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 1>閃光拳のアズ 第五の試練 

 その黒い市壁は来る者を拒むように高く威圧的で無数の頑丈そうな大石で造られていた。風雨にさらされた表面はボロボロになっており石の角が欠けている。

 だが最も目を引くのは破壊の痕が見えることだ。大人の腰ほどもある石がまるごと無くなっていたり大きく割れていたりとにかく痛々しい。

 それが所々に見える。戦争に詳しい者が見たらその傷痕は間違いなく攻城兵器によるものだと答えるだろう。

 また地面近くの壁に浮いた黒い染みはなんだ。近づいて見てみればどこかしら生臭くおどろおどろしい。兵士に聞けば即答するだろう。

 これは人の血だ、と。だがそういう物騒な気配があるにもかかわらず、市門をくぐろうとする人の流れは後を絶たなかった。

 旅人。行商。乞食。職人。貴族。あらゆる人種がいるように見えた。門番はそれらの人々がクランク王国発行の身元証明書を持ってるかどうかチェックする。

 もちろん持っていなければ入城はできない。門番は入城許可者とそうでない者を選り分け、はねられた者は衛兵によって追い返される。

 そうやって忙しく仕事をしていると街道の向こうから土煙が上がっているのが見えた。はっとなった。

 まさかこの軍事都市ホギュンを襲おうなどと考える愚かな無法集団などいやしないだろうが油断はできない。

 国の混乱は未だ収まっていないのだから。警戒してじっとその土煙を見ていると衛兵の一人がはっとなって言った。

 「皆、槍を引け!男爵様のお戻りだ!」

 衛兵は急いで門番のチェック待ちの人々を道脇に追いやった。そして自分達も道の両脇に整列する。程なくして衛兵隊の前を十数人の騎馬がゆっくりと馬を進めてきた。

 先頭には立派な口髭を生やした貴族風の中年の男がいた。上衣には二本の剣が斜めに交差した紋章が刺繍してあった。衛兵隊長が直立不動のまま声を張り上げた。

 「ホーデン男爵のお帰りである!道を開けよ!ラッパを吹いて城内に知らせよ!」

 

 ジャン・ホーデン男爵は居間に入って手袋を取ると後から続いてきた家宰のホテルに訊いた。

 「王都ベルランから書状が届いているんだって?」

 書状は男爵宛だが男爵が不在の時はよっぽど私的なものでない限り家宰に読む許可を与えていた。ホテルが書状を渡すと男爵はその場で目を通した。すると眉根を寄せて呟いた。

 「・・・国軍への武器の追加注文か」

 「はい。武具、戦闘馬車、軍馬の数が足りなくなったようで・・・」

 男爵はホテルの憂いた声に気づき書状から目を上げた。

 「どうかしたのか?」

 「はい。別に宮廷の発注担当官から要望書が届きまして・・・」

 「なんと書いてあった?」

 「納入代金を五%下げて欲しい、と

 男爵の表情が険しくなった。

 「五%!契約締結時に五%下げたのに、さらに五%か!当家を破産させる気なのか、宮廷政府は!」

 「その代わり爵位を上げると」

 「はっ!この混乱したご時世に爵位の高低などなんの意味がある!受け取るなら王位に次ぐ爵位、公爵位くらいでないと割に合わん。何を考えておるのだ、宮廷の馬鹿な廷臣どもは」

 ホテルはそれを聞いて警戒するように辺りを見回した。そして主人に窘めるように言った。

 「閣下。お声が高いです。壁に耳有りと申します。それでなくとも宮廷には当家を罪に陥れてご領地を武器産業ごと没収して国庫を潤わせるなどという陰謀があるというくらいなのですから。ここは抑えて抑えて」

 「ふん!そんなことは絶対させんぞ!ホーデン家がホギュンを治めて二百数十年。治め始めた頃は産業もなにもなく地方の田舎貴族よ、と馬鹿にされ惨めな暮らしを強いられた。

 だが祖父が武器産業を始めてから徐々に豊かになった。そして当代の王位継承争いが起こって武器の需要が高まったことにより当家はこれまでにないほど繁栄した。

 今まで田舎町と馬鹿にしていたのが繁栄した途端ホギュンを取り上げるか。そんなことは絶対、許さん。この地はホーデン家のものだ。誰にも渡さない。たとえ王といえども」

 「ですが値下げ要求はどういたしましょうか?発注担当官は宮廷財政だけでなく王家の台所も切り盛りしている人間です。

 王から絶大な信頼を得ております。なので彼らの機嫌を損ねるのは愚策かと。彼らを怒らせずにどうやって要求を取り下げさせましょうか?」

 「ふん。捨てておけ。当主が病気とでもいって」

 

 その日。城の大広間では街の人間を大勢、招いた懇談会が開かれていた。矩形のテーブルがいくつも並べられ、そこにきらびやかな衣装を着た、裕福そうな人々が会食している。

 彼らは街の有力商人や高級官僚、上級聖職者だった。そして室内奥の上座には城の主であるホーデン男爵とその家族、ホギュン教会のトップである大司教のヘルガが座っていた。

 隣り合った男爵とヘルガはにこやかに談笑している。するとそのテーブルの中ほどにいた商人が媚びるように男爵に言った。

 「ホギュンが繁栄しているのはすべて男爵様のお陰です。世の中は不景気だというのにホギュンだけはそれから免れている。

 男爵様のお陰で街民は職を失わず平和に暮らしていけるのです。本当に我々は男爵様に感謝してもしきれません」

 ホーデンはやや酔っている様子で上機嫌に手を横に振った。

 「いやいや。私の力などではない。我が祖父が数十年前、街のために始めた武器産業のお陰だ。当初は粗悪品ばかりでどうなることかと先行きが危ぶまれたらしい。

 だが我が父の代辺りから軌道に乗り始めた。街の郊外に工場を何棟も増築させた。そして今ではなんとかこの街を繁栄させることができた。私は先代の事業をただ受け継いだだけだよ」

 男爵が振り返った。そこには各代のホーデン家当主の肖像画が壁に飾られていた。痩身の官僚がにこやかに言った。

 「ご家族も健康で幸福で何よりです。そして男爵様にはホギュン一、いやクランク王国一といっていい美人の姫をお持ちになられて・・・あれ?」

 官僚は男爵の傍に当然、姫がいるものと思って目を向けたのだがそこに彼女の姿はなかった。男爵も会が始まる前から準備に追われ、始まってからは招待客の挨拶を受け、それからすぐ談笑になったので娘がいないことに気がつかなかった。

 男爵は周囲を見回した。だが大広間に娘の姿はない。そこで少し離れた場所に控える女中頭のノーザを呼んで娘の所在を尋ねた。

 ノーザは城の使用人の中でも最古参で有能なことから大抵のイベント運営は任せている。城のことも男爵一家以上によく知っている。

 なので当然、娘の居場所も知っているものと思って訊いた。だがノーザは困ったような顔で存じ上げませんと言う。

 娘にはこの懇談会に必ず出席するよう直接、申し渡しておいた。なのにこれだ。男爵は怒ったが周りをはばかって小声で命した。直ちに娘を連れてくるように、と。

 

 ノーザは白髪で鶴のように痩せていたがその動きは若い女中よりはるかにきびきびしていた。大広間を出ると忙しそうに行き交う女中を捕まえてはアンジェラ姫の居場所を訊いた。

 だが皆、当惑して首を横に振る。他の部屋を見て回った。アンジェラがいそうな部屋をすべて探した。だが見つからない。

 ノーザは立ち止まって少し考えた。そして城の上階に行った。下階は来訪者をもてなし大勢が集まれる部屋で構成されている。

 対して上階は主に城の人間の寝泊りする部屋があった。そして最上階近くは城主一家が住む区画である。そこへの階段を上っていくと女中の一人、マヤに行き会った。

 マヤは新人で今は懇談会の給仕をしていなければならない。なのにこんなところにいる。かっとなって叱責しかけた。だがそこは抑えて訊いた。叱るのはいつでもできる。

 「アンジェラ様はどこか知らないかい?」

 するとマヤは目を白黒させてどもった。

 「さ、さぁ。わわわ、私は見ていません」

 ノーザはぴんっと来た。アンジェラはこの小柄な新人女中を大層、可愛がっている。最も親しい女中の一人といっていい。

 ノーザはマヤは姫の所在を知ってるが口止めされているとみた。そして隠れられる場所といえばもうアンジェラの私室しかない。ノーザはマヤの脇を通り過ぎてずんずんと上っていった。

 「あ!?あの、女中頭!」

 マヤが後方から引き止めるように声をかけてきたが無視した。やがて目的の部屋前に着いた。マヤもすぐ追いついて後ろでばつが悪そうにしている。扉を軽くノックした。

 「アンジェラ様。いらっしゃるのでしたら返事をしてください」

 しばらく待ったが返事はない。ノーザは耳を澄ました。室内から微かに身じろぎする気配を感じた。ノーザは語気を強めて言った。

 「おられるのですね。入らせていただきますよ」

 ノーザが勢いよくドアを開けるとベッドの下に潜り込もうとする人影があった。だがうまくいかなかったらしくベッドの下からスカートだけが外に出ている。ノーザは呆れて近づいた。

 「この可愛いお尻の主はどなたなんでしょうか?」

 すると尻が後ずさって少女が頭を上げた。少女は豊かなプラチナブロンドの髪を揺らし小さな小鼻を膨らませた。

 「なによ。ちょっと隠れんぼしてただけじゃない」

 「隠れんぼ!結婚年齢に達した淑女が子供みたいに隠れんぼ!ああ、嘆かわしい」

 大仰に嘆息するノーザにアンジェラが嫌そうに言った。

 「私、まだ結婚しないわよ」

 「そうおっしゃっていられるのも今のうちです。数年、経って結婚できていなければ焦り出すのが目に見えてます」

 「結婚の話はもういいの。で、なんの用?」

 「なんの用?お嬢様は私がなんの用で来たのかお分かりにならないんですか」

 アンジェラが溜息をついて言った。

 「冗談よ。懇談会でしょ。私、体調悪いから遠慮します

 「それこそ冗談ですね。さぁ、あれこれ子供みたいに駄々をこねていないで早くドレスに着替えてください。皆様お待ちかねです」

 ノーザは鏡台前の椅子の背もたれにかけたままになっているドレスを指差した。各所に宝石のちりばめられた豪華なものだ。

 アンジェラはなおも反抗するように顔をしかめている。ノーザは無表情にアンジェラを見据えて言った。

 「お・は・や・く」

 その冷たい視線にアンジェラは震え上がり急いで鏡台前に座った。マヤがその豊かな髪をブラシでとかした。

 ノーザが監督するように見ていてふと気づいた。鏡台の隣に大きな影が突っ立っている。無言だったのでそれまで気づかなかった。ノーザが溜息をついて言った。

 「オモ。もう怒らないからあんたも手伝いなさい」

 その大女はほっと胸を撫で下ろした様子でアンジェラの仕度を手伝った。

 

 大広間の入り口のほうから感嘆の声が上がった。男爵が見ると美しく着飾ったアンジェラがしずしずと入ってくるところだった。

 城主一家の卓に向かうアンジェラを途中の席の者がほめちぎった。彼女は淑やかに客に会釈していく。

 やがて自席のある卓に着くと座る前に上座の父とヘルガに挨拶した。男爵は仏頂面で頷いただけだったがヘルガはいたずらっぽく笑って言った。

 「最近は神への奉仕を怠っているようですね?」

 「すみません。色々とやることがありまして・・・」

 「たまには教会にいらして欲しいですね。神だけでなく私も寂しい」

 その言葉に周囲の人々がどっと笑った。テーブル客が口々に言い交わした。お嬢様が来られれば神のしかめっ面も緩むというものだ。

 これこれ、神に対して不敬な。それほどお嬢様がお美しいということですよ。ホーデン家と縁のある貴族がアンジェラの美しさを絶賛して男爵に言った。

 「これほどお美しいと結婚の申し込みもさぞや多いのでは?」

 男爵は苦笑するように言った。

 「いや娘にはまだ早すぎます。娘くらいの器量なら他に大勢おられるのではないですか。それにこの子はまだお転婆が直っていないものですから」

 アンジェラが密かに頬を膨らました。貴族が笑って言った。

 「またまたご謙遜を。もう何年もしない内に引く手あまたに違いないですよ」

 男爵は笑って否定したがその顔は満更でもない様子だった。

 

 男爵はその日を懇談会で過ごした。そしてそれが終わって城主の居間に戻ると椅子に深々と座って、ふうと疲れたような息をついた。

 婦人が気を利かせて卓の上にある、男爵用の杯に酒を注ごうとした。それを見た男爵は手を横に振って、酒はもうたくさんと断った。男爵は悩んだ様子で婦人に言った。

 「今日の会で話題に出たがアンジェラの結婚のことだ。適齢に達したのは承知しているがあの子はお転婆すぎて他家に嫁がせると考えると頭が痛い」

 婦人は男爵を気遣うように言った。

 「まぁ嫁げばあの子も案外、変わるかもしれませんわ。でも・・・実家に突き返されることもないとも申せませんけど」

 「聞いたか?この間などは馬場で訓練していた騎士に軍馬の乗り方や闘い方を教えろと言ったそうだ」

 男爵が嘆かわしいように頭を横に振った。婦人が顔をしかめて言った。

 「それだけじゃありませんわ。行儀作法なども見ていると滅茶苦茶なところが色々あって。これまでどういう教育をしてきたのかと私も頭が痛くなりましたわ」

 「ノーザは有能な女中頭だと思っていたのだが見込み違いだったのかな?」

 「ノーザは責められません。彼女はよくやっております」

 「つまりノーザほど有能な人間にも手に負えないってことか」

 「まったくどうしてあんな娘になってしまったんでしょう」

 二人は同時に溜息をついた。

 「会でも冷やかされたようにアンジェラをくれという申し込みは確かにある。だがこれではとても嫁に出せん。出せばホーデン家の評判が地に落ちる。

 だがこのまま出さなければ適齢期を過ぎて、とうが立つ。どうしたものか

 二人は悩んだように肘掛に肘をつき手に顎を乗せた。

 

