。女は口を挟むんじゃねえ」

 「心の問題に男も女もありゃしないよ」

 その時ミネははっと耳を澄ました。二階で扉の閉まる音が聞こえたのだ。イナフは一階の居間にいる。

 すると引き篭もっていたハセフが出てきたのか。ミネはゴロを呼んで事情を説明し一緒に行くよう頼んだ。

 台所を出て廊下を進み、そして階段のところまで来た。二人して階上を見上げる。だがそこに人影はない。少ししてゴロが訝しげに言った。

 「な〜んにも音はしねえじゃねえか」

 「おかしいねえ」

 すると今度は表口のほうで何か音がした。硬い物を打つ音。その音を二人は知っていた。顔を見合わせて玄関に向かった。

 そして扉を少しだけ開けて前庭を覗く。いた。ハセフが庭の隅にある、稽古用の立ち木の前に立っていた。

 そして構えると動かなくなった。だがその体からはぴりぴりとした緊張が漂っており、うかつに声をかけられない。

 二人も緊張してハセフを覗き見ていると不意に後ろから声がした。

 「ようやく吹っ切れたようだな」

 驚いて振り返るとイナフが立っていた。ミネが心配そうにイナフに言った。

 「旦那様。ハセフさんはもう大丈夫なんでしょうか?」

 「それはあいつ自身が決めることだ。だがああして集中しているところを見ると・・・」

 イナフの表情に微かな笑みが浮かんだ。


 ハセフは立ち木の前で構えていたがその心は無念無想の域に入っていた。ガビとの闘いが思い出される。

 だが心乱れず自分を客観的に見ることが出来た。赤色岩鉄甲。鋼鉄の体。立ち木に何万回と叩きつけた拳が足がまったく通じなかった。

 顔面。 胸部腹部。腕。足。どこを攻撃しても効かなかった。旋風拳を使って拳足の力を上げればあるいはダメージを与えられるかもしれないと考えた。

 だが今わの際にシルミスは言った。旋風拳の大技、旋風拳大車輪蹴り、旋風拳大回転蹴り、旋風拳裏拳打ちなどすべてきかなかった、と。

 じゃあ旋風拳はガビの赤色岩鉄甲に敗れたのか。そう思わざるを得ない。しかしシルミスはこうも言った。

 世の中に完全なものなどない。必ず弱点はある。まだ旋風拳は敗れていない、と。ハセフはその言葉の意味を考えた。

 世の中に完全なものなどない・・・やはり赤色岩鉄甲のどこかに弱点があるということなのか。人体には鍛えようがない急所がいくつかある。

 例えば喉。例えば股間。例えば膝の裏。今までハセフはそこを狙うのは武術家として卑劣だと思って狙ったことはなかった。

 ふと思った。そうか。シルミスはこうも言っていた。お前の武術は真っ正直すぎる。そうだ。生きるか死ぬかの闘いに卑劣も卑怯もない。

 生き残ったほうが勝者なのだ。ハセフはシルミスのイメージに向かって誓った。よくわかりました。先生。

 俺は勝つためならなんでもします。たとえそこが急所だと言われているような場所でも。シルミスのイメージが謹厳な面持ちで頷いたような気がした。


 賊を討伐したことで町は今度こそ警戒を緩めたように見えた。だがイナフ一人だけはガビがまた襲ってくると信じて疑わなかった。

 町の人間はその推測に懐疑的だったがイナフの提言を容れて各所に防備を施した。夜間警備の巡回も続けた。

 だが二週間経ち三週間、時が過ぎてもガビの影も形もなかった。町の人々はやはりガビは逃げたのだとほっと安堵の息をついた。

 そのせいか警備も疎かになりがちになった。町の重要会議でももう厳重な警戒態勢を解いてもいいんじゃないか。

 そういう意見が多く出始めた。そして一ヶ月が過ぎる頃には町人のほとんどが元の生活に戻りたいと町長に訴えた。

 町長は町の声を無視できない。だがイナフは町長に警戒態勢を維持すべきだと訴えた。すると町長からこう聞かされた。

 警備責任者のロペスもそろそろ警備を平時に戻してもいいんじゃないかと言っていた、と。イナフは落胆して体の力が抜けるようだった。

 警備責任者がそうではとても厳重な警戒態勢を維持できない。後は個々でやるしかない。こうしてイナフの落胆をよそに町の日常は戻ったのである。

 その頃アズとサスケはどうしていたのか。ガビの脅威は否定され父ファスの手がかりの糸が切れたのなら町に留まる必要はない。

 旅立つかと思われた。だがそこにイナフから要請があった。もう少し町にいてくれないか、と。

 <4>

 町の空気に影響されたようにサスケの警戒心も徐々に緩み始めた。だがアズのカンはガビが諦めるはずはないと告げている。

 二人はイナフの言を信じ率先して町を巡回した。そんなある日の巡回中サスケが気の抜けた顔で言った。

 「やっぱりガビはもう襲撃は無理だと諦めたんじゃないのかなあ」

 「そうかもな。でもイナフさんは絶対、来ると信じている。旅籠もタダで泊まらせてもらっている。警備の巡回くらいは協力してあげようじゃないか」

 イナフの要請を聞いて町に留まると決めた夜イナフから十数年前のことが聞けた。イナフの語り口は自嘲的だったがどこか懐かしむような響もあった。

 あの時の自分は闘ったというより数手で一方的に倒されてしまった。だからどんな武術が使われたのか。

 詳細はまったくわからんのだよ。だが闘ったのは事実だ。アズは粘って憶えている範囲だけでもいいと話してもらった。

 すると少ない情報からいくつかわかったことがあった。体さばきや突きなどは特に鋭さも速さもなかった。

 いやむしろ遅く鈍いように感じられたという。なので簡単に避けられる、当たってもたいしたことはないと侮った。

 だがそれが違うとわかったのはその直後だった。こちらの攻撃は当たるようで当たらず逆に向こうの攻撃だけが当たった。

 それがまた足から頭の天辺にまで突きぬけるほど、腹の奥底が爆発したと感じるほど強烈だった。アズは思った。

 恐らく父もまたその時、閃光拳を完成させていたのだろう。誇らしさ嬉しさを感じながら最後に訊いた。

 父は町を出た後どこに向かったのか。イナフの答えはアズを失望させるものだった。その後、気絶してしまったのでわからないという。

 ガビもその後の行方は知らないと言っていた。これで父を知る二人から情報はすべて聞き出した。ガビの襲来がない以上この町に留まる必要もない。旅立つ時が来たと思った。


 ミネが玄関から表門の郵便物を取りに行こうとした時ふと庭隅に立つ人影に気づいた。ハセフだ。彼が立ち木に向かって旋風拳の修練をしている。

 もう何時間になるのか。三時間前もそこにいた。いつまでやれば気が済むのだろう。体を壊してしまわないか心配になった。

 ハセフはイナフの言を信じて賊の襲来を待っている気配がある。それはそうだろう。盗賊にはハセフらにとって家族同然だったシルミスが殺されている。

 復讐の機会はその時しかないのだ。だがこうも激しい修練をしていては賊が襲ってくる前に体を壊してしまう。

 諌めようかどうか迷った。結局、止めた。今のハセフは熱くなっている。煩がられるだけだ。その時、裏庭からゴロもやってきた。

 ゴロはミネの表情を見て彼女の気持ちを察したのかハセフに声をかけた。

 「そんなに激しくしないでもいいんじゃないんですかい?もう賊はとっくに逃げちまってますよ」

 ハセフは気にしたふうもなく言った。

 「そうかもな」

 ミネも我慢できなくなって言った。

 「手配書は回っているんです。いつかどこかで捕まりますよ」

 「そうかもな」

 生返事しか返さないハセフに二人は諦めて自分の仕事に戻っていった。ハセフは立ち木を人間に見立てて考えた。

 鍛えようがない急所はどこだ?目。喉。脇腹。睾丸。肛門。膝の裏。人体に見立てた立ち木に急所がある位置に印をつけてそこだけを集中して打った。

 打ちながら思った。まだガビは襲ってこないのか。もうこっちの準備はできている。早くガビ対策を試したい。

 ガビに旋風拳をぶち込む時が待ち遠しい。


 人々に日常が戻って笑顔が戻る中、町の様子を通りの陰からうかがう影が二つあった。なんとガンポとボラだった。

 帽子を目深に被ったりカツラを被って変装していたが間違いなく町の牢にいるはずの二人だった。

 なぜ二人が通りにいるのか。それは町の攻撃隊が賊のアジトを急襲している時を見計らって牢を破ったのだ。

 自警団は町に帰った後そのことを知ったが賊の大半を討ち取って上機嫌になっていた。チンピラの二人が逃げたとしてもたいしたことはもうできない。

 そう思ってそのことは放念された。だが二人は町から逃げ出さず留まって反撃の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

 二人は町の各所を見て回った。そして夜の帳が下りると町を密かに出て荒野を歩いた。そして以前とは異なる森の中に入った。

 少し歩くと小さく開けた場所がありそこには逃げたはずのガビの姿があった。二人はガビに報告した。町は完全に警戒を解いた、と。


 旅籠の部屋で寝入っていたサスケは寝苦しそうに寝返りを打った。

 「う〜ん。うるせえな・・・」

 枕を抱いて無理に寝ようとする。だが寝苦しさは変わらない。まどろみの中で考えた。なんでこんなに寝苦しい?

 目を閉じて考えていてふと人の叫びのようなものが聞こえた気がした。なんだ?訝しげに耳を澄ます。

 するとカンカンカンという金属音も聞こえてきた。鐘の音?はっとなった。これは急を告げる鐘が鳴らされているのか!?

