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 閃光拳のアズ7 大草原編

 一陣の風が鋭い声を発して通り抜けた。それはこれから起こる戦いの激しさを物語るように冷たく厳しい風だった。

 そこは草地だった。いや草地などというものではない。もっと規模が大きい。見渡す限り草地が続いている。

 遮るものなどまったく見当たらない。ひたすら緑の絨毯が続いている。向こうの果て、地平線までそれが続いていた。

 そこは遥かなる草原だった。そしてそこでは今まさに戦が行われていようとしていた。二つの騎馬集団が西と東に分かれて向かい合っている。

 戦気はあるものの、両者の距離はかなり開いており開戦まではまだ少し時間がありそうだ。西で布陣する騎馬集団は剽悍で勇猛な顔立ちをしている。

 だが正しき行いをしてきた者だけが持つ気品が感じられた。そして集団の前に一人、群を抜いて存在感のある男がいた。

 男は中年で眼光は強いが目元が爽やかで引き結んだ唇は意志の強さを感じさせた。一方、東に布陣する集団も皆、戦気を露にし獰猛な顔つきをしていた。

 だが西の集団と明らかに違う点があった。野卑というか品がないのだ。西の集団は戦前だというのに落ち着き払い、静かに指揮官の下知を待っている。

 対して東の集団は絶えず唸り声を上げ、口汚く相手を罵っている。そして同じように集団から一歩前に出た男がいた。

 その指揮官は頭髪が薄く山羊髭の貧相な顔 立ちをしていた。その男が西の指揮官に向かってがなり立てた。

 「おい、エンガイ!今日こそ決着をつけてやるからな!」

 エンガイと呼ばれた、西の指揮官はそれを聞いて唇を歪めると叫び返した。

 「ラッダ!相変わらず鼻息だけは荒いな。おのれの小さな領域で満足していればいいものを、また性懲りもなく仕掛けてきおったか!」

 するとラッダと呼ばれた山羊髭の男はニヤリと笑って言った。

 「メギル族とハヤト族の、数世代に渡って続けられてきた長い戦いもようやく終わる!つまりハヤト族はこの日をもって消滅するのだ!」

 するとエンガイの後ろの若武者が呆れたように言った。

 「ラッダはいつも同じことを言う。そしていつも父上に負けて敗走する。学習しない奴だ」

 するとその傍にいた年配の男が窘めるように言った。

 「油断は禁物ですぞ、テン若様。いつもと同じのように見せかけて、実は何か策を講じてきたのかもしれません」

 「わかっているよ、ムロク。だけどメギル族にそんな知恵の回る奴がいるのかな?いつもただ突撃を繰り返すだけじゃないか。それにラッダに策を進言する、頭が働く幕僚もいないし」

 「ですからそういうふうに思わせているのかもしれません」

 「いつも思うんだけれどムロク。あんた、考えすぎだよ」

 するとテンの右隣、彼より少し若い武者が焦れったそうに言った。どことなくテンに似ている。

 「なんでもいい。早く戦を始めろってんだ。俺は戦いたいんだ。なのにあのメギル野郎。埒もないことくどくどと言いやがって」

 ムロクが溜息をついて、その武者に言った。

 「サール若様。いつも申し上げていることですが、もう少し余裕をお持ちになってください」

 「メギルを相手に苛つかない奴なんかいないと思うぜ」

 するとテンの左隣の若武者が口を開いた。この者はサールよりもっと年少に見えた。だが落ち着いた容貌はテンやサールより老成して見えた。

 「サール兄者。ムロクの言う通りだよ。父上だってああ見えて片時も油断していないと思うよ」

 「ケッ。優等生ぶりやがって。おい、テム。草原の戦ってのはなぁ。即断速攻。くどくどと言い合う場じゃねえんだよ」

 テムと呼ばれた少年は肩をすくめた。エンガイの息子達が囁き合う内に戦気は頃合を迎えたようだ。

 両軍から突撃の命令が下された。両軍が喚声を上げて突進する。

 「うおおおお!勇猛なるハヤトの民よ!先祖に恥じない戦いを行え!死を恐れるな!栄光に向かって走れ!」

 「メギルこそ草原一の部族なり!ハヤト族、笑止なり!一息に呑み込んでくれん!」

 両軍は激突ポイントまで激しく軍馬をせめ立てた。そして矢の間合いに入ると両軍からほぼ同時に上空に向かって矢が放たれる。矢は弧を描いて敵に突き進んでいく。

 「当たるかぁ、こんな貧弱な矢!」

 サールが撃ち終えた弓で飛んできた敵の矢を叩き落す。他のハヤト族民も身を伏せたお陰で負傷した者は少なかった。

 逆にメギル族のほうはハヤト族の正確無比な矢で次々に悲鳴が上がった。

 「ぐわあ!?」

 「いてえ!?」

 だがさすがに矢だけでは突撃の勢いを止められない。ハヤト族に向かって疾走してくる。ハヤト族、先頭のエンガイが剣を抜いた。それを見て後続の部族民も剣を抜く。

 「ぬがあっ!」

 エンガイは吼えるや否や敵軍の中に踊りこんだ。その凄まじい突撃にメギル兵が一遍に三、四人吹っ飛ばされる。次いでサールが飛び込んだ。

 「チェッ!また父上に一歩、遅れた!」

 エンガイの突進を止めることができなかったメギル族は真っ二つに割られた。だがすぐに気を取り直して両側からエンガイを襲おうとする。

 「勇者エンガイの首、もらったぁっ!」

 「いや俺が討つ!」

 草原一の勇者が自らメギル族の懐に飛び込んできたとあってかメギル兵は色めき立った。エンガイは剣を振り回して敵の攻撃を防ぐものの、如何せん多勢に無勢だ。すぐに劣勢になった。

 「エンガイ!年を取ったな!驕って死ぬか!」

 ラッダがそれを見て哄笑した。するとエンガイはニヤリと笑って言った。

 「族長のわしが狙われるのはわかりきったこと。だから自ら標的になったのよ」

 「なんだと!?」

 するとエンガイの後方から喚声が聞こえた。

 「敵さん!どこを見ているんだい?ハヤトの本隊はこっちにいるんだぜぇ!」

 ハヤト族の本隊がエンガイに気を取られたメギル族の後背を襲った。メギル軍はハヤト軍の密集隊形の突撃をくらって軍がさらに割れた。エンガイがそれを見て喝采を送る。

 「見事だぞ!テン!サール!テム!」

 ラッダは悔しげに歯軋りした。

 「ぬううう!エンガイは囮だったか。見事、奴一人にしてやられたわ。だが戦はこれからが本番ぞ。者ども!乱戦に準備せよ!」

 メギル軍は混乱していたがラッダの叱咤で気を取り直した。突撃されていくつもの小集団に分裂したメギル軍だが今度はそれを逆利用して四方からハヤト軍に襲い掛かった。

 こうなると密集したハヤト軍が不利だ。エンガイは敵を蹴散らして本隊に戻ると鋭く命じた。

 「さらに密集して防御隊形!」

 「おおっ!」

 ハヤト軍は防御に専念することで四方からの敵の攻撃に耐えた。その間エンガイはじっと敵の動きを見た。

 ハヤト族は敵のいくつもの小集団に囲まれて攻撃されている。今は耐える時だ。だがその攻撃の連携が乱れた時こちらの反撃は始まる。

 エンガイが油断なく周囲を見回していると三男のテムが言った。

 「父上。今は敵の連携攻撃が我が軍を上回っております。うかつに動くは危険」

 エンガイは感心したがそれを顔に出さず言った。

 「うむ。ならどうする?」

 「動くは連携が乱れた時」

 エンガイは頷いた。テムは思慮深く族長に忌憚ない意見ができるため良い幕僚になれるだろう。すると不意にテンが右手を指差した。

 「父上!あそこ!」

 見ると右手の敵軍に連携の乱れが見えた。すかさずエンガイが命じた。

 「全軍、我に続け!」

 エンガイの飛び出しは速い。あまりにも速いので部族民は中々、追いついてこれない。だがそのやや後ろをテンがついていた。

 エンガイは思った。敵の隙を見つけてすぐ行動に移せる。リーダーシップもある。さすがテンは長兄なだけはある。

 ハヤト族は連携の乱れた敵の小集団の一つに猛然と襲い掛かった。

 「うおおお!喰らいやがれ、メギルども!」

 エンガイの後方でサールの喚き声が聞こえる。あえて見ないがさぞかし敵兵を蹴散らしているのだろう。

 次男のサールはテムほど思慮深くはなくテンほど部族民に注意を配らない。一人で先走る傾向がある。

 だが勇猛さは部族の中でも指折りだ。族長の器ではないがテンが族長になれば兄を補佐する、いい武将になってくれるだろう。

 エンガイは息子達が頼もしく成長してくれたのを嬉しく思いながら敵を順調に屠っていった。と、ラッダの退却を命じる声が聞こえた。

 エンガイは訝った。おかしい。敵戦力の五分の一近くを蹴散らしたが敵はまだ充分に反撃が可能だ。

 それなのにもう退却?いつもより随分、早い気がする。するとテムも同じ疑念を抱いたようだ。懸念した様子で父を見上げた。

 ラッダの命でメギル軍は敗走していく。エンガイは逡巡した。追うべきか否か。支配領域が隣接したメギル族はしゅっちゅう境界を侵してハヤト領に侵入して家畜を奪う。

 境界線からあまり深く侵攻してこないから家畜の被害は微々たるものだが部族の長としては見過ごせない。

 一度、徹底的に叩いて二度と敵対できないようにしなければと思っていた。そして今回は敵がいつもより早く撤退に移ったので充分その余力はある。

 追うか。するとその時テムが首を横に振って見せているのが見えた。何を懸念している?罠か?だが部族民の気持ちは追撃したいと言っている。

 それを受けてエンガイは追撃命令を出した。一族が一丸となってメギル族を追う。逃げるメギルは必死に馬を走らせる。ハヤト族から嘲りの声が飛んだ。

 「待て!そちらから仕掛けておいて、もう逃げるのか!」

 「まだ陽は明るい。なのにもうかあちゃんの布団に入るのか。呆れた奴らだ!」

 メギル族はいつもなら野次を受ければ、かっとなってすぐ言い返してくる。だがそれがない。ますます不審を感じた。

 と、その時ラッダが振り返った。その小汚い顔にずる賢い笑みが浮かんでいた。エンガイは、はっとなって注意を喚起した。

 「皆の者!奴らは何か企んでおくるぞ!気をつけろ!」

 その時サールが右斜め前方を指差して言った。

 「気をつけろ!伏兵だ!」

 見ると草地に弓を引いた兵が何人も潜んでいる。部族民の一人が言った。

 「向こうにもいるぞ!」

 左斜めにも敵兵はいた。エンガイは急いで言った。

 「前衛は伏兵に構うな。このまま全速力で駆け抜けろ!後衛は伏兵を討て!」

 矢の間合いに入ったのを見て伏兵が、がばっと身を起こして矢を射た。ラッダの哄笑が聞こえてくる。

 「わははは!死ね、エンガイ!」

 ハヤト族の前衛に鋭い矢の雨が降る。だがエンガイ以下、前衛は上体を伏せて矢をやり過ごした。

 「なんだと!?」

 ラッダの愕然となった声が聞こえた。そしてすぐ伏兵がバンザイするように後方に倒れる。その体には矢が突き刺さっていた。

 ハヤト族、後衛の仕業だ。卑怯な伏兵に怒ったハヤト族はどんどん追撃速度を増していった。すると必死に逃げる敵軍の動きを見ていたテムがふと首をかしげた。

 「父上、何かおかしい!」

 エンガイが見るとテムが敵を指し示して言った。

 「敵は真っ直ぐ逃げるのではなく所々で何かを避けるようにして走っている。恐らく穴か何かがあると思われます!」

 エンガイもじっと敵の動きを見た。確かに真っ直ぐ走るほうが速いのにわざわざ蛇行したり直角に動いたりしている。

 「だったらこちらは大きく迂回してやろう」

 ハヤト族はそこで右回りに大きく迂回した。少ししてラッダが振り返った。するとハヤト族が右手に逸れていく。

 さては追撃を諦めたか。ほっとしたが同時に悔しくなった。テムが懸念した通りメギル族はこのルートに多くの落とし穴を仕掛けていた。

 落ちれば下に鋭い杭が待っている。それをくらわせてやれないのが残念だった。

 「だがまぁ次がある」

 思い直した時だった。幕僚の一人が慌てた様子で言った。

 「族長!あれを!」

 指差された方向を見て仰天した。諦めたと思っていたハヤト族がいきなり前方から現れたではないか。

 「ゲゲゲッ!?どうやって!」

 すると幕僚が蒼白になって言った。

 「奴らは諦めたんじゃなく大きく回りこんできたんです!」

 ラッダは顔を紅潮させて唸った。やがて破れかぶれのように言った。

 「こうなればやるまでだ!メギル族の底力を見せてやれ!」

 部族民は、おおっ!と答えた。だがその声に威勢はなく怯みが含まれていた。そして戦いはその通りになった。

 メギル族は散々、蹴散らされた。そして全滅こそ免れたものの、三々五々になって戦場を離脱した。

 それを見てエンガイは追撃を止めさせた。サールが食って掛かるように父に訊いた。

 「父上!なぜ敵の息の根を止めないのです!」

 「最後までやろうとすればいくらメギルといっても窮鼠と化す。窮鼠ほど怖いものはない。今回も損失少なく勝った。勝利はほどほどでいいのだ」

 サールは不満そうだったが父には逆らえない。ハヤト族は帰途に着いた。

  <2>

 小競り合い程度の戦いだったが何人かの捕虜と打ち捨てられた武器や武具がいくつか手に入った。

 捕虜を解放するのに敵は身代金を支払わなければならない。また武具や武器は使用するか売ることができる。

 さらにこの敗戦に懲りてラッダはしばらく境界を侵そうとはしないだろう。無益な戦いではなかった。ハヤト族が意気揚々として自営に向かって馬を走らせた。

 その時ムロクはテンがどこか悄然としているように見えた。いつも父エンガイの近くにいるのにこの時は父からやや遅れている。

 ムロクはそっと馬を寄せてテンに話しかけた。何か心配事でも?するとテンはエンガイの背を見て自嘲気味に言った。

 「なんでもない、と言いたいところだけど。俺ってまだまだだなぁって思ってさ」

 「どういうことですかな」

 「俺は長男だ。いずれ族長になる運命を持っている。男なら父親以上の男になりたいと思うだろ?

