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 <1>閃光拳のアズ 第四の試練

 クランク王国西部にある街ケルラは人口約六千人の地方大都市である。主な産業は毛織物業だが貨幣経済の発展により金融業者が増加し、またある時代、定職に就くことを条件に新規住人を受け入れたため彼らの家を建てるのに建設業が盛んになった。

 そして街を治めるのはシュトライツ伯爵とボーメン男爵、二人の領主だった。両者は元々ライツ伯爵家を祖にした親族であった。

 だが何代か前の当主が二人の子供可愛さに後継者を定められず街を二分するような遺産にして死んでしまった。

 残された兄弟は後継者を争うことなく父の遺志を継いで二人仲良く街を統治した。だが世代が下るにつれてその遺志も失われ次第に街の支配をめぐって争うようになった。

 古くから街に住む一般市民は二人の領主の反目に胸を痛めたが有力市民達は自らの権益を増やすためどちらかの側についた。

 両家は反目するものの、祖を同じとするのと勢力が伯仲していたため本格的な衝突は避けられていた。

 だが相手の勢力を削ろうといつも何かを画策していた。それも合法的に。


 この日ケルラ市、市庁舎隣の大議事堂では、ある議題の票決が行われていた。広い室内中央に長卓が置かれ十三名の人間が座っている。

 上座に議長がいて他の人間は市評議会、正メンバーである。また長卓の周囲、壁際には天井まで届く階段状の段差がありそこに二十四名の市評議会、準メンバーが座って会議を見守っていた。

 議長が正メンバーを見回して言った。

 「では票決を取りたいと思います。シュトライツ伯の条例案に賛成の方、挙手をお願いします」

 長卓に座る十二名のうち六名が手を上げた。いずれもシュトライツ派の面々である。議長、斜め後ろの市職員がボードに票数を書き込む。議長が言った。

 「ではボーメン男爵の条例案に賛成の方、挙手をお願いします」

 市評議会の正メンバーは十二名。既に六名が手を上げてしまっているので残り六名がボーメン案に挙げるとすれば同数になる。

 両貴族の息のかかったメンバーは同数なのでこの票決の決着はつかないものと思われた。だが思わぬことが起きることもある。

 例えば支持する貴族を裏切って競争相手に票を投じるとか、採決を棄権することで競争相手を利するとか。

 だが今回はいつもと変わらぬようだ。残りのメンバーが手を上げた。六票あった。これで両者の票数は同じになった。議長がそれを見て頷いた。

 「シュトライツ伯爵案、賛成六票。ボーメン男爵案、賛成六票。同数ということでこれより準メンバーを加えた票決に入りたいと思います」

 議長が段差に座る準メンバーに目を向けて参加を求めた。これにより正メンバーに準メンバーを加えた票決が行われることになる。

 だが票を取ってみるとなぜかまた同数になってしまった。実はこうなることを予測して両貴族は事前に準メンバーにも手を回していた。

 だが旗印をはっきりしないメンバーがいたため票の行方は見通すことが出来なかった。そして蓋を開けてみればまた同数。

 尤もこれまで同数の均衡が破られることはめったになかった。票決で決まらないとすれば恒例となっている、あの慣習で事を決めるしかない。

 メンバーはそのことに言及しなかったが誰もがそう思っていた。


 ケルラ市の中央広場では多くの露店が店頭に商品を並べていた。まだ朝方だというのに客の数は多く賑わっていた。

 だが良く見てみると賑わっている店ばかりではなく閑古鳥の鳴いている店もいくつかある。そういう店は大抵、広場の奥まった場所にあった。

 そしてその一つ、靴屋の前で何人かの男達がたむろしてひそひそと話をしていた。

 「・・・また票決が同数で法案が通らなかったんだとよ」

 「奴らもよくやる。同数になることなんか最初からわかっていることなのに。メンバーの誰がどちらの貴族に属しているかなんて皆、わかっているじゃないか」

 「暗黙の了解ってやつだ。それは表に出せないから馬鹿正直に票決をしなきゃならないのさ」

 「くだらない。税金の無駄だ」

 「ああ。早くなんとかしなきゃな。そうだろ、リード?」

 男達が振り返った。彼らの視線の先には店の奥で台の上の靴を仕立てる若い職人の姿があった。リードと呼ばれた若者は目を上げず、ぶっきら棒に言った。

 「それは今、話すことか?やるべきことがあるんじゃないか」

 男達が肩をすくめた。

 「確かに昼間っから無駄口、叩いてもしょうがねえ。仕事しなきゃな」

 するとその時、広場中央のほうで騒然とした気配が伝わってきた。見ると数人の騎士が二手に分かれてにらみ合っている。

 剣に手をかけて今にも抜きそうだ。周囲の市民が慌ててその場を離れた。やがて緊張が最高潮に達したのかリーダー格の騎士の号令で両集団は斬り合いになった。

 剣を抜く者が多かったが掴みかかり殴りかかる者もいる。怒号や喚声の間に女の悲鳴が聞こえた。目の前で繰り広げられる戦争のような光景に市民は唖然となった。

 やがてピー、ピーという警笛の音が聞こえた。警官がやってきたのだ。だが集団による激しい斬りあいを目にすると足が竦んで前に出られなくなった。

 市場は大混乱で商売どころではなくなっている。靴屋の前の男達が嘆息して言った。

 「やれやれ。いつになったらああいうことがなくなるんだろう」

 するとリードが言った。

 「嘆いているだけじゃ何も変わらない。俺達が自分達でなんとかしなきゃって思うようにならないと」

 男達は肝に銘じるように頷いた。


 ケルラ市北門から目抜き通りをまっすぐ進むと両脇に様々な商店を見ることができる。八百屋。酒屋。仕立て屋。鍛冶屋などだ。

 多くの市民がそういう店を眺めたり買い物したりしている。そうやって奥に進んでいくとやがて突き当たりに高い尖塔を持つ市庁舎の威容が見えてくる。

 またその前には中央に噴水のある中央広場があり多くの市民が憩いの場として利用している。市庁舎と中央広場の間には西門と東門を繋ぐ目抜き通りが走っている。

 西のほうに足を向けるとやがてパブ地区に入る。街の人間は酒が好きなようだ。無数のパブが乱立していた。

 またそこにあるパブは大抵、同じような構えの一軒家で軒先に様々なイラストの看板が吊り下がっていた。

 だが他の一般店とは明らかに違う店も一軒だけあった。パブとは思えない、まるで金持ちか貴族の邸宅のような立派な門構えに瀟洒な建物。

 門前に係の店員が礼儀正しく客を待ち受けている姿まで見られる。そこは一般客の立ち入れない会員制高級パブだった。

 初めて中に入った客は眩しさに目を細める。大理石の床に高級な材木のテーブルやカウンター。金銀の食器やシャンデリアが光を反射させている。

 店内の各所で何十人かの客が談笑していた。だがよく見てみれば二つのグループに分かれている。

 そこに給仕に案内されて新たに客が入ってきた。金のかかった身なりと品のいい容貌、何人かの従者を引き連れていることから明らかに貴族であると思われた。

 すると店内の一方の集団から一人が出てきてグラスを少し上げて会釈した。この人間の身なりもいい。

 貴族と思われた。遅れてやってきた貴族も会釈を返すとその貴族とは別のの集まりに入った。店内の客は自然に二人の貴族のもとに集まる格好になった。

 遅れてやってきたのは東の地区に居館を持つボーメン男爵だった。ボーメンは給仕からグラスを受け取ると向こうの席にいる貴族に目をちらっと向けて言った。

 「シュトライツめ。早いな」

 すると取り巻きの一人、がっしりした背の高い男が言った。男はケルラ市建設組合理事長のコンラッドだった。

 「シュトライツ伯はすることがないからでしょう。お忙しい男爵とは違いますよ」

 向こうの席にいる貴族は西区に居館を持つシュトライツ伯爵のようだ。

 「なるほどな。だが暇はあっても金はない。そうだろう?」

 ボーメンが皮肉げに笑うと皆、追従して笑った。一方のシュトライツ側もボーメン側を見て嘲笑を浮かべていた。シュトライツが鼻を鳴らして言った。

 「ボーメンの奴。仕事が忙しいとかなんとか言っているが実際は何をしていることやら」

 すると全身が贅肉でたるんだような男が言った。シュトライツに負けず劣らず身を宝石で飾り立てている。男はケルラ市一の金融業者、マネだった。

 「確かに仕事の成果というものがまったく見えてきませんな。どんな仕事をなさっているのかも知れませんし」

 その時シュトライツの眉が不快そうに歪められた。

 「仕事といえばボーメンの奴め」

 すぐマネが言った。

 「先日の条例案のことですな」

 先日、両貴族が提出した条例案の票決を取るため市評議会が開かれた。シュトライツは金融業者の金利を年利三十%から三十五%に上げるよう提案しボーメンは新規住宅建設や修繕に補助金を出すよう提案した。

 しかし議会での票決は同数で決まらず持ち越しとなった。ボーメンもシュトライツを見ながら仲間内で何やらひそひそ話をしている。シュトライツがボーメンを盗み見て言った。

 「・・・議決しない場合の決着方法はいつものようにあれになるんだろうな」

 マネが頷いた。

 「決闘試合ですな」


 ケルラ市は北と南の街道を繋ぐ要衝の街であり中部地方の街として最大規模を誇るので訪れる人間は多い。

 そしてその北門に二人の若者の姿が現れた。猿のような顔の若者が市門を出入りする人々の多さに感心した様子で言った。

 「ここがケルラかぁ。でっけぇ街だなぁ」

 すると傍らの誠実そうな若者が言った。

 「聞いたところによると王都ベルランはもっと大きいらしいぞ」

 猿顔の若者、サスケが信じられない様子で言った。

 「ほんとかよ!?もっとでっかいってどのくらい?」

 片方の若者、アズが両手をいっぱい広げて言った。

 「こ〜〜〜んの、くらい!」

 「わかるかぁ、それで」

 サスケが苦笑したように言うとアズも笑った。二人は市門の番所で通行手形を要求されたがなんとか番人を誤魔化して市内に入った。

 目の前に幅広の目抜き通りが一直線に遠くまで続いていた。突き当たりに見える、二つの尖塔を持つ背の高い建物はなんだ?

 道の両側は各種商店が立ち並び多くの人で賑わいを見せていた。沿道には間隔を置いて休憩用のベンチがいくつもあった。

 また目を引いたのは女性の多さだ。男性が我が物顔で歩いているのは当たり前だがその隣に貴婦人も多く見られた。

 二人は街の華やかさにしばらく呆然と見とれた。やがてサスケがきまり悪そうに言った。

 「なんか俺達。場違いなところに来ちまったんじゃねえか?」

 二人の衣服は清潔ではあったがところどころが擦り切れていたり穴が開いていたりいかにもみすぼらしい。アズが気にした風もなく言った。

 「よく見てみろよ。俺達みたいのだってちゃんといるぜ」

 サスケがあらためて通りを見ると確かに質素な身なりの市民も普通に歩いている。サスケはほっとしたように言った。

 「ああ、びっくりした。俺っち、間違えて貴族だけが住む街に迷い込んじゃったのかと思った」


 二人は最初はおっかなびっくりした様子で通りを歩いた。見るものも聞くものもすべてが二人にとって驚異だった。

 そして様々な物に目を奪われる内に最初の緊張も解れ興味津々で他の市民のように店をひやかすようになった。

 だが大抵の店番は二人の身なりを見て商売の邪魔だというように二人を追い払った。二人は邪険にされても気にしたふうもなく次の店を見る。

 そうして見て行くうちに大きな円形の空間に辿り付いた。空間中央には噴水があり、その縁に腰をかけた市民が談笑している。

 またその周囲ではいくつもの露店が軒を並べていてそこでものを買う客も多い。どうやらそこは大きな広場のようで露店の営業も許可されているらしい。

 サスケは露店に興味を示し、ちょっと見ていこうと言う。アズは通りの店をいくつも見たので余り興味は無さそうだった。

 そして仕方無しにサスケの後について回っていた時だった。どこからか時刻を告げる鐘の音が鳴った。

 するとそれまで広場で談笑していたり店を覗き込んでいた市民のほとんどが同じ方向に移動していくではないか。

 サスケは呆気に取られてその大移動を見送っていたがアズは近くの暇そうな雑貨屋の店主にあれはどこに行くのか訊いた。すると年老いた店主は溜息をついて言った。

 「ありゃあ闘技場に行くんだよ」

 「闘技場?何か開催されるのか?」

 「決闘試合じゃ。まったく何を好き好んで傷つけ合うのを見たがるのか。わしにはわからん」

 また同じ頃、軒を並べた露店の一番端の店前では何人かの男達がそわそわしていた。皆、何か気にしたように視線を交わし最後に店奥で仕事をする男を一瞥する。

 店奥の男は靴屋のリードだった。店頭にいるのはその仲間だ。リードは仲間のムズムズした様子を見て呆れた。

 「そんなに見に行きたきゃ勝手に行けよ。俺に気にしなくてもいいんだぜ」

 すると仲間は手を合わせて言った。

 「すまん、リード。今回の対戦は絶好のカードなんだ」

 闘技場に急ぐ仲間にリードは軽蔑したように言った。

 「くだらん。金を払ってまで貴族の娯楽に付き合っていられるか」

 その頃サスケも市民らの噂する声を聞いてアズに言った。

 「よう。決闘だってよ。面白そうじゃねえか」

 アズも関心はあるが恐らく観戦できないと諦めていた。大抵の闘技場には観戦料を支払わねば入れない。

 もちろん貧乏な二人にはそれが払えない。だがサスケは気にしたふうもなくとにかく近くまで行ってみようと言う。

 二人は市民集団の後に続いて闘技場に向かうことにした。その時、後ろの店からアズを呼び止める声があった。振り返るとさっき質問した雑貨屋隣の靴屋だった。

 「よう、あんた。あんたの靴、大分くたびれているねぇ。どうだい。そろそろ買い換えないか?」

 アズは少し呆れたように言った。

 「俺の身なりを見なよ。簡単に買い換えられるような身分に見えるか?」

 靴屋は平然と言った。

 「もちろん高い靴は勧めないよ。ちゃんと庶民用の安い靴があるんだよ」

 アズは感心した。貧乏な人間に売りつける商品もあるのか。この街の商魂は素晴らしい。買うかどうかは別にして少し見ていくかという気になった。

 するとその時、少し先にいるサスケがアズを急かした。アズは頷いてサスケのほうに小走りで向かった。靴屋があまり熱心ではない様子で言った。

 「おい。見ていかねえのかよ」

 アズは彼に手を振って言った。

 「今度じっくり見させてもらうよ」

 <2>

 闘技場は天井のない円形の石造りで外壁は普通の家屋の三、四倍の高さがあった。また闘技場、周囲の家屋は平屋が多くそれ以上高いのはせいぜい二階建てといったところだ。

 だが二階建ての高さではいけないのだ。アズとサスケが考えていたのは観戦料が払えなかった場合、いや払えないのだろうが、周囲の家屋の屋根に登ってそこから闘技場内を覗こうというものだったからだ。