 ホーデン城の城門で二人の男と城の衛兵が揉み合いになっていた。二人は貴族とその従者のようだ。

 貴族だけが衛兵ともみ合い、従者は主人を諌めている。客観的に見ると二人は城に入りたいようだ。

 だが衛兵に固く拒まれている。貴族の年齢はまだ若い。二十代半ばといったところか。気品のある整った顔立ちなのだが頬がこけ、いつも眉を潜めているように見える。

 それが不運な印象を与える。貴族の衣服はみすぼらしく見える。以前は上質のものだったようだが今は色あせて所々にほつれがある。

 貴族にしては苦労しているようだ。従者はもう老境に入っている。温顔だがしっかり者のように見えた。貴族がどうしてわかってくれないのか、という表情で衛兵に言った。

 「だから怪しい者ではないと何度、言ったらわかるのだ!私は子爵のアンドレ・ホンタムだ。まさか由緒あるホンタム家を知らないというんじゃないだろうな。

 来訪目的は懇談会に出席するためだ。さぁ中に入れてくれ」

 「ですから招待状を見せてください。それがなければお入れすることはできません」

 「招待状・・・うぬぬ。招待状は紛失した!」

 衛兵はわかっているぞ、というように笑って言った。

 「おかしいですね。招待状のリストに子爵様のお名前はありませんが」

 「きっとそちらのミスだ!」

 その時従者のローボックが後ろから主人の袖を引いて言った。

 「もう諦めましょう。どの道この時間じゃ懇談会はもう閉会しています」

 ホンタムはうぬぬぬと悔しげに城を見上げた。そして踵を返すと足音を響かせて城の建つ丘を下った。急いでローボックがその後を追った。

 二人の向かう先には灯りの点ったホギュンの街並みが見える。もう辺りは暗くなり始めていた。この日は懇談会後、城の客間に泊まらせてもらうつもりだった。

 だが追い返されて当てが外れた。なので街で宿を探さねばならない。街の中に入ってもホンタムの怒りは中々、収まらなかった。ずんずん歩きながら腹立たしげに呟く。

 「まったく。なんて対応だ。将来の主に対して無礼にも程がある」

 「それ、どなたのことをおっしゃっているんです?」

 「私のことに決まっているだろう!将来、私はアンジェラ姫と結婚してあの城の主になるのだから」

 「現実を見てください。追い返されたじゃないですか」

 「あの衛兵がわかっとらんのだ」

 ローボックはもう何も言う気にならず密かに溜息をついた。

 2> 

 ホーデン城の衛兵は中庭から城門をくぐって外に出て行く女中らを見送った。この日は女中が城の必需品を街に買求めに行く日だった。

 女中らは顔見知りの衛兵らに手を振ったり声をかけたりして出て行く。それが愛想笑いでもつい顔を綻ばせてしまう。

 彼らは一日中、城門で立ちっ放しで見る顔といえばむさ苦しい同僚の顔だけだからだ。若い女中らは城門から出ると開放感からか途端におしゃべりになる。

 また目的は城の必需品の買い出しとはいえ女性は基本的に買い物が好きだ。なので楽しげに丘を下って街のほうに向かった。

 衛兵はしばらく鼻の下を伸ばしてそれを見送っていたがふと違和感を覚えた。いつもより人数が多いように見えたからだ。

 どうやらその違和感の元はスカーフで頭を巻いている者のようだ。その女中は顔を見られまいと俯いているようにも見える。

 そして城門から大分、離れたのを見ると顔を上げようとした。すると傍にいたマヤが小声で注意した。

 「まだ駄目ですよ。衛兵が見ています」

 声をかけられた女中はまた顔を伏せた。やがて街中に入った。大通りには通行人が多く女中らは顔を輝かせて通りの脇に立ち並ぶ商店を見た。マヤが傍の女中に言った。

 「もういいですよ」

 すると俯いていた女中が顔を上げた。なんとアンジェラだった。アンジェラは自分の衣服を見ろして窮屈そうに言った。

 「いつもの洋品店に行きましょう。早く着替えたいわ」

 そこでアンジェラとマヤ、オモは必需品を買出しに行く女中らと別れて城と取引のある洋品店に行った。ここの店主は幼い頃からアンジェラを知っていて無理を聞いてくれた。

 そして少しして三人が店から出てきた。すると彼女達の服装が変わっている。彼女達はまるで中小の商家の娘のようないでたちだった。

 マヤは控えめなブラウスに長いスカート姿だがオモは長身で大柄のため女性服では返って目立つ。そのため大工の職人のようなファッションになっていた。

 アンジェラはハンチング帽に豊かな髪を巻き上げて隠しシャツにズボンといった、まるで少年のようないでたちだ。

 彼女を知る者が帽子の下の表情を覗き込んでもすぐにはわからないだろう。アンジェラは確認するように自分の衣服を見下ろすと満足した表情になった。

 そして表通りの各種の店を目を輝かせて覗いた。店の人間からしたら街の少年少女が冷やかしに来たと思うので邪険に追い出そうとする。

 だがそれさえ街娘になった三人には新鮮で楽しい出来事だった。そして店めぐりに飽くと通りを自由に歩き回った。

 アンジェラは歩きながら二人にいかに城での生活が窮屈かを話す。そして自分をぎゅうぎゅうに縛りつけようとするノーザへの悪口も出た。

 ノーザは煩い。ノーザは性格が悪い。ノーザは私が嫌いなんじゃない?マヤはさも同情したように頷いているが純朴なオモはノーザは仕事に忠実なだけでいいところもいっぱいあるとノーザを擁護する。

 アンジェラは彼女を怒らせているのは自分の我儘で勝手なところだとわかっていたがどうにも自分を抑えられず彼女の悪口を言わずにはいられない。

 だが喋りまくって街の自由な空気を吸っている内に日頃の不満もどこかに飛んでいってしまった。やがて中央広場に出た。

 アンジェラは広い空間を満喫するように両手を大きく広げて言った。

 「ああ!街の中はいいわぁ!それに比べて城の中は息が詰まる」

 オモが無表情に嗜めた。

 「アンジェラ様。そんなこと言っちゃ駄目だ。城の人達に悪いだ」

 それを聞いたアンジェラははっとなって周囲を見回した。幸い近くにいる者も聞いている者もいなかった。アンジェラは二人を広場の隅に連れていって注意した。

 「いいこと。前にも言ったけど街に出た時は私に敬語を使わないでちょうだい。お友達のように振る舞って。でないと怪しまれるわ

 マヤが困惑して言った。

 「お友達のふりをするのは構いません。ですがなんとお呼びすればいいのですか?」

 「アンジェラという名は少し目立つかしら・・・そうね。アンとでも呼んでちょうだい。そう。今の私は街娘のアンよ」

 

 その街道はクランク王国の南部と中西部を繋いでいた。辺りに人里は無く、なだらかな起伏のある緑地がずっと向こうまで続いている。

 草の匂いを含んだ風はやや冷たかったが日差しが強いため旅人には心地よかった。その街道に二つの人影があった。

 人影はようやく二十歳になったばかりに見えた。足取りがおかしい。あっちによろよろ、こっちによろよろと安定しない。

 その内、一人が足を絡めてばたりと倒れた。もう一人が立ち止まり相棒を億劫そうに助け起こす。倒れたほうが息も絶え絶えに言った。

 「ア、アズ〜っ。お、俺っちはもうだみだぁ・・・」

 「しっかりしろよ、サスケ。駄目だと思ったら本当に行き倒れになっちまうぞ

 二人は街ケルラを出て順調に道程を消化していたが途中でサスケが財布を落としてしまった。そのためアズ一人だけの財布で旅を続けることになった。

 元々、財布の中に潤沢な資金があったわけではない。そのため次の街への道程を半分ほど消化したところで有り金を使い切ってしまった。

 もう何日もろくに食べていない。隊商でも通りかかってくれれば追い剥ぎに対する警護の臨時雇用を申し出るのだがそういう時に限って荷馬車の一頭も姿を見せない。

 尤も信用の無い二人が街道上で雇われる可能性はまったくないのだが。また人里でもあれば頭を深く下げるか農地を手伝うかして何かしらの、たとえ家畜にやるようなものでもいいからと食べ物を求めるのだが生憎、周囲の風景はいつまでたっても広大で起伏に富んだ緑地だった。

 たまに旅人に出遭うと必死に食糧か水を求めたが大抵、余分なものは持たず二人をがっかりさせた。

 せめて水だけでも、と思うのだがいくら進んでも近くに川が現れることはなかった。ケルラで見た地図では街道を東に外れて二、三十キロほど行けば川に行き当たるはずだがそこまで命が持つかどうか心配でその選択肢はとれなかった。

 そういうわけで二人は飲まず食わずで落ちていた枝を杖代わりに本当に行き倒れ寸前で街道を進んでいた。

 空腹と憔悴から歩く速度は幼児並みに落ち健脚であるはずの力強さはまったく見られない。街道には追い剥ぎが横行しているはずだが姿を現さなかった。

 さすがに行き倒れ寸前の二人を襲っても意味が無いと思ったか。疲れと栄養失調のため二人の目は霞み幻覚まで生じる始末だ。

 やがて体調不良は精神にまで影響を及ぼしたか二人は急に笑い出したり大泣きした。だが神は二人を見放さなかったようだ。

 いや単に運がまだ残っていただけなのかある時、足がよろけて街道から外れて坂道を転げ落ちた。

 するとその先で小川に行き当たった。川は雑草に覆われていたためそれまでまったく気がつかなかった。

 二人は清流の涼気に気づくと水辺まで這っていき狂ったように水を飲んだ。そして満足すると大の字になった。

 しばらく二人は満ち足りた表情で青空を見上げていた。どうやら悪運は去ったようだ。そして好運はまだ続いていた。

 寝ていた二人の視界に朴訥そうな中年男の顔が入った。男は親切にも二人を心配してくれた。そして腹が減っているのがわかると背負った籠の中から昼食の食べ残しの固いパンを与えてくれた。

 二人はそれをむさぼるようにして食べた。アズは人心地がつくと男に礼を言い、どこから来たのか訊いた。するとこの小川の先に小さな村があって、そこから来たのだという。

 「おめえ達。大分疲れているようだな。良かったら泊まっていくか?ボロボロの納屋しかないが」

 アズは空を見上げた。まだ青く夕暮れ時までまだ大分、間がありそうだ。アズが疲れた表情で訊いた。

 「ホギュンって街に行くところなんだけど。後どのくらいかかるかな?」

 男は不思議そうにアズを見てから後ろを振り返った。アズも釣られてその方向を見た。すると木立越しに絶壁のような黒い市壁が聳え立っているのが見えた。

 

 二人は農夫に礼を言って急ぎ街道に戻った。そして街道の先を見るとそれほど遠くないところで道が二又に分れていた。

 さっきまでふらふらだったためそうなっていることに気づかなかった。右に向かう街道はそのまま北に続き、左は北西に進んだ後、右にカーブしている。

 左の街道の先は見えないが行き着く先に街ホギュンがあるのはもうわかっている。二人は分かれ道で進路を左に取ると力強い足取りで進んでいった。

 道はゆっくり右にカーブしている。周囲に何もなければ街ホギュンが見えるはずだが生憎、左側にこんもりとした森があった。

 そのせいで街は見えないがいずれ木々の隙間から市壁が見えるようになるだろう。そしてそれは予想より早く見えるようになった。

 百歩も歩いた頃か。木立が途切れてきてその隙間から黒い断崖が見えてきた。いやかなりの規模があるので見間違えそうだがそれは市壁だ。

 絶壁のような高さの壁がぐるりと街を取り囲んでいる。二人はその威容に圧倒された。森が途切れると広い空間に不意に現れる絶壁のような高い市壁。

 どこか近づくものを拒絶するような黒い市壁は今まで見た、どの城壁よりも高い。さらに近づくと市壁のあちこちにひどい傷があった。

 二人はわからなかったがこれは攻城兵器で穿たれた傷だった。つまりこの街は戦争で攻囲されたことがあるのを物語っている。

 それもかなり激しかったようだ。取り替えられた石の色が違うのでわかる。市門にはこれまた武装した衛兵が通行する人間に目を光らせていた。

 アズは衛兵の目の配りようからかなり訓練されているのを見抜いた。前の街ケルラで聞いた情報では街ホギュンは軍事都市で武器産業が主要産業なのだという。

 門番にケルラ政庁で用意してもらった通行許可証を見せた。だが彼らは中々、二人の通行を許可してくれなかった。

 旅の苦労から二人の服装はひどく汚れ、みすぼらしかったからである。だが許可証はケルラ市が発行した正規のものである。通常の旅人より倍かかってようやく二人は市門をくぐった。

 

 市内はケルラと同じように華やかな装いの洋品店や重厚な店構えの仕立て屋などがあったが雰囲気が硬いというか重く感じられた。

 生活に必要な店に混じって武具店がやたら多いのである。主要産業が武器なので仕方ないといえばそうなのだがフリーランスの傭兵やどこぞの貴族の武器調達係らしき客が店主と価格交渉したり店頭の品に直に触って品質を確かめている。

 そういう姿を見ると近くで戦争でもあるのかと不安になった。だがホギュンの街民は見慣れた光景なのか調達係を見てもへっちゃらのようだ。

 アズは試しに近くの武具店の親父に戦争の有無を訊いてみた。親父は二人の貧しい身なりを見て明らかに客でないのがわかると不機嫌になりかけた。

 だが暇だったのか教えてくれた。するとホギュンの近くで戦争が行われそうな気配はないが十数年前から続いている王位継承争いが未決着なのでどこかでいつ戦闘があってもおかしくないとのことだった。

 店主は話していく内に興が乗ったのか色々教えてくれた。アズも興味を示して訊いた。

 「ちょくちょくその王位継承争いって聞くけどそもそも誰と誰の争いなんだ?」

 「なに?おめえ、そんなことも知らねえのか?まぁ見りゃあまだ若いから仕方ねえか。いいか。王位継承争いってのはな。

 十数年前、前クランク王だったバビル陛下が急逝した。まさか自分が突然おっちんじまうなんて夢にも思っていなかったようで次の王を決めていなかった。

 王には息子が二人いた。長男のビビル王子と次男のカール王子だ。普通なら長男のビビル王子が王位を継ぐんだがこれが正妃の子じゃなかった。

 また何かと政治に口を出すんで宮廷高官から煙たがられていた。次男のカール王子は正妃の子でおとなしく調和を重んじる人だったから官吏や国民に人気があった。

 さて王位だが通例は正妃の子が継ぐ。たとえ長男じゃなくてもな。だが庶子でも国を運営する能力があれば王位に就いた例もある。

 だから宮廷内ではどっちが王位に就くかで揉めた。野心のある者はどちらの王子が操りやすいか、利益をもたらしてくれそうかを見て支援した。

 宮廷内では喧々諤々の議論になったが中々、決着はつかなかった。そんな時カール王子を支持する勢力が王位継承の儀式をとり仕切る総大司教を拉致して王位継承の儀式を強行してしまった。

 つまり法的にはカール王子が王になった。そんで幼名カール改めてケール一世となった。さらにケール王は側近の勧めで兄のビビルを公爵にして臣下扱いにしてしまった。

 収まらないのがビビル公爵とその支持者達だ。即位の儀式の強行は不当だとして自領で兵を挙げた。その戦争が今日まで続いているってわけさ」

 アズとサスケは感心した。

 「へぇ。ちっとも知らなかった」

 「まぁ戦争が続いているっつってもやったりやらなかったりだからな。若ぇモンは知らなくて当然かもな」

 サスケが周囲を見回して言った。

 「だからこんなに武器屋が多いのか。でもケルラにはこんなに店はなかったな」

 「そりゃおめぇ、ケルラとホギュンを比べたらそうなるわな。何しろあっちは中規模な街とはいえ辺境よりだ。対してここは中原だ。王都ベルランや公爵様の領地ケラニーにもずっと近ぇ」

 アズが頷いて言った。

 「だから市壁に戦いの痕があんな生々しく残っているのか」

 「そうともよ。ここホギュンは由緒あるホーデン家の統治する街だ。ホーデン家は王の忠臣として王都でも知られている。

 王様側の有力貴族だ。だから公爵側としてはそういう貴族をぶっ潰して勢力を削ごうと攻め寄せてきたわけさ」

 「それじゃあホーデン家の城はさぞかし凄ぇ城なんだろうな。どこにあるんだ?」

 店主はまた訝しげな表情になった。

 「おめえの目は節穴か?」

 店主が呆れた様子で左手、北の方角を指差した。だが二人の目に映ったのは中央通りの突き当たりにある教会に似た鋭角な建物、市庁舎だった。

 サスケが少し不満そうに言った。

 「城なんてねぇじゃねぇかよ」

 店主が首を横に振った。

 「違う、違う。市庁舎じゃねえ。その向こうだ」

 二人が訝しげに市庁舎の向こうを見た。すると市庁舎よりさらに北にほうに丘の上に立つ城の小さな姿が見えた。

 どうやら城は街の北端に建てられているので南端にいる二人からはわからなかったようだ。店主は二人の背後で誇らしげに言った。

 「あれが我らが男爵様のお住まい。ホーデン城だ」

 3> 

 二人はとりあえず街中を歩いた。街の主要産業が武器の製造販売のせいかやはり武具店が多い。アズはこれほど多種多様な武具を見たことがなかったので目を丸くした。

 刀剣はもとより弓矢、槍、甲冑など様々なデザインのものが陳列されている。そして甲冑を見ていて、あることに気づいた。

 古い物は装甲が厚く頑丈そうなものが多い。恐らく歩兵による戦闘が主な時代で鈍器に殴られても命を守れるようにしたためだろう。

 そして時代が新しくなると軽量化されていくのがわかる。恐らく歩兵部隊から騎馬隊による戦闘が主流になってきたせいだろう。

 アズはまだ戦争を目の当たりにしたことはなかったが武術好きから立ち寄った村や街で戦争帰りの元兵士から戦闘のあり方を詳しく聞いて知っていたのである。

 アズは興味が尽きないといった様子なのに対してサスケが早くも飽きたようだ。つまらなさそうに言った。

 「さて。いつものように親父さんの名前を訊いて回るか?」

 アズははっとなった。そうだった。本来の目的を忘れていた。だがこの街では聞き込みはこれまでのところよりいくらか楽なような気がした。

 なにせ戦争の雰囲気が色濃く残っている街である。素手で闘うという珍しい人間がいれば絶対、記憶に残っているはずだ。

 武具店で訊けば何かわかるかもしれない。だが店が多すぎるというのが少し気になった。月日が経てば店は統廃合を繰り返すだろう。

 そうなれば店主もよく変わるだろう。さらに多くの新しい情報が日々、入ってくる。つまり昔のことを知る店主はもうここにはおらず最新の情報はあるが昔のものはないかもしれない。