 サスケは飛び起きた。急いで着替えて表に出た。外に出ると鐘の音はうるさいほどだった。北西の夜空が赤々と燃えているのに気づいた。

 火事だ。それもかなりの規模の。通りに出た付近の人々も不安げに北西の空を指差していた。程なくしてアズも出てきた。そしてサスケの隣に並んで夜空を見上げる。

 「火事か?」

 「たぶんな」

 その時アズの顔に懸念の色が浮かんだ。

 「イナフさんはガビは決して諦めないと言っていた。これがそうなのか?」

 二人は憂いを帯びた表情で目を見交わした。すると北西から人がやってきてその場に居た人々に言った。

 「火事だ!若い者は火消しを手伝いに行ってくれ!」

 アズがサスケに言った。

 「とりあえず現場に行こう。ガビの仕業かどうかわかるかもしれない」


 居住区の北西で三、四軒ほどの家屋が派手に燃えていた。アズらが到着した頃には既に自警団が火消しに奔走していた。

 燃える家の前でロペスが火消しの指揮を取っている。近くの井戸から汲み上げられた水を甕に入れて人々が手渡しで運んで火にかけている。その中にハセフの姿もあった。

 「俺達も手伝おう」

 アズが甕の運搬の列に加わろうとそこに向かった。サスケも後に続いたがその途中で不意に足が止まった。

 アズが振り返るとサスケが不審げに火事とは反対方向を見ている。

 「なにやってんだ!」

 アズが声をかけるとサスケは少し首をかしげながら駆け寄ってきた。

 「いやさ。ガンポを見たような気がしてさ・・・」

 アズが驚いてその方向を見た。だがどこにも人影はなかった。

 「見間違えじゃないのか?」

 「そう・・・かもしんね」

 二人は疑念を残したまま火消しの列に加わった。火は水を何度もかけたが中々、消えなかった。ロペスが苛立ったように言った。

 「くそっ。なんで消えないんだ!?」

 居住区は木造の家屋が密集している。このままでは延焼して被害がさらに拡大する恐れがあった。すると団員の一人が困ったように呟いた。

 「まるで可燃性の液体でも塗ってあるかのようだ」

 ロペスがその呟きを聞きとがめて訊いた。

 「どういうことだ?」

 「いや。ありえないことだけど火がよく燃えるようにあらかじめ油とか可燃性のある液体が塗ってあったのかなぁって。ははは。そんなわけないか」

 それを聞いたアズはぴんと来てサスケを見た。サスケも考えは同じだったらしく目を見開いていた。

 「ひょっとして!」

 その時、南のほうから別の団員がやってきてロペスに報告した。

 「大変だ!南西のほうでも火事だ!」

 「なんだって!?」

 ロペスが南西の方角を見た。夜空がいつの間にか赤々と燃えている。

 「なんて夜だ。一晩に二件も火事が起こるなんて」

 アズとサスケは疑いを深くした。二箇所から火が出て、その近くでガンポらしき不審者を見た。また家屋には火がよく燃えるよう可燃性の液体が塗られていた疑いもある。

 二人が怪しんでいるとロペスが決断した。周囲の団員や町人に言う。

 「半数を割いて南西の火事に回す。急げ!」

 アズもひとまず南西のほうに向かおうとした。するとサスケは考え込んだ様子のまま動かない。

 「なにやってんだ、サスケ!」

 声をかけるとサスケは懸念したように東のほうに目を向けた。

 「なあ・・・この火事が賊の仕業だとするとなんのためだ?」

 「なんのためって、町を混乱させるためだろ?」

 サスケが首を横に振った。

 「確かに以前の賊は町を混乱させて、それに乗じて町の財産を略奪しようとした。だけどアジトを急襲されて賊のほとんとが討たれた。

 残っているのはガビと数人くらいだ。そんな少数で大きな略奪が出来るか?」

 「なるほど。たいした略奪が出来なけりゃ、ガビが満足するとは思えないし町に充分な復讐もできない。でもそうだとすると今回の真の狙いはなんだ?」

 そう不審そうに呟いていてはっとなった。

 「賊には略奪の他にもう一つ目的があった!」

 サスケは頷き、懸念した様子で東のほうに目を向けた。


 イナフは書斎の窓から夜空を焦がす火事を眺めていた。激しく鐘が鳴らされていた。火事が起こった時は床についていたが眠りが浅かったのですぐに異変に気づいた。

 最初は単なる火事だと思った。だが放火の疑いも捨て切れなかった。しばらく様子を見ていると別の場所でも火事が起こった。

 最初の火事に人が集まったのを見計らったように発生した、もう一件の火事だった。それで疑いから確信に変わった。

 これは間違いない。ミネとゴロを呼んだ。二人は騒ぎに気づいた後その事をイナフに報告に来たため起きていた。

 イナフは二人に火消しの手伝いに行くよう命じた。二人は訝った。既に自警団はもちろん多くの町人が火消しに向かっている。

 今更、自分達が行かなくてもいいだろう。いやむしろ彼らの邪魔になりはすまいか。だが主人に命じられたので向かった。

 二人が家を出て行くとイナフは安心したように息を吐いた。そしてそれからどのくらい時間が経ったのか。

 数時間のようであり数分のようでもあった。不意に背後の扉が音もなく開いた。廊下の闇から人影が浮かび上がった。

 イナフはそれに気づいていたが窓の外に目を向けたままだった。少しして言った。

 「・・・来たか」

 人影は身じろぎもせず言った。

 「驚かねえようだな」

 「二つの火事が同時に起こった。これは偶然ではあるまい。必ずあんたが来ると思った」

 「それなのに護衛を呼ばなかったのはどういうわけだ?」

 「もう終わりにしたかった。あんたと私、どちらかが死ななければ終わらない。だからだ」

 疲れた声だった。人影はしばらく黙っていたが低い声で言った。

 「いい覚悟だ・・・」

 イナフがゆっくりと振り向いた。そこにはガビがいた。


 アズとサスケがイナフ邸に急いでいると途中でハセフと行き会った。走りながら事情を訊くと彼も同じ懸念を抱いたと知った。

 火事に向かう人の流れとは反対方向に走る三人の視線の先にやがてイナフ邸が見えてきた。すると家の前で通りの左右に目を走らせる不審な影が二つあった。

 三人の鋭い目は夜間でもそれが変装したガンポとボラだとすぐ見抜いた。ガンポとボラはアズらに気づくと慌てた様子で家の中に入ろうとした。

 だがそれより早くサスケの手が二回、閃いた。逃げようと背を向けた二人に飛礫が当たってバンザイするように前に倒れた。

 アズとハセフはガンポらに目もくれず邸内に飛び込んだ。サスケは二人を縛るためにそこに残った。

 ハセフがイナフやミネ、ゴロの名も呼びながら二階に駆け上がっていった。その後ろにアズが続く。そして扉の開け放たれたイナフの部屋の中に飛び込んだ。

 するとその目に飛び込んできたのは腹を押さえて蹲るイナフとその前に立つガビの姿だった。

 「貴様ぁ!」

 ハセフが怒りの目をガビに向けた。


 ハセフは怒りに我を忘れてガビに襲い掛かろうとした。

 「待つんだ!いきなり襲い掛かるのは危険だ!」

 アズが急いでハセフを羽交い絞めにして止めた。ハセフがそれにもがいて抵抗した。

 「放せ!放してくれ!父さんがやられたんだ。黙っていられるか!」

 そこにサスケが合流した。アズがサスケに目を向けるとサスケが頷いてみせた。もうガンポとボラは自警団に引き渡したということなのだろう。

 相手が三人になったことで不利と思ったのかガビが窓際まで後退した。アズがサスケに目配せした。

 サスケは頷いてガビを警戒しながらイナフに近づいた。そして蹲って呻くイナフを抱きおこすと部屋の隅まで連れていった。

 とりあえずそれで戦いを妨げる要素は無くなった。アズとハセフがガビと対峙した。ハセフが意気込んで言った。

 「あの時の決着をつけるぞ、ガビ!」