 闘技場入り口には長蛇の列ができており人気の高さがうかがえる。時折警備らしき、いかつい男が入場口で市民を追い出している。

 恐らく不正入場しようという者を取り締まっているのだろう。裏に回ってみると関係者用の裏口もあったががっちり錠が下ろされていた。

 どうやら不正入場はできそうにない。二人は試しに列の最後尾に並んでいる市民に観戦料を訊いてみた。

 やはり高かった。後の出費を考えるととても払えない。仕方なく諦めるかと相談していた時だった。

 サスケはふとみすぼらしいなりをした少年二人が闘技場、横手に向かうのを見た。訝しげに二人の行動を目で追う。

 サスケはなぜその二人が気になったかというとどことなくこそこそしていて彼のカンに触れるものがあったからだ。サスケはアズを促して少年達をつけた。

 「あの二人がどうかしたのか?」

 「まだわかんね。でも挙動不審だ。気になる」

 少年達はカーブした闘技場の壁に沿って歩いた。そして人気がなくなってきた頃、壁際に材木や土嚢が積まれているのが見えた。

 少年二人はそこで足を止めると人目を気にするように周囲を見た。アズらは闘技場のカーブした壁の死角にいるので二人からは見えない。

 二人は人目がないのがわかると材木の山の一角をどかし始めた。何をやっている?アズらが訝しげに見ているとどかされた場所から壁の割れ目が現れた。

 「へぇ。あんなところに中に入れる穴があったのか」

 「お前のカンが当たったな」

 アズらが感心して見ていると二人はそこに入って内側から材木の山を元通りにした。少し間を置いてアズらもそこに近づいた。

 そして材木越しに向こうの気配を探って誰もいないのを確認すると同じようにして中に入った。


 闘技場、観覧席は二種類あった。リーズナブルな料金の一般席とその何倍もする上等観覧席だ。一般席は階段状の床にむき出しの座席の列があって頂上のほうは立ち見になっている。

 上等観覧席は闘技場の一角の最前列に天蓋のある壁で仕切られている。その個室は五席あった。

 中に入ってみると意外に広い。椅子が十個は置ける横幅があり給仕用の卓や荷物の置ける戸棚があるなど奥行きもあった。

 前方は欄干以外、遮るものはまったくなく思う存分、試合を観戦することが出来た。以前そこは主に富裕層が利用していたが最近はほぼ貴族専用席になっている。

 そしてこの日も街を支配する二人の貴族がその席を占めていた。部屋はもちろん別々だが寛いだ様子のシュトライツとボーメンの姿が見える。

 上等観覧席は欄干前に椅子を置いて観戦すると隣の様子が少しうかがえる。だが二つの席は離れているし、またその周囲に家宰やら小姓がいるので会話を盗み聞きされることはない。

 だが秘密の話をする時はやはり気になるようだ。ケルラ市会計局局長はシュトライツに周囲を気にしながら声を潜めて言った。

 「闘士を雇うのに公金を使われるのはちょっと・・・」

 「僅かな金ではないか。そこはお前がちょこちょこっと帳簿を誤魔化せばいい」

 「そう度々されますと誤魔化しもきかなくなりまして」

 「なんとかせい」


 その頃アズとサスケは場内の通路を通って一般自由席まで出たところだった。そこは頂上近くの立見席で試合場から最も離れた場所だった。

 また床に食べ散らかした肉の骨やパン屑などが散乱していてひどく不衛生だ。さらに柄の悪い人間が集まる場所のようだ。

 闘士が現れる前から野卑な言葉や野次を飛ばす輩が多く見られた。その時サスケがアズを小突いて顎をしゃくった。

 見るとさっき先に侵入した少年達がいる。彼らは慣れた様子で一般客に紛れていた。やがて試合場中央に興行関係者と思しき身なりの整った男が出てきた。

 四方の客席に慇懃に一礼して回る。そして咳払いを一つすると来場への礼を述べ始めた。立見席の男達が早速、蛮声を上げる。

 「てめえの口上なんて誰も聞いちゃいねんだよぉ!さっさと試合を始めやがれ!」

 だが興行関係者の男は野次に慣れているようだ。落ち着いた表情で話し終えた。そして闘技場北門を指差して華々しく闘士を呼んだ。

 すると少しして北門から闘士が出てきた。客席からわっと歓声が起こる。その闘士はいくつもの棘がついた鋼鉄の兜を被り上半身は裸、下半身は革のスカートを穿いていた。

 手には異国風の肉厚の刀を持っている。関係者の男が今度は南門を指差して別の闘士の名を叫んだ。

 すると出てきたのはこれまたゴツい体つきの男だった。両肩に鋼鉄の肩当。下半身にぴっちりとした革のズボン。

 手には盾と戦斧を持っていた。関係者の男が両闘士の戦歴を紹介する。戦歴はほぼ互角のようだ。

 そしていよいよ試合が始まった。両者は隙なく構えて攻撃の機会をうかがう。やがて北門の闘士が刀を振り上げて南門の闘士に斬りかかった。

 だが南門の闘士は盾でその攻撃をことごとく防御して隙を見つけては戦斧で反撃する。それが奏功して南門の闘士が優勢になってきた。

 南門の闘士の戦法は相手の攻撃を盾で防御するのではなく受け流して相手の体勢が崩れたところに戦斧で襲い掛かる。

 北門の闘士はたじたじのように見えた。アズらの周囲の客は最初、激しい斬り合いに盛り上がったが南門の闘士の優勢に興ざめしてきたようだ。

 「こりゃ、あと数手で勝負がつきそうだな」

 「似たようなタイプなんで中々、勝負はつかないと思ったんだがな」

 「あいつらを見比べてみろよ。北の奴は刀だけ。南の奴は盾と斧を持ってんだ。そりゃ多いほうが有利だわな」

 するとその時どこからか否定的な意見が出た。

 「いや。違うね」

 見るとさっきの少年の一人だった。客の一人が気分を害したように訊いた。

 「そりゃどういうことでえ?」

 「よく見てみろよ、おっさん。北の奴の顔を」

 言われて皆が北門の闘士を見た。防戦一方に見える。問われた客が少年に言った。

 「ヤバそうじゃねえか」

 「いいや。違うね。少しも焦った顔していない。それにちゃんと相手の攻撃が見えている。今に逆転するよ」

 客は皆、不審な表情を浮かべている。サスケがアズに訊いた。

 「おめえはどう思う?」

 「あいつの言った通りだ。北の闘士はまだ余裕がある。それに比べて南の闘士は調子に乗ってきた。

 今はいいがその内、疲れが溜まって手が出なくなる。その時だろうな。北の闘士が反撃に出るのは」

 するとアズの話を少年が聞いていたようだ。感心した表情でアズを見た。そして勝負はその通りになった。

 北門の闘士が隙を見つけて相手の盾を跳ね飛ばし懐に飛び込むと刀で腹を突いた。それで勝負ありとなった。

 試合が終わって皆が帰る時ふと視線を感じた。見るとさっきの少年がアズを見ていた。少年はアズが気づいたのを知ると、にやっと笑って人ごみの中に消えていった。


 闘技場で聞いたところによるとこの街では決闘試合がちょくちょく開催されているそうだ。試合が頻繁にあるということは武術が盛んだということだ。

 それは十数年前も同じだったらしい。なら父ファスがこの街に訪れて試合に出場したのなら話題になったはずだ。

 父は武術の達人なのだから。父の手がかりへの期待が高まった。アズは闘技場を出る時に一緒になった、いかにも試合好きという商人に十年以上前の試合や闘士に詳しい人を知っているか訊いた。

 すると商人はアズを奇異の目で見たが考えてくれた。

 「十年以上前のことねえ・・・小さい試合を含めれば年間二十試合以上、行われているからなぁ。よっぽど印象に残る試合じゃないと憶えていないんじゃないかなぁ。どんなことを知りたいんだ?」

 アズはどんな武器を持った相手でも素手で闘う男の試合だと答えた。

 「武器を持った相手に素手で闘うって?そりゃ随分、命知らずな男だな」

 商人自身も闘技場マニアを自負しているようで自分が知らなければ他の人間も同じだろうという。それでも頑張って古い記憶を探ってくれたが知っていそうな人間は出てこなかった。