 だが老舗であれば店主が変わっても経営方法、例えば情報の保管などはきちんとなされてファスの手がかりも残っている可能性もある。

 アズはサスケにそう説明し手当たり次第に聞き込むのではなく老舗だけに絞って聞き込みをしようと伝えた。するとサスケがあまり気にしたふうもなく言った。

 「考えてもしょうがあるめぇ。なにせ十数年前のことだ。簡単に見つかると思うほうが無理ってもんよ。いつものように手当たり次第に訊きまわってみるしかねーんじゃねえの」

 サスケの気軽な一言にアズの肩の力も抜けた。二人は武具店をはじめファスが近寄りそうな店に聞き込みを開始した。

 そしてやはりというか中々、成果は上がらなかった。表通りに成果がないのがわかると今度は脇道に入って裏通りの飲み屋街に足を向けた。

 それも一般市民が足を向けないような安酒飲み屋だ。ファスが街に着いた時、恐らく手持ちの金は少なかったはずだ。

 無性に酒が呑みたくなって店に入ったかもしれないし臨時の職を求めて飲み屋を回ったかもしれない。

 何十年も通っている常連客の中にもしかしたら憶えている者がいるかもしれない。ファスは腕が立つ。

 そのため店の用心棒が彼のことを憶えているかもしれない。二人は期待しすぎないようにして片っ端から飲み屋を回った。

 だが安酒屋の店主だから、というわけではないだろうが柄が悪く気の荒い店主が多かった。彼らは大抵けんもほろろに、そんな昔のことは知らねえよ!客じゃねえなら帰れ!と二人を追い返した。

 そして飲み屋街をさ迷う内にいつの間にか目つきの悪い男や風体の怪しい人間のうろつく通りに入ってしまった。

 普通の人間なら身の危険を感じて早々に立ち去るのだろうが二人とも荒事には慣れっこである。気にせずいかがわしい店にも堂々と入って聞き込みした。

 そして両側の家の庇と庇がくっつきそうなくらい狭く暗い路地に入った。路地には所々に腐臭の放つゴミが散乱し周囲の家や店は今にも崩れそうなくらいガタがきていた。

 寒々しいというか荒んだ感じが進むのを躊躇わせた。またどこからか視線を感じてそちらに目を向ければさっと影が動いて闇に紛れる。

 そういう気配があちこちにあった。さすがのサスケも少し身を硬くして呟いた。

 「ここは・・・結構ヤバそうなところだな」

 アズも進むのに躊躇いを感じているようだ。するとどこからともなく声が聞こえてきた。

 「ひーっ、ひっ、ひっ。ここがどこだが知らないってのかい?ここはホギュン一のデンジャラスゾーン、最果て小路だよ。

 ここには日の当たる場所には暮らせない、爪弾き者、嫌われ者、前科者が集まってくる。人殺し。人肉好き。人体解剖好き・・・」

 すると暗がりから不気味な男達がぞろぞろと薄笑いを浮かべて出てきた。その人相を見てさすがのアズも震え上がった。

 顔面を何度も手術した痕のある男。顔面半壊した男。大人の頭と赤ちゃんの体を持つ小男。手足がすべて義手で体中に手術痕のある男。

 とにかく不気味で薄気味悪かった。皆、二人をカモがネギを背負ってやってきたような目で見て笑っている。

 しばらく不気味な無言の対峙が続いた。やがて男達の一人が舌なめずりして号令するように言った。

 「人肉スープにしちまえ!」

 アズが狼狽して手を前に突き出した。

 「待ってくれ!俺達は訊きたいことがあって来ただけなんだ。十数年前ここにファスという男が来なかったか?・・・うわっ!?」

 男達はアズの制止を無視してつっかかってきた。その時、少し離れた、戸のないあばら屋で一人、酒を呑んでいた男がその声を聞いてふと顔を上げた。

 「ファス?今ファスと言ったか・・・」

 二人は仕方なく襲い掛かってきた男達をさばいた。だが手加減したせいか男達は諦めず執拗に襲ってくる。

 二人は自身が同じような境遇にいたせいか貧民区の人間に対して強い攻撃を打てなかった。サスケが襲い掛かる男達をさばきながらアズに訊いた。

 「おいっ、アズ!どうする!」

 「わからねえ!」

 だがいくら手加減しているとはいえ鍛えに鍛え抜かれたアズの拳足を当てられたのである。軽く殴っただけで、組み付いてきた男を振り払っただけで皆、吹っ飛び気絶した。

 サスケは足元の小石を拾い手首の力だけで飛礫を打って男達の前進を止める。男達は二人の戦闘力がずば抜けているのに気づいた。

 「こいつら、強えええっ!」

 男達は攻撃を止めて顔を見合わせた。

 「こいつら、いってぇ何者だ?」

 二人はほっとしたがまだ気は抜けなかった。男達はその場から去らなかったからである。すると男の一人が振り返って、びっこの男に言った。

 「こうなったらあいつに頼むしかない。ヤブ医者を呼んで来い!」

 

 びっこの男がさっきのあばら屋に駆け込んだ。

 「おい、ヤブ医者の爺さん!あいつら、滅法強ええ。あんたじゃなきゃ駄目みたいだ!」

 するとあばら屋から老人が一人、出てきた。長い総髪を後ろで束ね粗末な服を着ている。痩せていたがその足取りはしっかりしていて目はどこを見ているのかわからないが不思議な光を放っていた。

 老人はふらふらと歩いてきてアズから二十歩ほどの距離で足を止めた。そして不意ににっこりとアズに微笑みかけた。アズが戸惑っていると老人は振り返って仲間に言った。

 「この坊やは悪い人間ではない。放してやれ」

 男達は呆気に取られたがすぐに激昂して言った。

 「でも仲間がやられているんだぜ!このまま帰せるか!」

 「わからんか。坊やは手加減して打っていた。本気で打っていたらお前さん達は今頃、あの世に行っておる」

 それを聞いた男達は怯んだが強情そうに言った。

 「じゃあ、あんたでも勝てねえってのかよ?」

 「いやそうは言っておらん。それにあの坊やには少し興味がある・・・」

 老人がアズに向き直った。アズはやや警戒して老人を見た。老人の戦闘力は皆目見当がつかない。

 痩身の老人なら普通はあまり警戒しないだろう。だがここはならず者の巣窟でこの老人もどこか普通ではなかった。

 立つ姿がまったくの自然体だ。気配がない。そのまま立っていても気づかず通り過ぎてしまいそうだ。

 さっきこちらに歩いてくる姿に余分な力が入っていなかった。不意にダッシュされたら容易に間合いに入られて防御する暇なく打たれてしまいそうだ。

 どこか違う。何かが違う。それにヤブ医者?どういうことだ。アズが戸惑っていると老人が楽しげに言った。

 「少し運動しよう。さぁ行くぞ」

 老人が自然な足取りで近づいてきた。アズは躊躇った。もし老人がまったくの素人だったら当然、強い打撃は打てない。

 どうする?老人の足取りに躊躇いや迷いはまったくない。アズはあまり近づけさせないためとりあえず軽い掌打を老人の顔目掛けて打った。

 するとあっという間にその腕を巻き取られて後方に振られた。アズの打力を利用した理に適った動きだった。

 アズはなんとか踏みとどまった。すぐに振り返って防御の姿勢を取る。だが攻撃は来ない。見ると老人はニコニコしてさっきの場所から動いていない。

 だが老人がなんらかの武術を使ったのはわかった。つまりあまり遠慮は要らないということだ。

 「どうしたね?あまり老人を待たせるものじゃない」

 「やろっ」

 アズはいきなり前蹴りを放った。だがどうしても敬老精神というか老人への配慮が頭から離れず軽いものになる。

 すると老人はすっと下がるとその踵を掴んで上に持ち上げた。アズは後方に倒れそうになったが身を捻って耐えた。くそっ、と思って向き直ると目の前に老人がいた。

 「うおっ!?」

 驚く暇なく老人はアズの右脇に入るとアズの首に右腕を押しかぶせ右足でアズの右足を刈った。アズは咄嗟に体を丸めて踏ん張った。

 だが技の仕掛けが絶妙だったため倒れざるを得なかった。倒れた時、地面に後頭部をやや強く打ちつけてしまったようだ。

 衝撃で視界が揺れて意識が朦朧となる。ぐにゃぐにゃになった光景に老人の顔らしきものが映っていた。

 老人はまだ笑っていた。かっとなった。舐めやがって!大きく息を吸い込んだ。天地自然神海呼吸法に慣れた体である。それで一気に意識がクリアーになった。

 アズの目の色を見て老人がおや?という表情になった。

 「早いな。もう回復したのか?そうか。てんち・・・」

 老人が呟いている間にアズは跳ね起きた。アズが再び構えると老人は手で制して言った。

 「もうこのへんで良かろう」

 「勝負はまだこれからだ!」

 すると老人が首を横に振って言った。

 「ここはお前さんのような人間の来るところではない。去れ」

 サスケがアズの傍に寄って言った。

 「確かにこいつらをマジでやっつけたら面倒なことになる。この街にいる間、狙われることになるからな。もうよそう、アズ」

 老人はその名を聞いてはっとなった。だがその表情の変化にアズは気づかない。アズは名残惜しそうに老人を見ていたがやがて不承不承頷いた。

 「爺さん。勝負は預けたぜ」

 「ああ。こんな老人の命でも欲しければいつでも取りに来なさい」

 アズは鼻白んだがサスケに促されて立ち去った。男達も、なんだ、つまらねぇと言って三々五々に去っていった。だが老人だけは動かずアズの去った方向を見ていた。

 「アズ。ファスの言っていた息子の名だ・・・あれがファスの言っていた一人息子なのか?」

 

 寝台に横たわったホーデンは派手にくしゃみをした。傍らには男爵夫人と何人かの女中、ホテルが心配そうに男爵を見つめている。

 またくしゃみをした。女中が急いで鼻紙を男爵に渡した。男爵はのぼせた顔でそれを受け取るとちーんと鼻をかんだ。

 そしてホーデンは情け無い表情でベッドの天蓋を見つめた。

 「う〜む。まさか風邪をこじらせるとは・・・ジャン・ホーデン、一生の不覚」

 すると夫人が呆れた様子で言った。

 「おやおや。一生の不覚というわりには年に必ず何回か風邪をこじらせているようですが?」

 ホーデンは顔をしかめて言った。

 「今回の風邪が本当の不覚だ。懇談会で酒をいつもより多く勧められ、違う日の会合では新しいワインの試飲。

 間を置かず遠方より友来る、だ。これだけ付き合いが続けば体調を崩すのは当然ではないか」

 「本当ですか?私には自業自得たとしか思えないんですけれど」

 夫人はそう言いながら女中に薬など体調管理のし方を指示して退出していった。女中も男爵に風邪薬を飲ませると一礼して部屋を出て行った。

 それを見届けるとホテルがベッドに近づいた。彼はそれまで一言も発さず女性陣からやや距離を置いて男爵を見守っていたのだ。ホーデンが愚痴るように言った。

 「聞いたか、ホテル。女どもはこの天災のような風邪を自業自得のように責める」

 「まぁ、こういう時くらいしかきついことを言えないのでしょう」

 「こういう時くらいとはなんだ。平素まるで私が女どもを困らせているような物言いではないか」

 「困らせているのではありません。色々とうんざりさせているといったほうが正確です」

 「うしめたいことはしていない」

 「自覚されておられないから女どもの物言いがきつくなるのはないですか」

 ホーデンはうんざりした様子で顔を背けた。

 「わかった、わかった。これからは女の扱いにはもう少し気をつけることにしよう」

 ホーデンはげんなりした様子でしばらく黙っていたが何度か咳をした。ホテルが心配そうにその表情を覗き込む。

 「大丈夫ですか?明日の予定をキャンセルなさいますか?」

 「いや・・・明日にはよくなっているかもしれん。それにしても・・・」

 「なにか?」

 「こういう時、不安になるのは跡継ぎのことだ。もし我が身に何かあったら男子の跡継ぎのいないホーデン家は取り潰される。それを考えると夜も眠れん」

 「もうお一人くらい、いずれできますよ」

 「いや家内にもう子供は望めん」

 「でしたらご愛妾でも作られますか?」

 「とんでもない!家内が許さん。あれはおっとりしているようで、もの凄く嫉妬深い。憶えていないのか?前に街の女に手を出そうとしたらその女子がどんな悲惨な運命を辿ったか・・・」

 ホーデンが恐ろしげにぶるっと身を震わせるとホテルも表情を凍らせて頷いた。

 「そうでした。確かにご愛妾は考えものですね」

 「しかしこのままでは当家は断絶してしまう。どうすべきか」

 ホテルが少し考えた後、言った。

 「ご養子をとられてはいかがです?」

 「それしかないか・・・血の繋がらぬ奴に築き上げた財を取られてしまうと思うと悲しくなるが」

 「ですがお嬢様はお健やかにあられます。結婚されればすぐに男子の跡継ぎをお生みになられますよ」

 ホテルはそう慰めるように言ったがホーデンの気は晴れずしきりに溜息をついた。

 「話は変わるがこの間の書状の返事の件だ。さすがに放置は不味いだろう。なんと答えたものかな?」

 「いきなり五%の値下げはやはり不当です。ここは当家の窮状を訴えつつ王家に忠誠を見せるという形で三%の値下げでご容赦願いたいとの旨の手紙がよろしいのでは?」

 「おおっ。さすがはホテルだ。早速そう認めよう・・・だが三%でも下げれば結構、利益が圧迫される。

 戦争の長期化で原材料費も高騰する一方だし。今回は凌げたとしても次は厳しい。どうしたものか・・・」

 「その件について私めにある考えがございます。これはお嬢様の縁談問題も解決できる一石二鳥の策でございます」

 「ほう?」

 

 きらびやかな装飾が室内を飾る大ホールでは希少な宝石や上質の衣服で着飾った貴族が多く姿を見せていた。

 壁際には杯を持って談笑する男女がおりホール中央では音楽に合わせて優雅に踊る男女の姿も見られる。

 この日ホーデン城では舞踏会が催されていた。裕福なホーデン家の主宰するパーティとあってか近隣といわず遠方からも客が来ている。

 ホーデンはホテルを伴って客に笑顔で挨拶して回っていた。そして旧知の貴族と歓談していた時ホテルが耳打ちした。

 男爵が相手に失礼と断って振り返るとホテルがホール中央に目配せした。ホーデンがそちらを見ると中央フロアから長身の若い貴族と有力貴族の姫がダンスから戻ってくるところだった。