 ガビが嘲るように言った。

 「ふん!若造二匹でかかれば勝てるってか。自惚れるなよ、小僧ども!」

 ハセフが我慢できなくなったように突撃した。

 「先生の仇!」

 怒りに我を忘れているせいかいつもの彼とは違う、鋭さに欠ける雑な攻撃だった。ガビは顔面を固くガードしてハセフの突きを防ぐと彼を突き飛ばした。

 ハセフがよろめいて後方に下がる。ガビが室内を見回して言った。

 「ここは狭い。誰にも邪魔されねえように町の外でやろうじゃねえか」

 もちろん二人に異論はない。二人が道を空けるとガビはその樽のようなゴツさに似合わず風のように室内を出て階段を駆け下りていった。


 アズとハセフはガビを追って荒野に出た。二人の後方にはかなり離れているがサスケの姿も見える。

 彼はイナフの手当てを町人に託してきたため遅れたのだ。ガビは充分に町から離れると足を止めて振り向いた。

 それを見たアズらも足を止める。ガビが荒々しくシャツを脱いで上半身裸になった。樽のような体格は肥満しているように見える。

 だが肌を露にしたその体はまさに筋肉の鎧で覆われていた。しかも浅黒いのでより精悍に見える。ガビが吠えた。

 「さぁ、かかってきやがれ!」

 「おう!」

 ハセフが呼応していきなり突撃した。アズは危ぶんだ。まずい。イナフを倒されて冷静さを失っている。アズが慌てて彼の体を抱き止めた。

 「待つんだ、ハセフさん!」

 「放せ!なぜ止める!」

 「あんたは冷静さを失っている。このまま闘ったんじゃ危険だ!」

 「見損なうな!俺は冷静だ!」

 アズは仕方なくサスケに目配せした。その意味を察したサスケがアズに代わってハセフを後ろから組み付いて動きを止める。アズはそれをを見届けるとガビに目を向けた。

 「俺が相手だ!」

 「俺はどっちでも構わないんだよ。二人がかりでもな」

 アズは容易に間合いに入らずガビの周囲を回って観察した。刀剣さえ通さぬ鋼鉄の体。さてどのくらいの硬さなのか探りを入れてみるか。

 アズは回るのを止めて左半身になるとじりじりと近づいた。ガビは薄笑いを浮かべて無造作に立っている。

 アズは意を決して間合いに入った。そしてガビの顔面に向けて小刻みに左突きを打つ。ガビが煩わしそうに手でそれを払った。

 痛い。軽く払われただけなのに手刀を振り下ろされたような痛みが腕に走る。だがガビは完全にこの小刻みな突きに注意を奪われている。

 突きは牽制。狙いは・・・。アズの腰がなめらかに回り、右下段回し蹴りがムチのようにしなってガビの大腿に叩き込まれた。

 アズの蹴りは立ち木を容易く粉砕する。人体であれば骨さえ折れる。もろにぶち当たった。やったと思った。だが次の瞬間、愕然となった。

 「なにっ!?」

 蹴りが跳ね返されていた。足首が痛かった。攻撃したのはこっちだぞ!?ガビを見れば薄笑いを浮かべている。

 こいつ、体の構造はどうなっているんだよ!?驚愕しているとガビの口が開いた。

 「・・・聞くところによるとてめえはあの男の倅だってな」

 町の人間がその正体に気づかずガンポかボラに漏らしてしまったか。無言でいるとガビが憎憎しげに言った。

 「隠していやがって。まぁいい。あいつを倒すために編み出した赤色岩鉄甲。奴じゃなく奴の倅ってのが不満だが仕方ねぇ。たっぷりと味わいやがれ!」

 ガビが大きく息を吸った。凄い肺活量だ。周囲の空気がどんどんガビの肺に吸い込まれていく。ガビの体が一回り大きくなるにつれて体の色も変わってきた。

 浅黒い皮膚がさらに赤黒くなっていく。アズは慄然となった。なんだこれは!?やがて呼吸が収まるとガビはその膨らんだ体を満足そうに見下ろして言った。

 「赤色岩鉄甲。この術を発動したからにはもうどんな攻撃も俺には通用しないぜ」

 <5>

 拳がぶんぶん唸りを上げて打ち込まれる。相手の防御や反撃はおろか攻撃のタイミングも効果もまったく考えていない。

 ただただ荒っぽい。雑だ。喧嘩殺法の域を出ていない。こんなのにあの老練な武術家のシルミスはやられたのか?

 パワーだけの荒くれ者じゃないか。だが迫力だけは凄まじい。頬を掠めるパンチに背筋が凍る。かつてこれほど重量感のある攻撃は受けたことはなかった。

 前の村で闘った獣人はガビより二周りは大きかった。鋭くはあったがこれほどの重量感はなかった。

 侮れない。ガビが猛牛のように突進しながら思いっきり引いた拳を前に突き出してきた。カウンター。

 いけるか?タイミングを測った。いける。よし。今だ。二人の拳がすれ違おうとする。だがその時ガビの拳がいきなり巨大化したような錯覚に囚われた。

 視界一杯になった拳に驚いてカウンターを中断して急いで避けた。アズに避けられた後もガビの突進は止まらずそのまま後方にあった岩に拳がぶち当たった。

 ガキッと音がして岩の表面にひびが蜘蛛の巣状に走る。やがて岩は倒壊した。ガビが拳を引いて振り返った。

 そして笑った。拳はなんともないようだ。化け物め。

 「いけねえ、いけねえ。張り切りすぎて、この岩をおめえと間違えちまった。だが安心してくれ。次はちゃんとやるぜ」

 アズは危機感の中にありながら呆れた。避けられたのがわかっているくせに。何が間違えた、だ。

 「さぁ、続きだ!」

 ガビがまた力任せに拳を振るってきた。拳がまた巨岩のように見える。アズは舌打ちして後退した。

 不味いと思った。ガビの攻撃に脅威を覚えて怯みが生じている。このままではとてもカウンターなど取れない。

 無理に取ろうとしてもミスを犯してうまくいかないだけだ。そしてそのミスはどんな些細なものであろうと大ダメージを負う。

 とても危険は犯せない。後退しながら怯んだ気持ちを立て直そうとした。と、その時石を踏んでバランスを崩した。

 すぐ身を捻って体勢を保とうとしたがその場は砂状だったらしく、もう一方の足も滑った。たまらず仰向けに倒れた。それを見たサスケが悲鳴を上げる。

 「アズ!」

 急いで立ち上がろうとした。その時、視界一杯に何かが迫ってきた。なんだ?荒々しい声が聞こえた。

 「こいつでオネンネしな!」

 迫ってきたのはガビの足だ。桶のような、ぶっとい足に体重をかけてアズを踏み潰そうとしている。

 「わわわっ!?」

 アズは身を横に転がしてなんとか避けた。ドスッという音が聞こえた。見ると顔の脇にガビの足があった。

 その時、凄まじい臭さが鼻を焼いた。臭ぇ。足、洗ったの何十年前だよ。アズが飛びのくとガビも足を引き戻した。ガビの踏んだ跡は激しく陥没していた。


 劣勢は続いていた。怯んだ気持ちを早く立ち直らせたいのだがガビの攻撃が猛威を振るうためそれも中々、出来ない。

 このままじゃいけない。自棄になって攻撃を打ってもそれは腰の引けたものなのでダメージを与えることはない。

 アズは焦りを覚えていた。だがその時アズは気づかなかったがガビも同様に苛立ちを覚えていた。

 捉えられるようで捉えられない。後一歩で手が届きそうで逃げられてしまう。どうしてだ?ガビはわからなかったがそれは閃光拳の精妙な体さばきによるものだった。

 ガビはうまくいかないことにうんざりして集中が切れかけていた。このままアズが女のように逃げ回るのならまだ闘争心のあるハセフに狙いを変えようか。

 そう考えているとアズの後方に乱立する小岩群が見えた。あれは利用できそうだ。ガビは両手を広げ左右に逃げられないようプレッシャーをかけた。

 そしてそのまま前進する。アズはそれにやや戸惑ったが後方が空いている。警戒しながら下がった。

 そしてじりじりと下がっていく内にふと周囲の景色が変わっていることに気づいた。これまでは遠くに巨岩や岩山が屹立しているだけで闘うには事欠かない広大なスペースがあった。