 アズは落胆したが気を取り直して訊いた。

 「じゃあこの街で一番の古株の闘士っていえば誰かな?古株だったら十年前のことも憶えているだろ」

 商人は腕を組んで首をかしげた。

 「古株だったら十年以上前も闘士だったってことか?でもそんな奴いるかな?闘士は怪我が多いからな。十年もやっている奴は少ない」

 アズはがっかりした。武術が盛んだったので手がかりが見つかると思ったが早くも暗礁に乗り上げてしまったようだ。

 商人は落胆した様子のアズを見て気の毒に思ったか元気付けるように言った。

 「まぁ、あたしは試合が好きといってもその道の人間じゃないから。闘士地区に行ってみたら?あそこの人間なら何か知っているかもしれないよ」

 アズは首をかしげた。

 「闘士地区?」

 「お前さん、闘士地区を知らんのか?闘士地区っていったら武術道場がいっぱい寄り集まってできた地区じゃないか。

 そこでみんないつ興行師や貴族のお声がかかってもいいように腕を磨いているんだよ」

 アズは希望の火が胸に点るのを感じた。そういうところなら知っている人間がいてもおかしくない。

 「それはどこにあるんだ?」

 商人は闘技場の裏のほうを指差して言った。

 「南に行けばすぐわかるよ。それらしき建物がいっぱいあるから」


 再び裏手に回って闘技場に接している家並みを見た。低い屋根の家が所狭しと密集している。力仕事か職人が多く住んでいそうな家が多かった。

 だが道場らしき建物は見当たらない。道場であればいくら小さくてもそれなりの規模を持っているはずだ。

 普通の一軒家や平屋で道場を運営できるとは思えない。ここのどこが闘士地区なんだ?二人は住宅地前を移動してそれらしき建物が見えないか探した。

 だがとりわけ高い建物も規模の大きいものも見つからなかった。その地区内は進むのでさえ困難な、ひどく狭い小路しかない。

 また、ものの腐った異臭も漂っている。あまり入りたくはない場所だった。だがここにいてもしょうがない。

 思い切ってその地区内に入ることにした。しばらく狭い路地を苦労して歩いた。人が二人並べばもう両側の塀に当たってしまう。

 水捌けが悪いようだ。ぬかるんでひどく歩きづらい。おまけに捨てられたものが散乱している。アズは顔をしかめて小路を進んだ。

 どこからか赤ん坊の泣き声がする。また子供達の嬌声も聞こえた。だがどこにいるのかわからない。

 そう遠くないところに公園か空き地でもあるのだろうか。無言で歩いているとしばらくしてサスケに呼び止められた。振り返るとたった今、通り過ぎた家を指差している。

 「ここ・・・道場っぽいぜ」

 アズが驚いてその家の前に戻った。家は古ぼけた一軒家でとてもそうは見えない。どこが道場なんだよ?と訊こうとした。

 するとサスケが玄関脇を指差している。そこは膝まである植物が繁茂していてその中に板が埋もれているのに気づいた。

 「それ・・・看板に見えなくね?」

 アズは納得してそれを取り上げた。やはり看板だった。掠れた文字で「シンシガ流剣術道場」とある。

 「ここが道場?」

 改めて見たが外観も規模も本当に普通の民家だった。二人は訝って家の所々を見た。すると狭い横庭から奥にもう一棟、同じような建物があるのに気づいた。

 耳をすませば微かに気合のような音も聞こえてくる。どうやらあれが道場のようだ。すると小路に面しているのは母屋か。

 「これで道場かよ」

 サスケがまた呆れたように言った。だが建物も看板も年季が入っており道場主は何か古いことを知っているかもしれない。

 アズは玄関前を回って横庭に入った。サスケも気乗りしない様子でついてくる。やがて奥の棟に着いた。

 戸は開け放たれている。玄関からすぐ道場になっているようで古い板張りの床に壁には各種の武器が架けられていた。

 場内では六人の男達が派手な気合の声を上げて木刀で打ち合っていた。アズが見たところ声はやたらでかいが実力が少しも伴っていない。

 また奥に腕組みしてその稽古をじっと見つめている、厳しい表情の男がいた。この男が道場主、もしくは師範だろうか。

 打ち合っていた一人がアズらを見ると手を止めて近寄ってきた。そして愛想良く訊く。

 「入門かな?」

 アズが違うと答えると対応の男が少し身構えて言った。

 「入門じゃない?まさか道場破りってわけじゃないよな」

 アズの体格を見て明らかに侮った様子だった。武術未経験者、または未熟者がアズを見ても彼が強いなどとは到底、思わないだろう。

 アズはそういう扱いに慣れていたので特に気にしたふうもなく言った。

 「そういうわけじゃないんだけど」

 「入門の申し込みじゃなければ用はない。帰れ帰れ」

 男は入門でないとわかるとすぐに愛想を引っ込めて冷たく言った。そして背を向けて稽古に戻る。サスケは不愉快そうに行こうと目で促してきた。

 だが道場主に親父の事を訊いていない。態度が悪く実力がなくても何か知っているかもしれない。

 そこでアズは考えた。どうやればこちらの質問に答えてもらえるのか。金。もちろん彼らの満足する額を払えない。

 なら手は一つだ。アズは男達に向かって照れたように頭を掻いて言った。

 「あの。やっぱり道場破りする」

 稽古していた男達はそれを聞いて唖然となった。


 西の居住区の一角に一軒分の空き地があった。そこに大勢の男達が材木やレンガを手押し車で運んだり家の基礎部分を造ったりしていた。

 新しい家を建てているようだ。工事はまだ着工したばかりのようだ。中年の貫禄ある親方が腰に手を当てて職人や徒弟達の仕事を監督している。

 そして陽が家並みの屋根にかなり近づいてきたところで親方が仕事終了を告げた。係りの者に列をなして集まっているのはその日の賃金を受け取る日雇い労働者だ。

 そしてその中に闘技場で不正観戦した少年の姿も含まれていた。二人ではなく年長のほうだけだ。

 「ほら。今日の分だ。よく働いたな。アレン」

 「ありがとう」

 係りの者がきさくにアレンに尋ねた。

 「親父さんはまだ病気なのか?」

 「え?う、うん。中々よくならなくて・・・」

 「大変だな。まだ幼いおめえが親父さんを養わないといけないなんて」

 アレンは賃金を受け取ると走って帰っていった。その後姿を見ながら親方が言った。

 「まったくまだ子供だっていうのに親を養おうなんて殊勝じゃねえか」

 すると少し離れたところにいた職人がそれを聞いて言った。

 「誰のことですかい?」

 「アレンのことだよ。親父さんが病気なんだろう?」

 するとその職人は苦笑した。

 「あいつの親、オルレアンさんが病気ぃ?何を言っているんですか、親方。あの人ならぴんぴんしてますよ。昼真っから酒呑んでね」

 「え?病気じゃないのか?」

 「まぁ病気といえば病気なんでしょうね・・・」

 職人はどこか困った様子で言葉を濁した。


 アレンは工事現場から寄り道もせず闘士地区の家に帰った。そこは周囲の家とは異なり建物は平屋だが通常の家の4軒分ほどの規模があった。

 だが外から見ると完全な建て直しが必要なほどガタがきているのがわかる。家は心なしか傾いて見える。

 そのせいか戸がきちんと閉まりきっていない。壁は所々にヒビが入り屋根は鳥の糞で汚れている。敷地内は草ぼうぼうでどんなに困窮した泥棒でもそこには入らないと思われた。

 だが戸口の上には汚い建物には不相応な立派な額があった。そこにはこうあった。「オルレアン流剣術道場」。

 アレンは戸をギシギシいわせながら苦労して開けると室内に声をかけた。

 「帰ったよ、父ちゃん」

 室内は玄関からすぐに道場になっているらしく広い空間があり壁には木刀や防具類などがけられている。

 だが長年使われていないのか厚い埃を被っていた。そしてその中央で体を横にして手酌で酒を呑んでいる中年男がいた。

 この男が道場主のオルレアンなのだろう。オルレアンは赤い目でアレンを見ると外を指差して言った。

 「ちょうどいい。酒が無くなった。いつもの酒屋で買ってきてくれ」

 アレンが溜息をついて言った。

 「いつから呑んでんだよ、父ちゃん。大分、酔っているようじゃないか」

 「なに、ちょっと呑んだら止まらなくなっただけだ。こんなもん、ちょっと稽古すればすぐ抜ける」

 「稽古するって。もうやらなくなって何年も経つじゃないか。体を鍛えなおして一から始めるっていっていつもやらないくせに」

 「そのうちやるよ。そのうちな。だから今は酒を買ってきてくれ」

 アレンは溜息をついて道場を出た。

 <3> 

 アレンは闘士地区から目抜き通りに出ると南に足を向けた。やがて少し先に一軒の酒屋が見えてきた。

 だがそこを通り過ぎてさらに南進した。やがて街並みが変わってきた。急にゴミゴミしてきたというかどこか汚く雑然としてきたのだ。

 道の両側を見てもきちんと店を構えているところは少なく屋台のような急拵えのものが多い。そこは普通の市民があまり足を向けない貧民区と呼ばれる場所だった。

 やがてアレンは屋台の一つに入った。酒の匂いもする。どうやら酒屋らしい。店頭に瓶が多く陳列されている。

 だがそれは大中小の順できれいに並んでいるわけではなく不揃いだ。またその瓶は使い回しなのか洗ってあるようだが小さな傷が目立った。

 だがアレンは気にしたふうもなく瓶を取って眺めたり価格を調べたりした。その店は驚いたことに先ほどの酒屋の価格の三割は安かった。

 アレンが眉根に皺を寄せて検討していると通りから声が聞こえた。

 「おい、みんな。あいつ、ガキのくせに酒を買おうとしているぞ」

 「ありゃあオルレアンのところのガキだ」

 「オルレアンといえば一昔は名剣士って称えられていたけど今じゃ落ちぶれたもんだよなぁ。今じゃ呑んだ暮れだもんなぁ。人間、ああなっちゃお終いだよなぁ」

 アレンは屈辱に頬を染めたがぐっとこらえた。気を取り直して手頃な酒を購入した。そしてどこにも寄り道せずに帰った。

 するとムックが先に帰っているのがわかった。ムックは孤児で物心ついた時から市庁舎の前で物乞いをしていた。

 その内、縁があってアレンと仲良くなった。アレンは彼は年下なのに自分以上に逞しいことに感心した。

 また人生にも悲観していない。根拠はないがいつかいい暮らしができると信じてる。それはアレンの胸を打った。

 彼もまた父と自分、二人の人生に希望を持っていたからである。アレンは父の許しを得て彼を道場に居候させた。

 アレンは当初、自分の働きで父と彼を養うつもりだった。だが彼は自分の食いぷちは自分で稼ぐといって物乞いを止めなかった。


 その日の夜。夕食を終えて少しした頃ムックがアレンに話しかけた。オルレアンは酒瓶を抱いたままだらしなく寝てしまっている。

 ムックの話はこうだった。近頃、闘士地区に道場破りが頻発している。それも道場破りは自分達とそう年の変わらない若者二人で滅法、強いという。

 だが不思議なことに破っても金銭も看板も要求しない。そればかりか勝敗を知られたくなければ黙っているという。アレンはそれを聞いて強い興味を示した。

 「そりゃ妙な奴らだな。大抵、道場破りはそれで名を上げて貴族や興行師に闘士として雇ってもらうのが目的なんだけどな」

 ムックも同意して言った。

 「でしょ?変な奴らだよね」

 「それに俺達とそう歳が変わらないんだろ?それなのに誰も敵わないってのも気になる」

 アレンは落ちぶれてしまったがオルレアン道場の正式な跡取りだ。自分と同世代の強者と聞いて対抗心が出てきたのだろう。

 「よし。明日の仕事は休んでそいつらを見つけに行こう」


 翌朝、二人は闘士地区で道場破りの男を探した。だが中々、見つからなかった。闘士地区は全域が道場しかないというわけではなくむしろ一般住居がほとんどである。

 その中に点々と道場が建てられているというわけだ。アレンらも闘士地区に住んでいるがすべての道場を把握しているわけではない。

 入ったことのない路地にひょっこり入ると、よくもまあこんな狭いところに、と新たな道場を発見することもあるのだ。

 二人はまず比較的大きな道場に行って道場破りが来たかどうか訊いた。来たとしても試合に負けたのなら恥じて教えない。

 だが質問に来たのは同業者の息子だったので勝敗の行方はぼかして来たことだけは教えてくれた。

 もう何日も前に去ったという。次に当たった道場も、さらに次の道場も同じ答えだった。アレンはそこで考えた。

 このまま捜してもどこも同じ答えが返ってきそうだ。なら別々に捜したほうが効率がいい。二人は闘士地区を大雑把に分けて捜索担当場所を決めると分れた。

 発見した時は大声や口笛で知らせることにした。道場主は面子があるので負けたことは教えない。だが顔見知りの主なら道場破り来訪の有無くらいは教えてくれた。

 だが付き合いのない道場はそうはいかない。負けて悔しがっているとことに見ず知らずの子供が傷口を無遠慮に触るように訊くのだ。

 苛付いてけんもほろろに追い返した。アレンはそういうところに物まで投げて追い出された。立て続けにそういうことが起こると簡単なことではへこたれない彼もさすがに辟易する。

 少し傷ついた気持ちで空を見上げた。陽がかなり傾いてきた。疲れを感じた。闘士地区と言われるだけあって捜索する道場はまだかなりある。

 だが日が落ちてしまえば止めるしかない。後、一軒二軒にしようと考えていた時だった。どこからか口笛の音が聞こえた。

 誰かが気晴らしに吹く音色ではない。聞いたことのある調子の音色だ。ムックだ。どうやら日が落ちる前に見つけてくれたようだ。

 アレンは狭い路地を苦労して抜けながら間隔を置いて聞こえる口笛の音に近づいていった。辺りをきょろきょろしながら進んでいくと不意に向こうの曲がり角からムックが現れた。

 「こっちだよ」

 急いで傍に行くとムックが向こうを指差した。その方向を見ると六軒ほど先の小さな道場から若い男二人がちょうど出てくるところだった。

 アレンはその一人を見て、あっと声を上げそうになった。ムックが訝しげに訊いた。

 「知っている奴なの?」

 「この間、闘技場で見た奴だ!」

 先日の闘技場でのこと。アレンの周囲にいた観戦客がその時、優勢だった闘士が勝つと話し合っていた。

 だがアレンの見立ては違った。劣勢の闘士が勝つと予感したのである。だがその考えは口には出さなかった。

 すると客の中に一人だけ自分と同じ見立ての者がいたのである。それが今、少し先にいる男だったのだ。

 試合はアレンとその男の見立て通りになった。そのため強く印象に残っていた。そしてその男を観察するとムックの言う通りで自分達よりやや年上に見える。

 だが背が特に高いというわけでもなく筋骨隆々というわけでもない。あんな奴が本当に強いのか?するとアレンの疑念を察したようにムックが言った。

 「おいらが聞いた話じゃ破った道場の数は五、六軒。だけど負けたことを黙っている道場を数に入れたら軽く十軒は超えているんじゃないかな」

 アレンは唸った。十軒!それが本当なら一流とまではいかなくても闘士として充分、名を上げられる。ムックが続けた。

 「もう噂は大分、広まっているよ。見たことない若い奴が道場破りをしているってね。小さい道場の主は頼むからうちには来ないでくれって神様にお祈りしてるって噂もあるくらいだもん」

 ムックはそう笑ってアレンを見た。すると心ここにあらずといった感じでなにやら考え込んでいる。

 「・・・父ちゃんがあいつに勝てばまた道場の名は上がる。いくら強いったって俺とそう歳の変わらない奴だ。父ちゃんが本気でやれば必ず勝てる」

 ムックはアレンの呟きを聞いて驚いた。

 「小父さんとあいつを闘わせる気なの!?」

 「ああ。絶好の機会じゃないか。名をまた上げるには闘士として試合に出るしかないと思ってた。だけど落ちぶれた父ちゃんを闘技場に上げてくれるわけがない。

 だからどうしようかと困っていたんだ。これは好機だ。いや待てよ・・・いくらあいつが道場破りでもうちの道場じゃ相手にしてくれそうにないかぁ・・・」

 アレンが落胆したように言うとムックが首を振った。

 「それは関係ないかもしれない。さっき道場の窓まで行って盗み聞きしたんだ。そしたらあいつらの声が聞こえた。

 道場破りしているのは知りたいことがあるからなんだって。普通に尋ねてもガキだと思ってまともに相手されないからまず道場破りをしてんだってよ」

 「なるほど。苦労してんだな。で、その知りたいことって何だ?」

 「ファスとかいう人のことを探しているんだって」

 「ファス?誰だ、それ?」

 「さぁ?」

 二人は首をかしげた。だがアレンはすぐに決心したように言った。

 「よし。ならそのファスって奴を知っていることにしようじゃないか。それて勝負して勝ったら教えてやるってことにしよう」

 

 その日アズとサスケが安宿から出るとみすぼらしい少年が二人を待っていた。アズらは知らなかったがムックだった。

 ムックは不敵に笑うとファスという人のことを捜しているんだって?と訊いてきた。アズは驚いて、なぜそれを知っているのか尋ねた。

 するとムックはそれが知りたかったらついてきな、と言う。警戒心が湧いたがこの街に来て初めてファスの名を知っている人間に出会えたのだ。

 大人ぶって顎をしゃくるムックにおとなしくついていった。


 連れていかれたのは闘士地区南端にある建物だった。道場らしくないのでムックにそう教えられなければわからなかった。

 その道場を見た時サスケは絶句した。大抵のボロ家、廃屋を見慣れているサスケでさえそうなのだ。

 アズも眉根を寄せて道場を見た。古い木造の建物は傾き、庭は背の高い雑草で覆われている。一見、廃屋かと見間違えられてもおかしくない。

 二人が唖然としてその建物を見上げているとムックが慣れた様子で開け放たれた戸口から中に入った。

 そして躊躇している二人に気づくと早く中に入るよう促した。室内は所々、痛んではいたが掃除が行き届いていて板張りの床は磨き上げられ壁にかかっている武具もよく使い込まれている。

 奥の間には痩せた中年の男が瞑目し腕を組んで座っていた。ムックが奥の間の男に、先生連れてまいりましたと声をかけた。すると男は瞑目したまま頷き、そしてアズを見た。

 「私が当道場の主、オルレアンです。なんでも立会いたいとか?」

 アズは戸惑った。

 「いや、ついてくれば知りたいことを教えてやるって言うから来たんだけれど・・・」

 アズは後方にいるムックに目を向けた。だがムックはアズと視線を合わせず神妙に座っているだけだ。仕方なく道場主に目を戻して言った。

 「立ち会うのは構わないけどその前に質問させて欲しい。十数年前ファスという素手で闘う闘士がこの街に来たことがあるはずなんだ。あんた、知っているか?」

 「いや全然、知らん」

 「やっぱり知らないかぁ」

 その時オルレアンはアズらの後方にいるムックが慌てた様子で手を横に振ってみせているのに気づいた。オルレアンもはっとなり急いで訂正した。

 「いや、もとい!知っているとも。ああ、あの男のことだろう」

 アズは表情を明るくして訊いた。

 「知っているのか!」

 「ああ。知っているとも。当時のことを教えてやらんでもない。ただし私と立ち会って勝ったらだが」

 「もちろんやるとも!試合は今ここでいいのか?」

 「うむ。構わんとも。得物はどうするかな?」

 「そっちは何を使ってもいい。俺は無手のままでいいよ」

 「無手?・・・まぁ好きにするが良かろう。ではこちらは木刀で。勝負は一本。決着は戦えなくなるか降参するか」

 「よし、わかった!」

 オルレアンは壁に掛けてある木刀を取ってアズの前まで戻った。アズはもう構えている。無手で闘うというのはどうやら本気のようだ。

 大丈夫かな?こちらは熟練の剣士なのに。相手が若いこともあって心配した。だがやる気は見られる。

 とにかく始めて怪我をさせない程度で止めておこう。そう思って試合開始の声をかけた。オルレアンは相手を威圧するように上段に構えた。

 「きえええいっ!」

 気合の声を上げて喉が早くも痛くなった。大声を出すのは随分、久しぶりだ。この後しばらく声が掠れるのは止む得なんだろう。

 相手を見た。怯んだ様子はない。折角久しぶりに大声を上げたのに。オルレアンはがっかりしたがすぐ気を取り直した。

 なに、相手はまだ若い。すぐに降参・・・。だが異変が起こったのはオルレアンのほうだった。額や首筋から冷や汗がだらだらと流れ、腰から下に力が入らなくなった。

 苦境に陥ったように口から唸り声が漏れる。オルレアンの表情は蒼白になり今にも倒れそうに見えた。

 そしてその時アレンは道場と母屋を繋ぐ廊下の陰から試合を見ていた。だが父の様子に気づいて首をかしげた。

 なんで打ち込もうとしない?相手は無手じゃないか。もしかしてちょうど酒が切れて動けなくなったとか?アレンが訝って見ているとアズも同じように感じたようだ。

 「もう・・始めていいんだよな?」

 オルレアンは震える声で言った。

 「いい、いいとも」

 この時オルレアン以外の者には見えていなかったが彼にははっきりと見えていた。アズの全身から発する眩いばかりの闘気が。

 しかもこの時は勝てば求めている情報が得られると意気込んでいたためいつもより闘気は強かった。

 これまでアズが打ち破ってきた道場主は腕が平凡なためこの闘気が見えなかった。アズを侮って呆気なく倒されてきた。

 だがオルレアンはそうではない。落ちぶれる前、数々の闘いを経験してきた猛者だったのだ。そのため眼力が養われていた。

 命のやり取りをするには闘う前に相手の力量を測る眼力が必要だった。その眼力がアズから放射される闘気の量が半端でないと告げている。

 オルレアンは震え上がって思った。こりゃ今の私では到底、敵わん。虚勢を張って闘えば命にかかわる。

 未熟なアレンには当然そんなことは見抜けない。焦れったそうに物陰から無言の声援を送っていた。

 なにやってんだ、父ちゃん!相手は棒立ちじゃねえか!やれって!早く!するとオルレアンは木刀を体の後ろに隠すと、すすすっと下がって頭を垂れた。

 「まいった!とても私の及ぶところではない」

 アレンは呆然となった。アズも拍子抜けしたようにオルレアンを見ている。アレンは我慢できなくなって道場に飛び出した。

 「何やってんだよ、父ちゃん!」

 アズはアレンを見て、あっと言った。

 「闘技場にいた奴・・・」

 アレンは父を責めるように闘うよう説得したがオルレアンはうな垂れて首を横に振るだけだ。しばらくして諦めたのかアレンは父から目を離してアズに向き直った。そして自分を指して言った。