 二人はゆったりとした足取りで壁際のほうに歩いてくる。若い貴族の表情は自信に満ち溢れその美貌のせいか周囲の姫が憧れの目を向けている。

 それまで彼の相手をしてた姫はうっとりと彼の横顔を見上げている。舞踏会場から外れると若い貴族は姫に優雅に一礼して離れていった。

 姫は名残惜しそうに立ち止まって彼を見ていたがやがて諦めて自分のテーブルに戻った。ホーデンはそれを見届けて頷いた。

 「なるほど。あれがエメリッヒ・ニードル伯か。えらく男前ではないか。軍人だったというがあまりそれっぽくはないな」

 「確かに。見かけはかなりの美男ですからね。ですが戦場の敵はその美貌に油断して無残に敗北していったと聞きます。

 今頃は黄泉の国で悔しさに歯噛みしているかもしれません。伯が強いのは本当のようですよ。王位継承争いの戦場で一騎打ちの勝利は数知れず。組み技戦闘術の達人だとか」

 「まぁ強いというのは頼りになるが私が求めているのはそんなことじゃないぞ。なぜ伯をアンジェラの婿候補に選んだのだ?」

 「はい。ご説明申し上げます。伯は公爵様の遠戚に当たりまして。ですので公爵様を新たな取引先として望んだ場合、伯が当家の婿養子であることが多大な信用に繋がるのです」

 「!?ちょっと待て!公爵と取引するということは公と対立している王を裏切るということになるのだぞ!」

 思わず声が大きくなった。ホテルは素早く周囲を見回して誰も聞いていないのを確かめた。

 「お声が大きすぎます。抑えて抑えて」

 「そ、そうか。しかしだな・・・」

 「お聞きください。私が考えているのは王側につきつつ公爵様とも取引する、ということなのです」

 「両方と取引するというわけか。しかしそれが露見したら私はただじゃすまないぞ」

 「もちろんそのことは考えております。公爵様と取引する際には仲介者を立てて当家の名が出ないようにします。

 また公爵側に対しては代金を安くすることで口を噤んでいてもらいます」

 「う〜む・・・しかし綱渡りになるな」

 「しかしこのまま宮廷とだけ取引していたのでは値下げを強要されてジリ貧になるのは目に見えています。ここは思い切った手を打たないと」

 「しかし公爵の遠縁に当たる伯を婿にしたくらいで本当に公爵と取引ができるのか?何しろ当家は長年、王側に武器の供給や軍を派遣して公爵軍を散々、悩ませてきたのだぞ。

 公爵側からしたら憎き敵だ」

 「軍の派遣までは出来ませんが武器の値下げや軍需品や兵員の無料運搬などで協力すれば向こうも考えを変えるでしょう。

 それで双方と取引できれば充分、利益を上げられます。その前に公爵や側近に賄賂を支払う必要があるかもしれませんが」

 「う〜む。そうか。しかし娘のことを考えると不憫なような気もするな。当家の都合のための結婚になるのだからな」

 「お家のためです。お嬢様もきっと納得されるでしょう」

 「わかった・・・で、アンジェラはどこだ?」

 「お嬢様なら既に来られているはずですが・・・ありゃ?」

 4> 

 ノーザが扉をノックすると予想に反して返事があった。一声かけて扉を開けるとアンジェラが腕組みして椅子に座っていた。

 その近くにマヤとオモがノーザを恐れてか畏まって立っている。ノーザが顔をしかめて言った。

 「またですか。この間の懇談会に続いて二回目ですよ」

 「なによ。いいじゃない。私なんかいなくったって」

 「御前様のご命令です」

 「お腹が痛いとかなんとか言っといてよ」

 「そんな子供じみた言い訳、すぐに見透かされてしまいます。さぁ駄々をこねていないでご用意してください」

 「嫌っていったら嫌!どうせたくさんの姫が来ているんでしょ。また田舎娘だって馬鹿にされるわ」

 「何をおっしゃっているんです。ホーデン家は二百年以上続いた由緒ある家柄じゃないですか。ご自分の家に誇りを持てなくてどうするんです」

 「確かに由緒はあるかもしれないけどみんな、田舎娘だって馬鹿にするのよ」

 「言いたい人には言わせておけばいいじゃありませんか。こんな立派なパーティを開いて嫉妬しているのです」

 「お父様は私の気持ちも考えずに舞踏会なんか開いて」

 「お嬢様のことを考えておられるからお婿様と顔合わせの・・・」

 ノーザはそこまで言って慌てて口を噤んだ。アンジェラは不審そうにノーザを見た。

 「今・・・婿がどうとか言っていたわよね。どういうこと?」

 ノーザは珍しく狼狽した。

 「い、いえ。こちらのことです。言葉を間違えたのです」

 アンジェラはじっとノーザを見つめたがもう狼狽の色はなく元の無表情に戻っていた。追及を諦めて言った。

 「とにかく出ませんからね。私はひどい頭痛で」

 アンジェラはそう言うとベッドに寝て掛け布団を頭まで被った。ノーザは冷ややかにそれを見ていたがやがて言った。

 「そういえば最近、密かに城から抜け出して街で羽を伸ばしているお姫様がいるとかいないとか」

 掛け布団から僅かに覗いたアンジェラの手がびくっと動いた。そしてそろそろと顔を出してノーザの顔色をうかがう。

 鏡台の傍では女中のマヤがおろおろしていたがオモはぼうっと突っ立ったままだ。ノーザが冷ややかに言った。

 「もし御前様がこのことをお知りになったらどうなさるでしょうかね。貴き血のお姫様が身分をわきまえず下々の者と交流していると知ったらきっとお怒りになられるでしょうね。

 もしかすると一生、城から出られなくなるかもしれません」

 アンジェラは引きつった笑みを浮かべてベッドから下りると鏡台の前の椅子に座った。

 「あははは。やっぱり私、パーティに出る。そんな人に間違われたらたまらないもの」

 

 ノーザに監視されるようにして大ホールに行くと舞踏会は宴もたけなわといった感じになっていた。各所でワイン片手に談笑しホール中央では楽しげに踊る男女の姿が見えた。

 何人かの貴族が遅れてやってきたアンジェラに気づいた。好意的な貴族は優雅に会釈し、そうではない姫は一瞥をくれただけで鼻を鳴らした。

 アンジェラはそれでもう引き返したくなったがノーザに促されて渋々、談笑の場に向かった。ノーザの声が追ってくる。

 「いいですね。お行儀良く慎み深くお願いしますよ」

 アンジェラは心の中で舌を出しながら思った。私だってちょっと気をつければ淑女のように振る舞えるんだから。

 アンジェラはとりあえず父を探した。父について愛想よく微笑んでさえいれば無難に終えることができる。

 ただし無理に微笑んでいたつけで翌日は頬の筋肉がひきつっているだろうけど。アンジェラは知人の貴族に礼儀正しく会釈しながら父を探した。

 すると音楽隊の傍の集まりで談笑する父の姿を見つけた。少し離れたところで控えるホテルの姿も見える。

 とりあえずそこに行こう。大きくふんわりと膨らんだスカートのせいで歩きづらかったがそこに急いだ。

 するとそこに至る途中の壁際で何人かの姫達が集まっているのが見えた。嫌な予感がした。器量のいい姫達は若い貴族に誘われてホール中央で楽しげに踊っている。

 アンジェラも既に何人かの若い貴族に誘いを受けていた。つまりそこにいるのは誘われない不名誉な姫達なのだ。

 そのせいかどうか性格もひん曲がっているのをアンジェラは知っている。彼女達に気づかれないように祈りながら小走りで通り過ぎようとした。

 だがこの日はついていなかった。聞きたくない声が横顔を打った。

 「あ〜ら。アンジェラ姫じゃないの」

 「ほんとだ。てっきり女中かと思ったら姫だった。今までどうしていらしたの?」

 「きっと女中のふりして隠れんぼしていらしたのよ。私達に見つけて欲しくって」

 アンジェラは仕方なく足を止めて辞儀した。悪意がみえみえの三人の姫がやってくる。以前にもこの姫達には散々、嫌味を言われたのだ。

 この三人に密かにあだ名をつけたことがあった。キツネ、狸、犬だ。小柄な犬がきゃんきゃん吠えた。

 「あなた、ダンスに誘われなかったの?」

 アンジェラが答える間を与えずに痩せて背の高いキツネが意地悪そうに笑って言った。

 「誘われるわけないじゃない。まだ子供なのに」

 ずんぐりした狸が首をかしげて言った。

 「おいくつになられたんだっけ?十三歳?」

 狸は意地悪で言っているのではなく本当に頭が悪いのだ。アンジェラは如才なく言った。

 「ちょっとお客様の対応に追われていまして」

 狸が不思議そうに言った。

 「なんでぇ?あなた、本当に女中になったの?」

 キツネが舌打ちして言った。

 「馬鹿ね、あなたは。この子の家がホストだからに決まっているからじゃないの」

 「そうだったの。ふ〜ん」

 「もうあんたは黙ってて」

 アンジェラは心の中で溜息をついて思った。早く終わらないかな、この舞踏会。

 

 その頃ホーデン城の城門で一悶着起こっていた。門の中に入ろうとする二人とそこを通すまいとする衛兵数人の姿があった。

 その光景を見た人間はデジャブに襲われたに違いない。少し前の懇談会の時にも似たような光景があったからだ。

 アンドレ・ホンタム子爵が当然のように門をくぐろうとするのを衛兵が呆れ顔で引き留めた。

 「あの・・・お訊きするまでもないと思いますが。どういうご用件で来られたんですか?」

 ホンタムは胸を張って言った。

 「道を空けよ。私は舞踏会に来たのだ」

 衛兵はこれ以上ないくらい深い溜息をついた。ホンタムの従者のローボックも主人の後ろで恥ずかしそうにしている。

 別の衛兵が顔をしかめて訊いた。

 「答えはもうわかっていますが。一応お訊きします。招待状はお持ちですか?」

 「もちろん、ないとも。が、入れてくれ」

 衛兵全員が深い溜息をついた。衛兵の一人が閉口した様子で言った。

 「招かれてもいないのになんでそんなに堂々としていられるんです?しかも何度も入城を断られているのに」

 別の衛兵が呆れた様子で言った。

 「そこまで堂々と来られるとなんだか入れて差し上げたくなっちゃいましたよ」

 それを聞いたホンタムが喜びの声を上げた。

 「本当か!?」

 「冗談に決まっているじゃありませんか。招待状のない方をお入れしたら私は首ですよ」

 するとホンタムが胸をどんっと叩いて言った。

 「心配無用だ。そうなったら私がそなたを雇おう」

 「結構です」

 その時、他の客が遅れてやってきた。衛兵らはホンタムらを押しのけるようにして来客者に応対する。そして招待状を確認すると門の中に入れようとした。

 その時、来客のために衛兵が開けた空間にホンタムが無理に身を入れようとした。衛兵が急いでその腕を掴む。

 「ですから入っちゃ駄目ですって!」

 ホンタムはそれでも頑張って入ろうとする。

 「い!入れさせてくれぇぇぇ!」

 衛兵は全員で暴れるホンタムの体に組み付いて止めた。ローボックはそれを呆れた顔で見て言った。

 「ホンタム様。その熱意はご立派だと思いますが・・・もう諦めませんか?」

 

 ダンスの三回目の小休止の後、音楽隊が再び演奏を始めた。まだ元気のある貴族は新しいダンスの相手を選んでホール中央に進み出ていく。

 壁際に佇むホーデンとホテルの視線の先にはエメリッヒ・ニードル伯と他家の姫のおしゃべりしている姿がある。

 その姫が辞儀してニードル伯から離れていった。ホーデンは呟いた。

 「チャンスだ」

 ホテルも頷く。

 「誰かが伯に話しかけない内に」

 二人は人の間を縫って早足でニードルの元に行った。そして次のダンスの相手を捜すように周囲を見ていたニードルの背中に声をかけた。

 「楽しまれていますか、ニードル伯?」

 ニードルは振り向いてホーデンを認めると言った。

 「これはホーデン男爵。今宵の舞踏会にお招きくださり大変、光栄に存じます」

 「いやいや。西部貴族の中でも一、二を争う美男のニードル伯をお招きできること、このホーデンも大変、嬉しく存じます。

 伯のお陰で今宵のパーティはとても華やかなものになりました」

 「いえ。私ごとき者がいるだけではこうも華やかになりません。すべて男爵のお力です」

 ホーデンはにこやかに頷き振り返りつつ言った。

 「これは娘のアンジェ・・・あれ?」

 そこにいるはずの娘の姿がない。ホーデンは焦ってホテルに囁いた。

 「アンジェラはどこに行った!」

 ホテルは狼狽して周囲を見回した。そして少し離れた壁際の卓にアンジェラの姿を見つけた。アンジェラは気のない様子でお茶を飲んでいる。

 ホーデンは怒りを抑えた低い声でホテルに命じた。

 「あの馬鹿娘をすぐ連れてこい!」

 ホーデンはニードルに向き直ると愛想笑いして言った。

 「ははは。さきほどのダンスは見事なものでした。室内の姫のほとんどが伯のダンスに見とれておりましたぞ」

 ニードルは如才なく笑った。

 「いえいえ。私の拙いダンスなど姫様方のお気に召すはずがありません。不器用なものでして」

 ホーデンが否定しようとした時ようやく渋々といった表情のアンジェラがやってきた。ホーデンが少し乱暴にアンジェラの腕を引っ張ってニードルに紹介した。

 「これは私の娘のアンジェラです」

 アンジェラは仕方なく貴族の辞儀をした。ニードルもそつなく返す。そこに連れて来られる前ホテルからニードルはすごい美男だと聞かされたがアンジェラはあまり興味が持てなかった。

 確かに彼は美男だと思うがそれは絵画を見ているのとあまり変わらない。つまり恋愛感情が浮かばないのだ。

 それに最初、彼は一瞬だが値踏みするように彼女を見た。父やホテルはそれに気づかなかったようだが彼女はそのことに腹を立てていた。

 また如才なく笑みを浮かべているがその心の内側はとても冷たいように感じる。お父様はなんでこの人を私に紹介したのかしら?

 訝っているとニードルにダンスに誘われた。マナーとしては受けなくてはならない。だが気が進まない。

 するとニードルの誘いに照れていると勘違いしたのかホーデンがさっさとダンスに行くように耳打ちした。

 それで仕方なく差し出された彼の手を取った。その手はやはり石のように冷たく感じられた。ニードルに手を引かれてホール中央に進み出ていく。

 ニードルは中央の、最も目立つところで足を止めると優しくアンジェラの腰に腕を回した。壁際ではそれを見て悔しげにハンカチを噛む三つの影があった。犬が喚いた。

 「あの小娘!私達のアイドル、ニードル様に汚い手で触れて!」

 狸も言った。

 「きっとお金と権力でニードル様にダンスを強要したんだわ!」

 キツネが地団太を踏んだ。

 「うう、もう!ニードル様もニードル様よ。そんなものに誑かされるなんて!」

 三匹が嫉妬に体を震わせる中ダンスは始まった。

 

 ニードルはアンジェラをリードしながら違和感を憶えていた。彼女の体が硬い。自分のリードに彼女はどこか反発している。

 従順ではない。ニードルはさらに優しくアンジェラに合わせて踊ろうとした。だがやはりニードルを拒絶するような体の硬さは取れない。

 ニードルは少し苛ついた。これまで出会った女は皆この美貌にうっとりとして体を預けてきたものだ。こんな小娘を落とすのは造作もないと思った。

 だが優しく手を握り微笑みかけてもこの娘は体を硬くして少しでも身を離そうとしている。いや自分の美貌と優しさにまいらぬはずがない。

 きっと他に何か硬くなる理由があるのだ。例えば男に近寄られる経験が乏しいため気恥ずかしくなったとか・・・。不審感を出さず微笑んで訊いた。

 「姫はダンスはお嫌いなのかな?」

 「いえ違います。あなたが・・・」

 嫌なのです、という言葉をかろうじて呑みこんだ。さすがに初対面の相手にそう言うのはマナーが悪すぎる。

 「では何が原因かな?楽しもうではありませんか、ダンスを。踊って楽しむのは若者の特権ですよ。私は幸運だ。あなたのような特に綺麗な方と踊れるのだから」

 アンジェラは内心で鼻を鳴らした。耳障りの良いことを言っているが本心ではない。目を見ればわかる。この人の心は冷たい。

 恐らく熱くなったことはないのだろう。女性に対して、という意味だが。アンジェラは目を合わさないようにしてそう思った。

 ニードルはなおも優しい言葉を重ねたがアンジェラは言葉を濁すだけだった。やがてニードルはアンジェラが自分にちっともなびいていないのを認めざるを得なかった。

 いやそれどころか嫌がっている様子さえうかがえる。顔には出していないが体の硬さで心の内がわかる。これまで幾多の女性を落としてきたニードルにとって初めての経験だった。

 屈辱といってもいい。音楽が止んでまた小休止となった。アンジェラはその機会を逃さず軽く会釈すると足早にニードルの元から去った。

 んもう!自信過剰で尊大な人!自分を何様だと思っているのよ!ニードルはしばらく呆然と彼女の後姿を見送っていたがやがてその頬が神経質そうにぴくぴく震えた。

 あの小娘、私を愚弄したな!この借りはいつか返す。ニードルが怒りに震えていると愛想笑いしたホーデンがやってきた。

 「ニードル伯。娘のダンスはどうでしたかな?もしよろしければこの後・・・・」

 だがニードルはまったく相手にせず失礼、と言って足早にその場から立ち去った。

 5>

 ニードルが控えの間に荒々しく入ってくるとのんびりとお茶を飲んでいた、彼の従者達は驚いて立ち上がった。

 「何か忘れ物でもなさいましたか?」

 ニードルはそれを無視して不機嫌そうに舞踏会用の衣装を脱ぎ始めた。従者は主人の機嫌を察して無言でそれを手伝った。

 そして平服に着替えると従者に帰るぞ、と不機嫌そうに伝えた。舞踏会はもう終わりに近づいていたが一応、続いている。

 途中で辞去する貴族はいないでもなかったが今まで主人にそんなことはなかった。いつも終わるまで姫達とダンスを楽しんでいた。

 今回は何か気に障ることでもあったのだろうか。従者達は主人の後に従いながらこっそり囁きあった。

 「この舞踏会はご主人様の未来の奥方との顔合わせの場と聞いたが?」

 「しっ。あれだけご不興なのだ。お察ししろ。きっとひどい顔の姫だったに違いない」


 アンジェラはダンス会場から早々に退散ようとした。だがホーデン家は舞踏会のホストである。そのため娘のアンジェラが自室に引っ込むわけにもいかず男爵に駆り出されて色々と対応させられた。