 だが今は周囲に小岩が狭い間隔で点在しており気をつけないとぶつかってしまう。小岩は人の背丈くらいで見ようによっては墓標のようだ。

 するとガビがにんまりと笑って言った。

 「ちょこまかと逃げ回りやがって。だがそれももう終わりだ」

 アズが訝るとガビは近くの小岩の後ろに回りこんだ。何をしている?すると違う角度からガビを見ていたサスケが蒼白になって叫んだ。

 「アズ!ヤバいそ、逃げろ!」

 アズがサスケに目を向けようとした時だった。ガビの前の小岩がいきなり砕け散った。その無数の破片がアズ目掛けて飛んできたのである。

 「ゲゲッ!?」

 アズは仰天して慌てて地に身を投げた。間一髪、破片が背中を掠めて通り過ぎる。

 「一対、何をした!?」

 アズが愕然となってガビのいる場所に目を向けた。だが岩を粉砕した時の塵や煙でその姿は見えない。

 だがそこからさっと動く影を捉えた。その影は別に岩に向かっている。そしてその後ろに回ると声が聞こえた。

 「もう一丁!」

 岩がどかーんっと破裂してまたもや破片が弾丸のようにアズを襲った。

 「またかよ!」

 アズは両手で頭を抱えて地に伏せた。破片がその上を吹っ飛んでいく。アズは地に伏せたまま言った。

 「一体こりゃ、どんな妖術だ!?岩を爆発させて攻撃するなんて聞いたことねえぞ!」

 すると少し遠くで見ていたサスケが教えてくれた。

 「ガビの野郎。てめえの体が硬いのをいいことに岩をぶん殴って破裂させてんだ」

 アズは呆れた。

 「岩をぶん殴って?いくら効果的とはいえ、なんちゅうことしやがる。そりゃもう武術でもなんでもねえぞ」

 すると岩陰から声が聞こえた。

 「ちょこまか逃げ回るてめえが悪いのさ。そら!もう一発、行くぞ!」

 ドカーンッと音がして小岩が砕けた。すかさずアズは地に伏せた。だがガビももうそれを予期していたようだ。

 破片が低空を飛ぶよう打つ角度を変えた。アズは全身を強張らせて必死に伏せていたが破片は背中を掠るほどになっていた。そしてとうとうその一発が当たった。

 「痛ッ!」

 腿裏に鋭い痛みを憶えた。振り返って傷口を検めるとたいした傷ではない。ほっとした。だが危機感は大きくなっていた。

 駄目だ。いくら身を伏せても角度をつけて打たれればいずれ破片は体のどこかに突き刺さる。いつまでも逃げ回ってはいられない。

 いっそのことまともに闘うか?鋭い破片でダメージを負うくらいならあの硬い体に正面からぶち当たったほうがましだ。

 覚悟を決めて立ち上がると岩陰のガビ目掛けて猛然と走った。サスケが狼狽して言った。

 「馬鹿、馬鹿!そりゃ打ってくれって言っているようなもんじゃねえか!」

 するとその肩をハセフが掴んだ。はっとなってハセフを見るとハセフはアズを見ながら言った。

 「いや彼は自棄になったんじゃない。その証拠に彼の表情は冷静だ。目に強い意志も宿っている。

 少し前までは怯みを見せていたがそれももうなくなった。彼は開き直って戦法を変えたんだよ」

 サスケは不安な様子で目を戻した。アズがガビの隠れた小岩に大分、近づいた。するとそれを見計らっていたように小岩がバーンッと弾け飛ぶ。

 「アズーっ!」

 サスケの悲鳴が辺りを打つ。だがアズの姿はもうもうと立ち上る岩塵や煙で見えない。少ししてそれらが薄まってきた。

 まず砕けた岩陰に立つガビの姿が見えた。ガビは確認するように前方を見ていた。無数の破片が散乱し地面には破片が開けた穴がいくつも見られる。

 だがどこにも倒れ伏した人影も血だらけのものもない。ガビはそれがわかると笑みを浮かべた。

 「地の果てまで吹っ飛びやがったか」

 すると上空から声が聞こえた。

 「吹っ飛ぶのはお前のほうだ!」

 ガビが愕然と上を見上げた。すると上空から空気を切り裂いて鋭く伸びてくるものがあった。足だ。だがその足は刃のような鋭い切れ味があるように見えた。

 「ぬおっ!?」

 ガビはなんとか腕を掲げてそれを防いだ。ドスッと重い音がして二つの人影が重なり合う。

 だがすぐに二つは離れた。アズはガビから少し離れたところに着地すると足を擦った。少し痺れている。

 だがこれならすぐに回復する。正面から突撃すると見せかけて上空からの、意表を突いた蹴り。ガビを見れば忌々しげな表情でアズを見ながら蹴りを防いだ前腕を擦っている。

 少しはダメージを与えたようだ。仕掛けるなら今。ガビ目掛けて走った。急に攻勢に転じたアズを見てガビは怯んだ様子になった。


 「うりゃさぁっ!」

 アズの鋭い左右の連続突きがガビを襲う。ガビは両腕を上げて顔面を防ぐ。その両腕にアズは構わず怒涛の突きを入れた。

 突きの回転数を上げるため大振りや強打は避けた。狙いはガビの目と鼻。嵐のような攻撃にガビはまったく反撃できない。

 しばらくしてわざと息をつくように攻撃を中断した。すかさずガビが手を出す。引っかかった!ガビの突きと入れ替わるようにしてアズの腕が伸びる。

 ガビの顔面に突きが炸裂して彼の顔ががくんとのけぞった。カウンター成功。アズは気を良くして追撃した。

 再び突きの回転数を上げる。ガビは唸り声を上げて後退せざるを得なかった。ガビはガードの隙間からアズの攻撃を見た。

 正面から横殴りの豪雨が襲い掛かってくるようだった。その勢いのある雨粒の一つ一つがアズの拳だ。

 カウンターによる被弾。さほどダメージはない。だが勢いに押されていた。このままじゃいけない。と、アズの体勢が僅かに崩れた。

 地面の小石を踏んだのか、猛烈な連打運動でどこか体を痛めたのか。反撃。いや待て。罠かもしれない。

 いやいやいや。罠をびびって何もしないのは俺のやり方じゃねえ。行くぜ!ガビの右拳が唸りを上げて水平に振るわれた。

 それを見たアズの目が光った。来た!アズがガビの懐に飛び込んだ。

 「ぬおっ!?」

 やはり罠か。だが、しゃらくせぇ!構わず拳を振るった。だがアズの拳のほうが数倍、速い。ガビの目前に拳が飛んできた。

 だが咄嗟に頭を下げてそれで受けようとした。それを見てアズは慌てた。ガビの頭と自分の拳。分が悪い。

 瞬間、突きを掌に変えて突きはなすように額を押した。ガビは少し後ろによろめいたがすぐガードを上げた。

 追撃はできない。アズは警戒を強めたガビを見た。もう罠には引っかからないだろう。だが依然としてアズのほうが優勢だ。

 よし!このまま一気に押し通す。我が最大の必殺拳で!その時ガビは眉をひそめた。勢いは向こうにある。

 それなのに攻撃が来なくなった。無造作に立っているように見える。リラックスしてとても戦闘中には見えない。

 何を考えている?少し攻撃してみるか?足を一歩、踏み出した。すると急にアズが大きく見えた。その体が巨人のようにどんどん大きくなっていく。

 馬鹿な。目の錯覚に決まっている。目を軽くこすって見た。アズは元のままだ。やはり幻覚を見たようだ。

 だが何か危険の匂いがする。ガビは警戒してじりじりとアズの周囲を回った。


 アズはその頃、天地自然神海呼吸法を繰り返していた。天はどこまでも高く清清しく地は豊饒でどこまでも広く続いている。

 空の大きさと一体になればガビとの体格差は問題にならない。地の堅牢さと一体になればガビの赤色岩鉄甲など恐くはない。

 やがて天地と一体になった。力が体の隅々にまで行き渡る。よし、いくぞ!新技、閃光掌だ!アズが太陽のように光る目でガビを見た。

 ガビは怯んだ。また巨人を見たような気がしたからだ。ガビは自分を叱咤した。何を寝ぼけていやがる。

 目の前にいるのはただのガキじゃねえか。 巨人なんかじゃねえ。こんなガキ、粉々に打ち砕いてくれる。

 ガビが全身に気合を入れた。二人の体に猛烈な闘気が湧き起こり体の何倍もの大きさになる。それは生き物のように牙を剥いて相手に襲い掛かった。

 闘気同士は絡み合い揉み合いになる。常人からはアズとガビが急に固まってしまったかのように見えたことだろう。

 だが極限まで武術を修練したハセフには二人の闘気が猛々しく相手を飲み込もうとしているのがはっきりと見えた。

 むう。二人ともなんという凄まじい闘気だ。二人の間にぴりぴりとした緊張が高まっていく。その緊張は二人を外界から隔絶し二人だけの空間を形成する。

 サスケのごくりと唾を飲みこむ音がやけに大きく聞こえた。隔絶した空間の中にいるアズの体が震動し皮膚がぴりぴりと痛んだ。頃合か!アズが走った。

 「む!?来るか!」

 それを見てガビも走った。二人は見る見る間に近づいていく。やがて間合いに到達した。だがそれはどっちのだ?

 どっちが早く攻撃を打てる!ガビだ。ガビは間合いに入るや否や渾身の一撃を振るった。水平に回されてくる、その一撃はまるですべての家屋を薙ぎ倒す暴風雨を思わせた。

 いや岩だ。その拳はパワーだけでなく硬さもある。アズにはその拳が山から猛烈な勢いで転げ落ちてくる巨岩に見えた。

 凄まじい!だが走る速度を緩めず岩の下に身を滑り込ませるようにして間合いに入った。だが走る勢いが強すぎて通常の間合いより深く入ってしまった。

 打つには近すぎる。だが打つのは突きではなく掌底打ち、すなわち閃光掌だ。間合いはこれでいい。

 強くブレーキをかけるように地を強く踏んだ。途端に地から力が跳ね返ってくる。それを螺旋上昇させていく。

 足、腰、背中、肩、肘、そして掌へ。いくぞ、閃光掌!ガビはまだ突きを放った体勢のままでアズの速度に対応できていない。

 掌がガビの腹部に触れた。掌が光った。閃光パワーがガビの鎧に浸透する。閃光拳では赤色岩鉄甲とぶつかり合って拳が粉々に砕け散っただろう。

 だが閃光掌の柔らかい力はガビの力と争わない。抗わず同化して内部に入った。そして入るや否や一気に広がろうとする。

 その時ようやくガビが懐に飛びこんだアズに気づいてその頭上にハンマーを振り下ろそうとした。アズは舌打ちした。

 駄目だ。まだパワーが充分に浸透していない。だがハンマーが迫ってきた。仕方なく離れた。だが不完全ながらも閃光掌をぶち込んでやった。

 ダメージはどうだ?するとガビはなんでもないように上体を起こした。きいていないのか!?すると少しして苦しげにガビが身を二つに折った。

 やった!やっぱりきいていたんだ。閃光パワーが内部で荒れ狂って五臓六腑を完膚なきまで破壊しているのだ。

 ガビの腹部を見れば赤銅色の腹筋に掌の形で内側にへこんでいる。そのまま破壊しつくせ!だがしばらくして大きく息を吐くとガビが身を起こした。

 アズは愕然となった。まだ闘えるのか!?ガビがにやりと笑った。

 「ふう。さすがはあの男の倅だ。何をやったのか知らねえが、今のは効いたぜぇ」

 <6>

 アズは愕然となった。馬鹿な!?莫大な破壊エネルギーを持つ閃光掌をくらって少ししかきいていないだと!?