 「オルレアンが一子アレン。次は俺が相手だ!」

 アレンは床に置かれた木刀を拾い上げるとアズに向けた。オルレアンが青くなって息子を窘めた。

 「止めるんだ、アレン!お前の敵う相手ではない!」

 「やらせてくれ、父ちゃん!俺は道場を再建したいんだ!このまま父ちゃんが落ちぶれて年取っていくのを黙って見ていられないんだよ!」

 アズはそれを聞いてはっとなった。父が息子の身を案じ息子が父の身を案じる。その瞬間どうにもやりきれぬ想いに囚われた。

 そうだよな。親父は息子の身を心配する。それが親ってもんだよな。子も父が敗れればその仇を討とうとする。

 この眼前の光景こそが親子の自然の形なのだ。それがうちの親父ときたら・・・。苦いものを呑みこんだような表情でいるとサスケの叫び声に我に返った。

 「なにやってんだ、アズ!」

 はっとなって前を見るとアレンが鋭く踏み込んでくるところだった。アレンはアズより三つ四つ下か。まだまだ表情には幼さが残る。

 それでもその斬撃は鋭かった。気迫の込められた振り下ろしがアズの肩を襲った。だが幾多の修羅場を潜り抜けてきたアズだ。

 すぐさま冷静になって身を開いて木刀をかわした。そしてかわしざまに足払いをかけてアレンを転倒させた。

 だがアレンは鋭い反射神経をみせてすぐに立ち上がって距離を取った。そしてアズを見据えて言う。

 「さすがだな。一瞬の隙を突いたつもりだったのに」

 オルレアンが懇願するようにアレンに言った。

 「もう止めろ、アレン。腕の違いがお前にはわからんのか」

 「いいや。止めないね。言っただろ。道場を再建するんだって」

 アレンの大人顔負けの執念がこちらまで伝わってきた。それにアズの闘気が反応した。無意識の内に閃光拳発動の構えになった。

 だがすぐにそれを解いた。腕はともかくそれほどアレンの闘気は強かった。アズは呆れたように頭を振った。

 何を考えている?相手はまだ子供じゃないか。アレンはアズの戸惑いを見逃さなかった。また突っ込んできた。

 今度は突きだ。これも子供とは思えない鋭さがあった。油断させれば一般道場の師範代から一本くらいは取れる迫力があった。

 だがアズには通じなかった。木刀をかわしてアレンの懐に入るとその腕に手刀で一閃した。アレンはあっといって木刀を取り落とした。

 それは一瞬の攻防だった。アレンは何をされたのかまったくわからなかっただろう。突きに行ってすぐ手首に激痛を感じたのだから。呆然となるアレンから目を離してアズはオルレアンに訊いた。

 「もういいだろ?ファスのことを教えてくれ」

 するとオルレアンはがばっと身を伏せて言った。

 「すまない!知っているといったのは嘘だ」

 「ええ〜っ!?」

 さすがにアズも驚いた。オルレアンは頭を掻いて申し訳無さそうに言った。

 「いや。そうでも言わないと君は試合をしてくれないと思ったものだから・・・」

 オルレアンはばつが悪そうな視線をアレンやムックにも送った。アズは呆れてオルレアンを見た。サスケが顔をしかめて言った。

 「くっだらなねぇ。茶番につきあっちまったってことかよ」

 「おい、サスケ」

 アズはサスケを嗜めるとアレンに目を向けた。

 「怪我させるほど強く打っていないはずだけど。大丈夫か?」

 アレンはようやくショックから回復したようだ。身構えて言った。

 「騙したのは悪かった。けどこれでますます闘志が湧いた。この街にいる間に絶対あんたを倒してやる!」

 闘志満々なアレンにオルレアンは溜息をつきアズは困惑した様子になった。

 <4> 

 翌日。貧民区の旅籠から出てくるとその前にアレンとムックの姿があった。アズが少し驚いて言った。

 「どうしてここがわかった?」

 するとアレンは得意げに笑って言った。

 「へへへ。あんたら、どう見たって金、持っているって格好じゃねえ。だったら町で一番安い旅籠に泊まるしかねえ。だから朝からここに張っていたってわけよ」

 サスケがうんざりしたように訊いた。

 「またアズに挑戦しに来たのか?」

 アレンが悔しげに言った。

 「俺だって馬鹿じゃねえ。昨日の立会いで実力差が天と地ほどあるってのはわかったよ。残念ながらな」

 「ならなんで来た?」

 「俺は執念深いんだ。俺を負かせた奴は絶対、逃がさない。だから勝ち逃げしないよう、こうして見張ることにしたんだ」

 これにはアズとサスケも苦笑せざるを得なかった。

 「なんでお前から逃げなきゃならないんだ」

 するとアレンは真剣な顔つきになって言った。

 「あんたについていくのはあんたの弱点を探る意味合いもある。今日も道場を回るんだろ?あんたの闘いぶりを見て絶対、弱点を見つけてやる!」

 アズは面倒くさくなって、勝手にしろと言った。そして闘士地区に足を向ける。後ろから二人がついてくる。

 目障りだと思ったが少し距離を開けているところを見ると仕返しをする意志は無さそうだ。また不意を突かれてもサスケがいる。

 探索に集中することにした。そこは闘士地区とはいっても多くの民家がひしめき合っている。その合間に道場があるという格好だ。

 そのため狭い路地の中も注意して探すことになる。そして比較的、新しいと思われる道場は避けた。

 新築ということは道場主は後援者のいる若造か古くからいるとしても金に汚く性格の悪い者が大半だからだ。

 そんなところに関っても時間の無駄だ。門構えは小さくても外まで稽古の気合が聞こえてくるような活気のある道場が望ましい。

 二人はそういうところに絞って路地の奥を探した。後ろの二人はついてくる時はつまらなさそうにしていた。

 だが道場破りするとなるとその窓からアズの闘いぶりを食い入るように見ている。そして四軒ほど回った頃サスケが振り向き、うんざりしたように言った。

 「ついてくんなよ」

 するとアレンも口を尖らせて言い返した。

 「俺もこっちに用があるんだよ」

 サスケは舌打ちして背を向けた。二人はしばらくしてまた良さそうな道場を見つけたのでおとないを入れた。

 アレンらもその道場に駆け寄り窓から中を覗く。少しして風格のある剣士とアズの闘いが始まった。アレンが食い入るように見ているとムックが感嘆したように言った。

 「あいつ、やっぱり強いね。兄貴がどう逆立ちしたって勝てそうにないや」

 「うるさいな」

 アレンは闘いから目を離してムックの頭を叩いた。

 

 日が暮れてきた。それでこの日の道場破りを切り上げることにした。アズらは近くで休める場所を探した。

 するとちょうどいい場所があった。地元住民が整備した貧民広場だ。といっても空き家を四、五軒潰して均した、ただの空き地なのだが。

 アズら二人が腰掛用の廃材に座るとアレンらもアズらに気を許していない様子でその端に腰を下ろした。サスケが溜息をついてぼやいた。

 「一体、闘士地区には道場がいくつあるんだ?もうないと思ったらありやがる」

 それを聞いたムックが笑って言った。ムックはアレンと違ってもうアズらに対して構えていない。

 「貴族が闘士を雇うって聞いて闘士がここに集まってきたんだ。街の中だけじゃなく外からもね。そして出来たのがここ、闘士地区だよ。

 前ここは入り組んだ古い住宅街だったらしいんだ。今もそうだけど。その所々に無理に道場を建てたもんだから地元住民でもどこにいくつあるのかわからない。

 たぶん五十や六十はあるんじゃないかな」

 「五十や六十・・・」

 サスケがげんなりと呟いた。アズが安心させるように彼に言った。

 「すべての道場を破るわけじゃない。知っていそうなところだけだ」

 ムックがアレンに目を向けた。アレンはさっきから考え事をしてるように黙っている。アレンが訊いた。

 「なに考えているの?」

 するとアレンはアズらを盗み見て呟いた。

 「あいつらが探しているファスってのは何者なんだ?」

 「そういえば誰だか知らないね。わけありなのかな?」

 「なんかあるんだろうな」

 「気になるんなら訊いたほうがいいよ。声をかけずらいんならおいらが訊いてあげる」

 ムックがアズらのほうを向いた。

 「おい、余計な気を回さなくてもいい・・」

 アレンは止めようとしたがそれより先にムックは二人に話しかけていた。

 「ねえ。お兄さん達の捜している人って何者なの?」

 するとアズは少し間を置いた後、遠くの空を見ながら語った。ファスとは自分の父であり今、使っている武術は幼少の頃その父から習ったものなのだ。

 そしてその父が突然いなくなったので探す旅に出た。そしてアズは最後にこう不満そうに言ってしめた。

 「なんで突然、出て行っちゃったかはわからないんだ。まぁ心当たりはあるんだけど・・・」

 「その心当たりを教えてもらうわけにはいかない?」

 アズは肩を竦めた。

 「まぁ隠しておきたいわけじゃない。ただの推測なんでね・・・」

 アレンとムックは話の続きを待った。

 「家系を遡っていくと俺の先祖、この国に来た人だけど、海を越えてやってきた外国人らしいんだ。祖国は別にあるらしいんだけどどこにあるのかはわからない。

 ただえらく遠い東方にあるんだとか。祖国での俺の家は武門の家柄だった。そこに内乱が起こった。

 一方の勢力に与したんだけどあえなく負けて先祖は国を出るより他なくなった。そしてこの国に流れ着いて根を下ろした。

 だけど帰郷したいという想いは常に一族の胸にあった。いや代を重ねるごとにむしろ段々、強くなった。

 あの内乱から何百年も経った。もう戻っても罪に問われることはないだろうって。だけどただ帰るのではいけない。

 必ず栄達してから帰国するのでなければ体裁が悪い。親父はそれを成し遂げに行ったんじゃないかと思う。

 その当時ちょうどクランクは今より荒れていたっていうし。己の腕次第では騎士にも取り立てられていたっていう時代だったらしいしね」

 アレンはそれを聞いて胸に響くものがあった。家の再興。うちの家と同じじゃないか。父オルレアンは以前、高名な剣士だった。

 闘技場で連戦連勝を重ね観客から拍手喝さいを浴びる人気闘士でもあった。それが今は身を持ち崩してその名を覚えている者は少ない。

 アレンはそんな父に立ち直ってもらいたかった。それには昔の武名を復活させることだ。どことなくアズの話はうちに似ている。

 親近感さえ覚えた。アレンが考えていると二人の腰を上げる気配がした。見ると二人は夜も更けてきたので宿に戻るのだという。アレンは咄嗟に思いついたことを口にした。

 「待てよ。うち、道場に泊まらないか?」

 アズが訝しげな顔になった。アレンは自分の考えに満足した。そうだ。このアイデアはいい。

 「いくらあの宿が馬鹿みたいに安いったって何日も泊まっていりゃあ金が減る。ならうちに泊まらないか。宿代は要らない。ただ飯は自分でどうにかしてもらうけど」

 

 アズはアレンの誘いに躊躇した。まだ未熟だがなんといっても自分を狙う人間である。四六時中、油断しないのは難しいし不意を突かれれば実力差があっても危ない。

 だがその時アレンの目を見て他意がないことがわかった。彼は親切心から誘ってくれている。それで彼の好意に甘えることにした。

 アレンは自分の一存で二人の宿泊を決めた。だが家主はオルレアンのはずである。彼が難色を示さないか不安に思った。

 そしてそれを訊くとアレンは笑って言った。父は貧乏だが人をもてなすのが好きだと。道場に着くとオルレアンは酒を呑んでいた。

 酔眼が訝しげに向けられる。アレンが事情を伝えた。すると彼の言ったとおり歓迎された。オルレアンらが母屋に引っ込んだ後アズらは簡単な食事を済ませた。

 しばらくしてムックが用意しておいてくれた藁布団を敷いて灯りを消した。窓から月明かりが差し込んでくる。

 道場で寝るのは初めてのせいか新鮮に感じられた。とにかく広さを感じる。サスケも眠る様子を見せず床や壁を見て言った。

 「見た目はボロボロだけど掃除が行き届いているよな。練習生もいないのにきれいにして。変な道場」

 「たぶんアレンやムックが毎日、掃除しているんじゃないのかな」

 「なんでかな?道場主は使いものにならないし練習生もいない。道場を掃除する意味がない」

 「前にここでアレンとやった時あいつは言っていた。いつか道場を昔のように賑わせるんだって。それがいつ叶ってもいいようにきれいにしているんじゃないかな。

 もちろん金があれば建物全体を修繕したいのだろうけど」

 その時、通路から足音がした。見ると奥から灯りが近づいてくる。どうやら燭台を持った人間が近づいてくるようだ。

 その灯りが持っている人間の顔を照らした。オルレアンだった。彼はこちらをうかがうように言った。

 「もう寝てしまったかな?」

 アズが半身を起こして言った。

 「いや。まだ横になったばかりだ。何か用かい?」

 「酒でもどうかと思ったんだが。もう寝るのなら失礼する」

 アズはサスケを見た。まだ眠る様子はない。オルレアンは酒を勧めにきたのではなく一緒に呑む相手を捜しにきた雰囲気がある。

 生活場所を提供してもらったのだから多少は付き合うべきだろう。それに彼と話をすれば色々と情報が得られる。

 アズとサスケは起き上がって藁布団を片付けた。オルレアンは二人が付き合ってくれるとわかると嬉しげにあぐらをかき床に酒瓶と杯三つを置いた。

 二人はその対面に座る。オルレアンはどこか恥ずかしげに頭を掻いた。

 「ははは。この間は大変、失礼した。色々、事情があってね。それでその詫びとお近づきの意味を込めて呑もうと思って。君達はいける口かな?」

 サスケが大人ぶって言った。

 「まぁ嗜む程度くらいは」

 「そりゃ良かった。まずは一献」

 オルレアンは二人の杯になみなみと酒を注いだ。さっきサスケは強がってああ言ったが実は二人ともちょっと舐めたことがある程度だ。

 だが豪傑は酒に強いというイメージがある。酒精の強さも確かめず一息で飲み干した。途端に酒が喉を焼いた。

 そしてそれが胃に落ちれば熱さでかっかする。二人は大変な仕事をなんとか終えたように重い息を漏らした。

 だがすぐに酔いが回って気持ちが悪くなった。オルレアンは苦笑した。

 「いきなり飲み干しては駄目だよ。安酒とはいえ酒精はかなり強いからね」

 彼は二人にもう一杯、注いで言った。

 「まぁこうなったのも何かの縁だ。ちびちびやりながら語り合おう」

 オルレアンは楽しげに笑った。アズは思った。この人は人と一緒に呑んで話をするのが本当に好きなのだ。

 本質は穏やかで平和的な人なのだ。そんな人がなぜ剣術道場の主なんかやっている?剣術とは闘いの技術だ。

 そんな場所に身を置けば嫌でも争闘に関らざるを得なくなる。だが主はこういう性格だから争闘から身を遠ざける。

 それでは商売にならない。道場が傾いているのはやはり主に原因があるせいなのか。アズが疑問に思っているとオルレアンが質問してきた。

 どうしてこの街にやってきたのか?アズは差し支えない程度で生い立ちから話し始めた。そしてその合間に酒を呑む。

 オルレアンは興味深げにふむふむと相槌を打つ。やがて話は出遭った敵のものとなった。争闘があまり好きそうではないとはいえ武術談義になるとさすがにオルレアンも熱が入った。