 だけど・・・今日も父上のお陰で勝った。いや弟達も部族民もよくやってくれた。それに比べると俺はなぁ・・・あまり役に立っていなかった」

 ムロクは励ますように言った。

 「いずれお父上のように活躍されますよ。焦っても仕方ありません」

 「だがなぁ。俺はもう二十歳だ。二十歳といえばもう立派な武人になっていなけりゃおかしい」

 「私はエンガイ様のお若い頃も見てきました。族長も今のテン様と同じ時期、同じようなことをおっしゃっておられましたな」

 「父上が!?」

 「さよう。今、若様がご覧になっている武人は何回も立ち直れないほど挫折し、死か生かという厳しい戦いを生き抜いてこられた。

 そういう経験があるからこそ勇者の称号を得られたのです。テン若様もこれから挫折や後悔を何度も経験されるかもしれません。

 ですが決して諦めず自ら信じた道を歩み続ければきっと大きな男になられるでしょう。焦って前に進もうとしてはいけません。

 先は長いのです。このムロクもついております。弟君も若様の補佐をされます。お父上の、若様に対するご期待は相当なものですよ」

 テンは不審げに言った。

 「父が俺に期待?そんなこと一度も聞いたことがない」

 するとムロクはじっとテンの顔を見つめた。

 「若様。ご自分のお名前の由来を考えられたことはおありですか?」

 「俺の名前の由来?考えたことはない」

 「「テン」とはすなわち「天」。志は天ほど大きく意志は天に通じ、天をも動かす行動をして欲しい。そうお父上は願われたのです。

 親というものはつい子供に過度な期待を持ってしまうもの。ですが生まれたばかりの若様を見てお父上は大きな期待に必ずや応えてくれるとお信じになりました。

 だからあえて大きな名前をつけられたのです。今はまだその名前ほど大きくはないかもしれません。

 ですが怯んではいけません。恐れてもいけません。じっくりやっていけばいつかきっとお名前の通り「天」になられます」

 テンはムロクの、あまりに大きな話に怯んだ。俺がこのどこまでも広がっている空のように大きい男になれって?

 冗談だろ。期待が大きすぎるぜ。そんなこと聞かされたら努力する前に気が萎えちまうよ。テンは自分の背負わされた期待の大きさに体に力が入らなくなったような感覚を憶えた。

 だがムロクが信頼の篭った目でじっと見て、頷きかけてくれると次第に力が戻ってきた。まぁ本当にそうなれるかはわからないが大きな男になろうと頑張ることは出来る。

 将来のことは神のみぞ知る、だ。神ならぬ人間が先のことをあれこれ心配してもしょうがない。今は、なれると信じて努力するしかない。

 そう。努力することが大事なのだ。それを続けていけばやがて皆も信じてついてきてくれるようになる。

 そう。父が草原一の勇者と言われるようになったように。テンは父の背中に向かって馬を走らせた。

 

 テンはムロクから聞いた父の大きな期待に最初は怯んだ。だが少し経って気を取り直した。それだけ父は自分を信じてくれている。

 それに応えねば勇者の息子じゃない。テンは嬉しくなって父に馬を寄せた。すると父は他の部族民と話をしていた。

 「東や南の端に外の民が入植したという噂を聞きました」

 「するとやはり神聖なる土地を穢しているのか?農耕と称して」

 「まぁそうでしょう。それが外の民のやり方ですから」

 エンガイは懸念した様子になった。

 「・・・我ら草の民は村や町などの外の民が草原に入ってくるのをひどく嫌う。以前にも外の民が無断で草原に入り土地を穢した。

 その結果、外の民はその領域を支配する部族に殺された。今回、来た外の民はそのことを聞いておらぬのだろうか?」

 「草原の外は恐ろしく広いと聞きます。別の土地からやってきたので聞いていないのかもしれません」

 「なにも殺さなくてもよい。草原には草原のやり方がある。追っ払われる程度で済めばいいのだが」

 テンはそれを聞いて不愉快になった。草原の民は自然を崇拝する民だ。彼らは天や大地に敬意を払い、その大地に育まれた動物を生活の糧としている。

 なので村や町の民がするような農耕、つまり大地を傷つける行為をひどく嫌悪する。テンは呟くように言った。

 「そんな奴らのことを心配してやる必要はないさ。どこかの部族に殺されても自業自得だ。草原でしちゃいけないことをするんだから」


 ハヤト族の根拠地は草原の北部にあった。そこに天幕を張って生活している。草原の中でこの部族の勢力は取り立てて大きいというわけではない。

 戦闘員の数は約二百数十名といったところでそれよりも大きい部族は他にいくつもある。だがハヤト族は草原で一目置かれていた。

 それは族長のエンガイによるところが大きい。彼は他に抜きん出た勇者であり他族から賞賛される器量の持ち主であった。

 勇猛さによる伝説は数え切れない。たった一人で敵対部族を壊滅させたとか、寡勢で数倍大きい敵を倒したとか様々だ。

 本人は笑って否定するが戦の時の、彼の勇猛さを見ればさすがと誰もが納得するだろう。また器の大きさも草原では有名だ。

 部族内に序列はあるが決して差別させず皆、平等に扱う。何か功あれば女子供にも褒美を惜しみなく与えた。

 また助けを求めていると聞けばそれが敵対部族でも手を差し伸べた。ハヤト族の戦は場合によっては女子供も弓や剣を取ることがある。

 そういう時は特に戦闘員が少なかったり敵対部族に個人的な恨みがあったりする場合だ。そうでないと女子供を大事にするエンガイは許さない。

 そんな勇猛さと優しさを併せ持つ族長を戴いたハヤト族は北の果てで静かに暮らしていた。そしてそんなある日、宿営地に隊商がやってきた。

 草原には様々な商品を売りに、または草の民から現地のものを買いに隊商が入ってくる。草の民は放牧生活のため草原を点々と移動する。

 そのため彼らと取引を希望する隊商は彼らの動向を逐一、知っておかねばならない。交流は密にしていた。

 だから宿営地に訪れる隊商はほとんどが顔見知りだった。だがこの時ハヤト族を訪れた隊商は見慣れぬ顔ばかりだった。

 またこれまでやってきた隊商の中で規模は一番小さく、なぜか萎れているようにも見えた。部族民の通報を受けてエンガイが出迎えると隊商の中から小柄な男が前に出てきて挨拶した。

 サルカイと名乗った。まだ若い。三十代にようやく手が届いたというところか。驚いたことにサルカイはその若さで隊商の親方だった。

 「実は私どもは草原で商売させていただくのは今回が初めてでして。これまで草原の外で商いを細々と続けていたのですが、外の世界は古参の商人が既得権益をがっちり握っておりまして。

 後から参入した私どもがいくら気張ってもおいしいところはちっとも回ってきません。そんな時、草原帰りの商人に出会いまして。

 その人が親切に教えてくれたんです。大きくなりたかったらまだ商人があまり入り込んでいない草原に行け、と。

 私は喜び勇んでここに来ました。ですが新顔のせいか草原の方々にあまり相手にされないのです。

 私が親方にしては若いというのも原因なのかもしれません。そして旅費が心細くなってもう帰るしかないかと諦めかけていた時でした。

 ある噂を聞いたのです。ハヤト族のエンガイ様は大変な器量人で困っている商人に手を差し伸べてくださる、と」

 エンガイは苦笑して言った。

 「確かに困っている人間に手を差し伸べたことはあるが、それは草原の民だ」

 サルカイは同情したくなるほど落胆した様子になった。エンガイはそれを見て手を横に振った。

 「まぁ早まるな。何もあんたと取引しないと言っているわけじゃない」

 サルカイの表情がぱっと明るくなった。

 「で、では!買っていただけるので!?」

 「そう急かんでくれ。まずはものを見てからだ」

 エンガイはそう言ったが隊商から商品を多く、向こうの言い値で買ってやった。取引が終わった後サルカイは何度も頭を下げエンガイの手を強く握って言った。

 「地獄に仏とはまさにこのこと。あなたは命の恩人です。生き仏です。このご恩は一生、忘れません!」

 大仰に感激した目を向ける サルカイにエンガイは苦笑した。

 「あんたは感激屋だな。それとも商売人お得意の演技なのかな?商人は本音を言わぬというからな」

 するとサルカイは憤然と言った。

 「何をおっしゃいます。確かにそういう商売人はおります。ですがこのサルカイは違います。天に誓って 恩人に嘘をつくような、人の道に外れるようなことはしたことがありません」

 エンガイは自分をじっと見つめるサルカイの中に誠意を見た。

 「わかった。わしが悪かった。すまなかった」

 エンガイの謝罪にサルカイはニコっと笑って言った。

 「わかってくださればいいのです。このご恩はいつかお返しします。これは約束です。証人はこの空。天です」

 エンガイはそう言うサルカイをどこか不思議そうに見つめた。

 「証人が天とは壮大なことを言う」

 「天を証人としたのなら違えるわけにはいきません」

 「あっぱれな心意気だ。実はな。我が息子にもテンという名をつけた」

 するとサルカイは目を丸くして言った。

 「それは・・・。エンガイ様こそあっぱれではございませぬか。天をご子息のお名前にするとは」

 エンガイは草原の向こうを見て言った。

 「恩はわしにではなく我が息子にやってくれ。テンはわしの後を継いで族長にならなければならん。

 戦乱が続く世だ。息子の代はわしの時より多難になっているかもしれん。その時あんたの力があれば息子も助かるだろう」

 「わかりました。してテン様はいずれに?」

 エンガイが宿営地内に目を戻した。サルカイもその方向を見た。すると族長の天幕の傍で若者が馬の世話をしている。サルカイは頷いて言った。

 「わかりました。テン様がお困りの時は必ずこのサルカイ、馳せ参じましょう」

 その後、数時間してサルカイの隊商は去っていった。

 「商人にしては心が真っ直ぐで気持ちのいい若者だったな。この後の商いもうまくいくといいが」

 エンガイはそう言って意味ありげにムロクを見た。ムロクはすぐ族長の意図を察して懐から木筒を取り出した。

 そしてその蓋を取り外すと何本もの竹棒が入っていた。ムロクは木筒を軽く回すように振りながら念じ始めた。

 そして気合と共に一本の竹棒を取り出して見た。エンガイは興味津々といった様子で訊いた。

 「して卦はなんと出た?」

 「これは奇遇な。あの者の運命もテン様と関る卦が出ております」

 エンガイに微笑が浮かんだ。

 「そうか。わしがあの者を助けてやったのは間違いではなかったようだな」


 ムロクの占いによるとサルカイは今後テンを助ける人間になるという。そのためエンガイはあの後もサルカイの行方を気にした。

 他からやってきた隊商や用事で訪れた他部族にそれとなく彼の消息を尋ねてみたりもした。最初はまったく情報が入ってこなかったが根気強く尋ねていく内に少しずつだが入ってくるようになった。

 エンガイが見込んだ通り彼の隊商はどんな部族に対しても腰が低く公正な値段で取引を行っているという。

 また訪れた部族に交換する物が何もなかったり困窮したりしているのを見ると代金は後払いにしたり相手に得な取引を行ったりしていた。

 そしてさらに時が経つと彼の誠実な人柄と有能なスタッフの噂は草原中に広まった。商いの規模も徐々にだが大きくなっているとのこと。

 エンガイはそれを聞いてムロクと共に喜んだ。そして翌々年の春には再びサルカイ がハヤト族の宿営地に顔を見せた。エンガイは彼とその隊商を歓迎した。

 「商いはうまくいっていると聞いたが?」

 初めてサルカイを見た時、自信を失くしかけて萎れていた。が、この時は堂々としていて衣服もいくらか上質なものに変わったように見える。

 「ぼちぼちといったところですかね。後発ですから。商いが多少、大きくなっても儲けなんてたかが知れております」

 エンガイは楽しげに言った。

 「だが順調。そうだな?」

 サルカイは困ったように頭を掻いた。

 「族長には敵いません」

 エンガイは気分良さそうに大声で笑った。この頃になるとサルカイにも腹心の部下が出来て取引は部下とムロクに任せた。

 エンガイは早速、商談に入ろうとするムロクに言った。

 「親方はわしにとって特別な客人である。なるべく要求を聞いてやってくれ」

 「心得ております」

 サルカイはそれを聞いて恐縮した。

 「いつもおおきに」

 「なに。助け合うのはお互い様だ。いずれあんたの世話になる時も来よう」

 エンガイはサルカイ を族長の天幕に連れていった。天幕ではエンガイの奥方ホリーがそつなく茶をサルカイに出した。

 彼女はたとえ相手が若くても主人の招いた客ならば粗略に扱わない。エンガイは寛いだ様子でサルカイから旅の話を聞いた。

 旅の苦労や途中で起こったおかしな出来事、珍品の発見など話の種はつきなかった。一見すると茶飲み話のようだが実はそうでもない。

 エンガイは話の途中で何度も質問を挟んだ。どこどこの部族の様子はどうだった?戦の気配は?