 ガビが腹部を擦りながら、ふん!ふん!と何回も力んだ。すると閃光掌によってへこんだ部分が次第に押し返されていくではないか。やがて元通りになった。

 「なんて奴だ・・・」

 アズが呆然となっているとガビが突進してきた。

 「おい、おい!ぼけっとしてていいのか?まだ勝負はついていないんだぜ!」

 ガビが前蹴りを放った。鋭さも速さもない、簡単に避けられるものだ。だが当たればその凄まじいパワーによって吹き飛ばされるだろう。

 余裕はあったが油断はしなかった。するとガビは蹴る時、足元の小石を一緒に蹴った。それでいくつもの小石が弾丸のようにアズの体を襲う。

 避ける暇がない。両腕で顔面をカバーした。小石とはいえ勢いがあるので当たると結構、痛い。そして小石の猛撃が止んでガードを下げた時だった。

 「もう逃がしやしないぜ!」

 ガードした隙を突いてガビは間を詰めたようだ。その岩のような拳が目前に迫っていた。もう避けられない。

 「くうううっ!?」

 咄嗟に顔をよじって拳をかわそうとした。だが完全に避けられずパンチがアズの頬をこするようにして走り抜けていく。

 ガビの体勢が崩れたところで距離を取ろうとした。愕然となった。膝がぐらぐらする。足に力が入らない。

 まさかさっきの、掠っただけのパンチで!?愕然となっているとガビがアズの異変に気づいた。

 「ふふふ。どうやら足がきかなくなっちまったようだなぁ?」

 ガビが雄叫びを上げて突っ込んできた。だが足が動かない。動け、俺の足よ!もがくあまり倒れてしまった。

 その頃にはもうガビは拳を振るう体勢に入っていた。だがアズが倒れたため突きが放てない。舌打ちして踏みつけようとした。

 アズは横に転がってその攻撃をかわした。だがガビは執拗に追って踏み潰そうとする。そのためアズは立ち上がれず地を転げ回って逃げざるを得なかった。

 ガビはいつまでもアズを捉えられないことに苛立った。

 「てめえ!しぶとすぎるぜ!」

 アズは転げまわりながら思った。これはいい。足が回復するまでこうしていよう。すると踏み疲れたのかガビの呼吸が乱れてきた。

 チャンスだ。この間に回復するんだ。寝転んだまま呼吸法を繰り返した。


 アズがバネ仕掛けのように起き上がるとガビの呼吸もまた回復していた。ガビがアズを睨んだ。だがふっと表情を和らげて言った。

 「てめえほどしぶてぇ野郎は初めてだ。どうだ?今度こそ本当に仲間にならねえか?」

 アズは呆気に取られたがすぐ苦笑して言った。

 「まさか二度も誘われるとはね」

 するとサスケが注意するように言った。

 「アズ、油断するな!その言葉はおめえを油断させるためのものかもしれねえぞ!」

 ガビが笑みを引っ込めて本来の残忍な顔になった。

 「やっぱり断られたか。それじゃあちょこまか動くネズミをそろそろ捕まえるとするかい」

 ガビがやや腕を広げてじりじりと迫ってきた。アズは少し戸惑った様子になった。打撃の構えじゃない。

 捕まえる気のようだ。捕まえてどうする?圧殺する気か。なら一旦、距離を取るか?いやそれでは闘いにならない。

 遠い間合いから回し蹴りをぶち込むか?いや閃光掌以外の攻撃で倒せるとは思えない。どっちにしろ距離を取っては決着がつかない。

 接近戦で勝負だ。閃光掌はさきほど打ったが不完全なままだった。もう一回だ。今度こそ完璧な形で。


 ガビは動かなくなったアズを不審に思った。なぜ逃げない?考えたが理由はわからなかった。まぁいい。

 捕まえてすぐに腰の骨をへし折ってやる。ガビがじりじりと距離を詰めた。そして間合いまで後一歩というところまで来た。

 アズのほうはといえばタイミングを測っていた。奴が襲ってくる勢いを利用して閃光掌だ。アズはその時を待った。

 だがガビは最後の一歩を中々、踏み越えてこない。なぜだ?なぜ襲い掛かってこない。思い切りのいい奴がなぜだ?

 するとガビがにやっと笑った。なんだ?アズが訝っているとガビが腹の底に力を入れたような声を出した。

 「ハーーーーーッ!」

 意表をつかれた。まさに毒息だった。アズは不意に顔面にかけられた悪臭で息が詰まりそうになった。

 「ぐぐぐっ!?」

 「もらったぜ!」

 ガビが猛然と突っ込んできてアズを両腕ごと抱え上げた。そしてその万力のような力で締め上げる。

 途端に腰骨がバキバキと悲鳴を上げた。ガビが楽しげに笑った。

 「腕が立つといってもやっぱりてめえはまだ若造だなぁ!世の中にゃ、こういう手もあるんだぜ!」

 アズの腕が肋骨が腰骨が軋んだ。アズが苦しげに顔を左右に振った。なんとか脱出しようともがいた。

 だがその圧迫は強まることはあっても緩むことはない。もう逃しやしねぜ!ガビが力任せに絞り上げていると少ししてアズの苦しげな声が聞こえた。

 「・・・マンティスがどういうやられ方を・・したのか聞いて・・・いないのか?」

 ガビは訝った。何を言っていやがる?だがアズの言葉を考えてみた。ガンポからの報告によるとマンティスはアズが引きちぎった鎖の破片によって大怪我を負ったという。

 それを聞いた時は信じられなかった。マンティスの鎖をあの細く見えるアズが引きちぎられるはずがない。

 たぶん鎖は錆びていて闘い前に既に折れる寸前だったのだろう。だがこのアズの自信はどうだ。自分の力で引きちぎったといわんばかりではないか。

 まさが本当のことなのか。だが力で対抗しようとしているのなら愚かなことだ。ガビはさらに力を込めた。

 アズの苦痛の唸りが大きくなった。やっぱりはったりか。このままくたばりやがれ!するとアズの体が不意に膨らんだ気がした。

 「くらえ!閃光拳、応用技だ!」

 アズの内部からいきなり何か大きな力が膨れ上がったように感じた。危機感を覚えて慌てて腕を放した。

 瞬間アズの体から何か凄まじい爆風のようなものが発生した。ガビはそれをまともに受ける寸前、腕を離した。

 だが不可視の爆風が彼をのけぞらせる。そのままよろよろと後退した。だが間一髪、縛めを解いたのが幸いしたようだ。

 たいしてダメージは負わなかった。だが心理的ショックがあった。ガビは驚いて言った。

 「なっ、なんだ、今のは!?」

 アズは少し得意げに言った。

 「縛め破りの閃光拳さ」

 だがすぐに顔をしかめて腰を擦る。さすがに今の締め上げはきつかった。ガビはそれを見て自信を取り戻した。


 重く荒々しい横殴りの連打がアズを襲った。正確さには欠けるが一発でも当たったら骨まで砕かれるような攻撃だ。

 アズはまだダメージから回復できていないようで動きが鈍い。腰も痛かったが一緒に締め上げられていた腕が痺れていた。

 攻撃が大振りなので隙を見つけて反撃するがガビは意に介さない。次第にアズは追い詰められていった。


 サスケは拳を握って応援した。

 「アズ、どうしたんだ!魔物の時だって、獣人の時だってうまく逆転しただろう!」

 するとその隣にいたハセフが我慢できなくなったように言った。

 「このままでは彼が危ない。助けに入るぞ」

 サスケが躊躇したように言った。

 「でも・・・アズは一対一の闘いを邪魔されるのが嫌いだから」

 「そんなこと言っている場合じゃない。だが・・・同じ武術家としてそれは理解できる。なら交代ということにしよう」

 ハセフが駆け寄って二人の間に無理に割り込んだ。

 「交代だ、アズ!」

 アズが不満げな表情を見せたがそれに構わずハセフはガビに向き直った。

 「今度は俺が相手だ!」

 ガビが嘲笑した。

 「一回やられたってのに。懲りねぇガキだ」


 ハセフは上半身を捻って回転し始めた。途端にガビが用心する。

 「旋風拳ってやつか。だがそれはもう爺のを破った」

 ハセフの回転は止まらない。まるで小さな旋風がそこに現れたかのようだ。

 「しゃらくせぇんだよ!」

 ガビが突っ込んで突いた。だが旋風の中に手ごたえはない。はっと右を向くと旋風がいつの間にか移動している。

 「逃がすか!」

 すると今度は旋風のほうから向かってきた。アズは呼吸を整えながらハセフを見ていた。凄まじい回転の中、ちゃんとバランスを保っている。

 常人ならもちろんあれほどの猛回転はできないし、よしんばできたとしても目を回すかバランスを崩して倒れてしまうだろう。

 これが旋風拳か。その時ハセフが回転したまま飛んだ。飛び回し蹴りのようだが凄まじい回転が加えられているため通常のものより威力は何倍も違う。

 ガビが両腕を上げて防御した。だがなぜか蹴りは届かなかった。アズがもどかしげに唸った。よりによってこんな時に間合いを測り間違えたのか!?

 するとガビから、うおっ!?という驚きの声が上がった。胸に一筋の浅い切り傷が横に走っている。アズが愕然と思った。

 ハセフは何をしたんだ!?まさか隠し武器でガビを斬ったのか?いや彼はそんな汚い手を使う男じゃない。

 アズが見ているとハセフは今度は縦に回転し始めた。激しく前転している。そして勢いそのままにガビに襲い掛かった。

 ガビはさすがに何かあると危ぶんでかわした。だがまたしても肩に一本の切り傷が縦にできた。拳足による傷ではない。どういうことだ?するとその時サスケが言った。

 「あれはカマイタチだ」

 カマイタチ。それはある気象条件によって真空が発生し近くにいた人間に切り傷をこしらえさせる現象だという。

 アズは愕然となってハセフを見た。まさか旋風拳は真空まで生み出せるというのか!?サスケの説明を聞いていたガビが嘲笑して言った。

 「オカマだかイタチ野郎だか知らねえが、こんな掠り傷いくつできたって痛くも痒くもないんだよ!」

 アズもそれには頷かざるを得ない。ハセフさん、どうする?


 ガビの嘲笑を聞いてもハセフの回転は揺るぎもしなかった。カマイタチで倒せるとは最初から思っていなかった。

 赤色岩鉄甲。残念だがまともに打ち合えば傷つくのはこちらのほうだ。それはカマイタチの真空の刃でも同じだ。

 それはあくまでも牽制だった。狙いは・・・ここだ!カマイタチを打ちつつガビの周囲を回っていて不意にその回転を解いた。

 「なっ!?」

 急に目前に現れたハセフにガビが驚く。ハセフの拳が鋭く突き出された。真の狙いは鍛えようがない急所!

 喉元に正拳突きがきれいに入った。ガビが呻き声を上げてよろめいた。閃光拳ほどではないが旋風拳も拳足は充分に鍛えてある。

 人体を楽に破壊できるほどの力を備えているのだ。決まった!すると俯いたガビから忍び笑いが漏れてきた。

 「くくく。きかねえなぁ」

 ガビが顔を上げて喉を見せた。赤銅色の皮膚も強靭な肉もダメージを受けたようには見えなかった。

 馬鹿な!?喉元にもろに入ったんだぞ!だがハセフの立ち直りは早かった。懐にいる間にとにかく知りうる、すべての急所を試してやろうと思った。

 目は正面からなのでさすがに避けやすい。注意を逸らさねば難しいだろう。それに最も警戒する箇所だ。

 なら睾丸。さっと身を低くして拳で打った。愕然となった。手ごたえがない。どういうことだ!?いや考えるな。

 効いていないのなら次を狙え。後ろに素早く回って肛門を手刀で突いた。これも手ごたえはない。くそっ。

 最後に膝の裏。足で踏み壊そうとした。だがガビの足はびくともしない。どうなっているんだ、一体!?