 質問や感想を度々するようになった。そして出奔した父の手がかりを追い求めてこの街にやってきたのだとしめた。

 そこで今度はアズがオルレアンの生い立ちを訊いた。オルレアンも差し支えのあるところは話さないだろう。

 彼の家は騎士の家系でこの街の二人いる貴族の一方に仕えていた。アズはまだこの街に来たばかりなのでどんな貴族がいるのかは知らない。

 だが街で聞き込みをすれば嫌でも二人の貴族の話が耳に入ってくる。シュトライツ家とボーメン家だ。

 オルレアンが仕えていたのはそのどちらかということなのだろう。彼がそれを明かさなかったということは差し障りがあるのだろうか。

 疑問が湧いたが黙って聞き続けた。オルレアンは争いごとが嫌いな少年だった。専ら音楽や芸術を好んだ。

 だが騎士の家系に生まれたせいか年頃になると師匠がつけられ剣の手ほどきを受けるようになった。

 最初は嫌で嫌で仕方がなかった。だが体は特に弱いというわけでもなく生真面目な性格だっため命じられるままに剣に打ち込んだ。

 そしてその才能が開花したのは十三歳の時だった。その頃、同じ貴族に仕える騎士の子弟になぜかちょっかいを受けるようになった。

 非常に迷惑だったがそれでも争いごとが嫌いなオルレアンはその少年を無視し続けた。それを見咎めたのが剣の師匠だった。

 辱めを受けたのなら試合で仕返しをしろ。騎士としての矜持を重んじる人だった。だが相手は剣の才能を周囲に認められて押し出しもいい。

 なので将来は仕える貴族の側近になるだろうと期待された人間だった。オルレアンは師匠に背中を押される格好で試合に及んだ。

 周囲の人々は誰もがオルレアンの無残な敗北を想像した。だが結果は違った。オルレアンが相手の攻撃をすべて封じきって勝ってしまったのである。

 オルレアンは期待の少年を破ってしまったことで自分の将来も無くなったかと思った。自分のことより親に先祖に申し訳なく思った。

 だがそういう展開にはならなかった。試合の結果を知った貴族が少年の代わりにオルレアンを重用しようとしたのである。

 オルレアンの家は騎士としては下級である。そんな家の子弟がなぜ?と周囲は訝ったが貴族には思惑があった。

 もうその頃には票決で決まらない条例案は決闘試合で決着をつけていたのである。貴族の代理として決闘に及んだオルレアンは見事にその期待に応えた。

 強敵に会うたびに彼の腕もあがりその立場は一生、安泰かと思われた。だが周囲の賞賛とは異なりオルレアンの気持ちは重かった。

 決闘の相手は職を褒美を求めて決闘に出る。彼らには切実な理由があった。対して自分にはそんな理由はない。

 ただ命じられたから出ているだけだ。彼らに申し訳なかった。そして決闘を十回、数えた頃だろうか。

 なんとか闘士を辞められないか考えるようになった。その頃には両親は他界し親戚もいなかった。なのでオルレアン一人が騎士を辞めることになっても困る人はいない。

 またそう決心させる別の理由もあった。偶然、入った小さな店の娘に一目惚れしたのだ。その娘のもとに通うようになって辞めてからの自分も想像できるようになった。

 騎士階級から脱して一般市民になることだ。懸念もあった。それで食っていけるのかという問題だ。

 だが自分には剣の腕がある。自分の道場を持てばなんとか食っていけるだろう。仕える貴族には随分、引き止められた。

 だが初めて主命に逆らった。そして娘と結婚した。それで平穏に暮らせるはずだった。だが長らく続いた主従の関係が決闘試合から縁を切らせてはくれなかった。

 元主人の頼みでそれからもちょくちょく試合にでざるをえなかった。これではいけないと思うものの、中々依頼を断れなかった。

 そして妻に待望の妊娠の兆候が出た。これを機に二度と試合には出まいと妻と生まれてくる我が子に誓った。

 最初は考え直せと旧主に迫られた。だが頑なに首を横に振るオルレアンに旧主も諦めた。やがて妻はアレンを産んだ。

 元気な子だった。親子三人。これで幸せに暮らせると思った。だがそれから妻は体調を崩しがちになった。

 妊娠という重労働と旧主に試合出場を迫られる夫を心配したことが原因のようだ。そしてその二つが解決するのを見届けるようにして彼女も帰らぬ人になった。

 決闘試合から足をようやく洗うことができた。幸せの象徴である我が子も出来た。それなのになぜだ?

 なぜ私とアレンを残して逝った!オルレアンは号泣した。自暴自棄になった。酒に手を出して溺れた。

 すると妻の死を知った旧主から試合の依頼が来た。オルレアンは引き受けた。試合でこの悪夢を忘れたかったのである。

 だが酒びたりのボロボロの体調で勝てるはずがなかった。ブランクもあった。無残に敗北した。その時、命を失わなかったのは奇跡と言われた。

 妻を失ったことは大きなショックだった。そしてそれに追い討ちをかけるように初の敗北。ショックが重なってますます立ち直れなくなった。

 ・・・それからずっとこのままだ。情けないとは思うものの、自分でもどうしようもない。何度も自ら命を絶とうと思った。

 だがあの子が長ずるのを見るのが楽しくて出来なかった。そしてある時あの子が言ったのだ。俺が絶対、父ちゃんを立ち直らせてまた道場を流行らせてみせるって。

 君にしつこくつきまとっているのもそのせいなのだ。道場破りで名を上げた君を破ることでこの道場の評判を上げようとね。

 オルレアンはそう語って話をしめた。長い述懐の間にオルレアンは大分、酔ってしまったようだ。俯いたまま顔を上げない。

 アズは何か元気付けるような言葉を投げかけてやりたかったが何も言えなかった。彼は自分の倍、生きている人間だ。

 そんな彼にたいして人生経験を積んでいない自分に何がいえる?アズは重い気分でそう考えていてふと思い出した。

 「そうだ。前にも訊いたけど十数年前この街にファスという男が来なかったかな?俺と同じで素手の武術を使うんだけど」

 オルレアンが酔眼を訝しげに細めた。

 「十数年前か・・・公営以外の開催を禁止する条例がまだ出ていなかった頃だな。人目につかないところで違法決闘がよく行われていた頃でもある。

 ルールがなく勝てば莫大な報酬が得られるという闇試合だ。それを目当てに名のある剣士や闘士が多く集まった。

 そのファスって人はそこに行ったのかもしれないな。だけど闇決闘は密かに行われるから知っている人は少ない。

 それに十数年も月日が経ってしまっている。知る者を捜すのは難しいだろう」

 「じゃあ何か出てくる可能性は低いか・・・」

 「まぁ断言はできないが。恐らく」

 アズが失望したように視線を落とした。それを見たオルレアンは元気付けるように言った。

 「引退して街に残る闘士は多い。その頃、現役だった闘士もきっとこの街のどこかにいる。希望を失ってはいかんよ」

 アズはそれを聞いて笑顔になった。

 「そうだよね。まだ来たばかりだし」

 三人は笑顔で杯を傾けた。その時どこからか苦しげな声が聞こえた。オルレアンははっとなって母屋のほうを見た。

 その声はまだ続いている。彼が顔色を変えて立ち上がった。

 「ちょっと失礼」

 そして少し急いだ様子で通路を通って母屋のほうに行った。二人も何かあったのかと心配になった。

 彼はしばらくしても戻ってこなかった。それでさらに心配になった。何かあったのなら手助けしなければならない。

 親思いのアレンになんとか立ち直ろうとしているオルレアン。親子を思うムック。二人にとって彼らはもう放っておけない存在になりつつあった。

 とりあえず通路の奥まで行ってみることにした。燭台がないので明かりは窓から差す月明かりしかない。

 用心して歩を進めた。母屋まで行くとその戸は開け放たれたままだった。戸口で立ち止まって室内に声をかける。

 「オルレアンさん。大丈夫かい?」

 少し待った。だが返事はない。やはり何かあったのか?それとも奥にいて声が聞こえなかっただけなのか。

 とにかく確かめないことにはこちらが安心できない。少し躊躇って室内に入った。通路から先は居間になっており右は厨房で左は寝室になっているようだ。

 どちらも戸は開いたままだった。その時、寝室前に気配を感じた。室内は真っ暗だったので人影が立っているのに気づかなかった。

 どうやら体つきからしてオルレアンのようだ。彼は放心したように寝室内を見ている。二人は近づいて声をかけようとした。

 その時、苦しげな声がまた聞こえた。室内からだ。二人は彼の脇から中を覗いた。すると藁布団で寝るアレンとムックの姿があった。

 ムックはすやすやと眠っていたがアレンは違った。寝汗をびっしょりかいてうなされている。

 「父さんは本当は強いんだ。今はちょっと調子を崩しているだけだ。舐めるな。父さんを舐めるな。馬鹿にするな・・・」

 二人は痛ましげに彼を見た。その時オルレアンがアレンを見たまま言った。

 「可哀想に。私が馬鹿にされたのがよっぽど悔しかったんだろうな。夢にまで出て」

 彼は寝室内に入ると優しくアレンの掛け布団を直してその頭を何度か撫でた。するとアレンの寝息もやがて穏やかなものになった。

 オルレアンは二人のもとに戻ると道場に行こうと目で促した。道場の元の席に戻るとオルレアンの表情から苦悩の色は消えていた。彼は努めて明るく言った。

 「生きていれば色々ある。だが今はそんなことは忘れて呑もう。さぁもう一献」

 <5> 

 その日、二人が道場巡りをする後ろにアレンとムックの姿はなかった。オルレアン道場は練習生がいないため収入はない。

 ならオルレアンが別の仕事で三人分の食い扶持を稼がなければならないのだがそれもしない。となると一家の家計はアレンの双肩にかかってくる。

 彼はまだ未成年だが頑張れば大人なみの賃金を払ってくれるところもある。そのためいつまでもアズらについて回っているわけにはいかないのだ。

 アレンは知り合いの親方のところに働きに行くと言って今朝方早く出かけて行った。また年端の行かないムックも市庁舎前で物乞いの仕事?に精を出すと言って不在だ。

 サスケは金魚の糞のようについてくる二人がいなくなってせいせいする思いだった。腕を頭の後ろに組んでのんびりと路地を行くとやがて数軒先に古く頑固な造りの小さな道場が見えてきた。

 年季の入った、腕のしっかりした道場主がいるのを想像した。当然そこに入るものだと思っていた。だが案に反してアズはその前を通りすぎてしまった。

 「お、おいアズ」

 急いで声をかけたがアズは答えなかった。表情を重くして何か考え込んでいる。また声をかけた。するとアズははっとしてサスケを見た。サスケは後方の道場を親指で指して言った。

 「入らなくていいのか?」

 アズはその道場を見て頷いた。

 「昔からそこにある道場って感じだな。何か知っているかもしれない。入ろう」

 だがその道場主は残念ながらファスのことは知らなかった。そして再び次の道場を探して路地の中を歩いているとまたアズが腕を組んで考え込んでいるのに気づいた。

 「おめえ、今日は身が入っていないようだな。何か気がかりなことでもあんのか?」

 するとアズがサスケに目を向けて言った。

 「アレンの親父さんな。あの人の助けになんとかなれないかなと思っててさ。昔のような立派な騎士に、いや道場主に戻れるような手助けが何かできないかと思ってさ」

 サスケが眉を潜めて言った。

 「昨夜の話のことか。あの呑んだくれのおっさんが名剣士だったってのは信じがたいぜ。第一あそこまで落ちぶれちゃ今更、立ち直るのは無理だろう」

 「そう言うなよ。立ち直らせたいのはなにもあの人一人のためだけじゃない。アレンのためだってあるんだ。

 親父が落ちぶれたままじゃアレンが可愛そうじゃないか。あいつはあの歳で好きなことも出来ず健気に家計を支えている。

 あいつを見てたら何か手助けしたくなるじゃないか。それにはオルレアンさんが立ち直るのが一番だ」

 「確かにあれじゃアレンが気の毒だけどさ。他人がどうこう言うよりも親父さん自身が絶対、立ち直るって決意して行動しなきゃ駄目だぞ」

 「それはそうだけどオルレアンさんは長いこと自堕落な生活を送ってきたんでそう思ってても自分一人の力じゃ無理だと思う。誰かの助けがないと」

 「でも手助けするったって具体的にどうするんだ?」

 「それを言われると困るんだけど・・・」

 二人は道場探しも忘れてその場で考え込んだ。

 

 オルレアンをどう立ち直らせるか。それを考えるとそのことが気になってしまって手がかり探しに本腰が入らない。

 そのためその日は早く切り上げて道場に帰った。オルレアンは幸い道場にいなかった。さすがに彼の前で彼をどう立ち直らせるのか話し合うのはきまりが悪い。

 それでじっくり腰をすえてオルレアン復活計画を練った。アズが眉根を寄せて言った。

 「実戦感覚を取り戻すために他の道場主と練習試合をさせるってのはどうかな?」

 サスケが手を横に振って言った。

 「無理無理。第一おめえと最初にやろうとした時の意気地のなさを思い出してみろよ。息子が期待して見てんのに直前になってびびっちまったじゃねえか。いきなり誰かとやるのは絶対無理」

 「じゃあ基本からやり直させるか。基本練習をやり直させれば昔の情熱が戻ってくるかもしれない」

 するとまたサスケは頭を横に振った。

 「駄目駄目。ああいう駄目おっさんはいくら口で言っても無理。たとえ始めてもすぐ止めちまう。それはアレンが努力しても駄目だったことが証明している」

 アズが顔をしかめて言った。

 「じゃあどうすりゃいいんだよ?」

 「おっさんは以前、高名な剣士だったという。信じられないがな。ならその自尊心をくすぐるのが一番いい」

 アズが訝しげに首をかしげるとサスケが笑って自分の考えを話した。人にやる気を起こさせるにはそいつを褒めて褒めて褒めまくって自分はできるんだと自信をつけさせるのが一番だ。