 慣れない社交にアンジェラのストレスは次第に高まっていき彼女が顔を見せなくてもよいと判断された時ストレスは爆発寸前になっていた。

 何度か声を荒げそうになったり物に当たったりしそうになったがその度にマヤら側近の女中がうまくフォローしてくれた。

 そして愛想笑いしながらようやく自室に帰るとベッドに身を投げて言った。

 「もーっ、嫌!なんで仲がいいわけでもない人達と嘘の笑みを浮かべてお話ししなきゃならないの!」

 マヤが気の毒そうに言った。

 「仕方ないじゃありませんか。それが貴族のお付き合いなのですから」

 アンジェラはマヤを見上げて恨めしそうに言った。

 「じゃあ代わりに舞踏会に出てみる?」

 マヤは狼狽して手を横に振った。

 「とんでもないことです!私みたいな平民出の田舎者が」

 「私だって田舎娘って言われたわ」

 「それでもお嬢様はお姫様です」

 「あ〜あ。お姫様って肩が凝るのね」

 アンジェラは首や肩をぐりぐり回した。そして窓を見た。

 「まだ街に下りられるかしら?」

 マヤが驚いて言った。

 「今からですか!?もう時間が遅すぎます」

 「ちょっとだけよ。ストレス溜まったから少し息抜きに」

 マヤが助けを求めるようにぼうっと突っ立ったままのオモに言った。

 「あんたも何か言ってお嬢様をお引止めしてよ」

 オモがぼんやりとアンジェラのほうを見た。するとアンジェラは既にドレスを脱ぎかけて衣装箱の底に隠しておいた女中服を取り出している。

 マヤは諦めたように着替えを手伝いながら呟いた。

 「もう。知りませんからね」

 

 夜の街に下りるとその表情は昼間のものとはまったく違っていた。街灯に灯りが点り建物や人に深い陰影を与えている。

 昼間はなんでもない場所だと思っていたのに夜は怪しくいかがわしい雰囲気に変わり、逆に暗くて近寄らなかった場所が盛大に点されたランプで華々しく見える。

 アンジェラら一行は初めて見る夜の街に目を奪われた。さすがに夜だけあって堅気の人間は少ないように見える。

 いやいないことはないのだが既に何杯かひっかけた後のようで酩酊した様子が見られた。夜の雰囲気がそう見えさせるのか怪しく危険な雰囲気の人間が多いような気がした。

 マヤがアンジェラの腕に縋りつくようにして言った。

 「夜の街は恐い人がいっぱいいるっていいます。もう帰りましょうよぉ」

 アンジェラも少し恐かったが強がって言った。

 「なに言っているの、この子は。お父様が統治されているのよ。ホギュンは夜だって安全な街です」

 アンジェラは何も言わず控えているオモをちらっと見上げた。オモは城の男が音を上げるような重い荷物でも平気な顔して持ち上げられる。

 いざとなったらこの無口な女中が頼りになるはずだ。そしてどこに行こうかと見回していると見知った顔が城のほうからやってくるのが見えた。

 アンジェラは狼狽して周囲を見回し急いでマヤらを近くの建物の陰に押し込んだ。

 「お嬢様。どうなさったんです?」

 「しっ。黙ってて」

 アンジェラが見ていると平服に着替えたニードルとその従者らが楽しげに店を冷やかしながらこちらにやってくる。

 アンジェラらには聞こえなかったがニードルは飲み屋の給仕女の尻を好色そうな目でじろじろ見て従者に言った。

 「貴族の女は手間がかかって面倒だ。やはり気軽に遊べる平民女のほうが私はいい。どれ、今夜の相手を探すとするか」

 「ご主人様が声をおかけになられりゃ街の女はすぐについてきますよ」

 「ふふふ。その通りだ。だがあの小娘ときたら・・・」

 ニードルの顔に不快そうな色が浮かんだ。

 「どうかなさったので?」

 「いや。なんでもない。行くぞ」

 近づいてくる彼の表情を見てアンジェラは思った。城での取り澄ました顔は嘘の仮面で今の野卑で下品なものが本当の顔なのだ。

 「やっぱり正体を隠していたのね」

 「お嬢様?」

 マヤはわけがわからず首をかしげた。アンジェラが納得したように呟くとその声が聞こえたようにニードルらは彼女らの隠れた建物に近づいてきた。

 「こっ、こっちに来る!みんな、逃げるわよ!」

 「何からです、お嬢様!?」

 アンジェラはマヤらを急かして暗い脇道の奥へと走っていった。

 

 アズが店前を箒で掃いていると店内から四角い顔の店主が顔を出して怒鳴るように言った。

 「おめえ、いつまで掃いているつもりだ。さっさと片付けて中を手伝えと言っただろう!」

 アズがその声に首をすくめると店内を拭き掃除していたサスケがその様子を見て含み笑いを浮かべた。

 普段そんなアズの姿を見ることはないから愉快なのだろう。すると店主はサスケに目を向けて手に持っていた算盤を投げつけた。

 「お前もだ、この野郎!」

 算盤が顔面に直撃したサスケは痛みに手で顔を覆った。

 「いててて!?」

 アズは笑ってその脇を通り過ぎた。

 「飛礫をくらったな、サスケ」

 夕方を過ぎた頃から次第に客の姿が増えてきた。それで店主は掃除よりも給仕や調理場を手伝えというのである。

 そこはホギュン南西の、のん兵衛横丁の一角にある飲み屋だった。二人はファス捜しを続けるにはまず金からだと思い、働ける場所を探したのである。

 だが余所者で保証人もおらずボロを着た二人を雇ってくれるところは中々なかった。だが諦めず片っ端から頼んで回ったところこの店、「牛と豚の憩いの場」亭の店主が拾ってくれたのである。

 ちょうど人手不足だったらしい。二人の頭が正常に働く状態だったらこんな人口の多い街で人手不足はおかしいと訝っただろう。

 だがこの時の二人は腹ペコでふらふらしてまともに考えることはできなかった。そして人手不足のわけを知ったのは勤務初日だった。

 人遣いがえらく荒い上に給金は相場より随分、低かったのである。だが贅沢は言っていられない。二人は店主が監視するように見ている中、忙しなく働いた。

 

 アンジェラらは狭い路地をさ迷っていた。ニードルと顔を会わせるのを恐れて随分、路地の奥まで入り込んでしまった。

 今のアンジェラは街娘の格好をしているがニードルに見破られないとも限らない。彼は随分、街に慣れた感じがあった。

 ここは逃げるに限る。表通りは昼間のように明るかったが裏に入ると街灯は設置されておらず狭い路地が入り組んでいる。

 月明かりも心細くなるほど届かない。アンジェラらは身を寄せ合って暗い路地を進んだ。

 「お嬢様、ここはどこなのでしょう?」

 「だから街にいる時は敬語を使わずにお友達のようにアンって呼んでって何度、言えばわかるの」

 「すみま・・ごめんなさい、アン。その・・ここはどこなのかしら?」

 「私がわかるわけないでしょう」

 「そっ、そうですよね」

 「また敬語を使っている」

 マヤはきまりが悪そうにうな垂れた。アンジェラは後方の気配を探った。人に気配は感じられない。さすがにもうニードルに出くわすことはないだろう。

 引き返そうかと思った。だが何度も角を曲がって遠くまで来たので元の場所に戻れるか自信がない。

 辺りは暗く寂しい。心細さは募る一方だった。二人の連れを見ればマヤは不安そうにしていてオモは茫洋として何を考えているのかわからない。

 こんな時、主人の自分がしっかりしなくてどうするの。アンジェラは気を強く持とうとした。その時、後ろにいたオモが不意に言った。

 「灯りが見える」

 二人がはっとなってオモの指差す方向を見ると暗い路地の先に灯りの点いた家があるのに気づいた。

 「とりあえずあそこに行ってみましょう」

 アンジェラはほっとしてその家に足を向けた。近づいていくとその家から嬌声や野卑な笑い声といった騒々しい雰囲気が伝わってきた。

 看板が出ている。どうやら酒を提供する店らしい。しかもこんな奥まったところにあるとなると真っ当な人間が来る店とは思えない。

 アンジェラが躊躇ったように足を止めたのを見てマヤが訝しげな表情になった。

 「アン?」

 行こうかどうか迷っていると店のドアが開いて顔を赤くした髭面の男達がどかどかと出てきた。マヤが不安そうにアンジェラに身を寄せる。

 男達は陽気に歌い、酒瓶を持ってこちらにやってくる。

 「ど、どうする、アン!?」

 アンジェラもどうしていいかわからなかった。すると男達の一人がアンジェラらのいる暗がりに目を向けた。

 「ん?そこにいるのは誰だ・・・女じゃねえか!」

 その声に仲間の男達は目をギラつかせてこっちを見た。そして頬を緩ませ息遣いも荒く手を伸ばしてくる。

 「よぉ〜ネエチャン達。俺達と一緒に呑もうぜぇ」

 男達が近くまで来た。アンジェラとマヤは逃げることもできず固まった。男達はそれに気づくと下品な笑みを浮かべて二人に触ろうとした。するとその前に巨大な影がぬっと立ち塞がった。

 「なっ!?なんだ、てめえは!」

 「お嬢・・・いや私の友達に触れたら許さないよ」

 男達は大きな影に一瞬、怯んだがすぐに驚いた様子でオモを指差して言った。

 「こいつ、女だぜ!?」

 「マジか?熊の間違いじゃねえのか」

 男達は自分達の冗談がさも面白かったようにゲラゲラと笑った。そして邪魔臭そうにオモに言った。

 「おめえはお呼びじゃねーんだよ。さっさとその後ろの可愛い子ちゃん達を出しな!」

 マヤがアンジェラに言った。

 「こんな下郎に関わり合いになることはないです。行きましょう」

 それを聞いて男達が激昂した。

 「下郎だぁ!?このメス、言ってくれるじゃねえか!」

 「もうかまうことはねぇ。裸にひんむいちまえ!」

 男達は六人いた。オモは二人をかばうように立っていたがさすがに襲い掛かってきた六人全員を阻むことはできなかった。

 なんとか四人を両脇に抱え込んで足止めしたが残りの二人にその脇をすり抜けられた。

 「アン!?マヤ!」

 オモはすり抜けた二人を追おうとしたが四人がしつこく腰にまとわりついて助けに行くことができない。二人の男達がアンジェラとマヤに迫った。

 「うほっ!こりゃ別嬪だぜ」

 「お前どっちにする?俺、小さいほう」

 「じゃあ俺は帽子を被ったほうか」

 アンジェラはマヤが震え上がっているのを見て落ちていた棒を拾った。そしてそれを男達に向けて気丈にマヤを守ろうとした。

 だが簡単にその棒は払いのけられてしまった。いつもは無表情のオモもそれを見てさすがに焦った表情になった。

 「二人とも、逃げるだ!」

 

 アズとサスケは店内が混雑するにつれて給仕に追われるようになった。何しろ大酒飲みが多い。ビールの注文がひっきりなしに入ってくる。

 二人とも調理場と客席を何回、往復したかもうわからなくなっていた。店主は繁盛して機嫌が良くなるはずがなぜかしかめっ面がひどくなった。

 後で調理人から教えられたところによるとしかめっ面がひどくなればなるほど内心では喜んでいるのだという。

 迷惑な親父だ。アズが両手に十本以上の大ジョッキを持って自由に動き回れることがわかると店主の、アズを見る目が少し変った。

 店内は窓を全開にしているにも関わらず煙草と調理場の大量の煙で見通しはまったくきかない。客も店の人間も特に気にした様子はない。

 だが二人にとっては堪らない。煙に咳き込み、あちこちにぶつかった。さすがの二人も困惑して動きを止めた。するとそれを目敏く見つけた店主から雷が落ちた。

 「いいか。この煙に慣れておけばたとえ住むところが火事になっても平気で寝ていられる。だから働け」

 無茶苦茶な理屈だ。二人は仕方なく煙の霧の中を手探りで給仕した。時たま人や壁にぶつかりそうになってヒヤッとした。

 濃い霧の向こうで楽しげに歌う客の声が聞こえる。その合間に注文の声が飛ぶ。そしていきなり怒声が起こると荒々しい雰囲気が伝わってきた。

 煙で見えないが明らかに喧嘩をしている。アズがどうしたものかと店主を見ると店主は慌てず客に言った。

 「おい、あんたら。喧嘩なら外でやってくれ。後、壊したものは弁償だぞ」

 すると煙の中から了解の返事が聞こえ気配が外に出て行った。店主も客も慣れたものだ。ちなみに勘定は戸口に別の店員が見張っているので飲み逃げはできなくなっている。

 今度は嘔吐する声が聞こえてきた。さすがに店主は顔をしかめてアズらに掃除して来いと箒と雑巾を渡す。二人とも嫌だったが仕事なのでやるしかない。

 そして汚物を嫌そうに袋に詰めて床を拭き、店の裏口から袋を出した時だった。アズがふと奥の路地を見た。

 暗いのでまったく見通しはきかない。だがアズの超感覚ともいうべきものが争闘の気配を感じ取った。

 女の悲鳴も聞こえたような気がする。女が襲われているのだろうか。開け放たれた店の戸口からアズを呼ぶ声が聞こえた。

 アズが助けに行くべきかどうか迷っているとサスケがやってきた。

 「なにやってんだ。呼んでいるぞ」

 アズはサスケに事情を説明した。サスケも困ったように言った。

 「そりゃ見捨てられねぇけど・・・店のほうも、な」

 アズは店内を見て、また暗がりを見た。金を稼ぐのも重要だがこれを見捨てても後悔することになりそうだ。

 「ちょっと行ってくる」

 アズは闇夜の中に駆け出した。

 「あ!?おっ、おい!」

 サスケがその背に手を伸ばしたがアズの姿はすぐ闇に溶けて見えなくなった。

 「・・・あ〜あ。初日から職場放棄かよ。給料、まだもらってねえってのによ」

 サスケは深く溜息をつくとアズを追っていった。

 6> 

 不案内な場所のため用心して進んだ。時折、暗がりからぬっと壁が現れてぶつかりそうになる。路地まで張り出した植木の枝が不意に現れて顔を打ちそうになる。

 二人は争闘の気配のする場所へ感覚だけを頼りに暗い路地を進んだ。やがて男の声が聞こえてきた。酔いの含まれた怒声だ。

 女の悲鳴も聞こえた。進退窮まったという感じだ。警戒して進んでいくとやがて暗闇の中から二つの塊が浮かび上がってきた。

 手前の塊は一人に対して複数がその腰にしがみついている。その向こう側では女二人が男二人に壁に追い詰められているようだ。

 奥のほうの救出が急務だろう。手前でもみ合う集団はしばらく放っておいても大丈夫そうだ。アズとサスケは風のように手前の争闘の脇をすり抜けた。

 手前で争闘している人間達が一瞬、動きを止めた。

 「な、なんだ、今のは?」

 女二人に迫った男達は薄笑いを浮かべ女に触ろうとしていた。

 「へへへ。もう観念しなって。暴れなきゃ痛くしねえからさ」

 すると片方の男が仲間に言った。

 「俺はどっちかというと暴れてくれたほうが燃えるタイプなんだが」

 「この変態野郎。おめえは黙って・・・ぐわっ!?」

 罵った男は後頭部にいきなり強い衝撃を受けて昏倒した。片方の男は急に仲間の声が聞こえなくなったのを不審に思った。

 「なんだ、黙りこくって。急に見せるのが恥ずかしくなったか?そんなに大きなモノじゃあるめえ・・・どわっ!?」

 アンジェラとマヤは不安げに身を寄せ合っていたが男達の気配が急に消えたのに気づいた。

 「何かあったのかしら・・・?」

 「アン、動かないで。ひょっとしたらまだそこら辺にいるかも」

 するとさっきの男達とは違う声が聞こえた。

 「もうやっつけたよ」

 意外に近くから聞こえたので驚いて思わずその気配を叩いた。

 「きゃあ!?」

 「いてっ!?」

 するとさらに違う男の声が聞こえた。面白がっている。

 「へぇ。俺っち、おめえが顔を叩かれるのを初めて見た」

 さっき叩いた気配がアンジェラに言った。

 「おい、お前!助けてやったのにそれはないだろう!」

 助けてくれた?確かにさっきの男達の声とは違う。それに随分、若い声だ。暗いので見えないが間違いなく別人のようだ。

 「助けてくれた・・・の?」

 「そうだよ。仕事を放り出して助けに来てやったのに礼がこれかよ。来るんじゃなかった」

 若者が不満そうに頬を擦っているのがなんとなくわかった。アンジェラは言い返したくなった。

 「なによ。助けたんならすぐ言いなさいよ。こんな暗闇なんだから。女の子に叩かれたって仕方ないでしょ」

 「こいつ。言わせておけば」

 「なによ。会ったばかりのレディに対してこいつって。失礼でしょ」

 マヤが嗜めるように袖を引いたがアンジェラはこの若い男が自分に危害は加えないと確信していた。その時、向こうでオモの声が聞こえた。

 「アン!マヤ!大丈夫だか!」

 アンジェラははっとなって目の前の気配に頼んだ。

 「ついでにあの子も助けてやって。友達なの」

 アズとサスケはその時、初めて向こうの一人も女なのに気づいた。

 「あいつも女だったのか!?」

 だが助けるまでもなかった。男達は四人だったが酔漢ということもありやがてオモに近くの壁に頭を打ち付けられて気絶した。それを見たアズとサスケが驚嘆した。

 「すげぇ大女だ。そこいらの騎士よりよっぽど強いんじゃねえか」

 