 残りの急所も打った。だがやはり効果はなかった。手を尽くしてしまったので仕方なく離れた。

 「ふふふ・・・」

 ガビの背中が笑っていた。彼がゆっくりと振り向いた。優越感が顔に現れていた。

 「無駄なことはよすんだな。赤色岩鉄甲に弱点はない」

 ハセフは絶望的になった。


 ハセフが呆然と立ち尽くしているとガビが勝ち誇ったように言った。

 「俺様の技は無敵だ。急所ならば通用すると考えるのはド素人の浅はかな考えだ。俺は盗賊だが武術家の端くれでもある。

 急所のことは当然、考えた。睾丸の手ごたえがなかっただろう?あれは体内に引っ込めたのさ」

 ハセフが愕然となった。そんなことができるのか!?

 「肛門は別にトリックでもなんでもねぇ。臀部を引き締めて肛門を筋肉で覆った」

 意外だった。まさかガビが急所封じを考え済みだったとは。だが一箇所だけ試していない部分がある。それは・・・。

 「目だ!」

 優越感に油断が生じている。ハセフはガビの目にいきなり二本指を突き立てようとした。くらえ!だが次の瞬間ハセフの手に激痛が走った。

 「ぐうううっ!?」

 何が起こった!?するとガビが自分の目の前で垂直に手の側面、ちょうど手刀のような形、を見せているのが目に入った。

 その側面が自分の二本の指の間を切り裂いたのだ。ハセフは血の滴る手を押さえて後退した。ガビが哄笑した。

 「わははは!その手じゃ、打てる攻撃も大分、制限されちまうなぁ。ほんじゃあ止めってことで!」

 ガビが突っ込んできた。右。左。唸りを上げて拳が水平に振られてくる。それをなんとかかわした。だが不意に突き上げてくる前蹴りはかわしづらかった。

 仕方なく無傷の左腕でブロックする。だが桁違いのパワーのせいで吹っ飛ばされ腕に打撲傷を負った。

 <7>

 サスケはアズに緊張した顔を向けた。

 「やべえよ。やっぱりあいつじゃ相手にならねえよ」

 アズは考えた。まったく凄まじい。実はアズも急所ならあるいはきくのでは、と考えていた。それが目以外、ほとんど死角がないとは。

 ガビはただの盗賊だと侮っていたがその認識を改めねばならない。ガビも技の研鑽を怠らない武術家だったのだ。

 十数年前、親父はどうやってこのガビを倒したのか。閃光拳でさえ倒すのは難しいはず。いやこの疑問は間違っている。

 その時ガビはまだ赤色岩鉄甲を編み出していなかった。その時のガビはただ体が頑丈なだけの常人だった。

 だから閃光拳で容易に倒せた。親父はその時どこに閃光拳を打ち込んだのか?ガビがハセフに猛攻を加えている。

 ガビの体は最初、浅黒かったが興奮して赤黒さを増している。その体の中で一箇所だけ違う色があるのに気づいた。

 体の中心。鳩尾だ。そこは周囲の赤黒さが薄れて拳の形のような痕が見える。その時、閃いた。あそこだ。

 いくら鍛え直したといっても閃光拳のダメージは尋常ではない。なんとか生き残れたとしても必ず後遺症が残る。

 ガビの弱点は閃光拳の痕だ!だがよく見てみるとガビは巧妙にその痕だけは打たせないようにしている。

 やはり敵に悟られたくないようだ。あの丸太のような腕で固く防御している。弱点はわかった。だがあのごつごつとした岩鉄の防御を跳ね除けるのは至難の業だ。

 赤色岩鉄甲のせいで奴の腕はやたら硬く重い。それを跳ね除けるのには相当なパワーが必要だ。

 また防御をなんとか排除できてもそれに力を使い果たしてしまい恐らくその後が続かない。どうする?


 アズが必死に考えているとサスケの悲鳴にはっとなった。

 「もうあいつ、もたねえ!」

 見るとガビがハセフの右半身を集中的に攻めているところだった。ハセフの右手は負傷している。出血もある。

 そこを弱点と見たガビが集中的に攻めているのだ。ガビの重たげな左回し蹴りが飛んできた。とても上手な蹴りとは言えない。

 脚力だけに頼った無骨な蹴りだ。だがそこには怒涛の勢いと人体をへし折るパワーがあった。避けろ!

 アズは思った。だが傷のせいかハセフは動きが鈍い。ガビは易々と間合いに入った。ハセフは必死に右腕を上げてガードした。

 そこにガビの蹴りがぶち当たってハセフが呻き声を上げる。骨が軋んだようだ。さらにガビはそこを執拗に攻める。

 左回し蹴りの連打。速いとはいえない。だが避けられない。ハセフが堪らずよろめいたところにガビは左拳をハセフの右腕にぶち込んだ。

 「くううう!」

 ハセフが右腕を押さえて初めて声を上げた。このままではハセフの右腕は使いものにならなくなってしまうだろう。

 ハセフはもう駄目だ。もう代わるのを嫌がる彼の意思など気にしていられない。彼を助けねば。その時ふと思いついた。

 ハセフと一緒にガビと闘うのはどうだろう?ハセフの協力があれば閃光掌を打ち込める。ハセフにガビの気を逸らせるか、あのガードの腕を排除させるのだ。

 そうすれば閃光掌に専念できる。だがそうすると二人がかりでガビを倒したことになりそれは武術家としての矜持が許さない。

 アズが躊躇っているとサスケがその表情に気づき理由を訊いてきた。正直に話した。するとサスケは思い出すように言った。

 「シルミスの爺さんがハセフにこう言っていたっけ。お前の武術は真っ正直すぎる。今の話を聞いておめえもハセフと同じなんじゃねえかって思った」

 「真っ正直すぎる・・・?」

 サスケが頷いて言った。

 「こうも言ってた。武術ってのはきれい事じゃ片付かない。むしろ闘いとは醜いもの。汚いもの。それは当然だ。

 生き残るためのものなのだから。だから醜くてもいい。汚くてもいい。生き残るための行動をしろ、って」

 アズが考え込む様子を見せた。サスケはそれを見て諭すように言った。

 「なぁ。あまり二人がかりは卑劣とか固く考えなくていいんじゃねえか?戦だって勝つためにまず味方を敵より多く集めるだろ?

 それで勝ったほうは賞賛され負けたほうは歴史の闇に消え去る。戦だって、個人の決闘だって同じ闘いだ。闘いにきれい事を持ち込むのはもう止めにしねえか」

 アズはしばらく自分の拳を見つめていた。

 「きれい事・・・か」

 そして意を決したように頷いた。

 「わかった。二人がかりでガビを倒そう」

 サスケがアズの背中をどんっと叩いた。


 「ガビ!」

 後方からの鋭い声にガビは振り向いた。するとアズがこちらに駆け寄ってくる。ガビが嘲ったように言った。

 「駄目だ。交代はさせねえ。もうてめえらは交代枠は使い切ってんだよ」

 するとアズは立ち止まらずガビの傍らを走り抜けて言った。

 「交代じゃないさ。チームプレイだ」

 「なんだと?」

 アズはハセフのもとに来るとその腕を引っ張った。

 「ちょっと来てくれ」

 二人はガビから充分、距離を取ったところで立ち止まった。アズはガビを警戒しながらハセフに二人でガビと闘うことを提案した。

 だが予想通りというかハセフが難色を示した。一対一でやりたい、と。アズはそこでさきほどサスケと会話した内容を伝えた。

 ハセフはシルミスの言だとわかると神妙になった。そしてしばらく葛藤している様子を見せたがやがて諦めたように言った。

 「・・・先生の遺言だもんな。聞かないわけにはいかない」

 ハセフは一つ息をつくとアズに訊いた。

 「で、どうやる?」

 アズはガビの体に刻まれたファスの拳跡、すなわち弱点のことを話した。そしてその弱点をガビが巧妙に守っていることも。

 なのでアズがそこに攻撃できるようなんとかハセフにその防御を破ってもらいたいと。そこでハセフが不満を示した。

 「弱点があるのなら俺だって打ち込みたい。奴は先生の仇だし父さんも傷つけた」

 アズは首を横に振った。弱点といっても赤色岩鉄甲で固く守られている。貫通力の技では奴を倒せない。

 旋風拳は回転することによって貫通力を高めた技。赤色岩鉄甲と旋風拳がぶつかり合えば硬く力のあるほうが勝つ。

 旋風拳の力が赤色岩鉄甲と互角だとしても硬さは歴然としている。ハセフの拳足が壊れるだけで鋼鉄の岩で守られたガビの肉体は破壊できないのだ。

 だがこちらの新技、閃光掌ならば破壊できる。柔らかい掌ならばどんな硬いものを打っても傷つかない。

 そしてそれは内部破壊の技。閃光掌のパワーはガビの鎧を透過し内臓を破壊しつくす。閃光掌ならば勝てるのだ。

 そこまで説明するとハセフもようやく納得してくれた。

 「仕方ない。攻撃は君に任せよう」

 二人はガビに向き直った。

 

 二人が意を決したようにこちらに歩んでくるのを見てガビがからかうように言った。

 「おうおう。弱っちいのが雁首揃えて。逃げる算段は終わったのかい?」

 ハセフが強がったように言った。

 「ああ。終わったとも。お前の料理方法の相談がな」

 アズは注意するようハセフを鋭く見た。だがハセフはそれに気づかなかった。不用意な発言は相手に警戒を強めさせるだけなのに。

 そしてハセフの言を聞いたガビは訝った。おかしい。圧倒的にこっちが優勢だった。それが二人がかりでやるくらいでこうも自信が回復するものなのか。

 「いくぞ、ガビ!」

 ハセフが突っ込んできた。なんのつもりだ?旋風拳がきかないことはもうわかっているはず。その時はっとなった。

 ハセフの背後に隠れるようにしてアズも続いている。奴ら、何かたくらんでいるな。ガビは警戒を強めた。

 ハセフは鋭く回転しながらガビの固いガードを見た。なるほどアズの言った通りだ。ガビは拳跡があるという鳩尾をこちらに意識させないやり方で守っている。

 これを排除しなければならないのか。その時はっとなった。ガビの左腕が不意に伸ばされてきた。回転したままなんとか身を捻ってそれをかわした。

 ガビも駆け寄ったことで彼の間合いに入るのが早まったのだ。左拳を伸ばしたことで鳩尾の防御がやや開いたように見えた。

 いけるか!?だが右腕が鳩尾の前に置かれている。駄目か。これまで気づかなかったがどっちかの腕が必ず鳩尾を守っている。

 よほど攻撃されたくないという証拠だ。これはいける。自信を深めた。ハセフの背後に位置していたアズも攻撃の機会をうかがっていた。

 だがやはりというか中々、打たせてくれない。再び考えた。ガビはこちらを迎撃するためにどちらかの腕を使う。

 だが一方の腕は必ず防御に回っている。両腕を一度に排除できないものだろうか。


 その時ハセフも考えていた。両腕を同時に排除する、いや封じるにはどうしたらいい?後ろに回って羽交い絞め?