 困窮していたか?サルカイも余すところなく詳しく述べる。

 「東のメギル族に不満が高まっているようです。族長のラッダ様が他族に強引な戦を仕掛けているせいとかなんとか」

 「南のタイガード族が北のほうに頻繁に使者を送っているとか。何か悪巧みをしてるという噂があります」

 「西のガラガタ族にまたクーデターの噂がありましたが、ドリル・ガーン様が未然にその芽を摘んだとか」

 話を聞き終えるとエンガイは感慨深げに言った。

 「そうか。ガラガタでまた内紛が起こったか・・・いやドリル殿が無事ならいいのだ」

 「以前にもあったのですか?クーデターが」

 「うむ。その時ドリル殿は族長の座を奪われてのう。支援要請をするため各地を回っていた時があったのだ。

 そしてここにも来られた。聞けば卑怯な不意打ちをくらって殺されそうになったというではないか。わしは不憫に思って彼を支援した。

 そのせいかどうか無事、彼は族長に復帰できた。その縁がきっかけでその後、同盟を結んだのだが、なにせわが方と先方は距離がある。

 今はたまに使者を送って挨拶をする程度の仲になってしまった」

 話が一段落したところでムロクが天幕にやってきた。ムロクはエンガイに取引の首尾を伝えるとサルカイに顔を向けた。

 「親方、良いものを持ってこられた」

 サルカイが謙遜して横に手を振る。

 「いやいや。たいしたものではありません」

 「いや。良質のものを格安で譲っていただいた。今回はそちらが大分、泣いたのではないか」

 「お客様に喜んでいただくために商人が泣くのは当たり前です」

 その時エンガイがムロクに言った。

 「客に得をしたと喜ばせておいて、また買わせるのが商人のやり方だ。騙されてはいかん」

 サルカイが苦笑して頭を掻いた。

 「本当に族長には敵いませんなぁ。ですがエンガイ様は私の恩人ですから持ってきたのは本当にどれも良いものばかりですよ」

 「わしは親方の信義や誠意を疑ったことはない」

 「落としては持ち上げる。族長は商人の呼吸がわかっていらっしゃる」

 それを聞いてその場の誰もが笑った。ムロクが去るとサルカイは急に表情を曇らせて言った。

 「一つ気になっていることがあります」

 「ほう。それは何かな?」

 「初めて草原に来た時より各部族の小競り合いが多くなったように感じられるのです」

 エンガイが頷いて言った。

 「雨があまり降っていないせいだろう」

 サルカイが首をかしげた。それを見てエンガイは説明した。

 「つまりこういうことだ。雨が降らないと草が伸びない。草がないとそれを食べる家畜が困る。馬が痩せ細れば遊牧民の我らにとっては死活問題だ。

 それで草のある場所を求めて各部族が移動する。だが良い牧草地がそうあるわけではない。だから良い場所を巡って争いになる」

 サルカイは合点したように頷いた。

 「なるほど。そういうことだったんですか」

 と、その時はっとなってエンガイを見た。

 「皆さん、お困りになってはる。じゃあハヤト族も?」

 エンガイが首を横に振った。

 「幸いなことに我が支配領域には小さな川が通っている。それのお陰で草の生育はそれほどひどくない」

 サルカイが納得したように頷いた。

 「なるほど。それをメギル族は狙っているわけですね」

 <3> 

 サルカイの隊商はハヤト族の宿営地に一週間ほど滞在した。そして次は東のほうを回るといって旅立っていった。

 エンガイが腕組みしてそれを見送っているとムロクが傍にやってきた。何用かと訊くとエンガイの顔に憂慮の色が見えるという。エンガイは頷いて言った。

 「実はな・・・サルカイが言っておった。各地で小競り合いが頻発していると」

 ムロクが訝しげに言った。

 「しかしそれは雨量が少ないと気づいた時から予想していたことではありませんか。何をそんなに心配されているのです?」

 「確かに予想はしていた。だがそれが多すぎるのだ」

 エンガイはサルカイから聞いた各地の小競り合いの内容と頻度を伝えた。するとムロクは眉を潜めた。

 「それは・・・確かに予想を超えておりますな」

 エンガイは草原に目を向けて言った。

 「争いは争いを呼ぶ。今のところ大丈夫だがこのままだとここにも飛び火しかねん。それが気になっているのだ」

 ムロクがどこか超然となって空を見上げた。

 「天に任せることです。天がすべて知っておられます」

 エンガイは頷いたが憂慮した顔色は晴れなかった。そして少し考えた後ムロクに命じた。

 「頻繁に占いに頼りたくはないが・・・ちょっと占ってみてくれ」

 ムロクは族長の補佐役でありテン達の指導役であり占い師でもあった。エンガイは憂いを帯びた表情で続けた。

 「このまま各部族で争いを続けていってもしょうがあるまい。雨の少ない時は良い牧地を交代で使うとか分けて使うとか、秩序がなくてはいけない。

 秩序を維持するのは大族の努めだ。西のガラガタ族は草原の中で一、二を争う大族だが如何せん内紛が多すぎる。

 いや牧草地だけの話ではいけない。この広大な草原全域の秩序を考えねばならん。そうなるとガラガタ以上の力が必要だ。

 草原に秩序と平和を取り戻すにはどうしたらいいか。占ってみてくれんか」

 「わかりました。草原の気を見て次にハヤト族の未来を占いましょう」

 ムロクは、れいによって懐から木筒を取り出すと念じるように目を閉じた。そして何やら呟いていて次の瞬間、気合と共に木筒の中から一本の竹片を引き抜いた。

 ムロクが厳しい表情でそれに目を通す。エンガイは無言でそれを見守った。

 「・・・草原はこれから荒れますな。イメージが二つ、見えました。一つは草原です。そこに生えている草は例年より随分、短かいものでした。

 二つ目は我れらが宿営地のものです。そこに雷を孕んだ暗雲が立ち込めておりました」

 エンガイが懸念したように訊いた。

 「何か悪いことが起こる兆しだというのか」

 ムロクが首を横に振った。

 「残念ながら具体的なことはわかりません。ですがその暗雲のほうはやがて薄れていって晴れます。そして光る馬が現れました」

 エンガイが首をかしげた。

 「光る馬・・・吉兆だろうか?」

 「その馬の顔はなんとなく若様のように見えました」

 エンガイは驚いた。

 「なんと!?それがテンだというのか!」

 「テン若様が光り輝かれていなさった。もしかすると若様はいずれ大ガーンになられるほどの器なのかもしれません」

 エンガイは考え込みながら言った。

 「・・・ガーンとは部族の指導者の意だ。大ガーンはさらに多くの部族を束ねる大指導者の称号。親の贔屓目と言われても仕方ないが、確かにあれには指導者の器があると思う。

 だが・・・本当に大ガーンになれるのか?草原をまとめるとなると相当な大事業になるぞ」

 エンガイが信じられない様子で問うとムロクは頷いて言った。

 「さよう。大ガーンになるには若様お一人の力では無理です。また弟君、部族の助力を持ってしても不可能です」

 「ではどうすればいいのだ?他族を斬り従えて助力させるのか?」

 「いいえ。そうではありません。いや草原の統一事業の過程でそういう部族も出てくるかもしれまんせんが別の者の助けが要ります」

 エンガイは興味津々といった様子で訊いた。

 「それは誰だ?」

 するとムロクは遠くを見て言った。

 「イメージには続きがあります。光る馬の後方からさらに光る鷹が現れました」

 エンガイは喜んで言った。

 「おおっ!それこそまさに吉兆!」

 「鷹は言い伝えにあるように「目に炎あり顔に光あり」でした・・・」

 エンガイがその後を継いで謳うように言った。

 「・・・そしてその拳は天を裂き、その足は大地を割り砕く力があるという。言い伝えが本当であればそれはどんな人間だろうか?」

 ムロクは遠くを指差した。

 「「彼」は東南から現れるはずです」

 エンガイは憂いを帯びた表情で東南を見た。

 「東南か。本当にそんな者が現れてくれればいいのだが・・・」

 

 ハヤト族は宿営地を畳み遊牧の旅に出ることにした。これまで宿営地、周辺の牧草地で家畜を養ってきたが長いこと動かなかったので草はあらかた食い荒らされ痩せ細ってきた。

 草を完全に食べつくしてしまうと再び豊かな緑地になるまで時間がかかる。先のことを考えると食べつくさない程度にしておかねばならないのだ。

 そういうわけで他の牧地を求めて宿営地を移動することにしたのだ。だが各地を旅して回っても中々、良い牧地は見つからなかった。

 外に出てみて初めて旱魃の深刻さが実感できた。どこへ行っても草の生育が悪い。老人のようにしなびて前に垂れている。

 だがあるだけまだましと家畜に食べさせた。だがいくら食べさせても家畜が元気にならない。草が短かすぎるのとその中の水分が充分でないからだ。

 家畜の健康状態が気になったエンガイはムロクと相談して急遽、近くの水場に行くことにした。そこから一番近い他部族の水場を貸してもらいたいところだが水不足ゆえ断られるかもしれない。

 確実なのは各部族の使用が許される共同水場だ。そして一番近いそれは三十キロほど南にあった。

 だるそうに足を動かす家畜の群れを急かせて南の共同水場に行った。するとそこに大勢の部族が集まっている。

 その水場は大河の支流にあたるのでさすがに涸れていたり不足しているといったことはなかった。周辺の草木も生い茂っていてそこだけは草原に見えない。

 顔見知りの部族に挨拶しながら空き場所を探して川岸沿いを歩いた。どこも水を求めてやってきた部族でいっぱいだった。

 するとしばらくして声をかけられた。見ると東のジャドー族だった。両族は支配領域の一部が隣接している。

 ハヤト族の東南地域とジャドー族の北西だ。だがメギル族のように境界を侵して家畜を奪うような無法なまねはしないので両族の仲は良好だった。

 だが草原の情報通は知っている。ジャドー族に野心がないわけではない。ただ真正面から勇者エンガイ率いる剽悍なハヤト族と戦うのは得策ではないと判断しているだけなのだ。

 戦うより良好的な関係を築き、事ある時には協力させようという下心があると言われている。そしてそれを裏付けるかのようにその時はジャドー族のほうから笑顔を向けて挨拶してきた。

 エンガイもそつなく挨拶を返す。聞けばジャドー族も遊牧していたが思うような牧草地に出会えず仕方なく共同水場に来たとのこと。

 二人の族長はそこで足を止め、互いの近況を伝え合った。そして雑談が済むとジャドー族の長が友好の証として商取引をもちかけた。

 両族の和平が長く続くように友好的な取引をしたいと言うのだ。取引の実務となると族長の他に部族全般を把握する補佐役も加わらなければならない。

 四人は早速、近くの部族から離れて商談に入った。テンが少し離れたところでそれを興味深げに見ていると四人の元にジャドー族の若者が近づいた。

 どこか気品があり悠然としている。部族の中でも良家の出身だと思われた。そしてその通りジャドー族の族長がエンガイにその若者を紹介している。

 何者なんだろう?テンが好奇心を持って見ているとなんとその若者を含めて商談に入ったではないか。

 重要な談合の場である。族長や補佐役など重臣しか参加できないところにあの若者は澄ました顔で参加している。

 さらに商談中、族長に助言しているような姿まで見られた。あの若さでたいしたものだ。参加できるのでさえ認められている証拠なのに族長に助言までしているとは。

 彼は何者なんだろう?しばらくして商談は終わった。互いに満足のいくものだったらしく笑顔で握手を交わしている。

 そして四人が別れる前エンガイがテンを呼んだ。テンが小走りに近づくとエンガイがジャドー族の三人に向かって言った。

 「ご子息を紹介していただいたので我が息子も紹介させていただきたい。これは我が嫡子テンです」

 エンガイはテンに目を向けて命じた。

 「ジャドー族の方々にご挨拶申し上げろ」

 テンはジャドー族の面々を見て言った。

 「テンです。どうぞお見知りおきください」

 ジャドー族の族長は愛想笑いを漏らしてテンを立派な若者だ、いずれお父上の後を襲って立派な族長になるに違いないと褒め立てた。

 テンは父とジャドー族のやり取りを見ていた。ジャドー族の族長はエンガイに盛んに世辞を言っているように見えた。

 それは自信の無さの表れのようにも見える。ジャドー族の勢力はハヤト族と大差ないが部族民はハヤトほど強兵ではない。

 何しろハヤト族は東にメギル族という宿敵を抱え、西の大族ガラガダと対等な戦いを演じたこともある。

 他にも戦は数知れない。自然、戦上手になった。それに比べジャドー族はどちらかというと勝てる戦しかしないので兵は自然ずる賢くなった。

 彼の族がこちらを警戒するのもむべなるかな。テンが皮肉を込めた目でそう眺めていると視線を感じた。

 見るとさきほどの若者がじっとこちらを見ていた。テンが見るとそつなく微笑をたたえて会釈する。父はさっき向こうに対してこちらも息子を紹介すると言った。

 ならばこの若者は自分と同じように族長の息子ということになる。若者は温和な笑みをたたえていた。

 だがその目は知的に強く光っていた。頭がキレそうだ。その証拠にさっきは部族の重要な商談に口を出していた。

 だが戦はどうだ?勇猛なハヤト族の自分には敵うまい。テンは同じ族長の息子と知ってライバル心が湧き起こるのを感じた。

 