 助けてはくれたものの、アンジェラはアズらに警戒を解かなかった。アズは不機嫌さを隠さずそんなアズにアンジェラもムキになったように口をきかなかった。

 だがいつまでも暗い路地にいるわけにはいかない。命令するように明るいところまで自分達を連れていくように言った。

 アズは憮然となった。だが確かに若い女を暗い場所に放置したらまた襲われる。仕方なく表通りまで案内してやることにした。

 そしてアズらに先導されたアンジェラらは曲がり角を何度も曲がってやがて明るい表通りが見えてきた時ようやく安堵の息をついたのである。

 マヤはそれまで主人が不機嫌だったため二人に礼が言えないことを気にしていた。だがようやく主人の表情が和んだので二人に頭を下げた。

 「おかげで助かりましたぁ」

 だがアンジェラはさっきのアズとのやり取りが後を引いているようだ。マヤがそう言っても不機嫌そうに横顔を向けたままだ。マヤが嗜めるように主人の袖を引いた。

 「お嬢さ・・・アン、もういい加減、助けてもらったお礼を言ったらどうなんです?」

 「気をつけなさい。この男達だって私達を助けるふりをして後で危害を加えないとも限らない。見てみなさい。彼らの身なり」

 アズは聞こえよがしに言われたようでますます気分が悪くなった。

 「こいつ。まだ言うか」

 「あなただってまた言ったじゃない。レディに対してこいつって。謝らない限り絶対、許してあげないんだから」

 「なに!?助けてやったのに礼の一つも言わず先に謝れってか?手に負えねぇえアマだ。おい、サスケ行くぞ!」

 踵を返しかけた時だった。パチーンと小気味いい音が聞こえた。アズは呆然となった。アンジェラにまた頬を叩かれたのだ。

 まさか叩かれるとは思っていなかったアズは完全に無防備だった。サスケが感心して腕を組んだ。

 「へぇ。あの女、またアズを叩きやがった。歴戦のつわものでさえアズの顔を簡単には叩けないっていうのにたいしたもんだ・・・いやアズがただ油断してただけか」

 アズは呆然となった。少しして我を取り戻すと恥辱を感じて激昂した。

 「こここ、このアマ!なにしやが・・ぶわっ!」

 抗議している最中にまた張られた。アンジェラは腰に手を当てて仁王立ちになって言った。

 「可愛い女の子に対してなんて無礼な口のききようなの!?あなた、親御さんからどんな教育、受けたの!」

 「てやんでぇ、べらぼうめっ!助けてやったのに礼の一つも言えねえのはそっちのほうだろう!」

 「悪いのはあなたのほうです!」

 「お前だっ!」

 二人は路地で睨みあった。マヤは困ったようにおろおろしていたがどうにもならないと悟ると夜空を見上げて呟いた。

 「早く帰りたいよぉ・・・」

 

 食堂にアンジェラが静々と入ってきた。テーブルには既に男爵とその婦人が行儀良く席についている。その周りには何人もの女中が給仕に立っていた。

 アンジェラは無表情だったがひどく眠たげで欠伸を何度も噛み殺している。男爵と婦人の傍に座った時はさすがに眠たげな様子を見せなかったがノーザからは一目瞭然だった。

 欠伸しそうになる度に顎に力を込めるのでえらく不機嫌そうに見える。男爵らはアンジェラの機嫌が平素からころころ変わるのでそういう表情をしていても特に気にかけることはない。

 また給仕をする女中の何人かも眠たげな様子が見られた。全員アンジェラのお気に入りの女中ばかりだ。ノーザは眉をひそめた。

 恐らくアンジェラは若い女中らと夜遅くまでゲームか他愛のないおしゃべりをしていたに違いない。淑女らしく振る舞うよう幼い頃から教育してきたつもりだがお転婆すぎる性格は中々、治らない。

 男爵から貴族のマナー教育を任されているのにこれでは職務怠慢だ。だが何度、注意しても駄目なものは駄目なのだ。

 ノーザは心の中で溜息をついた。朝食が始まった。眠い上にさらに食べ物が胃袋に入ったので緊張の糸が切れたようだ。

 アンジェラは思わず口に手を当てて、ふわふわと欠伸を漏らしてしまった。漏らしてから、しまった!と慌てて口を噤んだがもう遅かった。

 横顔に両親の呆れた視線が突き刺さっている。男爵は深く溜息をついて思った。こんなんで嫁のもらい手があるのだろうか・・・。

 

 アンジェラはその日、大広間の暖炉の前の椅子に座っていた。肘掛に片肘を乗せて優雅に微笑んでいる。いや微笑んでいるつもりなのだがその表情はやや硬い。

 彼女から少し離れたところには痩身で中原でもあまり見ない前衛的なファッションの男がキャンパスを前に筆を走らせていた。

 そう、男は男爵から招かれた画家だった。男爵は娘が嫁入りする前に若かりし頃の娘を絵に残したいと思ったのである。

 アンジェラは美人に描いてもらえると聞いて最初はとても乗り気だった。だがずっと同じ姿勢のままでいなければならないとわかって微笑んでいるのが辛くなった。

 それに画家の注文がうるさかった。ポーズを細かく指示し少しでもそのポーズが崩れるとヒステリックに怒る。

 アンジェラは父のためと無礼な画家の注文にも応じてきたがそれも限界に近づいてきた。気づかれないよう溜息を漏らしたつもりだった。

 だが画家はそれを見逃さなかった。筆を止めると柳眉を逆立てて言った。

 「アンジェラ様。何度、申し上げたらわかるのです。動かないでください。それから表情を和らげてもっと自然に」

 今度は遠慮せず大仰に溜息をついた。

 「私、疲れちゃった」

 「もう少し我慢なされば綺麗なお顔が出来上がります」

 アンジェラは仕方なく元のポーズに戻った。画家の神経質そうな視線が顔に突き刺さる。ふん。なによ。どうせこの聞き分けのない小娘め、とでも思っているんでしょう。

 たぶんこの人は描くだけで一度もモデルになったことがないんだわ。じゃなきゃモデルの辛さがわからないような発言はしないもの。

 不満げに思っていてふと昨夜の出来事が思い出された。舞踏会でストレスが溜まったので深夜近くにも関わらず街に下りた。

 そこで酔漢に絡まれて恐い思いをした。あの時は二度と夜の街には行くまいと思った。だが時間が経つにつれて思い直した。

 平民になったつもりで街に下りたのだ。あれくらいのスリルがあって当然ではないか。それに最近それほど教会には通わなくなったというのに神はちゃんと見守ってくださっていた。

 助けが入ったのだ。でも助けてくれるのならもうちょっと素直な男性を選んで欲しかった。あんな生意気な男じゃなく。

 そういえばあの男はなんという名だったか。確か仲間の子は彼をアズと呼んでいた。印象が強かったのもあるが街であまり聞かない、珍しい名なので憶えていた。

 つれない態度を少しとっただけで彼は機嫌を害してつっかかってきた。あの場はつい自分も激昂してしまったが振り返ってみれば同世代の男とあんなにやり合ったのは初めてのことだった。

 あの子、アズは今どうしているだろうか。自分のことをやはりいけすかない女だと思っているのだろうか。確かにマヤの言うとおり助けてもらったのに昨夜の態度はなかった。

 今度、会ったら素直に謝ろう。いやお礼を言わなくては。その時、画家が訝しげに自分を見ているのに気づいた。

 「なによ。変な目で私を見て」

 回想している間よっぽど変な表情をしていたのだろうか。すると画家は微笑んで言った。

 「いえ。さきほどとは違い、とても楽しそうに微笑んでおられたので。いい表情でしたよ」

 アンジェラは思わず動揺して言った。

 「別にあいつに会うのが楽しみってわけじゃないんだからね」

 首を傾げる画家をよそにアンジェラは思った。そう。また会ったって謝ってなんかやるもんですか。

 

 その夕方アンジェラが街に下りると言うとマヤの表情が少し青ざめたように見えた。暴漢に襲われたのはつい昨夜のことなのだ。

 まだ恐怖の記憶が生生しく残っているのだろう。オモはいつものように無表情だ。暴漢と闘ったことなどすっかり忘れてしまったかのように。

 アンジェラは今度はあまり暗くならないうちに帰るとマヤを説得した。そして一行はまた街娘の格好に着替えて街に下りた。

 陽が西の市壁に隠れようとしていたが夜の帳が下りるのはまだ間がある。アンジェラは表通りから脇道に入って路地をずんずん進む。マヤは不安になってアンジェラの背に声をかけた。

 「どこに行くつもりなの、アン?こっちは昨日、恐い思いをしたほうじゃない」

 するとマヤの隣にいたオモがぼそっと言った。

 「きっとアンは昨日の場所に行く気だ」

 「あの襲われた場所に!?」

 オモが無言で頷く。マヤは恐怖に怯えた表情になったがすぐに不審そうに呟いた。

 「でも・・・なんのために?」

 「決まっているだ」

 マヤが訝しげに見上げるとなんとオモが微笑んでいるように見えた。夕焼けに染まった空の下、アンジェラは少し急いだ様子で路地を進む。

 何度か迷ったように角で立ち止まった。だが逡巡するのは短い時間だった。道を選ぶとまたずんずん進んでいく。

 やがて辺りが暗くなってきた。マヤはそれまで恐くても我慢してアンジェラに従っていた。だが暗くなればさすがに彼女を諌めなければならない。

 その背に声をかけようとした。だがそれより早く前を歩いていたアンジェラが喜んだ様子で言った。

 「あったぁ!」

 女中の二人が見ると路地の先に「牛と豚の憩いの場」亭という飲み屋があった。

 

 三人が店に行くとアズが前の道を箒で掃いていた。アズはアンジェラを見て驚いたがすぐに顔をしかめて言った。

 「なにしに来たんだ。昨日はお前らのお陰で丸一日分の金を削られたんだぞ」

 それまでアンジェラは昨日の態度を謝ろうと思っていた。だがアズの前に来ると思ってもない言葉が出た。

 「あなたがあのならず者達を早くやっつけないからじゃない。手早くやっつけてお店に戻ればお金はちゃんともらえたわ」

 アズは激昂して言った。

 「それが助けてもらった人間の言うことか!?」

 その騒動を聞きつけたサスケが店内から出てきた。雑巾を持っているところを見ると拭き掃除をしていたようだ。

 サスケはアンジェラらを見て、おっ!?という表情になったがすぐアズに嗜めるよに言った。

 「もうこいつらの相手をするのはよせ。また金がもらえなくなるぞ」

 アズはまだ忌々しそうにアンジェラを見ていたがサスケに背を押されて店内に入った。するとすぐにアンジェラらも店内に入ってきたではないか。アズが驚いて言った。

 「なんでついてくるんだ!?」

 「あなたについてきたわけじゃないわ」

 アンジェラは近くの椅子に座ると横柄に言った。

 「私、お客さんなんだから。早く注文、訊きなさいよ」

 「なんだとぉ〜!?」

 するとそれを奥で見ていた店主のバッカが面白がってアズに言った。

 「こりゃたいしたお嬢さんだ。ほれ、アズ。愚図愚図するんじゃねえよ。お客さんのご指名だぞ」

 アズが顔をしかめるとバッカとアンジェラは意が通じ合ったように顔を見合わせて笑った。アズは悔しげに呟いた。

 「くっそぉ〜」

 アンジェラらが入った頃はまだ時間が早いとあって客の入りはほとんどなかった。だが時間が経つにつれて人気店なのか混雑してきた。

 アンジェラらは運ばれてきた大杯を珍しげに見た。城内で飲むアルコールとはいえばワインが主である。

 もちろんビールの存在は知っていたが下々の人々が飲むものと教育されてきたので飲んだことはなかった。

 アンジェラは意を決して恐る恐る、ほんの一口飲んでみた。途端にその強い酒精にクラクラした。マヤとオモが支えなければ倒れてしまったかもしれない。

 以降は懲りてもっぱら店内を眺め客の雑談に耳を傾けた。アズという接点がなければこういう安飲み屋に入ることは一生なかった。

 アンジェラは次第に落ち着き客の猥談や噂話を楽しむ余裕ができた。マヤは猥談に顔を赤らめている。

 オモはといえば空になったジョッキを物足りなさそうに見つめている。アンジェラが興味を示して訊いた。

 「オモ。あなた、ビールを飲んだことあるの?」

 「城に上がる前は村で毎日のように」

 アンジェラは感心した。そして客の話に耳を傾けながら目はアズを追っていた。重たそうな大ジョッキを両手にいくつも持って調理場と客席を往復している。

 大変そうだ。汗もかなりかいている。そしてちょくちょく店主に怒られていた。自分につれない態度をとった罰だと思うと少し気分が晴れた。

 そんなアンジェラの視線に気づいたアズがぷいと横を向いた。ふん。なによ。まだ態度がなってないわね。

 こうして会いに来てあげたってのに。アンジェラは怒って無意識にジョッキを口に傾けた。ごくごく飲んですぐ酒精が回って青くなった。

 横に倒れそうになるアンジェラを慌ててマヤが支える。アズはそんな様子を見て首をかしげた。

 「なにやってんだ、あいつ?」

 7> 

 アンジェラにとって楽しい時間はあっという間に過ぎた。一方でマヤは帰城の時間が気になった。あまり遅くなると寝不足になり翌日の仕事に支障が出る。

 前回などはノーザに眠たげな様子を咎められ延々と説教をくらった。ノーザの説教はストレスなばかりでなく頭痛にもなる。

 何回もくらいたいものではない。だがアンジェラはまだ店内を楽しげに見回し腰を上げる気配はない。

 マヤがいつ帰城のことを言おうかそわそわしていると店の中央で怒声が起こった。見ると二人の職人が椅子を蹴倒して胸倉をつかみ合っている。

 周囲の客は止めるどころかしきりに煽り立てている。目の前で喧嘩が起きているのになんて人達なの。

 その二人は掴みあったまま周囲のテーブルにぶつかって回った。こっちにもやって来たのでアンジェラらは慌ててテーブルから離れた。

 ふと調理場の前に目をやるとアズとサスケが困惑して立っている。アンジェラは腹が立てアズに近寄って言った。

 「あなた。少しは強いんだから止めに入りなさいよ。周りが迷惑でしょ」

 アズが訝しげに店内を見回した。

 「迷惑?」

 周囲の客はまるで闘技場の試合を見ているように盛り上がっている。少しも迷惑には見えない。アンジェラもそのことにすぐに気づいたが顔を赤くして言った。

 「あの人達じゃなくて私達が迷惑しているの!とにかくあの人達を取り押さえて。いえ、やっつけちゃっていいから」

 すると調理場から出てきた店主のバッカが馬鹿にしたようにアズを見た。

 「こいつにゃ無理だよ」

 「あら。あなた、知らないの?この人、こう見えても結構、強いんだから」

 バッカは笑ってアズに言った。

 「面白ぇ。お客さんのリクエストだ。やってみな」

 アズは溜息をついて客の輪に近づいた。輪の中央ではさっきの二人が喧嘩している。輪の中に入って二人に言った。

 「おい。あんたら、いい加減にしなよ。飲みに来たんだろ?」

 すると片目の周りを赤く腫らした男がアズに言った。

 「引っ込んでな。俺達ぁ、飲みながら喧嘩してんだ。それなら文句ねぇだろう」

 片方の男も言った。

 「酒と喧嘩はホギュンの華だ。野暮なこと言うんじゃねえよ」

 その時いつの間にか客の輪に入っていたアンジェラが言った。

 「喧嘩したいんならこの人、アズが相手してくれるわよ」

 アズが目を剥いたが客らは拍手喝さいした。

 「いいぞぉ!このネーちゃんのご指名だ。やれやれ!」

 喧嘩していた二人は他の客に言われて戸惑ったがアズとやる気になったようだ。酔っているせいか喧嘩の相手は誰でもいいらしい。アズは頭を掻いて言った。

 「やれやれ」

 バッカが輪の外で楽しげに成り行きを見ていた時、大きな影が近づいた。

 「バッカ。あのアズって奴、大丈夫かい?」

 「危なくなったらお前が客を止めてくれ、ベック」

 「ああ、いいとも。俺は用心棒だからな」

 ベックと呼ばれた、熊のような髭面の大男が頷いた。

 