 腕力に差がありすぎて無理に決まっている。アズと二人でガビの両側から腕を取って封じる。だがそういう状態から閃光掌とやらは打てるのか?

 いやその前にガビは激しく暴れる。無理だろう。その時また攻撃が来た。今度は右の突きだ。慌てて右腕で外側に弾いた。

 「くうううっ!?」

 怪我した右腕を使用したため激痛が走る。その時、弾かれた後のガビの右腕が防御に戻るのがやや遅いように見えた。

 そうか。もっと力を込めて弾けば防御に戻る時間がさらに遅れる。そしてその弾く力に旋風拳を使えばなおさらだろう。

 だがあの硬い腕に旋風拳をぶつけるのだ。その後、戦闘不能になるくらいの怪我は必至。ハセフは後ろのアズを意識した。

 だがこれしか方法はなさそうだ。今のところ旋風拳ではガビは倒せないのだ。仕方ない。彼に賭けよう。ハセフは後ろに声をかけた。

 「いくぞ」

 アズはそれを聞いてハセフが何かを決断したと感じた。恐らく特攻のような何か思い切った手を使う気だろう。

 それがどんな手かは訊く気はない。ハセフが自分で決断したことだ。アズは閃光掌を打てる状態にしてその時が来るのを静かに待った。

 ハセフが回転をさらに上げて突っ込んだ。まるで身が浮き上がってしまうような凄まじい回転だ。ハセフの中に決死の覚悟を見たのかガビは亀のように身をちじめて防御した。

 「来るなら来い。背骨をへし折ってくれる!」

 アズが慄然と思った。あの背骨折りの技か。だがハセフに忠告しなかった。もうこうなったら彼の好きなようにさせるしかない。

 ハセフが間合いに到達した。ガビが叫んだ。

 「攻撃の終わった時がてめえの最後だ!」

 ハセフは回転しながらガビの両腕の位置を見ていた。いくぞ、旋風拳!回転の勢い、そのままにハセフの右拳が胸の前に掲げられたガビの右手首の内側にぶち込まれた。

 くううう!手首の内側だというのになんという硬さだ。ガビの右腕がばーんと高く跳ね上げられる。

 「ぬおっ!?」

 拳の痛みを堪えて回転を止めると今度は逆回転を行った。急激な身体運動に腰が、膝が、全身が悲鳴を上げる。

 まだまだだ!左の前蹴りがガビの残った左腕を宙に跳ね上げた。左足の甲がずきんと痛んだ。だが見てみればガビは驚愕の表情でバンザイしたような格好になっている。防御が解かれた!

 ハセフは右腕と左足の激痛にもう立ってはいられなくなった。右横に体を投げ出すように倒れた。後は頼んだぞ、アズ!

 その時ガビの目が大きく見開かれた。ハセフの体の陰からアズが弾丸のように突っ込んできた。自分の鳩尾目掛けて。

 まずい!明らかに奴は昔の傷痕を狙っている。鍛えに鍛えた体だがこの傷痕だけはやや衝撃に弱いのがわかっていた。

 奴は明らかにそこを狙っている。ええいっ。俺には赤色岩鉄甲がある。跳ね返してくれるわ!アズは通常の間合いのさらに奥深くまで身を入れた。

 これ以上ないくらいの絶好の位置。いくぞ、閃光掌!地を強く踏んだ。途端に大地の力が跳ね返ってくる。

 大きい力だ。まるで足から暴竜が荒れ狂いながら上昇してくるようだ。落ち着け、竜よ。今、解放してやる。

 その竜を腰、背中、肩へと誘導していく。そして荒れ狂う力が遂に肘までやってきた。もう掌はガビの鳩尾に軽く当てられている。

 くらえ、閃光掌!掌がピカッと大きく光ったように見えた。だがすぐに愕然となった。ガビの体内から激しく抗する力を感じる。

 それはドロドロした灼熱のパワーだった。いやこれは奴、特有の闘気だ。ガビの闘気が閃光掌を拒んでいる。

 赤色岩鉄甲の正体はこれか。だが閃光拳は天地の力。何よりも大きな力だ。邪悪な赤い土地の力などには負けない。

 天よ、地よ。邪悪な力を浄化せよ!掌の光が一段と大きくなった。それに押されてガビ体内の赤黒い光が薄れていく。そして浄化の光はガビの体内に入って爆発した。

 「ぐがあああっ!」

 ガビの体がのけぞって浮いた。いやそう見えた。そして爪先立ちになるほどのけぞるとやがて魂を失ったように後方に倒れた。


 ガビが倒れた後もしばらく警戒を緩めなかった。だがしばらくして起き上がってこないのがわかるとほっと肩の力を抜いた。アズはハセフに目を向けた。

 「大丈夫か?」

 ハセフは地に腰をつけて右腕と左足を気にしていた。

 「ああ。しばらく右腕と左足をかばって生活することになると思うが」

 サスケも近づいてきた。その時ガビが小さく呻き声を上げた。アズら三人はぎょっとなってガビを見た。

 だがガビは弱弱しい呼吸と呻き声を発しているだけで脅威は無くなっている。アズは彼に近づき、その傍らに膝をついて言った。

 「最後に聞きたいことがある」

 ガビは意識が朦朧としているのかアズに向けた目は焦点が合っていなかった。

 「な・・んだ?何が・・・知りてぇ?」

 「親父のことだ。十数年前あんたを倒した男はその後どこに向かった?」

 ガビが苦笑するように首を横に振った。

 「へっ・・・それを知ってりゃあ・・・先に・・復讐に・・・行ってるぜ」

 ガビの口から、ごぼっと血が吐き出された。そしてそれっきり彼の瞼が開くことはなかった。サスケがガビを覗き込んで言った。

 「ようやく終わったか・・・」

 ハセフも感無量の様子でガビを見ていたが不意にはっとなって町を振り返った。

 「そうだ!父さん!」


 イナフは寝室で町医者の診察を受けていた。大病を患った身なので元々、体が弱っていた。そこにガビの重すぎる一撃をくらった。

 重傷だった。内臓がめちゃめちゃになった。まだ生きているのが不思議なくらいだった。ハセフと使用人達はずっと彼を看病したが意識の戻らない日が続いた。

 そんなある日アズとサスケが見舞いに来た。二人がベッドに眠るイナフを見ると彼は目を閉じて苦しげに何か呟いていた。

 イナフの家人が心配した様子でその周りを囲んでいる。アズは痛ましげな表情でそれを見ていた時ロペスが廊下に出ようと目配せしたのに気づいた。アズは室外に出るとロペスに訊いた。