 両部族が水辺に戻ると新たな他部族が来ていた。テンにはどこの部族かわからなかったがムロクによると南のオン族だという。

 話には聞いたことがあるが改めてどんな部族か訊いた。彼らの領域は草原の南端に位置しているため外の民とよく交流があるという。

 また商取引も活発に行うので他国の物品を多く所有しているらしい。テンが観察するように見ると確かにオン族は見たことのない衣服を着ていた。

 基本、草原の民は草の緑や空の青さを尊び、そういう色の質素で丈夫な服を着る。だがオン族は外の民と交流があるだけあって様々な彩り豊かな衣服や装飾品を身に付けていた。

 またオン族は穏やかな気性のせいか戦はめったにしないらしい。なのであまり親交の無い他族に対しても愛想だけは良かった。

 テンの見るところ、この三部族は仲が良いようだ。いやそれは上辺だけかもしれない。厳しい自然環境の中で生きる騎馬民族は簡単なことで争いが起きる。

 昨日まで友人付き合いしていても明日には敵同士ということが普通にあるのだ。この三族も明日にはどうなっているかわからない。

 だが今のところは平穏だった。水辺や牧草地で各部族が連れてきた羊や牛などの家畜に水を飲ませ草を食ませている。

 また馬の世話もしなければならない。いつ何時、戦が起こって軍馬が必要になるかわからないからだ。

 テンは率先して馬の世話をすると部族の男達もそれにならった。馬にブラシをかけているとどこからか嬌声や華やいだ気配が伝わってきた。

 そちらのほうに目を向けると少し遠くで羊の世話をしているオン族の女達の姿があった。いずれも若く魅力的だ。

 しかも見たことのない鮮やかな衣服と装飾品を身につけているのでより洗練されて見えた。彼女達と比べるとハヤト族の女はいかにも田舎者に思える。

 いや女達だけではない。男達もだ。テンが憧れに似た気持ちで彼女達を見ているとその中でとりわけ品のある女性がいた。

 その女性は周りの女性より一段高い地位にいるらしく無邪気に女同士でふざけ合っているが気も遣われている。

 何者なんだろう。綺麗な人だった。テンが馬にかけるブラシの手を止めて、ぼうっとその女性を見ていると彼女達もその視線に気づいたようだ。

 テンを見てひそひそ囁き合い忍びやかな笑みを漏らした。テンは彼女達のそんな仕草に顔が火照り、思わずいつも以上にブラシに力を入れて馬を擦ってしまった。

 馬はそれにびっくりし尻を横に振ってテンを遠ざけようとした。テンは急いで謝って馬を宥めた。少ししてようやく馬の機嫌がなおったので再びオン族の女達のほうを見ると彼女達は羊を追って向こうに行くところだった。

 彼女の後姿を鼻の下を伸ばして見ているとその女性が不意に振り返った。目が合った。テンは気恥ずかしさに目を逸らした。

 変な奴だと思われてしまっただろうか。気になった。向こうは洗練されて恐らく男のあしらいなどにも慣れているのだろう。

 男らしく胸を張っているのならともかく、おどおどしている男に魅力など感じるはずがない。自分の男らしくないさまに情けなくなった。

 こんな気持ちになったのは初めてだった。妙齢の、同じ部族内の女に対してこんなおどおどしたことなど一度も無かったのに。

 少し経った。意を決して顔を上げてまた彼女を見た。すると意が通じたように女性もまたテンを見た。

 だがその表情に嘲りや軽蔑など見えずむしろ好意的ともとれる、いたずらっぽい笑みが浮かべられた。

 テンはいつまでも彼女の顔を見ていたいと思ったが彼女はすぐに顔を前に戻してしまった。テンはそれから見えなくなるまでずっと彼女の後ろ姿を見続けた。

 その後、同じ水場にいるのをいいことにオン族の男に近づいて、さりげなく彼女のことを聞いた。すると彼女はポレといって族長の娘だとわかった。

 <4> 

 三つの部族は水場に何日か滞在する予定のようだ。そこは水が豊富だったので草の生育が良い。

 放牧するには絶好の条件だった。家畜を放牧してしまえば後はやることがない。いや他の部族の家畜と混ざってしまわないよう一応、見張っておかねばならない。

 だが簡単な仕事なので年齢の幼い者がそれをやっている。大人達は昼間から酒を酌み交わし女達も集まって談笑している。

 子供から若者も駆けっこや相撲、乗馬など各々で興じていた。そこでテンと次男のサールは辺りを馬で探検することにした。

 騎馬民族の戦に馬は不可欠である。なので若者は戦がなくても馬の調練を奨励されていた。末弟のテムも誘ったが彼は大人達と一緒にいて話を聞いているほうがいいという。

 子供の時からテムは勇猛な兄達とは違って大人しく人と話したりするのが好きだった。二人は乗馬すると丈の長い草地を気持ちよく馬で駆けた。

 風は髪がすべて後方に流れほど強かったが気にはならない。どこまでもどこまでも緑の絨毯が続いている。

 遮るものはなにもない。天と地がはるか先まで続いていて最後に合体している。二人は良質の放牧地に気を良くしどこまでも馬で駆けていった。

 しばらく風の切る音と馬の息遣いと蹄音しか聞こえなかった。が、ふと人の声を聞いたような気がして辺りを見回した。

 大分、駆けてきたせいか所々、土が露出して草地がまばらになっている。あちこちの地面が丘、とまでいかないが隆起している。

 人の姿はない。気のせいだろうか。テンが馬の速度を緩めたのを見て後続のサールがどうかしたのか訊いてきた。

 テンはなんでもないと言って馬の腹を蹴ろうとした。するとまた人の声が聞こえた。今度は幻聴ではない。

 右手からだ。サールも訝しげにそちらを見ている。どうやら小丘の向こうに人がいるようだ。敵か味方か。

 草原では不意に敵対部族に遭遇するのは珍しいことじゃない。二人は無言で頷き合い、用心しながらそちらに向かった。

 緩やかに隆起した場所をいくつか登り降りして進んでいくと不意に川が現れた。意外に大きい。川幅が二十メートルはある。

 それが水場のほうまで続いている。澄んだ水面から水深は浅いことがわかった。その時、対岸に二人の若者の姿を認めた。

 ジャドー族の衣服を着ている。いや一人はあの族長の息子ではないか。二人は石で水切りをしていた。

 彼らも遠乗りにやってきて、ここで休憩しているのだろうか。見ているとやがて向こうもこちらに気がついた。

 一時、警戒する様子を見せた。だが向こうも敵対部族ではないのを認めたようだ。互いに手を振った。

 手を振るのは敵じゃないことを示す。テンらは馬で岸辺に下りて水面を覗いた。思った通り浅い。すると向こうから声がかかった。

 「水深は浅いからこっちまで渡ってこられるよ」

 テンはそれでも用心深くゆっくり渡った。そしてジャドー族の二人のところまで来ると下馬した。

 「やぁ。水場からこんな離れたところで何をしているんだい?こっちはご覧の通り馬で散歩しに来てたんだけれど」

 「俺達も同じようなもんだけど、水がどこから来ているのか興味が湧いてね。だから川に沿ってここまで来たってわけさ。水場全体を把握しておけば今後、場所取りの役に立つと思ってね」

 テンはそれを聞いて感心した。やはり頭が切れるようだ。さすがこの若さで商取引の談合に口を出すだけはある。

 只者ではないと確信してますます彼に興味を抱いた。

 「それでここで何をやっているんだい?」

 彼は肩をすくめた。

 「大分、遠くまで来たからね。水を呑んで休んでたんだ。それでちょっと水切りしてた」

 「水切りなら俺も得意だ」

 彼は面白がった様子で言った。

 「へぇ。なら勝負するかい?」

 テンが首をかしげると彼がこう申し出た。どっちが遠くまで小石を飛ばせるか勝負しようと言うのである。

 二人はもう大人の仲間入りしようという年頃だがそうなるには実際に手柄を立てねばならない。テンはまだ父に認められるような手柄を立てたことがない。

 だが向こうは既に族長から認められている。一歩リードされている。勝負というのなら絶対、負けれない。彼が考えながら言った。

 「回数は・・そうだな。五回でどうだい?」

 「よし、わかった。やろう!」

 彼から先に始めることになった。彼の投げ方は力をまったく入れていないように見えた。だが小石は重量を無くしたように滑空して水面を跳ねていく。

 やがて対岸近くで沈んだ。テンは随分飛んだな、と内心動揺した。だが負けるものかと小石を思いっきり投げた。

 だが小石は二三回、水面を弾いただけで川の中ほどで沈んでしまった。彼は笑って言った。

 「俺の勝ちだな」

 「なんの。五回勝負だ。後、四回」

 だが次の勝負も、また次の勝負も負けた。テンは焦った。五回中、三回負けた。ということは後二勝しても通算で負けではないか。

 テンは彼がそれを言い出す前に急いで言った。

 「五回じゃ、すぐに終わって面白くない。百回勝負にしよう」

 それには彼も面食らった顔になった。テンは畳み掛けるように言った。

 「時間はたっぷりある。大人達は酒を呑んで夕方まで起きてこない。大丈夫だよ」

 彼は困ったような表情になったがやがて承諾した。勝負が再開された。テンは今度は慎重になった。

 ただ頑張るのだけではなく彼の様子を密かに観察した。なんであんなに遠くまで飛ばせられるのか。

 きっと何か秘密があるに違いない。密かに見ていると彼は自分の番になっても小石を中々、拾わず選別に時間をかけているのに気づいた。

 そして拾った小石は割れた平べったいものがほとんどだった。テンは納得した。そうか。平べったいもののほうが空気抵抗が弱く遠くまで飛ばせる。

 早速テンも真似をした。すると思った通り対岸近くまで飛ばせられるようになった。こうなると勝負はほとんど互角である。

 飛距離は僅かな差しかない。やがて勝利の数も彼に追いついてきた。そして二十回を数えた時、彼が飽いたように言った。

 「もうこれ以上やっても同じだよ。勝敗の数はたいして違わない」

 テンは彼に音を上げさせたと思うと気分が良くなった。すると彼は今、気づいたように言った。

 「そう言えば自己紹介がまだだったね」

 二人は連れも含めて紹介し合った。すると彼の名はジャッカと言い、連れは従者とのこと。彼が微笑んで言った。

 「よし。心が通じ合ったからには贈り物を交換し合おう。とりあえず手持ちはないので馬なんかどうだい?」

 テンは困った。自分で調教した馬である。愛着がある。だが友好の証として取引をしようというのだ。

 断りづらいものがあった。テンが渋っているのを見てジャッカが言った。

 「お気に入りの馬のようだね。なら交換比率を変えよう。そちら一頭に対してこちらは二頭出す。それならどうだい?」

 テンは驚いた。二頭なら破格の比率だ。だがそこでジャッカらの後方で草を食んでいる彼らの馬に気づいた。

 近づいてよく見た。そして合点した。なるほど。そういうことだったのか。

 「そろそろ戻らないと。今の比率でも駄目かい?」

 ジャッカは残念そうだったがどこか断れないよう言った感じも受けた。テンは苦笑して言った。

 「残念だけど取引はできない」

 ジャッカが気分を害したように言った。

 「まさか三頭じゃないと駄目なんて言うんじゃないだろうな」

 「そんなこと言わないさ。理由は馬の血統の違いさ。こちらの馬は二頭とも駿馬とはいかないまでも強馬には違いない。

 対してそちらは良い馬だけど、ちょっと足や腰の筋肉の付き具合が足りない。数が多ければいいというんじゃなくて交換するなら同じ軍馬にしてくれないと」

 ジャッカはそれを聞いて頭を掻いた。どうやら最初から彼もそれがわかっていたらしい。彼は降参したように息を吐いて言った。

 「わかった。交換は無しだ。戻った時、改めて他のものでしよう。俺は君が気に入ったよ。盟友の誓いを交わしてくれないか?」

 ハヤト族とジャドー族にこれまで大きな争いはなかった。盟約を交わしておけばとりあえず自分の代になっても安心だろう。

 快く応じた。盟友の証としてジャッカは柄に凝った意匠が施された短剣を、テンは狼の毛皮のコートを差し出して交換した。

 そして仲良く馬を並べて水場のある宿営地に向かった。その途中ジャッカが不意に訊いた。

 「君は将来なりたいものはある?」

 テンは怪訝な表情で答えた。

 「一応、父の後を継いで族長になる予定だけど」

 ジャッカが首を横に振った。

 「そんな当たり前の将来じゃなくて。族長になって何を成し遂げたいかってこと」

 テンはそんなこと考えたこともなかった。なので答えが出なかった。するとジャッカは遠くを見て言った。

 「俺には成りたいものがある」

 「へぇ。何になりたいんだ?」

 「俺はガラガダ族のドリルのようにガーンになりたい」

 テンはドリル・ガーンのことはもちろん知っていたがガーンというのは名前だと思っていた。だがジャッカの口ぶりからどうやらそうではないらしい。

 ものを知らないと思われるのは恥ずかしかったが盟友となったのだ。恥を耐え忍んで訊いた。するとジャッカはやはり呆れた様子でテンを見た。テンが急いで言った。

 「もちろんドリル・ガーンの名は今まで何度も聞いたことあるけど名前だと思っていたんでさ」

 「ガ-ンってのは族長の中の族長、指導者って意味だ。俺はそのガーンになりたい」

 テンはそんな決意を秘めたジャッカの横顔を見て、ひょっとしたらこいつなら成れるかもしれないと思った。

 だがそこで負けん気も胸に湧いた。なんの、俺だって勇者エンガイの息子だ。親父が勇者と称えられたのだ。

 なら息子の俺は勇者以上の存在にならなければならない。そう考えて思わず口走った。

 「俺だってガーンになる!」

 ジャッカは意外そうにテンを見た。だがすぐに不敵に笑って言った。

 「よし。なら競争だ」

 そう言ってジャッカは馬をテンより速く走らせた。あいつ!テンもすぐに馬を急がせた。そしてそのままジャッカの横を抜き去ろうとした。

 だがジャッカはそれを見越して前を塞ぎ先に行かせまいとする。テンは思った。ハヤト族の馬術を舐めるな!