 それでオルレアンの場合どうするのかといえばここにアズという格好の相手がいる。アズは最近この界隈で名を上げている新進気鋭の武術家だ。

 そんな新鋭がオルレアンに頭を下げて教えを請えばオルレアンはどう思うか。恐らく天にも昇る気持ちになって色々と手ほどきしてくれるだろう。

 それが彼自身のリハビリとなってオルレアンの腕はいつの間にか元に戻っている。そういう寸法だ。アズはそれを聞いて懐疑的に言った。

 「そんなんで本当にうまくいくのか?」

 「何もそれで全部、元通りになるってわけじゃない。要はきっかけだ。おっさんに昔の情熱を取り戻させるきっかけをおめえが作ってやるってことだ」

 アズは考えた。確かにオルレアンには昔とった杵柄がある。剣の基本をやらせれば以前の感覚が戻り、そこでさらに煽てて練習試合をさせれば実戦感覚も戻るかもしれない。

 アズは乗り気になった。


 その日の夕方アレンは仕事を終えたので帰路に着いた。大通りから路地に入って何度も曲がる。小路を真っ直ぐ歩いて道場が見えてくるところまで来た時その眉が潜められた。

 戸口の前にムックが立っていて中を驚愕した表情で覗いている。あいつ、何やってんだ?訝しげに近寄ってその背に声をかけた。

 「何してんだ、ムック?」

 するとムックはびくっとして振り返り少し慌てた様子で言った。

 「大変だよ、兄貴。親父さんが、親父さんが・・・」

 ムックは口をぱくぱくさせるが言葉にならないようだ。

 「父ちゃんがどうしたって?もういいよ。そこをどけよ」

 アレンは道場に入ろうとして中を見た。するとその口が開いたままになった。道場中央に木刀を構えたアズがいる。

 その脇には嬉しげな表情のオルレアンが剣の持ち方や振り方を教えていた。

 「あまり強く木刀を握っちゃいかん。強く握ると腕が固くなって自由に速く振ることができん。

 小指でそえるよう軽く。うん。そうだ。さすが飲み込みが早いな」

 その時オルレアンは戸口で呆然と立つ二人に気づいて眉をひそめた。

 「お前達。そんなところで何をやっている?」

 アレンははっとなって言った。

 「い、いや別に」

 二人は腫れ物にでも触るように横目でオルレアンを見ながら道場に上がると母屋には行かず、そわそわした様子でオルレアンらを見続けた。アズがオルレアンに言った。

 「先生。ちょっと振ってみせてくれない?達人の先生が振って見せてくれれば要領がつかめると思うんだ」

 「ははは。そうか。そうか。よしわかった」

 それを聞いたアレンがまたしても目を驚愕に大きく開いた。

 「先生!?アズは父ちゃんに弟子入りしたのか!」

 するとオルレアンは恥ずかしげに息子に言った。

 「いや。アズ君がどうしてもって言うもんでな」

 オルレアンが上段から木刀を何度か振り下ろしてみせた。すると対面の壁際で正座して見ていたサスケが大仰に驚いて言った。

 「凄い剣圧だ!こんな離れたところにも圧力が届いて顔が痛い!イタタタ・・・」

 アズは呆れた様子でサスケを見た。だがサスケは芝居を演じるのに忙しいようでそれに気づかない。

 しばらくしてオルレアンの指導が終わった。するとアレンはアズの袖を引っ張って道場の隅まで連れていった。そして父をうかがいながら困惑した顔で訊いた。

 「二人とも剣術の練習なんかしちゃって。いきなりどうしちゃったんだよ?」

 するとアズは真剣な顔つきになって言った。

 「親父さんを立ち直らせたいんだろ?」

 その一言でアレンは察した。父を盗み見るとまだ道場中央で木刀を振っている。その表情はアレンの記憶にないほど活き活きとしていた。

 アズに目を戻すとアズは笑みを浮かべて頷いてみせた。アレンは嬉しくなって父に言った。

 「父ちゃん。やる気になってくれたんだね!」

 オルレアンは照れたように言った。

 「まあな。いつまでもお前を働かせておくわけにはいかないからな。本調子に戻ったらまた道場を再開しようと思う」

 ムックがやったぁと両手を上げた。アレンは涙ぐんでいるようだった。

 「父ちゃん。嘘じゃないよね。本気だよね?」

 「もちろんだとも。これからは体を戻すために日に千回は素振りをやるつもりだ」

 「父ちゃんの復帰祝いしなきゃね。日当をもらったから今から酒、買ってくるよ」

 するとオルレアンは首を横に振った。

 「いや。復帰したからにはもう酒は止めだ」

 アレンはこれ以上ないくらいに驚いて言った。

 「酒を止めるの、父ちゃん!?」

 「ああ。酒に逃げるのはもう止めたんだ。買ってこなくていい」

 アレンは感動したように父を見つめた。オルレアンはそんな息子の視線に照れてまた木刀を振る。

 「じゃあ食べ物を買ってくるね」

 「うむ。安いので構わんから精のつくものを頼む」

 アズらもアレンらと共に市場に食べ物を買いに出かけた。四人が出て行った後オルレアンはすることがないのでまた素振りを始めた。

 すると少しして戸口に騒々しい気配がやってきた。四人が帰ってくるには早すぎる。訝っているとやってきたのは飲み仲間のスパルとタカスだった。

 二人とも近くに住んでおり元闘士だった関係で気軽に互いの家を行き来する仲だった。筋骨隆々のタカスがオルレアンを見るといかつい顔を綻ばせて言った。

 「オルレアン、呑みにいかないか?さっき仕事が終えて帰ってきたところ、そこでこいつとばったり会ったんだ」

 タカスは人夫をしている。すると同じように痩せた顔を覗かせたスパルが訝しげに言った。

 「ん?おめえ、なんで木刀なんて持っている?」

 スパルは剣士だったことから刀剣が好きで今は貧民街で研ぎ師をやっていた。オルレアンは恥ずかしげに言った。

 「実は道場をそろそろ再開しようと思ってね」

 二人はびっくりしてオルレアンを見つめた。だがすぐにぷっと吹き出して言った。

 「無理無理。おめえ何年、剣に触ってねえ?とっくに腕が落ちてらぁ」

 「なんの。昔取った杵柄だ。どのくらいかかるかわからんが取り戻してみせる。というわけで飲みには行けん」

 「かてーこと言うな。呑んだくらいで剣が握れねえなら最初から剣術なんてやるなって話だ。行けねえんならここで呑んだってちっとも構わねえぞ」

 オルレアンはそれもそうだと呑むことにした。しばらくしてアレンらが帰ってきた。この日は父の復帰祝いということで豪勢に鶏鍋にするつもりだった。

 ムックなどは早くもそれに期待して口腔に唾を溜めている。道場の傍まで来ると中から騒々しい気配が伝わってきた。アレンはそれを聞くと青ざめた。

 「まさか・・・」

 急いで中に入ると三人の男達が酒宴を開いている。オルレアンは顔を上気させて次々に杯を空けている。

 「父ちゃん、何やってんだよ!」

 アレンの叫び声にオルレアンが酔眼を向けた。

 「いよう。アレンではないか」

 「酒は止めたんじゃなかったのかよ!」

 「うんにゃ。止めた、止めた。あれ?おかしいな。酒を呑んでいる。まぁ、いっか」

 三人の男達は上機嫌でがはははと笑った。アズとサスケはそれを見てがっかりした。

 「駄目だ、こりゃ」

 <6> 

 その日、市庁舎隣の大会議堂ではいつものように貴族から提出された議案の票決を執り行っていた。

 同時に出された二人の貴族からの議案。どちらを採択するかというものだが結果はわかっている。過半数には至らず結果、決闘試合で決着をつけるしかない。

 議員は毎度のことなのでやる気は見られず眠たげだ。いや正議員テーブル周囲の、階段状の椅子に座る準議員の中には本当に舟をこいでいる者までいる。

 議長もやる気がないのを露にして言った。

 「え〜。それでは開票します。やはり・・いや同数ですね。ではいつものように・・・。コホン。失礼。準議員を含めた票決に入りたいと思います」

 そしていつものように準議員による票決も同数で決着がつかないと思われた。だがこの日はいつもと違った。

 議長がまったくやる気のない様子で準議員のほうに目を向けて挙手の数を数えた。

 「え〜と・・・ではボーメン男爵ご提案に賛成の方・・・ひぃ、ふぅ、みぃ・・・あれ?」

 議長は首をかしげた。いつもと同じ数になるはずが今回は一票、少ないのである。議長はそんなはずはないと訝しげに数え直した。

 欠席者はいないので絶対いつもと同じになるはずである。眠い目をこすり準議員の面々を見回していってようやくその原因に気づいた。

 ボーメン派の一人が居眠りをして挙手していなかったのである。議長はどちらの側にも属していなかったがこれを見過ごして恨まれるのはご免である。

 何度も挙手の方、早く手を上げてくださいと言った。だがその準議員は中々、目を覚まさなかった。

 これにシュトライツ派の議員がイラつき、さっさと打ち切れという声が次々に上がった。近くのボーメン派の議員が急いで居眠り議員の肩を揺するのだがその議員は二日酔いか徹夜明けなのかそれでも目を覚まさない。

 シュトライツ派の怒声が飛んだ。議長はもうこれ以上、引き伸ばせないと観念して採決を閉めようとした。

 その時、問題議員が痛ぇ!?と声を上げた。見ると痛そうに頭をさすっている。傍らには怒気を受けべた仲間議員がいた。

 どうやらどう声をかけても起きない議員に怒りの拳が炸裂したようだ。問題議員は仲間議員に注意されてようやく、はい!はい!と手を上げた。

 議長はほっとして同数を宣告しようとした。だがシュトライツ側が収まらなかった。シュトライツ伯票のほうが多かったはずだと議長に詰め寄った。

 そこにボーメン派議員がいや最後の一人は採決に間に合ったはずだと押し寄せてきた。両党派は間に合った、いや合わないでつかみ合いになった。

 室内は怒号や悲鳴が飛び交い、頭に血が昇った議員は相手を椅子で殴ったりした。騒動中、議長は頭を抱えてテーブルの下に隠れた。両議員の声が聞こえる。

 「こうなりゃ決闘だ!決闘で決着を付けようじゃないか」

 「おおっ。上等だ。後で吠え面かくなよ」

 「かくのはそっちじゃ」

 議長はそれを聞いて情け無さそうな顔でボヤいた。

 「やっぱり最後はこうなるのね・・・」

 

 市庁舎内、通路の休憩長椅子で、広場の噴水前で、パブで男達が一つの話題で盛り上がっていた。

 「来週の日曜日また決闘試合が行われるそうだ」

 「そりゃ楽しみだ。ここんところ何も面白いことがなかったからな。で、闘士はどんな奴だ?この前の試合は両方とも見掛け倒しで全然、面白くなかった」

 「確かに。大仰な甲冑を着て、でかい武器を振り回したわりにはたいして強くねぇ。結局ドロ試合になっちまった」

 「そうそう。あれに金払うんだったらパブで安酒かっくらっていたほうがずっとましだった」

 「ボーメン男爵のほうはまだわからんがシュトライツ伯は凄い剣士を呼んだっていう噂だぜ。試合で名を馳せたんじゃなくて戦場を渡り歩いてきた男だって」

 「傭兵か。そりゃ面白そうだな。前に来た傭兵出身の闘士は色んな武器を使って楽しませてくれたもんな。それでそいつはなんていうんだ?」

 「確かジべリとかいう男だそうだ」

 「ジベリ?知らないな。期待外れじゃないといいんだがな」

 噂をしていた男達は誰もその名を知らなかった。だが闘士地区のある道場でその名を聞いて眉をひそめた男が一人だけいた。

 アレンが街の噂を父に伝えるとオルレアンは素振りを止めて確かめるように訊いた。

 「なに?ジベリ?確かにそういう名だったか?」

 父の意外な反応に戸惑いながらアレンは頷いて言った。

 「間違いないよ。市庁舎の前で一回。働きに行った建設現場でも同じ名前を聞いたんだ」

 「そうか・・・」

 オルレアンはそう呟くと腕を組んで考え込む様子をみせた。アレンは興味を覚えて尋ねた。

 「父ちゃんの知っている人なの?」

 オルレアンは物思いにふけっていたがその言葉にはっとなって顔を上げた。

 「え?なんだって?」

 「だからそのジベリって人。父ちゃんの知っている人なの?」

 「ああ・・・いや昔、知っていた男の名に似ていただけだ。人違いだよ」

 オルレアンはそう言ったがその憂いを帯びた表情はとてもその言葉通りには見えなかった。オルレアンはまた素振りを始めたがすぐに止めて試合日時を訊いた。

 何気ない様子を装ったつもりのようだが強い関心を持っているのがアレンにはわかった。そして試合の日が近づくにつれてオルレアンの様子がおかしくなった。

 そわそわして稽古にちっとも身が入らない。アレンが注意するとはっとなって真剣にやろうとする。だがそれも束の間で窓の外を見ていたり物思いに耽っていたりする。

 そんなオルレアンをアズらはなんとか稽古に集中させようとした。

 

 ケルラ市、北門前に貴族とその護衛の騎士達の姿が見られた。彼らは期待を込めた表情で北の街道を見つめている。

 集団はシュトライツ伯とその僕達であった。北門にやってくる旅人や行商人が門の前に立つ貴族に眉を潜める。

 だが自分達に関係がないのがわかるとほっとして頭を低くして足早にその脇を通り抜ける。しばらくしてシュトライツが焦れたように家宰に訊いた。

 「まだか?」

 家宰は恐縮して言った。

 「は。もう少しだとは存じますが何分、遠方からやってまいりますので何時頃になるか正確な時間はわかりかねます」

 「凄腕だというから直々にこうして門まで迎えに来てやっているのだぞ。その男はそれがわからんのか」

 「はぁ。伯爵様が門まで来られていることまでは想像もしていないかと」

 シュトライツは幾分、表情を和らげた。

 「うむ。確かに闘士風情に貴族の出迎えがあるとは思うまい。待ちつかれた。帰るぞ」

 シュトライツが踵を返そうとした。その時、騎士の一人の声がした。

 「来ました!」

 皆が街道のほうを見るとマントを体に巻きつけた騎乗の男がゆっくりとこちらに向かってくる。男は門前で自分を見つめるシュトライツらに気づくと警戒したように馬を止めた。

 シュトライツが顎をしゃくった。すると騎士の一人が馬を駆って男のもとに行った。そして二言三言、交わすと戻って報告した。

 「間違いありません。ジベリです」

 少し遅れてジベリもシュトライツのもとにやってきた。そして下馬して一礼する。

 「ジベリです。お招きにより参上いたしました」

 シュトライツは鷹揚に頷いてジベリをじろじろ見た。短い髪。石のように乾燥した無表情。質素な身なりとその腰の頑丈そうな剣。

 確かに戦場を往来する傭兵に見える。そこでふと思いついた。ここまで来たのだ。その実力の一端を見たい。シュトライツがジベリに言った。

 「お主の力量を疑ってはいない。だがここで少しその腕の程を見せてもらいたい。その金は契約金とは別に支払おう」

 シュトライツがまた顎をしゃくった。すると大柄の騎士が一人、出てきた。ジベリが無表情に言った。

 「・・・殺していいのですか?」

 まったく抑揚のない口調で殺人の許可を求めるジベリにシュトライツは怯んだ。だが虚勢を張って言った。

 「むろん・・・と言いたいところだがここは市の入り口。統治者として死人を出すのは避けたい。双方とも死なぬ程度にしろ」

 石のような声が返ってきた。

 「承知」

 大柄の騎士が抜剣した。体に合わせて大剣だった。ジベリも抜いた。シュトライツには砂で研いだようなざらざらした剣に見えた。

 市門にやってくる旅人が二人を見て怯えたように足を止めた。番所から何事かと棒を持った番人がやってこようとした。

 だが別の騎士に止められた。大柄の騎士が虎のように吠えてジベリに近づくと大剣を振り上げた。その瞬間ジべりの口が僅かに動いた。

 「遅い」

 大剣が振り下ろされた。まるで山津波のような斬撃だった。人々があっと思った時にはジベリはいつの間にか入れ違いに騎士の後方にいた。

 大剣は虚しく地面に食い込んでいた。騎士が、うぬ!と頬を紅潮させて振り返ろうとした。だがすぐ顔をしかめて太ももに手をやった。

 その手の隙間から血がふつふつと溢れ出てくる。騎士の表情が蒼白になった。ジベリが砂のような声で言った。

 「死なぬ程度、と申された」

 シュトライツは慄然となりながら思った。これならばボーメンがどんな闘士を用意しようと勝てる。シュトライツは家宰に頷いてみせた。家宰がそれを見てジベリに言った。

 「では館にご案内しよう」

 するとジベリが言った。

 「その前に。つかぬことをお聞きするが・・・今回の相手の名は?」

 家宰が答えるとジベリは無表情に頷いた。そしてシュトライツらの後方についていきながら呟いた。

 「オルレアンではないのか。いや無理もない。あれからもう十年は経っている」

  