 「イナフさんの容態はどうなんだ?」

 ロペスが痛ましげに首を横に振って言った。

 「町医者の話じゃ、もって後二、三日。生きているのが不思議なくらいとか」

 「そんな・・・」

 「うわ言を口走っているらしいよ。ハセフさんを残して逝けないって。シルミスさんも亡くしたばかりだし」

 アズとサスケは寝室の扉に痛ましげな視線を送った。

 <8>

 家人はイナフの看病を交代で行うつもりだった。だがハセフはイナフの傍らから決して離れようとはしなかった。

 家人は仕方なくハセフの食事をそこまで運びハセフのやりたいようにさせておくことにした。ハセフは目の覚まさない父に毎日、言葉をかけ続けた。

 物心ついて父やシルミスから旋風拳をこの身に叩き込まれた。最初は他の子供達と遊べず不満で泣いた。

 反抗期に毎日の稽古が嫌になって他の町に出奔した。だが捜しに来たシルミスに諭されて戻った。

 イナフは戻った彼を見ても叱らなかった。やりたいことをやればいい、と。それで稽古から解放された。

 それまで鬱積していたこともあり、やりたいことを思いっきりやった。だが何をやっても心の底から満足することはなかった。

 それでわかった。本当に楽しめるもの。本当にやりたいこと。それは旋風拳の稽古だったのだ。稽古に戻った自分を見てもイナフはやはり何も言わなかった。

 だがその表情は、そら見てみろとどこか満足そうにしているのが印象的だった。色々なことを喋った。

 いつの間にか喋り疲れて眠ってしまった。そしてどのくらい時間が経ったのだろうか。カーテンの隙間から夜空が見える。

 ベッドの端に突っ伏して寝ていたハセフの目がふと開いた。何か聞こえたような気がしたからだ。イナフを見たがやはり意識は戻っていない。だがうわ言を呟いていた。

 「・・・あの男にもう一度会いたい。あの時あの男は私を容易く殺せるのに殺さなかった。いつか更生すると信じてくれたからだろうか。

 私を見るあの男の目には穏やかな色が浮かんでいた。あの表情があれ以降、私の力となった。あの男の信頼を裏切れない。

 そして期待通り町を復興させ旋風拳を完成させた。もう一度あの男に会って旋風拳を見せたい。更生し町の復興をやり遂げた私を見てもらいたい。

 そして礼を言いたい。あなたのお陰で私は・・・」

 その時イナフの目が開いた。

 「・・・」

 ハセフは喜んでイナフを覗き込んだ。

 「父さん!気がついたんだね!」

 「ハセフか。私は一体・・・」

 「ずっと意識を失っていたんだ。でも大丈夫。すぐに元気になるよ。ちょっと待ってて。医者を呼んでくる」

 「ハセフ・・・私は眠っている間、何か言っていたか?」

 ハセフはうわ言の内容を言おうかどうか迷った。だが言わないことにした。父の胸の内は父だけのものだ。

 「いや気づかなかった。じゃあ行ってくるよ」

 踵を返そうとしてはっとなった。イナフの意識は再び闇の中に沈んでいた。


 アズの宿泊している旅籠にハセフがやってきた。ハセフは看病疲れのせいか憔悴していた。最初はイナフが亡くなった知らせかと暗然となった。

 だがよくよく考えてみれば自分はイナフとそれほど親しいわけではない。なのでハセフが自らそれを知らせにくるのは少しおかしい。

 いやとにかく彼の用件を聞こう。ハセフはアズの部屋に入るなり暗い表情で言った。

 「昨日、父の意識が一時的にだが戻った」

 アズは喜んで言った。

 「そりゃ良かった!じゃあ色々と話をしたんだ」

 ハセフが首を力なく振った。

 「いや。すぐにまた昏睡状態に陥って、たいした話はできなかった」

 アズも同情して表情を暗くした。するとハセフがアズに真剣な眼差しを向けた。アズは訝った。その表情に決意のようなものが浮かんでいたからだ。ハセフが口を開いた。

 「町医者の話では父はもう今日明日の命らしい」

 アズは絶句した。

 「そこで君に頼みがある。本当に急で申し訳ないんだが今日明日の内に父の意識が戻ったら父の前で俺と闘ってくれないか」

 アズは驚いた。ハセフがその驚きを当然だというように頷いた。

 「十数年前。父は君の父さんに倒された後、君の父さんに憧れを抱くようになった。自分を語らないタフな男。

 だがその裏側は誠実で悪を決して許さない。父にはそう見えたらしい。君の父さんにもう一度、会いたい。

 そう強く願ったようだ。だが風来坊のままでは彼の前に立つ資格はない。彼は以前と変わらない風来坊の自分を見たらひどく落胆するに決まっている。

 父は考えた。立派な男になれば彼は自分を認めてくれるのではないか。そこで昔の罪を償うために町の復興に手を尽くした。

 弱い自分を鍛えなおすために彼の武術を参考に旋風拳を編み出した。何年もかかったがどうにか文武で人に認められる男になった。

 これで彼に会える。八方、手を尽くして彼の行方を追った。だが杳としてわからなかった。やがて大病を患ってその夢も諦めざるを得なくなった。

 そして今回の事件だ。父はもう長くはない。父の前で君と闘うことによって父のやってきたことは決して間違いじゃなかったことを見せたいんだ。父さんの憧れた男の息子と俺が闘うことによって」

 アズは父に対して反感しか持っていなかった。母と自分を捨てた憎き男。いつか捜しあてたら母の分まで文句を、いや殴ってやりたかった。

 だがハセフの話を聞いて不思議と誇らしげな気分になった。そうか。親父はしょうもない人間だけど人にいい影響を与えることができたのか。

 イナフさんを更生させるきっかけを作り旋風拳を編み出させることによってハセフさんを一人前の男にした。

 気に入らないが父の影響力を認めざるを得ない。自分も各地をさすらう内に父のように人に良い影響を及ぼせる男になれるのだろうか・・・。

 父のことを考えていてふと視線を上げた。ハセフが答えを待っている。父の行跡を息子が辿る。これも親子ゆえ、か。アズは微笑んで言った。

 「イナフさんのためになるのなら喜んで」


 ハセフの願いが通じたのか翌朝イナフは目を覚ました。さすがに起き上がれなかったがそれまで昏睡していたのが不思議なくらい元気良かった。

 旺盛な食欲を見せた。だが午後に近づくにつれてその元気に翳りが見えてきた。アズにはもう連絡が行っており既にイナフ邸の居間で待機してもらっている。

 イナフは時間を惜しむようにハセフに色々と今後のことを伝えた。知らせを受けた、縁のある町人が大勢、邸内に駆けつけていた。

 だがイナフの目にはハセフしか映っていないようだった。ハセフはアズとの闘いを告げるタイミングを計っていたがイナフの話は中々、終わらない。

 やがてその口も力を失ってきた。ハセフは悲しみに耐えながら笑顔で言った。

 「父さん。今日はアズが俺と一緒に稽古してくれるっていうんだ。見たくはないかい?」

 イナフはともすると瞼が下りてしまいそうだったがハセフが何度か問いかけると首をかしげた。

 「アズ?はて?誰のことかな・・・」

 それを聞いたミネが嗚咽を漏らした。その肩をゴロが優しく抱いた。ハセフも感情の堤が決壊しそうになったが笑顔で言った。

 「いいんだ。とにかく凄い遣い手なんだ。見てよ」

 一同は前庭に向かった。イナフは車椅子で前庭に運ばれた。アズとハセフは前庭の中央で対峙すると礼を交わしてゆっくりと手首を合わせた。

 アズはハセフの心理状態が気になった。心の動揺が手に取るようだ。これで普段の力が出せるのか。

 だがハセフからは真剣勝負の要望が来ている。また武術家ならば相手の状態がどうであろうと冷徹に勝ちを取りにいかねばならない。

 だが彼は心理的不利だけでなく肉体的なものもあった。ガビとの闘いの傷がまだ癒えていないのである。

 アズの懸念をよそに試合は始まった。何度か拳足を交わすとやはり旋風拳の回転に鋭さがなく攻撃も正確ではなかった。

 アズは迷った。ハセフに隙が見える。それを狙うのは容易い。だがイナフが見ている。今にも命の尽きそうなイナフに息子のやられる姿を見せるのは酷だ。

 どうすべきか・・・。アズが悩んでいるとそこに鋭い叱咤が飛んだ。

 「なんだ、その旋風拳は!お前はそれで真剣に稽古しているつもりか!相手に失礼だろう!」

 いつの間にかイナフが立ち上がってハセフに怒りの目を向けていた。ハセフが呆然となって父を見つめた。

 「父さん・・・」

 するとまたイナフの叱咤が飛んだ。

 「ぼけっとするな!真剣勝負ならお前は殺られておるぞ!」

 ハセフははっとなると表情を引き締めて言った。

 「わかったよ。父さん」

 そしてアズに顔を戻して言った。

 「申し訳ない。闘いを申し込んだ俺がこんな体たらくで。許して欲しい」

 アズはハセフがようやく冷静に戻ったのを見て微笑んだ。

 「待っていたよ。ハセフさん」

 ハセフも微笑み返した。ハセフは腰を捻ると回転し始めた。旋風拳、本来の凄まじい竜巻が生じた。

 周囲の人々はその凄まじい回転に強い風を感じた。今度は隙がない。一発でも当たれば吹っ飛ばされる。

 アズも真剣になった。二人は目まぐるしく立ち位置を入れ替え激しく拳足を交わした。閃光拳を打つ機会を探した。

 だが旋風拳の回転は攻撃と防御を兼ねているので中々その機会が見つけられない。まさに対閃光拳用の武術だった。

 ロペスは車椅子のイナフを介護するように傍らにいた。二人の凄まじい攻防に目を奪われているとイナフが体を震わせて二人に指を向けて何か言っているのに気づいた。

 「どうかしましたか、イナフさん?」

 「・・・あの男だ。あの男が来てくれた・・・あの男と闘っているのは誰だ?」

 ロペスは優しく言った。

 「ハセフさんですよ。あなたの代わりにハセフさんが闘ってくれているんです」

 「ああ、そうか。あれはハセフか。しっかりやるんだぞ。手を抜いちゃいかん。彼は恩人だからな。で、闘いはどうなっている?」

 イナフは闘いに目を向けていたが最早、何も見えてはいないようだった。その時アズが旋風拳の烈風に押されてよろけた。ロペスがイナフに言った。

 「ハセフさんが押してます!」

 「そうか。彼は・・・あの男は旋風拳を認めてくれただろうか?」

 「微笑んでくれてます。きっと旋風拳をたいしたものだと感心しているのでしょう」

 「そうか。良かった。良かった。良かった・・・」

 イナフは微笑んだままゆっくりと瞼を閉じた。


 イナフの葬儀を最後まで見届けたアズとサスケはようやく旅立ちの日を迎えた。自警団やイナフの家人が二人を見送りに町の外まで出て来てくれた。

 その中にはハセフもいた。ガビとの闘いの傷は癒えた。だがシルミス、イナフと立て続けに大事な人を失った心の傷は大きい。

 憔悴しているように見えた。アズが心配そうに彼を見ていると想いが伝わったのか笑顔を見せてくれた。

 アズは思った。今は悲しみに打ちひしがれているがきっと立ち直ってくれるだろう。なんといっても彼には彼らがいるのだから。

 ハセフの後ろにはミネとゴロがいた。彼らは最後までハセフのもとにいるだろう。血の繋がりはないとはいえ彼らは家族同然なのだ。ロペスが代表するようにアズに訊いた。

 「お父さんを捜して旅をしているということだったがこれからどうする?この町で手がかりはなかったんだろう?」

 「まぁなんとかなるさ。すぐに見つかるとは思っていないし」

 するとハセフが急に思いついたように言った。

 「街道をこのまま北に行くとケルラという大きな街がある。そこは決闘試合が盛んで多くの武術家が集まっているそうだ。

 君のお父さんのような達人が向かうとしたらたぶんそこなんじゃないかな」

 アズは礼を言って北に目を向けた。

 「ケルラ・・・か」


 終わり →第四の試練へ  



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