 テンは少し馬を遅らせてジャッカと距離を取った。ジャッカは注意深く後方のテンを気にしている。テンは馬腹を叩いて一気に右斜め前方に走った。

 「やらせるか!」

 ジャッカもすぐに右にずれて進行を妨げようとする。テンはそれを見て思った。かかった!ジャッカがそこに到達する前に今度は左斜め前に方向転換した。

 「しまった!?」

 ジャッカが悔しがった時にはもう遅い。テンがジャッカより前に出かけた。その時、前方に三つの部族の野営地が見えてきた。

 人々がそれぞれの仕事をしている。そんな中でこの間、見たオン族の娘ポレも見えた。相変わらず彩り豊かな衣服で着飾ったポレは魅力的で競争も忘れてその姿に見惚れた。

 ジャッカはこれ以上、先に行かせまいと馬を必死に走らせていたがテンの熱意の無くなった様子に気づいた。

 「どうしたんだ、テン盟友?」

 テンは答えず、いやその声に気づかずポレを見続けた。成りたいものはさっきまでなかった。だがジャッカへの競争心からガーンに決まった。

 だが欲しいものは少し前に出来た。それはあのポレだ。よし。決めた。ガーンになってポレを絶対、嫁にする!四騎は背に夕日を浴びて野営地に馬を駆けさせた。

 

 そこはひび割れた地面がなだらかに隆起する乾いた土地だった。だが完全に不毛というわけではない。

 水気も無いのに所々に小さな塊のような草地がぽつんぽつんと見られる。遮るものがないせいか前方から吹き抜けてくる風は顔を背けるほど強い。

 北はまだ足を踏み入れたことがないので何があるのかわからない。南は高い塔のような直角の山がいくつも見られる。

 そういうところに今にも倒れそうな人影が何人か見られた。影は四人いた。一人、他の影よりも頭二つ分は高い者がいた。

 かと思えば子供と見紛う者もいる。後の二人は普通の体格だ。だが露出した腕などを見ると鍛え上げられた体だとわかる。

 彼らは足取り重く、へとへとの様子で北に向かって歩いていた。日差しが強く空気が乾いている。喉が渇くのだろう。

 彼らは大きく口を開けて病人のようにぜいぜい喘いでいた。だが常人より頑健らしくしっかりと前へ進んでいた。小柄な男が細身の男に力なく言った。

 「やい、この野郎、ミーシャ。てめえ、何が神のお告げだ。本街道はこっちのほうだと自信満々に抜かしやがったわりには、ぬぅわぅぁ~にも見えねえじゃねえか」

 ミーシャと呼ばれた細身の男は気分を害したように言った。

 「神に間違いはない。確かにお告げはこっちだと出たんだ。嫌なら今からでも自分の好きな方角に行けばいいじゃないか、サスケ」

 サスケと呼ばれた男は鼻白んだ様子で顔を背けた。

 「こんな奥地まで来ちまって今更、引き返せるかぁ。こうなったら地獄の果てまで付き合ってやらぁ。だが一番最初にひでぇ目に会うのはおめえだぞ」

 「神が間違うはずがない」

 サスケはうんざりした様子でミーシャに言った。

 「神、髪、噛みって。大体おめえとの旅は時間がかかりすぎる。やれ日の出前にお祈りだ。やれ昼前になったからお祈りだ。

 それからもちょくちょくお祈りの時間が来やがる。一体おめえの神は日に何回、祈りを要求してやがんだ」

 するとミーシャは澄ました顔で言った。

 「我が信仰する絶対神は日に五回、祈らねばならない」

 「なるほど数えたことはなかったが五回も祈ってやがったか。道理で旅の途中で一々、止められるわけだ」

 「そのお陰で異教徒のお前らだって俺と同じように守られている」

 「ケッ。守られていんならこんな場所に来るかぁ」

 すると大きな男が二人にのんびり言った。

 「喧嘩するな。こういう大変な時こそみんなで力を合わせなきゃいかんのだぞ」

 サスケが不機嫌な顔を大男に向けた。

 「何を言ってやがる、アヒム。お前にも旅を困難にした原因があるんだぞ」

 「なんのことだ?」

 「食い物のことだ。旅に出たら次にどこで食い物にありつけるかわからねえ。それなのに考えもなしに食糧を食いつくしやがって。挙句の果てに俺達の分まで分けろときやがった」

 「仕方ないじゃないか。足りなくなったんだから。それにお前はそう言うが、ちゃんと考えて食っていたさ。街にいる時より大分、減らしたんだぜ?」

 「どこが減らしたんだ。山のようなクソと雷のような屁をこきやがるくせに」

 「お前さんはアリのようなクソだったな」

 「アリみたいなクソだと!?俺はどんだけ便秘なんだ!」

 するとそれまで口を開かなかった男がうんざりしたように言った。

 「苛つくのはわかるけど、もう止めとけよ、サスケ」

 「でもよぉ。おめえと旅してりゃ、こんな辺鄙なところに迷い込むこたぁ、なかったはずだぜ、アズ」

 「仕方ないだろ。あの時みんなは同意したんだ。迷って方角がわからなくなった時ミーシャのお告げの方向に行くことにするって」

 サスケは不満そうに唸った。アズら一行は一ヶ月ほど前チュードを出た後、街に面した支道を北に向かった。

 そしてその先で本街道に合流するつもりだった。だがそこまで大分、距離があるとのことで支道を右に逸れて並行する本街道に向かった。

 これが間違いだった。途中、林立する岩山に行き当たり山を迂回し谷底を進むうちに方向を見失った。

 東にある本街道に向かっているはずが前方を岩山に遮られ仕方なく西に迂回し気づいた時には支道にも戻れなくなっていた。

 さらに天候にも見放された。空は厚い雲に覆われて太陽で方向を掴むことはできなくなった。一行が弱り果てた時ミーシャが神におうかがいを立てることを提案した。

 極限状態に近かった一行は藁にも縋る思いでそれを承諾した。そうして進んだ先が今まで以上の辺境の地だった。

 

 「う~、ハックション!コンチキショウ!弱り目に祟り目だな。風邪までひいちまったかな」

 サスケが情け無さそうに呟いた。アズが元気付けるように言った。

 「しっかりしろ。お前は山の申し子だ。こんなことくらいじゃ、まいらない」

 するとアヒムも言った。

 「そうだ。お前は猿みたいな顔している。大丈夫だ」

 サスケが怒って言った。

 「猿みたいな顔は関係ないぞ!」

 その時アズはミーシャが空気の匂いを嗅ぐように上を向いているのに気づいた。

 「どうかしたのか、ミーシャ?」

 「気のせいかと思ったが・・・馬の臭いを嗅いだように思ったんだ」

 するとなぜかサスケが怒った。

 「俺っちは馬面じゃねえ!」

 アヒムが呆れた。

 「誰もお前を馬だとは言ってない」

 アズが希望を持たすよう皆に言った。

 「馬がいるんなら人もいるってことだ」

 アヒムが用心深く言った。

 「前にこの近くを通った旅人の馬かもしれないぞ」

 「そうだとしても道は間違っていないことになる」

 それを聞いたサスケが表情を明るくさせた。

 「よし、ミーシャ。鼻の穴を膨らませろ。頑張ってリンゴ大に」

 ミーシャが顔をしかめた。

 「鼻の穴が裂けるわ」

 アズがミーシャを宥めて言った。

 「とにかく探してくれ。俺達も協力する」

 全員で顔を上向きにして空気の匂いを嗅いだ。すると少ししてサスケが気がついたように言った。

 「なぁ・・・なんかおかしくね?なんで特に鼻がきくわけでもねえ俺達まで匂いを嗅いでいるんだ?ミーシャだけでいいじゃねえの?」

 アズが苦笑した。

 「そりゃそうだ」

 ミーシャ以外の三人は四方を見回した。だが人馬の影は見えず相変わらず岩場に強い風が吹き抜けるだけだ。

 「やっぱ気のせいじゃねえの・・・」

 するとミーシャが西に顔を向けて言った。

 「いや!やっぱり馬の匂いがする。あっちだ!」

 アズが困ったように言った。

 「西に向かうとなると本街道からさらに外れちまうな」

 サスケが言った。

 「いいじゃねえか。どうせ迷子なんだし」

 一行は西に向かって歩いた。

 <5> 

 西に向かって歩いていくとゴツゴツとした岩場が次第になだらかになって見通しは良くなった。地面は草地に覆われ始め、さらに三四キロ歩くと辺りは完全に草地になった。

 草原に入ったのだ。アズが期待した顔で言った。

 「こりゃ運が向いてきたぞ」

 サスケも喜んで言った。

 「確かにここまで草が繁茂してんなら水場がどこかにありそうだ」

 ミーシャが偉そうに言った。

 「偉大な絶対神に恐れ入ったか」

 サスケがそれに取り合わず言った。

 「恐れ入ったから今度は食い物と水がありつける場所に案内してくれ」

 一行の足取りはやや軽くなった。だがそれ以降いくら進めど探せど水場はなく草原がはるか先まで続いているだけだった。

 期待していた人馬の影も気配もない。一行の足取りは再び重くなった。携帯食糧はとうに底をついている。

 水の入った皮袋は逆さにしても一滴も出ない。一行は会話もなく重い空気をひきずって草原を進んだ。サスケが行き倒れのようになりながら呟いた。

 「う~。昨日の夜から水も飲んでねぇ。一杯の水が欲しい。いや一滴でもいい。水~。水~」

 アヒムがうんざりした様子で言った。

 「どうにもならねえことをぐだぐだ言うな」

 「どうにもならねえことを耐えるために愚痴ってんだ」

 「それが迷惑だっての。草でも噛んで黙っとけ」

 「なるほど。草の水分があるか」

 サスケは早速、足元の草を引きちぎって噛んだ。だが途端に顔をしかめる。

 「苦え」

 アズが呆れた。

 「そりゃ当然だよ。だがこのままじゃ本当に干からびちまうな。苦いのを我慢して草の汁を舐めるか」

 一行はその場しのぎに草の汁をしかめ面で舐めた。そして草原に入ってからどのくらい時間が経ったのであろうか。

 陽が地平線近くまで沈んでいる。どうやら今夜はここで野営するしかないようだ。荒野をさ迷っていた時は風を遮ってくれる岩があった。

 枯れ木があって暖を取る燃料になった。だが草原には風を遮るものはなく枯れ木のような燃料も無い。

 穴を掘ってそこに入り皆で体を寄せ合って熱を逃さないようにするしかないか。だが普段から仲の良くない一行である。

 そうしようと言った途端、反対意見が出そうだ。皆も頭ではわかっているが感情という厄介な奴が邪魔をする。アズは疲れた頭で彼らをどう仲裁してそうさせるかを考えた。

 

 俯いていた顔を不意に上げた者がいた。ミーシャだ。

 「馬の匂いがする!」

 一行が疲れた顔をミーシャに向けた。だが誰も信じていない様子だ。

 「また気のせいじゃねえの?」

 「今度は違う。匂いが強い」

 それでも皆、信じられないようだ。と、その時サスケの表情が変わった。訝しげに東のほうを見る。アズが訊いた。

 「どした、サスケ?」

 「何か音がする・・・馬蹄だ!」

 二人の鼻と耳が反応したのだ。今度は間違いないだろう。一行は期待して東のほうを見た。すると夕日を正面から浴びた騎馬の小集団がこちらに向かってやってくる。

 数えると五騎いた。サスケが喜んでそちらに手を大きく振った。

 「助かった!おお~い!助けてくれぇ~っ!」

 他の三人も手を振った。すると突然ミーシャが目を大きく見開き、次に横っ飛びに伏せながら言った。

 「矢だ!伏せろ!」

 他の三人もミーシャに少し遅れて慌てて地に伏せた。その頭上を空気を切り裂いて何本もの矢が飛んでいく。サスケが伏せたまま喚くように言った。

 「一体なんだってんだ!?俺っち達を動物と見間違えやがったのか!」

 アズがそれ以降も頭上を通過する矢を見て言った。

 「大男のアヒムは動物と見間違えようがない。奴らは人とわかって射掛けてきやがったんだ」

 「問答無用かよ!」

 アヒムが体をやや起こして向こうを見た。

 「誰かと間違えて射たのかもしれない。おお~い・・」

 ミーシャがアヒムの服を引っ張った。

 「馬鹿!止めろ!」

 アヒムは射掛けられ急いで伏せた。

 「こりゃ見間違えなんかじゃない。この距離だ。もう顔立ちや服装もわかる。明らかに俺達を狙ってやがる」

 ミーシャが殺気だって言った。

 「こうなりゃやるしかねえ!奴らがもうちょっと近づたら仕掛けるぞ!」

 言葉は威勢がいい。だが声に力が入っていない。それはそうだろう。ここ何週間、いや一ヶ月も荒野をさ迷って食べ物も満足に食べていない。

 体力は著しく低下している。とても戦える状態じゃなかった。しかも相手は騎乗していて人数はこちらより一人、多い。

 元気な様子から敵はアズらと違って飯をもりもり食ってきたのだろう。いかにアズらが強力とはいえ不安になるのは仕方のないことだった。

 まともに戦えない。ならこちらも飛び道具で応戦だ。アズが傍らのサスケに言った。

 「サスケ!飛礫だ!」

 アヒムも彼を鼓舞するように言った。

 「ここはお前だけが頼りだ。頼んだぞ、サスケ!」

 サスケは袖をまくりあげて言った。

 「ようやく俺っちの活躍する場面がやってきやがったか。よし!兄貴分の俺っちに任せろ!」

 ミーシャが顔をしかめた。

 「いつからこいつは兄貴分になったんだよ?」

 アズが苦笑してミーシャを宥めた。

 「いいから黙ってろよ。飛礫はサスケの専門なんだから」

 サスケが少し身を起こして小石を投げた。

 「くらえ!魔を祓い、軍勢をも薙ぎ倒す、魂の飛礫打ち!」

 ミーシャが毒づいた。

 「前置きが長ぇんだよ」

 サイドスローで投げられた小石は最初は地すれすれを滑空していたがやがて上昇して騎馬集団に向かった。

 敵は飛礫の軌道がまったく見えていない。よし、いける!全員が期待した。すると飛礫はその途中で突然、勢いを無くし、やがて敵に到達する随分手前でぽとりと地に落ちてしまった。