 二人の内の一人が殴りかかってきた。酔っているので動きが緩慢だ。いやそれよりも素人丸出しの、ぶんまわしのパンチだ。

 アズが僅かに身を引いてかわす。その男にはアズがまったくその場から動かずにかわしたように見えただろう。

 勢いあまって近くのテーブルに頭から突っ込んだ。アズが簡単にやられると思っていた客が、おおっ!?とどよめく。

 「やろっ!」

 もう一人が殴りかかってきた。こちらも大振りなパンチだ。仲間を容易にあしらったアズの動きを見ていたはずだ。

 少しは警戒してかかってくればいいのに、と思いつつ足をかけて倒した。その男は先に倒れた仲間のケツに顔面をつっこむ格好になった。客がそれを見て喜んだ。

 「わーっはっはっは!てめえら、いつからそういう仲になった!」

 腕を組んで見ていた用心棒のベックが片眉を上げて言った。

 「あの若いの・・・意外にやるかもしれんな」

 バッカが信じていない様子で言った。

 「まぐれじゃないのか?」

 アズは両手を腰に当て呆れた顔で二人に言った。

 「さ。もういいだろ。みんなで楽しく飲みなおしてくれ」

 客はすぐに決着がついてしまったのが不満らしい。何かぶーぶー言っている。だが構わずアズが背を向けた。

 するとその時、客の何人かがアズの後方を見て、おおっ!?と驚きの声を上げた。何事かと振り返るとさっきあしらった二人が瓶をテーブルの角に打ち付けて壊しギザギザの断面をこちらに向けたところだった。

 客が興奮して言った。

 「あいつら、まだやる気だぞ!」

 「いいぞ。やられたままで引っ込むな!」

 輪の外ではバッカが懸念したようにベックに顔を向けた。

 「おい、ベック。そろそろ・・・」

 するとベックが顔を横に振った。

 「いや。あいつなら大丈夫な気がする」

 「気がするって、おめえ。本当に大丈夫かよ?」

 「まぁ見てなって。本当にヤバくなったら助けに入るよ」

 アンジェラは狼狽してアズに言った。

 「ちょっ、ちょっと!あの人、危なそうな物持ってる!」

 アズは苦笑して言った。

 「見りゃわかるよ」

 「逃げなくていいの!?」

 「まぁ一応ここで働いているからね。逃げたら職場放棄で今度こそクビかもしれないし」

 サスケが割れた瓶を持つ酔漢二人を見て呆れた。

 「あ〜あ。敵わないからってあんなモン持ち出してきちゃって」

 今度は二人ともすぐに攻撃してこなかった。腰を落とし瓶を前に突き出してアズを威嚇する。二人で連携して攻撃してくるつもりのようだ。

 アズは自然体で立っていた。いやそう見えるだけでその目は油断なく二人の全身に注がれていた。

 アズから見て右側の男のほうがやや前に出ている。だが仲間と目を見交わしたところを見ると何か策があるのか。

 この男が先に攻撃すると決め付けるのは早計だ。だが右側の男が瓶を剣のように横から振ってきた。

 アズはおや?と思いながらそれを後退してかわした。その時、視界の隅に影が回りこむのが見えた。サスケが短く言った。

 「後ろ」

 アズはサスケを見ずに頷いた。アズから見て左側にいた男が今の攻撃の間に後ろに回りこんだのだ。

 中々いい連携じゃないか。アズは前後を挟まれる格好になった。だが背後から攻撃させる気は更々ない。

 後ろの男が少し近づいたところに後ろ蹴りをぶち込んだ。瓶が男の手から飛ぶ。アズはすかさず仲間の瓶が飛ばされて唖然となっている目の前の男の瓶を手刀で落とした。

 二つの攻撃は一瞬の間だった。二人の男達はまだ呆然となったままだ。輪になった客もアズの鮮やかな手並みに呆然となっている。

 アズは事も無げに床に転がった二つの瓶を拾って男達に言った。

 「さぁ今度こそ止めてくれるよな?楽しく飲んでくれ」

 アズは輪の客をどけて瓶を捨てに調理場のほうに向かった。二人の男達も敵わないと思ったのか大きく息をついて椅子に腰を下ろした。

 客の賞賛の視線がアズを追う。店の裏口から出る時アンジェラが追いついてアズに訊いた。

 「なんでやっつけちゃなかったの?」

 「彼らは悪酔いしてただけだ。仕事で何か気に入らないことがあったのかもしれない。それでつい呑みすぎてああなった・・・。

 普段は気のいい連中なんじゃないかな。それに叩きのめしたら、ばつが悪くなって二度とこの店に来なくなるかもしれないしな」

 するとアズの後ろで感心した声が上がった。見るとバッカだった。

 「おめえ。ようくわかっているじゃねえか。そりゃ用心棒のやり方だぞ」

 アズは肩をすくめただけだった。バッカが頷いて言った。

 「よし。雑用はもうしなくていい。今から用心棒の仕事をやれ。もう一人、欲しいと思ってたんだ」

 アズが驚いているとベックが微笑んでやってきた。

 「俺は用心棒のベックだ。何かわからないことがあったら俺に訊きな」

 アンジェラが笑顔でアズに言った。

 「良かったじゃない」

 だがアズは複雑な表情で黙っていた。

 「どうかしたの?」

 「用心棒じゃ色々と気を遣って大変そうじゃないか」

 バッカに訊いた。

 「給金はどのくらい上がるんだ?」

 バッカの答えはアズを落胆させるものだった。

 「たったそれっぽっちか」

 「何を言ってやがる。おめえはまだ新人だろう。それだけもらえるだけでもありがたく思え」

 ベックがバッカに顔を向けた。

 「他の店でもたまに面倒が起こるって言ってたよな?だったらこいつを他の店と掛け持ちの用心棒にしたらどうだ?それならもうちょっと給金を上げられるだろう」

 バッカは考えて頷いた。

 「確かに。それならさらにもう一人、雇うより安上がりだ」

 アズは給金が上がる嬉しさよりバッカが他にも飲み屋を経営していることに感心した。

 

 アズが用心棒となって数日、経った頃アンジェラら一行がまた顔を見せた。アズは幾分呆れて言った。

 「また来たのか」

 アンジェラは傲然と顎を上げて言った。

 「別にあなたに会いにきたわけじゃないんだからね」

 「しかしこんないかがわしいところによく来られるな。親が心配しないか?」

 アズは彼女の仕草や言葉遣いに気品があるので裕福な商家の娘だと思っていた。

 「私、信用されているし慣れているから」

 「とかいってこの間は危なかったじゃないか」

 「あれはたまたまよ」

 「たまたまって。どうも危なっかしいんだよな、お前」

 するとアンジェラの目が真剣味を帯びた。

 「心配してくれてんの?」

 「心配するっていうか、俺の故郷の村じゃ、こんな時間に若い娘は外を出歩かなかったぞ」

 「一人じゃないじゃない」

 「お前の友達もどうかしている。娘三人で夜歩きするって」

 するとアンジェラはいたずらっぽく笑ってアズを見た。

 「そんなこと言って。本当は私に気があるんじゃないの?」

 アズは溜息をついて言った。

 「お前、もう一回、暗がり行って襲われてこい」

 「暗がり行ったら心配するくせに」

 「ああ、面倒くせぇ!」

 アズは頭をくしゃくしゃにして向こうに行ってしまった。アンジェラはそれを見て気分を害したように呟いた。

 「なによ。心配なら心配って素直に言えばいいじゃない」

 アンジェラはぷんっと横を向いて「牛と豚の憩いの場」亭から離れた。マヤとオモも急いでその後を追う。

 まだ明るかったこともあり目的もなくうろついているとその界隈には住宅に混じって飲み屋が多く存在しているのがわかった。

 大抵が汚く雨漏りするような小体な店だったが活気があるというか客が少なくてもにぎやかな雰囲気が外まで伝わってきた。

 アンジェラは興味津々でいくつかの店を覗いた。そしてその後、比較的小奇麗な店に入ってみた。

 給仕女が若いという安心感もあった。まだ客の姿は少なく早速、給仕の娘が注文を取りに来た。アンジェラは娘にメニューを見せてくれるよう頼んだ。すると娘は笑って言った。

 「そんなもの、ここにはないわ。っていうか、ここに来るお客さんは店が出すものを知っているからメニューなんて必要としないもの」

 じゃあ何があるの、と訊きかけて止めた。アンジェラらだってこの界隈に来るのは初めてではない。常連のように振る舞いたかった。

 そこで「牛と豚の憩いの場」亭で出たビールを注文した。娘は頷いて奥に引っ込んだ。アンジェラは感心して言った。

 「ビールはどこでも出してくれるものなのね」

 マヤが嫌そうに言った。

 「私、あの味、苦手ですぅ。胸が悪くなります」

 アンジェラもそれは同感というように顔をしかめた。するとオモが口を開いた。

 「なら二人の分は私が飲む」

 アンジェラは頼もしげにオモを見上げた。

 「あなたなら何杯でもいけるもんね」

 ビールが運ばれてきたので三人はそれに口をつけながら雑談した。尤も喋るのはアンジェラとマヤでオモはひたすら飲み続けていた。

 若い娘がお喋りに夢中になると時間を忘れる。ふと外を見た時はかなり暗くなっていた。

 「大変。そろそろ帰らなきゃ」

 一行が腰を浮かした時、店に入ってきた男達がいた。何気にその一人を見たアンジェラは蒼白になった。

 急いで二人に腰を下ろすよう指示する。マヤは訝りアンジェラが見た方向を見た。すぐ驚いた声を上げそうになったが寸前でアンジェラに口を塞がれた。

 ニードルとその従者らは梯子してきたのか頬が上気していた。彼らは店内を見回してやや右端のテーブルが空いているのがわかると他の客を乱暴にどかしてそこに行った。

 そして横柄に給仕女を呼んだ。アンジェラらはその時、運良く店の奥にいて顔もすぐ伏せたので彼らは気づかなかった。

 だが店を出る時どうしても彼らの傍を通ることになる。そのため出るに出られなくなった。マヤが困ったようにアンジェラに囁いた。

 「どうします?」

 「あの人達が帰るまで待ちましょう」

 三人は他の客に隠れるようにして彼らが去るのを待った。視線は伏せていたが意識はどうしてもニードルらに向いてしまう。

 ニードルらの話が聞こえてくる。胸糞悪くなるような話ばかりだった。気に入らない貴族に無理に決闘を申し込んで傷つけてやったとか、街娘を手篭めにしたとか。

 あんな男と結婚するくらいなら城から飛び降りて死ぬほうがマシだとアンジェラは思った。その時、女の悲鳴が聞こえた。

 見るとニードルの従者が給仕娘の腰に抱きつき、別の従者がスカートを捲り上げようとしている。見かねたのか他の客が顔色を変えて注意した。

 だがその客を従者らは挑戦的に見て剣を抜く構えを見せた。飲みに来ている客は大抵、武器など持ってきていない。

 持っていたとしても護身用の短剣くらいだ。長剣と短剣ではあまりにも分が悪い。その客は怯んで引っ込んだ。

 ニードルはそれを見てニヤニヤと品のない笑みを浮かべている。娘がようやく手を振り解いて奥に逃げた。

 従者らは調子に乗って注文を取りに来いと喚きたてている。アンジェラは腹を立てた。平民を守るべき貴族とその従者が平民に嫌がらせをしているとは何事か。

 貴族にあるまじき振る舞いではないか。しかもここはホーデン家のお膝元なのに。

 「許せない」

 アンジェラは奥の調理場に行こうとした。マヤが急いで訊く。

 「どうなさるおつもりです?」

 アンジェラはいたずらっぽく笑って言った。

 「いいわ。あなた達も手伝って」

 8> 

 アンジェラらは調理場横の細い通路に行った。するとそこにはさっき辱められた給仕娘が泣きべそをかいていた。

 よく見ればまだ幼く十五歳にもなっていないかもしれない。こんな娘を辱めたニードルらに新たな怒りが湧いた。

 突然やってきたアンジェラらに娘は訝った。アンジェラは安心させるように微笑んで店のスカーフとエプロンを借りたいと頼んだ。

 娘はさらに訝った。アンジェラは客席のほうを顎をしゃくり、あいつらを懲らしめてやるの、といたずらっぽく笑うと娘も笑顔になった。

 娘が用意したスカーフを頭に巻きつけ目元まで下ろし人相を分らなくした。そしてエプロンをつけた。

 少し不自然なところがあるがこれで立派な給仕女が出来上がった。アンジェラらを知る者がいても簡単に彼女らだとわからないはずだ。

 彼女達はビールだ、ビールをもっと持ってこい!と喚くニードルらに二十杯以上のジョッキを乗せた盆を手分けして持っていった。

 ニードルらはまずオモの巨体に驚いた。そして呆然となっている間に三人はテーブルの端から端までジョッキを置いて無言で立ち去った。

 だが彼女達の行き先は店の奥ではなく店外だった。客の中には彼女達の行き先におかしいと感じた者もいただろうが口にはしなかった。

 やがて驚愕から回復したニードルらはテーブルの上に無数に置かれたビールに気づいて口が開いたままになった。

 おい!こんなに頼んだ憶えはねえぞ!と喚いた。だが店の人間は誰も出てこない。従者らは舌打ちしてジョッキの一つを取り上げると一気に呷った。途端に皆、床に吐き出した。

 「うぇぇぇっ!?不味い!」

 「なんだ、この気の抜けたビールは!」

 ニードルらは色めきたった。

 「おい!店主を呼んで来い!」

 「ふざけやがって!」

 周囲の客は彼らを避けるようにして席を立った。ニードルらはいくら呼んでも店の者が出てこないのがわかると店の奥に怒鳴り込もうとした。するとその時、店外から声が聞こえた。

 「こっちよ、お馬鹿さん達!」

 「あんた達なんか気の抜けたビールで充分よ」

 ニードルらが振り返るとさっき給仕した女達が店から大分離れた路上で囃し立てている。

 「私達はお店の者じゃないからいくらそこで苦情を申し立てても無駄です!これに懲りたら人を困らせるのはお止しなさい!」

 ニードルらは怒って店外に飛び出してきた。すると彼女達もその分だけ後ずさる。往来の人々がなんだ、なんだ?と路上のアンジェラらとニードルらを見る。

 その時、群集の中にニードルを見て驚く影があった。

 「あれはエメリッヒ!?ニードル家の領地にいるはずのあいつがなぜここに・・・?」

 その影は前に最果て小路でアズを翻弄した、医者崩れと呼ばれた老人であった。ニードルらは集まってくる野次馬に舌打ちした。

 だがアンジェラらの嘲笑は続いている。野次馬も一目でニードルらが悪者だと察しアンジェラらと一緒になって囃し立てた。

 すると従者らが剣を抜いて群集を脅した。群衆はそれで蜘蛛の子散らすように逃げた。ニードルが従者に命じた。

 「あいつらを逃がすな!」

 その時ようやく店の奥からおっかなびっくりといった様子の店主と給仕娘が出てきた。ニードルらがアンジェラらを追っていったのを見て顔色を変えた。

 「大変だ。あの娘さん達、ただじゃすまないぞ」

 店主は給仕娘に命じた。

 「すぐにオーナーに、バッカさんに用心棒をこっちによこしてくれるよう頼んで来い!」

 