 その日、闘技場には大勢の市民が詰め掛けていた。お目当てはもちろん決闘試合である。シュトライツがこの日のために凄い闘士を呼んだという噂が広まっていたので盛況だった

 そのシュトライツは試合開始一時間前に悠々と会場入りし貴族や一部富裕層しか許されない上等観覧席に入った。

 そして少し経った頃、隣席にボーメンが入るのが見えた。ボーメンが仕切りの壁越しに会釈した。シュトライツもそつなく返す。そして傍らに控える家宰に面白そうに言った。

 「ボーメンの奴。平静を装っていたがあれは明らかに心配した様子だったな」

 家宰が控えめに答えた。

 「随分前から御館様が腕の立つ闘士を呼んだという評判が街中に駆け巡っておりましたゆえ男爵様も気が気でなかったのでしょう」

 「くくく。奴の悔しがる顔がもう目に浮かぶようだ」

 観客がざわついている。そこかしこで試合を楽しみにしている声が聞こえてくる。その時、強風が吹いた。

 闘技場の本戦場の土埃と共に客席床に落ちていた多くの紙クズも宙に舞った。それが余りにも多かった。シュトライツが飛んでくるクズを煩わしげに払った。

 「なんでこんなに紙クズが多いのだ!清掃はきちんとしておるのか?」

 咎めるように言うと家宰が困ったように後方を見た。すると彼らの少し後ろに控えていた制帽に警察服の男が近寄った。

 襟元に立派な階級章を付けているところをみるとかなりの身分のようだ。その男はケルラ市警察署署長のボルグだった。ボルグがシュトライツの耳に囁いた。

 「地下組織の者が夜の間に闘技場に忍び込んだようでして。またけしからん貼り紙を所々に貼っていったんです。

 今朝方それに気づきましたのでお目汚しになる前にすべて剥がしておきました」

 「地下組織?れいのシビリアンズとかいう犯罪者集団か。この紙屑がそれか」

 「はい。すべて剥がしたと思ったのですが。市民が所持していたので取り上げて破り捨てました」

 「どんな内容なんだ。私も読んでみたい。破り捨てていないものはあるか?」

 ボルグが部下に命じて無事な貼り紙を持ってこさせた。シュトライツはそれを興味深そうに読んだ。それにはこうあった。

 (立ち上がれ、市民諸君!我らの街ケルラをこのまま貴族の横暴に任せておいていいのか!市を治めるべき為政者は市民生活を省みず権力闘争ばかりしている。

 そのせいで物品は不足し物価は高騰し続ける。財政の傾きは貴族の怠慢や放蕩が原因だというのに安易に増税することで責任を市民に押し付ける。

 もう一度、言う。このままでいいのか、市民諸君!もう政治を貴族だけに任せておくのはよそう。自分達の街なのだ。

 一般市民も政治に参加するべきなのだ!参政権を求めて戦え!我々は断固として貴族のいいなりには・・・)

 シュトライツが憤然と貼り紙を読んでいる時その席から少し離れたところでは同じように憤然と、いや泣き言に近いボヤきを発している男がいた。

 その男は極度に太っていて上等な衣服にいくつもの宝石で身を飾っている。街一番の金貸しマネだった。

 マネはシュトライツをそっとうかがってから番頭に言った。

 「まったく伯爵様のお遊びにも困ったもんだよ。今日の闘士を雇う金はどこから出ていると思っているんだ」

 すると番頭が慌てた様子で口に人差し指を当てて主人を諌めた。

 「旦那様。お声が大きすぎます。伯爵様に聞こえますよ」

 「おっと。危ないところだった。少し気をつけよう。それにしてもだな。お前、知っとるか?伯はご自分の娯楽に公金にまで手を出しているんだぞ」

 番頭は驚愕して少し声が大きくなった。

 「ええっ!?公金を、ですか!」

 「しっ。声が大きい。これまでちょくちょく公金をくすねてきたらしいんだがその額が累計で結構な数字になったらしい。

 それでさすがの財務局も無視できなくなった。金の無心を財務局に断られた伯はさて困った。今大会の闘士の金が調達できない。そこで思いついたのが私というわけだ」

 「前にも、その前にもお金の無心が伯爵様から来ませんでしたか?別の理由だったとは思いますが」

 「だからもういい加減にして欲しいとボヤいておるのだ。うちが得になる条例もたいして作ってはくれんくせに」

 <7>

 オルレアンは熱心に剣の型を演じていた。再開した当初は筋肉が落ちているせいか軽く素振りしても足腰がふらついた。

 だが根気強く続けた。すると一ヶ月ほどでようやく腰も定まってきた。だがアズから見ると体の芯を支える筋肉がまだかなり不足している。

 食べ物が質素なものばかりなのも筋肉がつかない一因だろう。この調子では道場主として練習生の前に立つのはかなり先のことだと思われた。

 室内に静かな気合の声が響き渡る。稽古はオルレアンの自堕落な癖が中々、抜けないこともあって連日というわけにはいかなかった。

 だがアレンが働きに出ない祝日やアズらがファスの手がかり探しに行けない天候の悪い日などは彼らの目があるのでオルレアンも稽古に集中せざるを得ない。

 そしてこの日は祝日ということで彼らの目があった。また闘技場で決闘試合が行われる日でもあった。

 道場の壁際では正座したアレンやアズらがその稽古をじっと見ている。サスケやムックも同じように居住まいを正して稽古を見ていたが時折、欠伸を噛み殺している。

 その時、北のほうから微かに歓声が聞こえてきた。闘技場からのもののようだ。それを聞いてオルレアンの動きが止まった。

 そして気になったように窓の外に目を向ける。アレンが父に注意した。

 「父ちゃん。集中、集中」

 オルレアンは慌てて頷いて言った。

 「うむ。集中、集中」

 オルレアン道場から闘技場までは三ブロックほどしか離れていないことから客の歓声がよく聞こえた。

 その度にオルレアンの集中は乱れた。アレンはいくら言っても集中できない父に溜息をついた。アズがそれを見て言った。

 「この際みんなで試合を見に行ったほうがいいんじゃないか?」

 するとオルレアンが溜息をついて言った。

 「行きたいのは山々だが生活費のことを考えるとね。なにせ大人数で行くことになるから観戦料もそこそこ覚悟しなければならん。簡単には決断できんよ」

 するとそれを聞いたアズが不思議そうにアレンを見た。アズが初めて二人を見たのは闘技場の裏手だった。

 あの時二人から教わったようなものだ。裏壁の割れ目から入れば観戦料を払わずに観戦できることを。

 アレンはばつが悪そうな表情になりアズに向かって何も言うなとばかりに口に人差し指を当ててみせる。息子の挙動不審な様子を見てオルレアンの眉根が寄った。

 「アレン。お前まさか・・・」

 アレンが慌てて手を横に振った。

 「違うよ、父ちゃん。変なことで金を稼いではいないよ。ただ闘技場裏の壁に穴が開いてて・・・」

 そこまで喋って慌てて自分の口を押さえた。オルレアンが恐い顔してアレンに言った。

 「常日頃から悪いことはしちゃ駄目だって言ってあるよな。特に貧乏人の私達は色眼鏡で見られる。だから口を酸っぱくして注意しておいたのに」

 オルレアンがアレンの頭に拳骨を落とした。アレンが顔をしかめているとムックがそれを面白そうに見ていた。

 「何がおかしいんだ」

 アレンがムックに拳骨を落とすとムックが泣き声を上げた。

 「うわあっ!悪いことしていないのに殴られたぁ!」

 オルレアンがアレンを嗜めた。

 「こら。今のはお前が悪いぞ」

 「だってさぁ」

 父に睨まれたアレンは仕方無さそうにムックに謝った。アズがオルレアンに言った。

 「オルレアンさん。今回だけ見に行かない?今回だけ。俺からもアレンに言っとくからさ。そこを使うのは今回で止めとけって」

 オルレアンは迷っているようだった。理由は不正な手段で観戦することか、それとも稽古を止めて行くことか。

 ムックも駄々をこねるように見に行きたいと訴えた。それで決心がついた。みんなで行くことにした。

 

 アズらは闘技場裏手の亀裂から人目を忍んで中に入った。そして急いだ様子で通路を走り観客席へと続く階段を上った。

 階段の先に明かりが見えてきた。そして外に出た途端わっという歓声が聞こえた。観客が立ち上がり拳を突き上げ歓声を上げている。

 アズらが出たのは客席中段の通路入り口だった。前方の観客越しに本戦場を見ると闘士が激しく斬り結んでいた。アレンが興奮した様子で言った。

 「もう始まって大分、経っちゃっているみたいだね」

 オルレアンも興味深げに本戦場の闘士を見た。一人はずんぐりむっくりだが太っているのではなく太い筋骨に覆われているのがわかる。

 上半身は裸で腰に皮のスカートを穿いている。手にはごつごつとした戦棍を持っていた。もう一人は中肉中背の皮鎧を付けた、どにでもいるような闘士に見えた。

 こちらは剣を構えている。ムックが楽しげに言った。

 「ずんぐりしたほう。強そうだね」

 アレンが腕を組んで感心したように言った。

 「あの筋肉はすげえな。岩でも持ち上げて鍛えたのかな?」

 「猪でも一撃で倒しちゃいそう。相手の闘士はたいしたことなさそうだね」

 「こりゃ、ずんぐりの圧勝かな」

 オルレアンもアズもそれには答えなかった。その時二人の目はアレンらとは反対の闘士に注がれていた。

 石のように無表情な顔。だがその細い目は隈なく相手の全身を捉えている。肘を曲げてやや前方に突き出された剣の構え。

 あれは相手が動いた瞬間、矢のように飛び出していって相手の胸を突き刺す気なのだろう。剣の闘士のほうは必殺の構えで余分なものがない。

 対して戦棍の闘士は今は隙を見せていないが相手に肉薄して戦棍を振り上げる時に僅かな隙ができる。

 そこに剣の闘士がつけ込むことはアズら歴戦のつわものにとって明白なことだった。ずんぐりの闘士が威嚇なのか戦棍を小さく振り回す。

 彼我の距離は七、八歩といったところか。アズは思った。ずんぐりが本気で攻撃した時が剣の闘士の動く時だ。

 ずんぐりは変わらず戦棍で威嚇している。剣の闘士は微動だにしない。ずんぐりの額に汗がつつーっと落ちてきた。

 息は僅かだが荒くなり表情に余裕がなくなっている。剣の闘士は彫像のように動かない。観客から罵声が飛んだ。

 「何やってんだ、ずんぐりむっくり!相手は居眠りしちまってんだ。早くやっちまえ!」

 「おい、剣を持っているほう!てめえ、やる気あんのか!」

 ずんぐりが呼吸も荒く客席を、上等観覧席の貴族をちらっと見た。市民だけでなく貴族も不機嫌そうだった。

 ずんぐりは顔を戻すとやや前傾姿勢になった。それを見てオルレアンとアズは悟った。仕掛ける気だ。

 ずんぐりが戦棍を体の前に掲げて突進した。そして難なく間合いに入った。すかさず戦棍で突くか殴るかすると思っていた。

 さらに懐、深く入った。もう突くことは出来ない。ということは振り上げて殴るのか?だが振り上げる素振りはない。

 突きも殴りもしない。ずんぐりむっくりはどうする気なのだ?これには剣の闘士にも予想外のことだったらしく僅かに困惑の無表情が浮かんだ。

 だがすぐ突進を避けるべく横っ飛びに逃げた。ずんぐりが前傾姿勢のまま、その脇を駆け抜けた。オルレアンが驚いたように言った。

 「あの男。戦棍を掲げたまま体当たりする気だったのか」

 戦棍を振り上げれば隙ができる。だから体の前に掲げて防御したまま攻撃できる手、体当たり戦法を選んだのか。アズが感心して言った。

 「あのデブのおっさん。意外にやるかもな」

 ずんぐりは再び同じ攻撃に出た。相手の闘士はピンチに陥ったように見えた。突くにしろ斬りかかるにしろ、ずんぐりが体の前に掲げた戦棍に跳ね返される。

 そしてその直後には体当たりが待っている。両者の身長差はそれほどないものの、筋肉量がかなり違う。

 その両者がぶつかり合えばダメージを負うほうは明らかだ。オルレアンも感心して言った。

 「ここしばらくシュトライツ伯が百戦錬磨の闘士を呼んだという噂でもちきりだったがどうしてどうしてボーメン男爵側の闘士も中々のものだ」

 剣の闘士はずんぐりの攻撃を再び横に飛んでかわした。そうする以外、手はないように見えた。上等観客席ではボーメンが仕切りの壁越しにシュトライツに話しかけていた。

 「噂によると貴殿が凄腕の闘士を用意されたとか。だがこの戦況を見るとそうはなかったらしい。まったく噂というものは信用できませんな」

 ボーメンが優越の笑みを浮かべた。それを苦々しく見たシュトライツは傍らに控える家宰に囁いた。

 「どういうことだ。押されているではないか!」

 「は、はぁ。そのようでございますね」

 「そのようでは困る!奴にいくら払ったと思ってるのだ!」

 本戦場ではずんぐりの攻勢が続いていた。自分が優勢だと感じたのか、ずんぐりの表情にも余裕が戻っていた。

 「おい。いつまで逃げ回っているつもりだ。それじゃあ試合にならねえぜ。それとも貴族に命乞いして助けてもらうかい?」

 すると剣の闘士がふっと笑みを浮かべた。ずんぐりが激昂した。

 「何がおかしい!」

 「頑健な体だけが頼りの、芸のない体当たり戦法。そんなものに降参するとでも思ったか、愚か者め」

 「なにを!何も出来ないくせに何を言うか!」

 「出来ないのではない。あえてしなかっただけのこと」

 ずんぐりが眉をひそめた。剣の闘士が続ける。

 「大きな街の興行だ。呆気なく試合を終わらせたのでは観戦料を払ってまで見に来てくれた客に失礼というものではないか」

 それを聞いたずんぐりの顔が怒りで紅潮した。

 「ふざけやがって!なら客が楽しめるよう貴様を粉砕してくれる!」

 ずんぐりが突進した。今度はより低い体勢で加速されている。小山のような、圧倒的な肉体が剣の闘士に猛然と迫った。剣の闘士の唇が歪んだ。

 「ふん。筋肉だけの愚か者が」

 今度は彼も逃げないようだ。猛牛のような突進が剣の闘士を飲み込んだように見えた。だがずんぐりは空気の壁を叩いただけの感触に戸惑った。

 どこだ!?どこに逃げやがった!急いで左右を見た。いない。その時、頭上で声がした。

 「ここだ!」

 見上げるのと同時にずんぐりの頭は両断されていた。ずんぐりは上を見上げたまま、しばらく痙攣して立ち尽くしていたがやがてどうっと横倒しになった。

 頭を断ち切られたずんぐりの凄惨な屍に観客は声も出なかった。剣の闘士は表情も変えず上等観覧席に一礼した。そこでようやく観客は我に返り喚声を上げた。

 「すすす、すげぇ!」

 「見たか!?あいつ、鳥みてぇに飛び上がってずんぐりむっくりの頭をたたっ斬っちまったぜ!」

 「今でも信じられねぇ!」

 