 「おんやぁ~?」

 サスケが首をかしげた。アズが急いで訊いた。

 「投げ損なったのか?」

 するとサスケは頬を掻いて言った。

 「いや・・・単に腹に力が入らなかっただけだ。飯、喰ってねえからな」

 その時にはもう謎の騎馬集団が目前に迫っていた。

 「わわわっ!?来たぁ!」

 口ではやっつけてやると勇ましいことを言っていたミーシャだがやはり体に力が入らないのか頭を抱えて伏せた。

 他の三人も急いでそうする。騎馬集団は剣を抜いて斬りかかろうとしたがアズらが伏せてしまったのでそうすることができない。

 虚しくアズらの両脇を通り過ぎた。だが少し遠くで止まって馬首を返すと再び攻撃の気配を見せた。それを見てサスケが言った。

 「戦うどころじゃねえ。逃げるしかねえぜ、こりゃあ」

 ミーシャが馬鹿にしたように言った。

 「どこへ?第一、逃げたって馬に勝てるはずがねえ。簡単に追いつかれちまう」

 「じゃあどうすんだよ!?」

 「つまりやるしかねえってことだ!」

 ミーシャが腰の刀を抜きアヒムが背負った袋から戦斧を取り出した。サスケが小石を用意しアズは構えた。

 騎馬集団が馬蹄を轟かせてまた襲いかかってきた。すると途中で二手に分かれた。こちらから見て右の三騎はミーシャとアヒムに、左の二騎はアズとサスケの元に向かってくる。

 アズは空腹のせいなのか、それとも疲労のせいなのか目が霞んだ。襲撃に会っているというのにこれではいけない。

 目に力を入れて敵をよく見ようとした。だが異変は目だけじゃなかった。全身に力が入らない。二騎の敵はさらに一騎ずつに分れてアズとサスケを挟撃する気のようだ。

 右の騎馬はサスケに、左はアズにだ。それを見て対策が浮かんだ。一度に二騎は倒せない。自分はまだやれるかもしれないが著しく体力の落ちたサスケは無理だ。

 一騎ずつ倒していくしかない。となるとまずはサスケの敵からだ。サスケのほうの敵が近づいてきたらサスケに飛礫を打たせて怯ませる。

 飛礫でそのまま倒せるのならいいが今のサスケにそこまでは期待できない。怯ませた右の敵に自分が飛び蹴りで落馬させる。

 地に倒れたところをとどめだ。それで一人は仕留められる。だがもう一人のほう、左の敵に同じ手は通じないだろう。

 味方が倒されるところを見ているからだ。だがサスケに飛礫を連打させれば防御に気が回って隙ができる。

 そこに再び飛び蹴りだ。そう作戦を立ててサスケに伝えた。サスケは任せろ!とやはり言葉だけは威勢はいい。

 だが著しく気が落ちているのを感じる。だがやってもらうしかない。そうこうしている内に敵騎馬が間合いに入ってきた。

 「今だ!サスケ!」

 「ほい、きた!」

 サスケが自分に向かってきた右の騎馬に飛礫を放った。アズは左の騎馬をできるだけ引き付けてから右の騎馬に向かうつもりであった。

 すると予想外のことが起こった。あろうことか飛礫が外れたのである。アズはそれまでサスケが外すところを見たことがない。

 それで調子が狂った。左の敵騎馬をできるだけ引き付ける予定だったがサスケのピンチに急いで右騎馬に向かった。

 その敵騎馬は顔のすぐ脇を掠めた飛礫にやや戸惑ったようだがそのまま突き進んでサスケに剣を振り下ろそうとした。

 サスケは外したことにショックを受けているようで剣を見たまま動けなかった。だが剣が到達する前にアズはサスケをなんとか右横に突き飛ばし自分も同じように右手に身を投げた。

 騎馬がさっき二人のいた場所を通り過ぎる。アズは飛び起きてサスケを助け起こした。するとサスケから弱気な発言が出た。

 「俺っち。もう駄目だぁ。的を外したことなんて記憶にねえほど昔だ。もう駄目」

 「馬鹿野郎!外した原因は腹ペコだろ!お前のせいじゃねえよ!」

 サスケは考え込む様子になった。

 「・・・そういやそうだな」

 サスケが気を取り直すのを見てほっとした。だが危険はすぐそこに迫っていた。アズを狙っていた左の敵騎馬が馬首を返して二人に襲い掛かってきた。

 アズは殺気を感じて振り返った。だがその時にはもう敵は剣を振り下ろす体勢に入っていた。もう避けられない!?

 「うわぁ!」

 そこにサスケがもう一方の手に握っていた飛礫を放った。

 「アズ!」

 飛礫は至近距離からなので外れず敵の胸元に当たった。だが分厚い外衣のためやや痛みを感じただけで済んだようだ。

 だが剣を振り下ろせず、そのまま通り過ぎていく。アズが九死に一生を得た表情でサスケに言った。

 「助かったよ、サスケ」

 「なんの。俺っちとおめえの仲だ」

 二頭の敵騎馬はアズらから少し離れた後方で合流した。その隙にアズはミーシャらを見た。どうやら彼らも敵の第一波を凌げたようだ。

 だが圧倒的不利は変わらない。このまま敵から波状攻撃を受ければ著しく消耗している、こちらはいずれ敵の刃にかかってしまうだろう。どうする!?

 

 エンガイはテンら部族の若者と共に狩りに出ていた。狩りは軍事訓練になる。そしてまだ戦力としては未知数の若者の才能をそれで見極めることができる。

 才能を見出した者はテンら息子達の旗本衆に抜擢する。そんな狙いがあった。若者達と行う狩りは楽しかった。

 若者はエンガイの狙いを知ってか知らずか競い合って獲物を弓で仕留めにかかる。僚友より先にと焦った矢はいつもは外さない距離なのに外す。

 それを見て僚友らは外した者をからかう。戦では何が起こるかわからない。当然、冷静でいられない時も多々あるだろう。

 そういう時、どれだけ冷静で的確な判断が下せるか。迅速な行動ができるか。戦士としての真価が問われるのである。

 テンら三兄弟は族長の息子としての面目があるので彼らより一層、頑張らなければならない。だが末子のテムは思慮深い性格そのままの、いつも通りで争って獲物を追うようなことはしなかった。

 おこぼれにも見える獲物が射程距離に入った時だけ矢を射る。テンら三兄弟は族長の家柄のため指揮官になる運命を持っている。

 だがその前に一人前の武人でなければ人はついてこない。また族長の父の前ということもあり、なおさら恥は晒せない。

 そんなプレッシャーの中、三人は良くやった。キツネや兎を何匹か仕留めた。他の者に比べて特に多いというわけではない。

 だがエンガイは息子達に外れた矢が少なく確実に仕留めていったことが評価に値すると思った。また自分の狩りだけでなく他の者に対してもよく気遣って声をかけた。

 周りが見えている証拠だ。エンガイは密かに息子達の出来に満足していた。そして楽しい狩りも陽が沈みかけてきたので終わりにすることにした。

 それにこの辺りはまだハヤト領だが少し東に行けばメギル領に入ってしまう。ハヤト族とメギル族の仲は悪い。

 いや宿敵同士といってもいいくらいだ。なので不用意にメギル領に近寄らないほうがいい。そう思ってエンガイが一行に引き上げを命じようとした時だった。

 突然、若者の一人が東を指差して言った。

 「誰かが襲われているぞ!」

 エンガイらははっとなって東に目を凝らした。するとやや盛り上がった土地の向こうで確かに何人か徒歩の人間が騎馬の小集団に襲われている。

 騎馬はメギル族で徒歩の人間はどうやら外の民のようだ。若者達は顔を見合わせ、そしてエンガイを気にしながら話し合った。

 「外の民だ。どうする?」

 「メギルは敵だ。だけどこちらの領域に入ってきたわけじゃない」

 「ならメギル族で裁くべき問題か」

 若者達は判断を仰ぐようにエンガイに目を向けた。だがエンガイはじっとその争いを見たまま口を開かない。するとテンが言った。

 「外の民なら助ける必要が無い。外の民は農耕とかいって神聖な土地を傷つける不敬な民だ。我ら動物の乳を絞りその肉を食する遊牧民とは違う。

 それに争いが起こってるのはぎりぎりメギル領だ。族長、放っておきましょう」

 するとエンガイの目が細められた。

 「皆、見ろ。メギルがこちらに気づいたようだぞ」

 皆が見ると確かに五騎中の二騎が馬を止めてこちらに薄笑いを向けている。いやそれだけじゃない。

 旅人をわざとハヤト領に追い込み、その直前で討ち果たす気のようにも見えた。明らかな挑発だ。エンガイの眉根が寄せられた。

 それを見てテンは思った。族長がやる気になった。エンガイは厳かに言った。

 「草の民は面目を尊ぶ。挑発され侮られて黙って見過ごすわけにはいかん」

 テムが落ち着いて言った。

 「ですが族長。彼らの挑発に乗るべきではないのではありませんか?」

 「それも時と場合による。では今回はどうか?奴らの挑発行為に何の対抗措置も取らなかった。特に不利でもないのに。

 その結果、奴らは仲間の元に戻ってこう言いふらすだろう。ハヤト族は侮辱され自領を犯されても何も出来ない。

 族長は部下を引き連れているのに戦もできない。そしてそれは風となって草原を駆け巡る。そうなったら他の部族はハヤト族をどう見るか。

 指差して嘲るようになるだろう。見よ、あそこに腰抜けの一族がいる、と」

 すると血気盛んなサールが言った。

 「おのれ、メギルめ!奴らを討つべし!」

 周囲の若者も拳を突き上げて同調した。

 「そうだ!ハヤト族は侮辱されて黙っている腰抜けではない!」

 テムはその様子に肩をすくめた。

 「まぁ向こうは五騎でこちらは十騎。負ける戦ではない」

 エンガイがテンに顔を向けた。テンは外の民を嫌っている。メギルが自領内に留まっている以上、あれはメギルの問題だ。

 他領を犯して戦いを挑むには名目が要る。挑発行為は名目として弱い。それを理由にするのならハヤト族は簡単に挑発に乗ってしまうのかと侮られる。

 なら襲われている外の民の救出という名目を立てる。ハヤト族だけでなく草原の諸部族は外の民に軍馬の飼育を委託され戦ある時はそれを供給している。

 現在クランク王国では王位継承者争いで各地で小競り合いが頻発している。そこで活躍しているのが草原から供給された軍馬なのだ。

 だから外の民は取引先であり、その民を無分別に襲うのは感心しない。そういう理屈だ。尤も今の理屈をそう筋道立ててエンガイが導き出したわけではない。

 即断速攻、単純明快な彼はそこまで深く考えたわけではない。漠然とした考えから導き出した答えだ。

 さっきのように筋道立てて言葉に出すのはテムなど思慮深いもののする仕事だ。だがこの考えに外の民を嫌うテンは賛同しないだろう。

 実際メギルに対する嫌悪だけでなく外の民に対しても、なんでこんなところにいる、という顔をしている。

 そこでエンガイはテンに教え諭すように言った。

 「テンよ。もっと高所から見る目を養え。お前は異なる部族、草の民と外の民という理由で好悪の判断をしている。

 メギルのように宿敵ならば仕方ない。だが外の民から実害を受けたわけではないだろう。外の民は町や村に住む。

 そこは草原ではない。当然、価値観も文化も信じる神も違う。外の民はお前に自分達の価値観や神を押し付けたことがあるか?

 ないだろう。ならお前も自分の好き嫌いを押し付けるのは止せ。互いのやり方を認めて生きる。それが世界だ」

 テンはそう諭されて幾分、表情を和らげた。だが嫌悪の情は完全に拭い去られたわけではなく、どこか気に入らない様子で旅人を見ている。エンガイが若者らに言った。

 「よし。我らハヤト族を軽侮したメギルに一泡、吹かせてやろうぞ!」

 「おおっ!」

 <6> 

 メギル族の五騎は両部族の境界線上にいたため、まさかハヤト族が向かってくるとは思わなかったようだ。

 それにエンガイは勇者で思慮深い族長として知られている。無益な戦いはしないと思っていた。それなのに本格的な戦のごとくハヤト族は疾駆してくる。

 それを見てメギルの五騎は慌てた。だがハヤト族はそこに近づくにつれて徐々に速度を落としていき、やがて十数メートルほど距離を置いたところで立ち止まった。

 サールが今度はこちらの番と言わんばかりにメギル族を侮辱した。

 「メギル族はハゲタカ同然だな!いかに略奪が遊牧民の常とはいえ行き倒れ寸前の旅人まで襲うか!」

 「なんだと!?」

 メギル族は色めき立った。するとテムが兄に気の毒そうに言った。

 「違うよ、サール兄者。メギルはひどく貧乏なんだ。戦には金がかかる。それなのにうちとやって何度も負けている。

 そりゃ貧乏にもなるさ。だからどんな人間の懐だろうが襲わずには生活できないんだ。敵とはいえ可哀想だからそこまでにしてやりなよ」

 「そうか。メギルは乞食同然なのか。じゃあこれ以上、言ったら弱い者虐めになるな」

 メギル族は顔を紅潮させて怒鳴った。

 「ふざけるな!いつまでも負けっぱなしじゃないぞ!」

 「今に貴様らをめっためたにしてやるからな!」

 するとテンと若者達が威圧するように前に出てきた。

 「ほう。なら今やるか?」

 メギル族は迷った。敵の戦力は二倍とはいえ彼らの顔を見れば皆、若い。ベテランはエンガイ一人と見ていい。

 それに対してこちらの五人は経験豊富なベテラン戦士達だ。未熟な若者を相手にするのなら絶対、負けるとは言い切れない。

 だがそこに勇者エンガイがいなければ、の話だ。九匹の羊でも一頭の強力な狼が率いれば犬くらいにはなれる。

 そうなると戦の行方はわからなくなる。犬とて牙や爪はあるからだ。段々、不利に思えてきた。怯んだ様子でメギル族は囁き合った。それをサールが面白がった様子で言った。

 「さぁ、どうするんだよ?やるのかやらないのか!」

 少ししてメギル族は悔しさを露にし、捨て台詞を残して東の自領に駆け去った。

 「いつも勝てるとは思うなよ!」

 サールが呆れた様子で言った。

 「まさに負け犬の遠吠えってやつだな」

 テムが言った。

 「いや。こちらに油断があり向こうが計略をめぐらしてきたら負けることもある。油断は禁物だよ」

 エンガイは頼もしげに息子達を見た。大将のように若者達を率いた長兄のテン。勇猛な次兄のサール。思慮深い末弟のテム。三人の時代が楽しみだ。

 