 陽が落ちた、その界隈は酒を飲みに来た大勢の客で賑わっていた。そのためアンジェラらはその人達に紛れれば逃げ切れると思っていた。

 それにその界隈にはもう三、四回は来ている。地理もおおよそわかっている。アンジェラらが人ごみの間を縫うようにして走っていると段々、彼らの罵声が遠のいていった。

 しばらくして気配も罵声も聞こえなくなった。路上に人影もほとんどない。走っていくうちに飲み屋街から大分、離れたようだ。

 幾分、暗く寂しい場所に入り込んでしまったが彼らをまくことができた。アンジェラは足を止めて振り返った。

 路地の薄い板壁と両側の家から道に突き出ている植木の影しか見えない。アンジェラはほっとしてマヤに言った。

 「もう安心ね」

 マヤが苦しげに胸を押さえて言った。

 「もう!無茶しすぎです!本当に恐かったんですからぁ」

 「ごめん、ごめん。でもあの人達を懲らしめてやったからいいじゃない」

 マヤはそれでやや機嫌を直した。

 「それは、まぁそうですけど・・・」

 アンジェラは改めて周囲を見回した。

 「さて。ここはどこかしら?まぁ城の方角はおおよそわかるから迷子にはならないだろうけど」

 「なら早く帰りましょうよ。もうスリルはたくさんですぅ」

 アンジェラが頷いて前を向いた時だった。向こうの路地の角からニードルの従者が姿を見せた。アンジェラらは固まった。

 従者は彼女達に気づくと走り寄って来た。アンジェラは少しして呪縛が解けると急いで二人に言った。

 「逃げないと!」

 三人は踵を返して駆け出そうとした。だがその足はすぐに止められた。なんと後方からもニードルともう一人の従者が姿を現したではないか。

 ニードルらの姿が見えなくなったのは従者の一人を先回りさせたせいだったのか。アンジェラは愕然となったがすぐに逃げ道を探した。

 前後の道は塞がれている。なら左右の道に行きたいところだが不運なことに左右ともずっと板塀が続いている。

 お嬢様育ちのアンジェラには塀を乗り越えて人様の家の庭を通って逃げることなど考え付かない。進退窮まって立ち往生していると前後の男達がとうとうその場に着いた。

 ニードルが彼女達を見て笑った。

 「もう追いかけっこは終わりかな?可愛い小鳥さん達」

 

 ニードルの傍らの従者が彼に冗談ぽく言った。

 「小鳥だけじゃないですよ。大鳥もいます」

 ニードルもオモを見て笑った。

 「じゃあ大鳥はお前に任せよう」

 それを聞いた従者は情けない顔になった。

 「そりゃないですよ、ニードル様。こんなに走らされた挙句、私の相手はあの大女ですか」

 「たまには大女も良かろう」

 その従者は大きな溜息をついた。ニードルらが薄笑いを浮かべて彼女達に近づいた。オモが二人をかばうようにして男達を睨みつける。するとさっきの従者が前に出て言った。

 「お前の相手は俺だってよ。ったくゲテモノ趣味はねえってのによ」

 すると珍しくオモが表情を険しくして言った。

 「あんた、相当悪さしてきたね。だから手加減はしないよ」

 「この大女。言ってくれるじゃねえか。手加減してくれなくて結構だ」

 従者はじりっと歩を進めた。オモの巨体に怯まないのはこの男も力に自信があるせいか。確かにずんぐりした体は力を持っていそうだ。

 二人は睨みあっていたが気勢を上げると同時に突進した。そしててがっちり組み合った。オモがぐいぐい押し込むが従者も顔を朱に染め額に汗を浮かべて踏みこたえる。

 ニードルが面白がって手を叩いた。

 「おう!おう!怪力同士の力比べだ。どっちも負けるな!」

 ニードルが好勝負に目を奪われていると向こうの道の従者が呆れたように彼に声をかけた。

 「それでニードル様。私はどっちの娘をもらえるんです?」

 ニードルは思い出したようにアンジェラらに目を向けた。

 「これは失礼を。ご婦人方の相手をするのを失念していた」

 アンジェラらは前後の男達が間を狭めてくるのをただ見ていることしか出来なかった。オモは手一杯で助けに来ることなどできそうにない。

 アンジェラは焦って周囲を見回した。月明かりが弱いのとバンダナのお陰で正体はバレていないが襲われればすぐにわかってしまう。

 その時、少し後方の板塀の下部に四つん這いになればくぐれそうな割れ目があるのに気づいた。アンジェラはマヤにそこを指差して言った。

 「あそこ!ついてきなさい!」

 アンジェラはすぐ行動した。マヤも必死についてくる。男達がその意図を察して走り寄ってきた。向こうの従者のほうが早かった。

 アンジェラは咄嗟に近づいてきた従者に靴の片方を脱いで彼の鼻っ柱にそれを叩き付けた。

 「ぐわっ!?痛ぇ!」

 従者は鼻を押さえた。その隙に割れ目をくぐる。長身のニードルは簡単にはくぐれないはずだ。予想通り彼女らがくぐった後、塀の向こうで地団太を踏む音が聞こえた。

 だがほっとしている暇はなかった。すぐにバリバリっと音がした。見ると割れ目に手がかかっている。

 男達は板塀を破ろうとしているのだ。二人は急いでその家の庭を通って向こうに出ようとした。

 

 往来に出て左右を見ていた店主は向こうからアズが駆けつけてくるのを見て大きく手を振った。その大分、離れた後ろからは走るのがいかにも苦手といった感じのベックが息を喘がせて続いている。

 アズは店主のもとに着くと鋭い目を周囲に走らせて訊いた。

 「狼藉者がいるって聞いたけど?」

 店主が危ぶんだ様子で言った。

 「店に来ていた女の客がそいつらに怒っていたずらしたんだ」

 アズは困惑して訊いた。

 「いたずらって、何をしたんだ?」

 「給仕女のふりをして捨てる前の、気の抜けたビールを飲ませたんだよ」

 「捨てる前のって・・・。そんなもん飲んで体、壊さないか?」

 「まぁ急いで吐き出したようだから大丈夫だろ。それでそいつらは怒ってその客を追っていったんだ。

 ひどいことされていないといいが。若い女の三人連れだった」

 アズは若い女の三人連れと聞いて憂いを帯びた表情になった。

 「まさかその三人って・・・」

 アズは急いで訊いた。

 「話はわかった。それでそいつらはどこに行った!」

 アズが急に焦り出したのを見て店主は訝ったがすぐに彼らの向かった方角を指差した。アズは頷いて風のように走っていった。

 少ししてようやくベックが店前に到着した。そしてアズの走り去った方向を見て訝しげに店主に訊いた。

 「あいつ、どこに行ったんだ?店で狼藉者が出たんじゃなかったのか?」

 店主は彼にも事情を説明した。

 

 アンジェラとマヤは民家の狭い横庭を走っていた。少し前に後方から板塀の破壊される大きな音が聞こえた。

 彼らはすぐ追ってくるだろう。今の内に距離を稼いでおかなくては。いや男と女の足だ。いずれ追いつかれてしまう。

 それなら今の内にどこか物陰に隠れたほうがいいんじゃないか。幸い月が雲に度々、隠れるので視界は悪い。

 アンジェラは走りながら逡巡していると早くも後方から荒い息遣いと足音が聞こえてきた。予想より大分、早かった。

 やはり男の足は速い。傍らを見た。アンジェラに手を引かれたマヤが苦しそうに走っている。この子は速く走れない。

 だが見捨てることなどもちろんできない。なんとかしなくては。焦って考えていると後方から男の声が聞こえた。

 「ニードル様。三十メートルほど先です!」

 後ろの男は一体、何を言っているのか。訝っていると彼女達の前方の家の角から不意にニードルが現れた。

 アンジェラらは驚いて急停止した。そして悟った。また先回りされたのだ。そしてさっきの男の言葉はアンジェラらと並走していたニードルにアンジェラらの位置を告げるものだったのだ。

 ニードルが笑みを浮かべた。あまり息は乱れていない。この男は武術の達人だと聞いた。なら逃げ切れない。

 その時、後ろの男も追いついた。この男はかなり喘いでいる。アンジェラがマヤに囁いた。

 「いいこと。時間がないから一回で憶えなさい。お城の騎士に聞いたことあるの。男の急所は股間だって。

 この人達はたぶん私達がもう抵抗できないと思って油断してくる。しばらく抱きつかせておきなさい。それで隙を見て思いっきり膝で股間を蹴り上げるの」

 「そ、そんなことできません!」

 「できなきゃひどい目で会わされるのよ!」

 従者が薄笑いを浮かべて言った。

 「伯爵様。私はどちらで?」

 「お前は小さいほうだ。私はこの元気のいい娘が気に入った」

 ニードルはゆっくりと近づいて身を固くするアンジェラの顎を手で上げさせた。

 「毎日、手入れしているようだな。街娘にしては綺麗な肌だ」

 そしてバンダナをさっと取った。アンジェラは目をぎゅっと瞑って俯いた。もう駄目!?だがニードルは特にアンジェラの名を呼ばずその豊かな金髪を弄んでいる。

 「綺麗な髪じゃないか。 これは思わぬ拾い物になったかな」

 ちょうど家の陰に入り込み俯いていたためアンジェラだとわからないようだ。その時、従者の苦痛の呻き声が聞こえた。

 すぐわかった。あの子、やったんだわ!ニードルの嘲笑した声が聞こえた。

 「馬鹿者が。油断しおって。逃がすなよ。お前の獲物だ」

 二つの気配が遠ざかっていく。アンジェラは思った。頑張ってうまく逃げて。だが自分のほうはもう後がなかった。

 騎士に習った起死回生の一撃はもうマヤがやってしまったので今更ニードルにやっても意表をつくことにはならないだろう。

 どうしようか必死に考えているといきなり腰を抱かれてその場に押し倒された。ニードルがのしかかる。

 「やっ、止めて!」

 「恋多き街娘が今更、何を恥ずかしがる。いやそうか。なるほどな。初めてのように振る舞うのも手管の一つか」

 その時ふとニードルの表情に訝しげな色が浮かんだ。背けたアンジェラの顔をじっと見つめる。

 「・・・似ている。お前、ひょっとして・・・いや城のお姫様がこんなところにいるはずがないか」

 

 その時、少し離れた塀から二人を覗く影があった。その影をアズが見たらあっと驚くことだろう。影は最果て小路にいた医者崩れの老人だった。

 老人は逡巡していた。あの娘が危ない。心の冷たいエメリッヒなら娘のか弱い肉体を残酷に弄んでズタズタに引き裂いてしまうだろう。

 自分の住む街で、見ている前でそんな非道なことは絶対、看過できない。だがエメリッヒとの縁はもう十年前に切れている。

 今更、彼を更生させることなどできない。闘わざるを得ないのか。ニードルの魔手がいよいよ娘に迫った。

 老人は仕方なく陰から出ようとした。その時だった。若い男の大声が辺りに響いた。

 「アンーっ!どこだ!いるのかーっ!」

 するとちじこまって声も出なかった娘から大きな声が聞こえた。

 「ここ!アズ、早く助けに来て!」

 ニードルが舌打ちして身を起こした。すると左手の板塀をぶち破って若い男が姿を現した。老人はその男を見て驚いた。

 アズではないか。大男がアズの後ろから続く。老人はその男も知っていた。「牛と豚の憩いの場」亭の用心棒だ。

 アンジェラはアズを見て落ち着きを取り戻したのか急いだ様子で言った。

 「私の友達もこの人の仲間に追われているの!その子も助けに行って!」

 アズがベックに頷きかけた。するとベックはアンジェラが指差す方向に駆け出していった。老人はそれを見てほっとして陰の中に戻った。

 ベックなら大丈夫だろう。それより問題はこの二人だ。ニードルが侮った表情でアズを見た。

 「なんなんだ、お前は?」

 「その子とちょっと縁のある、ただの男さ」

 「白馬の王子様気取りなら止めておけ。痛い目に会うぞ」

 「さぁ痛い目に会うのはどっちかな」

 「このガキ!言わせておけば」

 ニードルの表情に怒気が浮かんだ。アズは話しながら男の戦闘力をチェックした。長身だ。痩せてみえるが力は強そうだ。

 鍛えたもの。恐らく武術経験者。しかも手練。アズは相手がいつ飛び掛ってきてもいいように僅かに腰を落とした。

 既に闘いの火蓋は切って落とされた。なのに相手に腰の長剣を抜く気配はない。なぜだ?他に武器を隠し持っているのか。

 アズは訝って見ていて、はっと気づいた。上体を軽く曲げ、やや肘を曲げて突き出した両手。これは敵を迎撃する構えだ。

 攻撃的ではないが相手の動きに即応して反撃する構え。この男も素手の武術が使えるということなのか!?

 アズは愕然となった。一方のニードルも不審を感じていた。目の前にいるのはただの若造・・・のはずだった。

 威勢のいいところを見ると腕っ節に自信があるのだろう。だが所詮それは街の喧嘩。戦場の戦いを知らない。

 いくら若造とはいえ格の違いに気づくはずだ。だがこの落ち着きようはどうだ。愚かすぎて格の違いに気づかないのではない。

 熟練の戦闘者のようにこちらをじっくり観察している。若造の体に余分な力は入っておらず敏捷な動きができそうだ。

 それにこの闘気はどういうことだ。戦場でもこんな闘気は中々お目にかかれない。命のやり取りをして生き残ってきた者の気だ。

 こんな若造がまさか。ニードルも用心せざるを得なかった。アズは男の表情から薄笑いが消えるのを見て本気になったと思った。

 戦略的にはこちらを舐めていた時、攻撃すべきだったがこの男は無意識なのかどうか防御の構えを取っていた。

 容易には襲い掛かれなかった。二人の間にぴりぴりとした緊張が走った。この時アンジェラはニードルの少し後ろにいたが冷静ならば逃げ出しただろう。

 だが二人の凄まじい闘気の影響を受けて動けずにいた。アズがじりっと半歩、動いた。ニードルのやや前に突き出した手の指がぴくりと動く。

 ニードルの構えはどう見ても受けの構え。対してアズはやや半身になって左拳を軽く前に突き出す攻撃の構え。

 アズが仕掛けてニードルがそれを受けるか。二人の緊張はさらに高まっていく。二人の目は少しも相手の動きを見逃さないように注がれている。

 来ないのならこっちから行くまでだ。アズの攻撃の気配が高まってきた。ニードルは攻撃されたら即応しようとさらに上体を前傾させた。

 動いた瞬間が貴様の最後だ。そしてとうとう緊張の糸が切れた。二人にはピキーンッという弦の切れた音まで聞こえたような気がした。

 ほぼ同時に二人は前に出た。アンジェラが息を呑んだ。だがその時ガサガサと音がしてアズの後方から植木の枝を振り払ってベックとサスケ、女二人が現れた。

 瞬間、二人の足も止まった。アズがちらっと後方に目を向けて言った。

 「サスケ。ベックさん」

 ベックが頷いた。

 「女の子達はもう安心だ」

 ニードルがそれを聞いて舌打ちした。その後すぐニードルの後方からも従者の二人が姿を現した。

 顔に赤いアザが見える。どうやらベックにやられたものらしい。ニードルは素早く頭を巡らせた。女は頭数に入らない。

 三対三。戦力は互角。唯一こちらの強みといえばアンという女がまだ後ろにいることだが人質に取ろうとすればすぐにこいつらは飛びかかってくるだろう。

 そうなれば混戦となる。辺りは闇に包まれ見通しは悪い。同士討ちも考えられる。腹が立つがここは引くのが上策だ。

 ニードルは凄まじい形相でアズを睨みながら後退した。そしてすぐには襲い掛かれない距離を取った後、踵を返して従者に言った。

 「行くぞ」

 従者も急いでニードルの後を追った。アンジェラがぼうっとその後姿を見ているとマヤが泣きそうな表情で抱きついてきた。

 「アン!」

 オモもほっとした様子で二人の傍に来た。アンジェラは安心させるようにマヤの頭を撫でて安堵の息をついた。

 その時アズの視線を感じた。はっとなった。大変!バンダナが取れて顔が露になっている。だが暗がりにいるのですぐ大丈夫だとわかった。

 素早くバンダナを拾い上げて頭に巻きつけるとアズのもとに歩み寄った。さすがにこんなことがあったので憎まれ口を叩く気にはなれない。

 「また助けられたね。ありがとう」

 アズは素直に礼を言うアンジェラに戸惑った。

 「ま、まぁ俺は店の用心棒だからな。仕事だよ」

 アンジェラはアズが照れて、つれない口をきいたのはわかった。いつもなら不満に思っただろう。だけど今夜だけは許してあげよう。こんなことが起こった後なのだから。

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