 シュトライツは衝撃から我に返ると隣を見た。ボーメンは身を乗り出して驚愕の表情を浮かべたままだ。

 シュトライツは会心の笑みを浮かべてボーメンを呼んだ。ボーメンは、はっとなってシュトライツを見た。

 彼の笑みを見ると見る見る間に悔しさが滲み出てきた。そんなボーメンを見てシュトライツはとても満足した。

 そして、お先にと言って席を立った。一般観客席ではアレンが搾り出すように声を発した。

 「すげぇ・・・すげぇよ、あいつ。噂に違わねぇ凄腕だよ」

 ムックも頷いて言った。

 「うん。おいら、ちびりそうになった」

 オルレアンも雷にでも打たれたかのように固まっていた。本当にあの男は十数年前この街に現れた男なのか。

 闘った記憶はあった。その時は難なく勝った。だがどこかオルレアンの心胆を寒からしめるものがあった。

 それで憶えていた。だが今の鬼神のような強さはどうだ。まるで別人ではないか。ひょっとしたら同姓同名の別人じゃないか。

 オルレアンが訝っているとその想いが通じたように剣の闘士と目が合った。その途端、無表情だった相手に驚愕が走った。

 オルレアンは直感した。やはりあの男は私が十数年前に倒した相手か。その時オルレアンは剣の闘士、ジベリになんともいえぬ歓喜の表情が現れたのを見た。ジベリが言った。

 「これはこれは。オルレアン殿ではないか。お久しぶりだ」

 前席の観客が振り返ってオルレアンを仰ぎ見る。ジベリが続けた。

 「私を覚えておられるだろうか?まさか闘った相手を忘れるほど薄情な人ではなかったはずだが?」

 観客が驚いた。闘った!?あのジベリとオルレアンが!アレンも驚愕して父を見ている。オルレアンは仕方無く頷いて見せた。ジベリも満足そうに頷いた。

 「そう。貴公は情け深いご仁だった。闘い敗れた私の命を助けてくれた。あの時、周囲の人達はなんとも情け深い御仁よ、騎士の鏡だと貴公を褒め称えた・・・」

 観客は眉をひそめた。ジベリの口調が次第に憎憎しげなものに変わってきたからだ。

 「だが助けられた私の胸は屈辱の炎で燃え上がりそうだった。あの場で殺されていれば我が名誉は保たれ後世に汚名を残さずに済んだ。

 だが貴様は我が命を取らなかった。情けをかけたつもりだろうがとんでもない。俺を敗北者のどん底に突き落としたのだ。

 その後、俺は無念を胸に帰郷した。故郷で傷を癒すつもりだった。故郷ならばその暖かい懐で俺を受け止めてくれると信じたからだ。

 だがそこで待っていたのは親しかった人々の罵倒だった。名誉、大金の賭けられた大事な試合で敗北した。

 それにも関らず未練たらしく命を永らえている。なんと情けない男よ。そう罵られた。友人知人親兄弟。

 すべてが俺を詰った。俺は絶望した。もう行き場はどこにもない。自殺を考えた。だがそれは恥の上塗りになり我が一族に一層、迷惑がかかるだけだ。

 故郷にいられなくなった俺は自暴自棄になって戦場に身を投じた。そこで人を斬って技を磨いた。

 そして貴様に復讐することを思いついた。我が名誉と故郷を奪った貴様にも同じ絶望を抱いてもらうためにな!」

 血を吐くようなジベリの独白にオルレアンは震え上がった。ジベリは指を剣のように突き出してオルレアンを指した。

 だがしばらくしてその激情も去ったようだ。落ち着きを取り戻して言った。

 「この街に来たのは偶然、依頼を受けたからだ。だがその仕事も終わった。次は貴様の番だ、オルレアン!」

 オルレアンはアズの後ろに隠れようとした。だがアズよりオルレアンのほうが上背がある。隠れきれないのを悟ると別の観客の陰に隠れようとした。それを見咎めたジベリが言った。

 「待て、オルレアン!勝負を受けてくれるんだろうな!受けてくれるまで私はこの街にいるぞ!」

 アズらはオルレアンが客席中段の階下入り口に逃げるように入るのを見て仕方なく後を追った。観客はそれを見送るとジベリに目を戻して呟いた。

 「昔のオルレアンだったら面白い試合になるかもしれんけど今のあいつじゃあなぁ・・・」

 「一太刀で殺られちまうな・・・」

 

 それからしばらくしてまた決闘試合があった。シュトライツ側からはジベリが出場して難なく相手の闘士を屠ったという。

 市民はこの報を聞いてジベリの強さはやはり本物だと興奮して語り合った。今、ケルラにはアイドル的な闘士はいない。

 なので圧倒的な強さを見せるジベリに人気が集まった。このまま街にいてずっと活躍してもらいたい。

 だがジベリはシュトライツの招きに応じて遠くからやってきた闘士。いつまでもこの街にいるわけではない。

 とするとジベリの闘いが見れるのもそう多くはない。市民は嘆息した。だが別の市民が新たな情報を持ってきた。

 「契約の仕事はもう終わったようだ。だけどシュトライツ伯はジベリのことをえらく気に入ったみたいでこれ以降も街に居てくれるよう連日もてなしているらしいぞ」

 「へぇ。あのケチで気位の高い貴族様がいくら強いからって闘士風情にねぇ」

 「このところ決闘試合じゃボーメン男爵にやられっ放しだったからな。久しぶりに得た強い闘士を手元から放したくないんだろ」

 「負けっ放しじゃ伯の面子にも関わるからな」

 「ジベリも上機嫌で居心地がいいからしばらくケルラに留まるって言ったそうだ」

 「へぇ。そうなると困るのが二人ほどいるな」

 「誰だ?」

 「決まっている。ケルラの貴族の一人と今は落ちぶれた剣術道場の主さ」

 闘士地区では剣術道場の主が争って自分の道場にジベリを招いていた。声望が高まったジベリを客分として置いて道場の名を高めようというのである。

 そして一つの道場がそれをやると他の道場もそれにならった。客分といっても特に何かをやるわけではない。

 ただ名前を貸すだけである。だがそれによって多額の名前貸し料がジベリの懐に入った。ジベリはシュトライツの口利きで街で最高級の宿泊施設に泊まっていた。

 そして特に用がない日は気晴らしに街に出かけた。そういう時は客分となった道場の練習生が金魚の糞のように後ろからついて歩く。

 練習生は直弟子にでもなったようにぺこぺこしておべっかを使う。ジベリの向かう先ではジベリ先生と呼ばれるようになった。

 そしてこの日ジベリはシュトライツ伯の居館に赴いた。遊ぶ金を無心するためだ。応対した家宰は渋面を浮かべそうになったがすぐ奥に引っ込んで幾ばくかの金を与えた。

 家宰が居間に戻ると金貸しのマネが渋面を浮かべていた。家宰はそれをちらっと見て言った。

 「そう渋い顔をするな。あんたの献身ぶりはちゃんとお館様に伝えている。またあんたが金儲けできるよう取り計らってくださる」

 「そう願いたいものですな。あの闘士を雇う金といい遊ぶ金といい、用立てているのはこの私ですから。そろそろ私にもいい話がないとやっておられません」

 「わかっておる」

 家宰はうるさげに手を振った。ジベリは帰り道、金の入った袋を弄びながら呟いた。

 「さて。この街にも飽きてきたな。俺とオルレアンの関係も大分、街で広まったようだしそろそろ奴にお出まし願おうか」

 <8> 

 ボーメンはその日、闘技場に行かなかった。ジベリに見合う闘士を呼んだのだがどうしても勝てるとは思えず居館から出なかった。

 行かなければシュトライツに嘲られるのはわかっている。だが闘技場でジベリの勝利後、優越感に満ちた顔で見下されるのはもっと嫌だった。

 試合中と思われる時間そわそわして室内を行ったり来たりした。時間的にはもう試合は終わっているはずだ。

 報告はまだか。勝敗がつき次第、手の者が報告に帰ってくることになっている。こちら側の闘士が必ずしも負けると決まったわけではない。

 まだ落胆するのは早い。じりじりして待った。そしてようやく手の者が到着した。手の者もかなり急いで帰ってきたらしく息を切らせていた。

 ボーメンは手の者が挨拶しようとするのを遮って結果を聞いた。その瞬間、淡い期待は無残に砕け散った。ボーメンは手に持ったグラスを床に叩きつけた。

 「ええいっ!あの役立たずがっ」

 家宰がおろおろして主人を宥めた。

 「お館様。落ち着いてください」

 「これが落ち着いていられるかっ」

 イライラして室内を行ったり来たりした。そして新しく用意されたグラスにワインをなみなみと注いで一息に飲み干した。

 それでいくらか落ち着いた。そして力なく椅子に座ると呟くように言った。

 「このままでは我が面目は丸つぶれだ。なんとかして挽回しないと・・・シュトライツのくだらん条例案だけが通り市の特権はすべて奴に集中してしまう。なんとかせねば」

 ボーメンがうな垂れていると家宰が何か思いついた顔になった。だがすぐ逡巡した様子になった。言おうかどうか迷っている。やがて意を決した表情になり主人に言った。

 「お館様。実は推薦したい闘士が・・・いえ、正規の闘士ではないのですが最近、道場破りして名を上げた若者がおりまして」

 

 パブ地区の安酒場では男達が興奮した様子で語り合っていた。話題は先日、行われた決闘試合のことだ。ジベリの強さを賞賛する声があちこちで聞こえる。

 「こうも次々にジベリに負けたんじゃボーメン男爵の威信は地に落ちたな」

 「もう次の相手は用意できないだろ」

 するとそれを否定する声が上がった。室内にいる全員がその声の主のもとに集まった。その男は街の噂ならどんなものでも知っていると言われる情報通だった。

 その男が言うにはボーメンは次は面子をかけてとっておきの闘士を用意するという。近くにいた男が訝しげに訊いた。

 「いってぇどんな奴を用意するってんだ?そりゃ金を積みさえすれば一流どころを呼べるだろうが」

 情報通が手を横に振って言った。

 「違う、違う。遠くから呼ぶんじゃない。すぐ近くのを使うんだよ」

 男達は一層、訝しげな表情になった。

 「いってぇ誰のことを言ってんだ?」

 すると情報通がにやりと笑って言った。

 「おめえらも聞いたことがあんだろう。少し前、闘士地区の道場が闘士でもねぇ若造に次々に道場破りされたって」

 男の一人が指をパチンっと鳴らして言った。

 「聞いたことあるぞ!まだ20になったかどうかってガキに、しかもそいつは素手だったっていうじゃねえか」

 「そいつはすげぇ!」

 「で、そいつはなんてんだ?」

 男達の視線が情報通に集中した。

 「確か・・・アズと」

 その安酒場で交わされた話の内容はあっという間に街中に広まった。そしてその時ある道場に来ていたジベリの耳にもその話が入った。

 ジベリは眉を潜めてその話を持ってきた練習生に訊いた。

 「アズ?そいつは何者なんだ?」

 「素性はわかりません。少し前、人を探しにこの街に来たんだとか。それでどういうわけか今はオルレアン道場に寄宿しています」

 ジベリはその名を聞いて驚いた。

 「オルレアン道場か!」

 「それでそのアズってのがオルレアンに剣術の手ほどきを受けているのを窓から見た奴もいまして」

 「では奴の弟子になったということではないか」

 「でもおかしいですね。アズって奴は素手で闘うはずなんですがね」

 ジベリは考え込むように言った。

 「これまで素手で闘ってきた男が剣術を習っている。さらに手強くなったということではないか。しかしよりによってオルレアンのところとはな・・・ふふふ。面白い」

 練習生は何が面白いのかわからない様子だ。だがジベリは一人、悦に入った様子で唇を歪めた。

 「・・・とにかく次の相手はそのアズとかいう奴なんだな」

 「いえ。それがまだわからないんです。根拠のない噂かもしれないですし」

 「火のないところに煙は立たぬという。ありえないことではない。男爵が俺に対抗するため腕の立つのを探していたらその男に行き当たった。まぁ面白くなってきたのは間違いない」

 「それでどうなさいます、先生?」

 「前にも話したように我が目的はオルレアンだ。弟子を倒せば師匠が出てこざるを得まい。俺からもシュトライツ閣下にかけあってぜひこの決闘を実現させていただこう」

 ジベリは窓の外に目を向けた。その目には既に血まみれになって倒れたオルレアンの姿が映っているのかもしれない。ジベリがふと思いついたように言った。

 「そうだ。オルレアンには闘う前から強い恐怖を味わってもらおう。俺が奴のせいで受けた仕打ちに比べればたいしたことはないが」

 練習生がそれを聞いて首をかしげた。するとジベリは振り向きざま目にも留まらぬ早業で抜刀した。

 皆が気づいた時ジベリの剣は後ろにいた練習生の首筋でぴたりと止まっていた。周りの練習生が驚きの声を上げた。

 「せ、先生!」

 ジベリが唇を歪めて言った。

 「オルレアンの弟子には可哀想だが我が必殺剣の餌食となってもらおう」

 「必殺剣!?先生、その必殺剣とは?」

 「ふふふ。戦場で鍛えた首切りの技よ」

 練習生は慄然となった。やがて一人が訊いた。

 「ですが先生。アズとかいう奴。先生が相手と知って試合を受けますかね?尻尾を巻いて逃げ出すのがおちなんじゃないですか」

 「ならば逃げ出せないようにするまでよ」


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