 エンガイらが駆け去るメギル族を見ているとそこに遠慮がちな声がかかった。

 「あの・・・」

 皆が見ると襲われていた旅人らがこちらを見ていた。いやこちらのリーダーがエンガイだと見抜いたようだ。

 エンガイを主に見ていた。若者達の中に一人だけ中年男性が混ざっているということもあるがエンガイの存在感は群を抜いている。

 集団を率いているのがエンガイだとすぐわかる。すると旅人の一人が感謝した様子で言った。

 「助けてくれてありがとう」

 エンガイは鷹揚に頷いて言った。

 「ここは草原だ。外の民がみだりに足を踏み入れる土地ではない。留まっていてはまたどこぞの部族に襲われるかもしれん。早々に立ち去るがよか・・・」

 そこまで言って、はっとなった。その旅人の顔に、ある特徴を見出したのだ。(目に炎あり。顔に光あり)。

 常人が見てもわからないだろう。だが勇者エンガイには人を見る目があった。勇者の気配を感じる能力があった。

 その若者の目の奥を覗くとまるで小さな太陽が盛っているようだった。その若者の顔はまるで白い光に輝いているようだった。

 エンガイが衝撃を受けたように若者の顔を見ているとテンらが異変に気づいた。

 「族長・・・?」

 エンガイはその声にはっと我に返り、落ち着きを取り戻した。 目に炎あり、顔に光あり。それは最も重要なことだがもう一つ確認しなければならないことがあった。その若者に尋ねた。

 「外の民の旅人よ。そなた達はいずれの方角から来なさった?」

 その若者は訝しげに東南を指差した。

 「あっちから来た。それが何か?」

 エンガイは心の中で叫ぶように言った。占いの通りだ!エンガイは訝る旅人らに歓喜を隠して言った。

 「旅人よ。外の民ならばすぐに草原から立ち去れと言いたいところだ。だが陽が落ちる。夜は好戦的な部族だけでなく危険な獣も出る。

 ここで出会ったのも何かの縁だ。当宿営地に寄っていくがよかろう」

 それを聞いたテンが目を剥いた。だがそれを素早く目で制した。旅人は安堵した様子だった。よく見れば皆、若者だ。

 どういう事情があるのか知らないが若者が困ってるのならば大人が助けてやらねばならない。それにあの若者。

 もし予言通りなら我が部族に多大な益をもたらしてくれるだろう。少し様子を見たい。すると旅人の中の一人、細身で険のある顔つきの男がさっきの若者に何か囁いた。

 囁かれた若者はその男を宥めているようだ。と、サールがエンガイに馬を寄せてきた。草の民は皆、耳がいい。

 そしてその中でも彼は特に目と耳がきき、少し離れたところの囁き声でもそれを聞き取ることができた。エンガイは彼らに気取られぬよう小声で訊いた。

 「彼らは何を話している?」

 「目つきの悪い男がさっきの男にこう言っているね。助けてもらったけどこちらを簡単に信用はできない。親切にするふりをして後で殺す気かもしれない、と」

 エンガイは頷いた。自分の故郷の外で生きるのなら当然の用心だ。エンガイは彼らの警戒心を緩めるため、こう申し出た。

 「見ればそなた達はかなり憔悴している。水と干し肉でもどうだ?」

 旅人はそれを聞いて目を輝かせた。エンガイが部族の若者に目配せして水筒と干し肉を差し出させる。

 さらに安心させるためエンガイ自ら毒見して見せた。それで彼らは安心したようだ。するとさっきの若者は疑いを持っていたことを見抜かれたと気づき、ばつが悪そうな表情をしている。

 また目つきの悪い男はそれでも警戒し、受け取った後も中々、口の中に入れなかった。小男と大男は大喜びですぐ手をつけた。

 少しして彼らが元気を取り戻したのを見てエンガイは宿営地のほうに案内した。

 

 その後アズらは助けてくれた集団がハヤト族という草原北部に住む騎馬民族であるのを知った。また族長のエンガイ以下、何人か要職にいる人間の息子も紹介された。

 そして彼らを襲ったのはハヤト族に敵対するメギル族だという。アズらは彼らの勧めに従ってハヤト族の宿営地に向かうことにした。

 最初アズらは徒歩で彼らについていった。だが消耗した体である。彼らから食べ物と水を分けてもらったがそれですぐ回復するというものではない。

 そのためアズらは先導する彼らの馬に遅れがちになった。ハヤトの若者がそれに苛ついた。それを見たエンガイはアズらに若者の後ろに乗るよう勧めた。

 エンガイは部族の若者が不愉快そうにするのに構わず、誰が誰の後ろに乗るという指示をてきぱきとこなした。

 そしてアズはテンの後ろになった。テンはエンガイに不満そうな視線を向けた。だが父に厳しい表情を向けられると渋々、従った。

 アズは最初テンが嫌そうにするのは単に人を乗せるのが嫌なのかと思った。だがその後、他の騎馬に比べて急に荒っぽい乗り方をするようになったので彼が自分に対して何か含みがあることに気づいた。

 それがなんなのかはわからない。まだ会ったばかりだ。腹を割って会話できるほどの仲でもない。そのためアズはその荒っぽい乗馬にひたすら耐えねばならなかった。

 日の暮れかけた草原をアズらを乗せた騎馬集団が軽快に駆けていく。そしてどのくらい移動しただろうか。

 二十キロは軽く走破したように感じられた。そして夜の帳が下りて少し経った頃、前方に明かりが見えてきた。

 近づくにつれて夜の闇越しにいくつもの松明が焚かれているのがわかった。さらに近づくといくつもの、二十や三十じゃきかないほどの天幕が無数に張られているのがわかった。

 エンガイがそれを指して言った。

 「あれが我らハヤト族の宿営地だ」

 馬蹄の音を聞きつけたのか端近くの天幕から何人もの男が出てきてこちらを透かし見る。若者達が声を上げて帰営を彼らに告げた。

 エンガイもこちらを認めた人々に軽く手を上げて応える。やがて着いた。若者達は到着すると声をかけてくる部族民に手を上げて応えたり狩りの成果を自慢したりして馬を小走りに自分の天幕に帰っていった。

 エンガイ親子の天幕は宿営地のかなり奥にあるようでやはり小走りにして中に入っていく。天幕の外に出ていた子供達が見慣れぬアズらをじっと見ている。

 騎馬民族以外の民がそこに来るのが珍しいようだ。アヒムの背の高さにびっくりしてぽか~んと見ている子供もいる。

 素朴な表情でこちらをじっと見る子供にサスケが白目を剥き、両頬を外側に引っ張って驚かせた。いくつもの天幕を両脇に見て静かに進んでいくとやがて周囲のものよりやや大きい天幕が見えてきた。

 その時アヒムを後ろに乗せたテムが親切に彼に説明している声が聞こえた。それによるとどうやらそれが彼らの天幕らしい。

 族長の天幕は宿営地の中心にあるとのこと。そこから序列に従って天幕が円形状に張られていっているらしい。

 エンガイ親子とアズらの集団がそこに着くと天幕から何人か出てきた。テムによると中年女性は彼らの母でその他は従者家族だという。

 騎馬民族は馬は自分で世話をするのが基本だという。そのためテンらは下馬した後も従者に任せず自分達で天幕に隣接した厩に連れていった。

 だが客人をもてなす役目のエンガイだけは馬を従者に任せた。そしてアズらを促して天幕の中に入る。

 エンガイの妻は見知らぬ人間でも夫が連れてきたのなら心配は要らないと思っているのだろう。アズらが天幕に入れられるのを見ても何も言わなかった。

 幕内の中央に鉄鍋が吊るされており、その下に火が焚かれている。鍋の出来はエンガイらの帰営に合わせてあったらしい。

 ぐつぐつと煮立って、うまそうな匂いがする。妻や従者の女性がその日、狩ってきた獲物を手馴れた様子でさばいて鍋の中に放る。

 そしてその後、一掴みの塩を入れる。簡単な調理のようだ。だがこの日、干し肉を食べただけのアズらの胃はその匂いに早くもぐうぐうと反応した。

 だが招かれた身。空腹を我慢して行儀良くした。やがてテンらが入ってきた。無言で鍋の周りに腰を下ろす。

 彼らはそういう気質なのか必要最小限のことしか喋らない。非常に無口な部族だと思った。やがて家族が揃うと食事前に家族全員で神への感謝の言葉を述べた。

 アズらも一応、形だけは真似た。そこで宗教にうるさいミーシャが文句を垂れそうになったので彼の両脇のサスケとアヒムが急いで彼の口を覆った。

 幸い家族は祈りに集中していたのでミーシャの無作法は気づかれなかった。食事になるとエンガイやその嫁からもっと食べろとしきりに勧められた。

 無口で無愛想ではあるが、もてなしの心は大きいようだ。アズとミーシャは腹八分程度で止めたがサスケなどは食後、腹を抱えて苦しがることになった。

 アヒムも文字通り山のように食べたわりにはけろっとしている。いやまだ物欲しそうな表情を浮かべている。

 テンが少し蔑んだ様子で見ていたのでアズは二人にしゃきっとするよう密かに注意した。食後、火を囲んで一服しているとやがて就寝の時間になった。

 外の世界の一般的な就寝時間より随分、早い。するとテムが教えてくれた。炉の燃料となる薪や動物の糞が貴重なので夜は早く寝るのが習慣なのだそうだ。

 彼らは特に布団も敷かず絨毯の敷かれた床でごろんと横になった。簡単なものだ。アズらもここで寝さしてもらうのかと思いきや従者が外に出ろという。

 まさかここに来て追い出されるんじゃないだろうな。少し心配して天幕の外に出るといつの間にか隣に小さな天幕が張られてあった。

 恐らくアズらが食事中、従者が張ってくれたのだろう。幕内は炉が焚かれていて充分、温かかった。アズらは久しぶりに屋根ある寝床で寝ることができた。

 <7> 

 アズらの体は自分でも気づかぬ内にまいっていたようだ。食べ物が欠乏した上に方角を見失って荒野をあてども無くさ迷った。

 そのせいで精神的、肉体的疲労がかなり溜まっていたようだ。屋根のある暖かい寝床で気が緩んだのか体内に押し込めていた疲労が一気に表に出てきた。

 そのため四人とも熱を発してしまった。翌日、起きると倦怠感、無力感にさいなまれた。だが客人として招かれている。

 無様な姿は見せられない。必死にやせ我慢して彼らのもてなしを受けていたがさすがに鋭い観察眼を持つ彼らは騙せない。

 すぐアズらの変調に気づき天幕に戻って療養するよう勧められた。アズらは客用天幕で少し休んだ後、体調の戻らぬ身だがすぐここを出て行くかどうか相談した。

 昨日、知り合ったばかりの人達の家に体調を崩したからといって長逗留していいものか。ミーシャはやはり完全に彼らが信用できないので出ようという。

 人が良くのんびりしたアヒムはもっとここにいてもいいと言う。サスケはアズ任せのようだ。アズは考えた。

 ここの人達は無愛想に見えた。だが昨夜の温かいもてなしぶりを見ると内面は優しく親切な心を持っている。

 また族長のエンガイがアズを見る目にどこか期待のようなものが感じられる。それがなんなのかはわからない。

 彼らの差し伸べる手を断るのは礼儀に反する。アズらは彼らの親切に甘えることにした。

 

 結局、体調を回復するまでに一週間近くかかった。いや若く鍛えられた彼らの体である。二三日で回復の兆しが見られた。

 だがエンガイに大事を取ってもう少し横になっていろと勧められた。そのせいか体も油断して、いつもより回復が長くかかってしまった。

 草原の暮らしは街に比べて原始のものに近かった。病気になってもめったに薬は飲まず自身の回復力で治そうとする。

 また厳しい草原で生きる彼らの体は頑健で体調を崩すことはめったにない。もしそれでも崩した場合は死を意識するようだ。

 アズらは床払いして改めてエンガイ一家に礼を述べると彼は笑って好きなだけここにいるといいと言ってくれた。

 急ぐ旅ではない。もう少しだけこの宿営地に厄介になることにした。エンガイ一家以外の部族民はアズらを余所者としてやや警戒した様子だった。

 だが族長の正式な滞在許可が下りたことで心許す気になったようだ。それまでのよそよそしさが無くなり少し恥ずかしげだが笑顔を向けてくれるようになった。

 また大人はそうでもないが子供達が好奇心を露にして遠慮なく近づいてくる。アズら外の民の衣服を珍しがり触ろうとする。

 遊牧民はシャツやズボンといった、いでたちではなく膝下まである上着を腰紐で縛って着ている。またその上着は裏地に厚い毛がついていて大層、暖かそうだ。

 サスケとアヒムはすぐ子供達になつかれ遊びの相手としてどこかに行ってしまった。アズは大人達に天幕に招かれ外の世界情勢を訊かれた。

 ミーシャは部族民との交流を避けるように放牧してある家畜を見に行った。アズがこれまで訪れた街の様子を話しながらそれとなく草原世界のことを訊いた。

 すると遊牧民はあまり外の世界と関ろうとしないのだそうだ。というのは草の民は自然を神聖なものと考え、空や大地、風に神霊が宿ると信じている。

 だが外の民はその神聖な自然を平然と破壊、穢す。農耕と称して大地を掘り起こすのはその最たる所業だと憤る。

 なので外の民はけしからん、というわけだ。アズはそれを聞いて自身が農民だったこともあり返答に困った。

 

 アズがそうやって部族民の男達と話をしていた時それを密かに見る影があった。その影は天幕の入り口陰に潜んでおり二人いた。

 その影をよく見れば一人は族長のエンガイではないか。その隣の老人は何者だろうか。もう高齢だというのに腰は曲がっておらずその知的な目は鋭い光を放っている。

 上背は長身のエンガイに敵わぬものの、部族男性の平均よりいくらか高かった。エンガイはアズから目を離し、その老人に訊いた。

 「どうだ、ムロク。あれは「彼」だろうか?」

 するとムロクと呼ばれた老人は瞑目し何やら呟き始めた。そして少しして目を開けてエンガイに言った。

 「恐らく・・・間違いないかと。あの者から尋常でない気配を感じます」

 エンガイはやや興奮した様子で言った。

 「やっぱりそうか!」

 「もしかすると彼は私と同じようにシャーマンなのかもしれません。天地の気配を持っております」

 「シャーマンでもなんでもいい。我が息子を助けてくれるのなら」

 やや興奮して話しているとその気配に気づいたのかアズが二人に目を向けた。エンガイはそれもいたく感心した。

 少し興奮したとはいえ自分とムロクの二人は気配を消すのがうまい。さらに彼とこちらの距離は四五メートルはある。

 それなのに気づかれた。勘が鋭い。アズが訝しげにこちらを見続けていたのでエンガイは姿を現すことにした。

 そしてそこで初めてアズに気づいたように軽く手を上げてみせる。アズも軽く会釈を返した。部族民がエンガイに挨拶する中ムロクを従えて悠然とアズに歩み寄った。

 「どうかな。体の具合は?」

 「お陰様でなんとか回復したよ。ありがとう」

 「なに、礼など要らん。前にも言ったがこれも縁だ」

 そしてそこにいる部族民を見て和やかに言った。

 「それに皆とも打ち解けたようだ。大変、結構」

 アズは傍にいる部族民に笑顔を向けて言った。

 「みんな、いい人ばかりだよ」

 「そう言ってもらえると嬉しい」

 そこで後ろに控えていたムロクを紹介した。アズが首をかしげた。

 「補佐役のムロクさん・・・補佐役って何をするんだ?」

 ムロクが微笑んで言った。

 「まぁ色々じゃよ。わしは見た通り年寄りじゃ。年寄りは自然、物知りになる。それを部族のために活かしておるわけじゃ」

 アズは感心した様子で頷いた。その時、外で騒がしい気配がした。一人が様子を見に外に出た。やがて戻ってきて言った。

 馬の調練を兼ねて遠乗りに出かけたテンら若者達が帰ってきたらしい。エンガイがそれを聞くと相好を崩した。

 「息子達が帰ってきたか。そうそう。初めて会った時はばたばたして簡単な紹介しか出来なかったな。今一度させよう」

 アズは恐縮したがエンガイはやや強引に息子達を呼んだ。アズも仲間を急いで呼んでこようとしたがとりあえずアズ一人でいいという。

 アズが訝っていると三兄弟がそこにやってきた。エンガイが順に息子達を紹介していく。長男のテン。

 年齢はアズと同じくらいのようだ。アズをまっすぐ見ようとしない。やはりアズが気に入らない感じを受けた。

 エンガイもそれを感じ取ったのか軽く彼を嗜める。次男のサール。彼は特にアズに含むものはないようで闊達に挨拶してくれた。

 末弟のテム。彼はとても落ち着いていて街で見た学者という職業の人間を思い起こさせた。紹介が終わると早くもテンがそこから離れた。

 エンガイは困ったように息を吐いてアズに言った。

 「決して礼儀を知らない人間ではないのだ。だがテンは特に街の人間の、土地を穢す行為が許せなくてな。まぁいずれ君にも慣れてくれるだろう」

 アズは去っていくテンの背に目を向けた。こちらを嫌う理由はわかったが外の世界とここでは価値観や生活様式が違う。

 それが気に入らないと言われてもアズにはどうしようもなかった。

 

 草原の中央部から数十キロほど南下すると、ある部族の勢力圏に入る。その部族は規模こそそれほど大きくないものの、部族民は精悍だった。

 軍馬は荒馬揃いだがよく調教されていて部族民は大柄で筋肉が隆起している。彼らの生活を見ると武技、軍馬の訓練や武器の整備に余念がない。

 近い内に戦でもあるのだろうか?いやそれがその部族民の日常の光景なのだ。その様子からとても好戦的な部族のように見えた。

 また衣服は獣の皮をまとい胸飾りや腕輪に獣の牙を好んで付けている。見かけだけで戦意を萎えさせる意図があるようだ。

 訓練にすぐ使えるよう外に出してあるのだろうか。天幕の傍に長弓や大仰な刀剣が各種、揃っていた。

 彼らは草原南部を縄張りとする強族タイガード族だった。その時その宿営地の東端で番をしてた若い部族民が突然、仲間に向かって声を上げた。

 急を告げるものだ。それを聞いて宿営地が急に慌しくなった。だがそれは混乱というわけではなく軍馬を繋いだ縄を解いたり武器を準備するなど警戒態勢に入ったことがわかる。

 その証拠に急いではいたがどこも整然としていた。若者の視線の先にはこちらに向かって走ってくる、いくつかの騎影があった。

 武器を持った何人かの部族民が急いで若者の隣までやってきて同じように遠くの騎影を見る。彼らはまだ敵か味方か判断しかねているといった様子だ。

 すると宿営地の中心にある天幕から大きな男が出てきた。顔中髭面で獰猛な気を発している。そこに若者の一人が注進に駆けてきた。

 「グレート・トール!何者かがこちらにやって来ます!」

 トールは落ち着いた様子で尋ねた。

 「何騎だ?」

 「恐らく五騎かと」

 「ならばそれはラッダ達だろう。敵の襲撃にしては少なすぎる」

 「メギル族のラッダ殿・・・ですか?」

 若者が訝った。トールが面倒くさそうに言った。

 「今日、来ることになっている。メギル族の族長ラッダとその供回りだ。それを皆に知らせろ」

 若者は頷いて駆け去った。メギル族といえば草原の北東部に盤踞する部族だ。隣のハヤト族としょっちゅう小競り合いをしている。

 その北東のメギル族と南のタイガード族の間には百キロ以上の隔たりがある。また両族の間にはいくつかの部族が縄張りを持っている。

 普通に考えれば交流はないはずなのだが。さっきグレート・トールは部族の若者にメギルと約束があると言った。

 メギル族はなんのために、こんな遠いタイガード族の支配地までやって来たのだろうか。トールが族長の天幕前で待っているとやがて若者に案内されてメギル族の男達がやってきた。

 トールはその中の山羊髭の男と大仰に抱き合った。

 「ラッダ義兄弟。元気そうだな!お主の髭。また伸びたのではないか?」

 「なんの、トール義兄弟。お主のほうこそ相変わらず大きいな。未だ背が伸びているのではないか」

 二人はのけぞって笑い合い、肩を抱き合って天幕の中に入った。中に入ると炉を挟んで座る。トールの妻女や従者が来て二人に杯を渡し酒を注いだ。二人は乾杯した。

 「互いの健康に」

 「互いの武勲に」

 二人は親しげに互いの近況を語り合い、草原で話題になっている事柄を伝え合った。そしてひとしきり歓談した後トールが言った。

 「ところでラッダ義兄弟。この間の使者の口上によると何か相談事があるようだったが?」

 するとラッダは眉根を寄せて重い表情になった。

 「うむ。実はな・・・」

 ラッダの話はこうだった。周知のようにメギル族とハヤト族は小競り合いを繰り返している。それも何世代に渡ってだ。

 口伝に寄れば両族は元は同じ根だったらしい。それがいつからか本家と分家に分れて仲が悪くなった。

 本家が衰退すると分家は本家を僭称し逆に分家がそうなると本家は分家を併合して同一部族に戻そうとした。

 こういう争いを幾度と無く繰り返していって数百年。本家と分家がどちらだったのか。どういう理由で争いが起こったのか。

 それを知る者はいなくなってしまった。今では口伝で漠然とした内容が伝えられているだけだ。だがラッダはメギルが本家だったと信じている。

 その根拠は先祖は東からやってきて草原の東に住み着いたという言い伝えがある。先祖はそこに本拠を定めたがその後、支族が北に流れて住み着いた。

 それがハヤトだとラッダは力説する。トールは首をかしげて言った。

 「だがのう、義兄弟。確かにメギルは現在、草原の東、いや北東に住んでいるがそれだけでは本家だという証拠にはなるまい。

 本家が北に移って分家が東に残ったという場合もありうる」

 ラッダが激昂して言った。

 「なんと!? 義兄弟はハヤトの肩を持つ気か!」

 「そうは言っておらん。だが他の部族に認めさせたいのなら確たる証拠が必要じゃ、と言うておる」

 ラッダは気を取り直して続けた。後の本家は仲違いして争う両家の将来を懸念し何度も統一を試みた。

 だがいつの時代も叶わなかった。ラッダはそれを自分の代で成し遂げてやろうというのだ。

 「さすればわしの名は永遠に草原に残る。数百年の時を経てメギルとハヤトを統一させた、偉大なる族長としてな」

 トールは疑い深げな目で訊いた。

 「どうやって?」

 「そこで義兄弟の力が必要になってくる」

 トールが眉を潜めると両族の統一を妨げているのはエンガイだという。トールは頷いた。

 「そりゃエンガイからしたらそうだろうな。なにせ二つに分かれたのはもう何百年前の話。その後、互いに自由にやってきた。

 もう本家がどちらだろうがどうでもいいのだろう。ハヤト族からしたら統一の話など迷惑以外のなにものでもない」

 「それでは駄目なのだ!この風雲吹き荒れる草原では一族が別れたままでは生き残れん!」

 トールはややうんざりして先を促した。

 「それでお主はわしにどうせよ、というのだ?」

 ラッダは目に暗い炎を燃やし低い声で呟くように言った。

 「邪魔なのはエンガイただ一人。奴さえなんとかすればハヤトの民はわしに従う。そこでお主に奴を毒殺してもらいたい」

 トールは驚いた。

 「何を言う!?なんでわしが!」

 「まぁ聞いてくれ」

 ラッダには腹案があった。いいか。ハヤト族とタイガード族に利害はない。いや支配領域が北寄りのハヤト族とやや中央寄りのタイガード族は少し離れているが隣同士といえなくもない。

 その証拠に数世代前が何度か境界をめぐって小競り合いをしたそうだ。そして今は良好とまではいかないが族長会議などで顔を会わし和平を保っている。

 つまり奴はタイガード族に対して油断している。そこで過去の小競り合いを出して再びそのようなことが起こらぬよう今の内、同盟を結んでおこうとか、または両族の親交のために定期的な商取引をしようとかなんとか言って、お主の宿営地に奴をおびき出すのだ。

 そして遅効性の毒を盛るのだ。奴は油断している。必ず殺れる。盛った毒は遅効性なのでお主が手を下したと誰も気づかん。そこでトールは不満げに言った。

 「毒を盛るのはいいがエンガイを殺って利があるのはお主だけではないか」

 するとラッダはずる賢そうな顔つきになって言った。

 「本当にそうか?お主のところにも来ているのではないか?」

 トールが訝った。

 「なんの話だ?」

 ラッダは薄笑いを浮かべて言った。

 「使者のことだ。お主のところにもやってきただろう」

 トールは首をかしげた。だがどこかわらとらしさも感じる。

 「さあて。どこの使者のことだか。近隣の部族となら使者交換はちょくちょくしておるでな」

 ラッダがやや怒った様子で言った。

 「惚けずとも良い。草原の各族長のところにピピル公爵の使者が行ったことは察しがつく。少し前にわしのところにも来た。

 使者の口上はこうだった。「これまで草原の各部族は王国に対して軍馬を飼育し供給するなど多大な貢献をしてもらってきた。

 だが次回からの供給先はピピル公爵家、またはそれに味方する貴族のみにしてもらいたい。もちろん以前より買取り額は高くする」」

 それを聞いてもトールは腕を組んで黙ったままだ。ラッダが言った。

 「知っての通り、草原の外では王位継承戦争が王とピピル公爵の間で続けられている。十数年も経つのに未だ決着がつかん。

 これまで軍馬が欲しいと言えばわしら草原の民はどの貴族とも取引してきた。それを公爵側のみとせよ、という。まさかそれを知らなかったと言うわけではあるまい」

 トールは黙ってラッダの顔を見ている。相手の意を測っているように。やがて彼は口を開いた。

 「・・・それでお主はなんと答えたのだ?」

 「知れたこと。草原の外のことなど知ったことではない。だがやつ等は高く買い取るというのだ。わかるだろう」

 トールは頷いた。ラッダが続ける。

 「そして愚かなことにエンガイはその申し出を拒否したらしいのだ。草の民は外の民の争いに干渉しない、とな。

 つまり取引はこれまで通り王側ともする、と。それを聞いたピピル公爵は怒った。そこで敵対関係にあるわしに白羽の矢が立った、というわけだ」

 トールが言った。

 「つまりエンガイを排除しろ、と?」

 「ピピル側についたわしとお主はもう盟友関係にあるといっていい。尤もとっくに義兄弟の契りを交わした仲ではあるが。どうだ?一緒にエンガイを討とうではないか」

 トールが用心深く言った。

 「エンガイは確かにピピルには邪魔な存在だろう。草原の総意がピピル側で統一できんからな。だがさっきも言った通りわしにやらせるのならわしも利が欲しい」

 「計画が成功した暁にはハヤト族の家畜の大部分を与えよう」

 「そっちの取り分は?」

 「ハヤトの民を吸収する。なにせ元は同じ根だからな」


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